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10水浴び

揺れる景色。獣の背に跨って、私は群れの最後尾に続いていた。

大柄な獣たちが大勢浸かれるような水場は里のすぐ側にはないようで、少しだけ歩く。この「少し」というのはもちろん獣感覚なので、私が歩いたら往復するだけで日が暮れてしまうかもしれない。歩幅だけの問題でなくて、なんとなくバイタリティーから違うのだ。小さな、といっても私が四足ついたくらいの身体で隣を跳ねるように併走するニキを見て思う。


私は獣――カラの背中で、何となくお尻が落ち着かなかった。その原因であるカラは、出発してからこちら、一言も口を利かない。もともと喋るのが得意でないのはあるだろうけど、それでもむっつりして、ずっと前だけ見て歩いている。いつもならこちらに鼻先を向けて気づかうようなごつごつした岩の落ちた道でも、前兆なくいきなり跳ねるから、その背中にへばりつく私は気が気じゃない。


――もう、何なの。


出かける時だって、目も合わせてくれないくせに、他の獣に送ってもらおうとしたら妙に威圧感のある声で唸るし。


――わけわかんないよ。


しっかりしがみつきたい時でも、中途半端にしかつかめないから、自然と息が上がった。カラ、絶対気がついてるのに。

私は手に力を入れる代わり、ぎゅっと目を閉じた。

カナみたいに、いつも酷いと、腹は立っても全然ショックじゃないのに。あ、ちょっとは傷つくけど。


いつも優しいカラにこうされると、どうしていいかわからないよ。



体感それから二十分後、だからきっともっと短時間なんだろうけど、私のお尻――カラの背中のあたりまで茂っていた緑の草むらが開けて、ぱあと視界が広がった。きらきらと光が目に刺さる。


眇めて見るうち、ばしゃばしゃと目の前を獣の子供が跳ねていく。カラの上にいる私にも、その冷たい水がしっかりとかかった。


「うわっ」


ごしごしと目を擦る。

そこには、カラがたくさん並んでも余裕のあるような幅の、水の流れがあった。獣たちはその身体を水の中に浸して、鼻だけすぴすぴ水面に覗かせている。


――かなり面白い光景だ。


ぷっと笑ったとたん、いきなりお尻の下が動いて、獣の鼻がいくつも浮く方へ弾んだ。近づく日の光に目がくらんだ次の瞬間、私は全身がゼリーに飲み込まれたような感覚を受ける。手に掴んでいたカラの背中を離したことに気付いたのは、いち早く浮上した獣の鼻が、空色のゼリーの天井からこちらに向かってあぶくを吹いた時だった。


私は思い切り足を動かして、その巨体の脇からぶはっと顔を出す。カラにばしゃりと水が掛かったけれど、それも分からないくらいにびしょぬれで、なんだかカワウソみたいに全身ちんまりしている。毛が長いものだから、つぶらな瞳が隠れて、ちょっとかわいいかもしれない。


無防備に観察する私に向かって、カラがフンと鼻を鳴らした。吹き出した水がぶっと私の顔にかかる。


――やっぱりかわいくない!


やりかえしてやろうと、手で水をかいて思い切りその顔にかけるけど、私の受けた何とも言えない気持ちは返しきれない気がした。カラに背を向けてバタ足で遠ざかる。先ほどの突撃を察して素早く逃げていた獣たちが、彼らにとっての浅瀬でゴロゴロ寝そべっている。私は自分の腰まで浸かる水の中で、獣の群れに混じった。


ふと視線を感じて顔を上げると、見覚えのある顔があった。濡れ鼠状態で微妙だけれど、妙にらんらんとした光を放つ黒い目をしている。


「ミノクシと一緒にいた……」


言いかけると、獣はこくりと頷いて、短く「クノマリ」とだけ応えた。


獣のネーミングセンスはなんだかふしぎで、新鮮に感じた。


「クノマリさん?」


普通ならパタンと動きそうな尻尾が、ぼったりと水の中から顔を出してまた沈む。クノマリさんは 水の中に腕を曲げて、その顎を置いているから、ちょうど目線の高さが同じだった。彼が口をわずかに開けると、水の中で大きなあぶくが二つできる。ポコポコと水面に弾けるそれをただ眺めるだけの私に、クノマリさんはもう一度あぶくを作った。


「……クノマリさん?」


――ポコポコ。


「クノマリさん」


――ポコポコ。


私はもう一度声にしかけて、不意に思いついた事を呟いた。


「――ハル?」


――ポコン。


クノマリさんは億劫そうに、目だけで頷いた。

私は彼が寄りかかっている岩の上によじ登ると、膝から下を流れる水を蹴とばしながら、ぼうっと川の景色を眺める。


水中や川べりには、獣がごろごろと転がっている。水を吸って重たくなった身体を持て余して寝そべったまま日の光を受けている。茶色っぽいの、赤っぽいの、黒っぽいのもいる。誰もかなりだらしない格好なのに、濡れた毛並みがきらきら輝く姿はきれいだった。


「きれい」


呟くと足元で獣が身じろいだ。眠そうにあがる瞼からのぞく眼は、つやめいた鉄の色をしている。


「みんな、きれいだね」


その眼が瞬いた。そのまま凝視される。そのうち近くで寝そべっていた獣たちが、こちらに向かって首をめぐらせた。

み、見られている。

うう、と視線から身体をそらせるよう後ろに身を引くと、支えていた足を苔に取られた。視界がくるりと回って青空を捉える。高飛びの選手のようだけど、飛び終えた後に分厚いマットの準備はない。

 

ばっしゃんと、私は背中から水中に飲まれた。



気がつくと、大きな獣の上に負ぶさっていた。ゆっくりゆっくり、揺り篭のような振動だった。目を動かすと、茶色っぽいのや赤っぽいのも、同じ歩みで進んでいる。

私は洗い立てのふわふわした毛並みが暖かくて、またとろとろと目を閉じた。



次に目が開いたのは、屋敷の入り口だった。足だけ板間に投げ出して、私は柔らかいものの上にもたれかかっている。薄暗いのは、もうすぐ日が暮れるからか。


さっきまでの獣と寝心地のちがう、しっとりしたそれに違和感を感じて顔を上げると、枕にしていたお腹の上下のリズムが乱れて、その獣、クノマリさんがじいと私を見つめた。慌てて身体を起こすと、くらりとめまいがする。ぽすりと尻尾が背中に当たって、私はその場にしゃがみ込む。


「あの、ありがとうございます」


クノマリさんはじっとそのまま見返したけれど、ふとその目を動かした。視線を追うと、開け放しの玄関から、乾いた土みたいな色の髪をした鬼がこちらを覗いていた。


「ミノクシさん」


ミノクシは目だけで返事をすると、クノマリさんをちらりと見た。クノマリさんは立ち上がると、ミノクシとすれ違うようにして外へ出て行く。そのとき獣の口が動いた気がする。

ミノクシはにやけた顔で板間に腰を乗せると、置いていかれたままの格好でしゃがみ込む私を、瞳を細めて眺めた。


「お前、あいつらを口説いたらしいな」


意味が分からない。首を傾げると、「きれいって言ったんだろう」と呆れたような目をされた。

それは言った。言ったけど。


「口説いたわけじゃありません」

「まさか。本気で思ったわけじゃないだろ」

「え?」


ミノクシは目を見開いた。あの岩の上で、獣たちに向けられたような顔だった。彼は静かに息をつくと、真面目な口調で言った。


「お前、俺をどう思う」

どうって。なんだいきなり。

ふざけているのかとオチを待つが、その顔はどこか深刻そうに私の言葉を待っている。

好きとか嫌いとか、そういう返事をすればいいのかな。

なんだろう、ふつうに好きだけど、間を置いた後で改めて答えると、何だか深い意味を持たせるみたいで口にしづらい。

言いよどんでいると、ミノクシは続けた。


「俺じゃなくて、館さまでもいいぞ。まあカナフシでもいい。気味が悪いと思った事はあるか」

「……きみ?」

「気色が悪いとか、そう思った事があるのか」


言いかえてくれなくても意味は分かる。だけど、どうしてそんな話になるんだ。私は素直に首を横に振った。


「ミノクシさんはかっこいいし、館さまはすごくきれいだと思います」


カナについては触れない。

「感性がおかしいわけじゃないのか」


流してもいいけど、ミノクシってけっこうナルシストだよね。


ミノクシは緊張を解いて、興味深げな視線を送ってくる。


「あの、なんですか?」

「獣の容姿を褒めた娘だ。初めて見たぞ」


ちょっと、むっとしてしまう。


「ミノクシさんは、クノマリさんとかカラとか、かっこいいとは思わないんですか」


ちょっと困ったように「クノマリ……」と呟いてから、ああと合点がいったように頷く。相棒と言いつつ、名前も覚えていないなんて。白い目を向けると、頭をくしゃくしゃと撫ぜられた。ごまかされている気がする。


「人は鬼の姿を忌むんだ。人の姿をしたお前のような娘から容姿を褒められて、あいつら、ざわついている」


――人が鬼を嫌がるのは、仕方ないかもしれないけど。


「私は人じゃないし、ミノクシさんだって鬼じゃないですか。鬼同士でも、気味が悪いとか思うんですか」


ミノクシはぎゅう、と私の耳を引っぱった。ちょっと苛ついているのかもしれない。


「獣の容姿を醜いと思うのは獣自身だとてそうだ」


耳が痛い。じわりと視界が滲む。ミノクシは手を離した。


「……カラニシを呼ぶか?」


私はなんとか首を横に振った。会釈して、立ち上がり、屋敷の奥へ歩く。ミノクシは追ってこない。私は自分を刺激しないように、そろそろと口を押さえて、与えられた部屋へ戻った。

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