海底10000mの蛍
「海中10000mの蛍」
||短編セリフ||
女「最後の夏に二人きりの海だよ」
男「危ないから、上がってきなよ」
女「ねえ、手、取ってくれないの」
男「うん。取れないよ」
女「手、取れないの?」
男「…取らない」
女「最後の夏だよ、最後の夜だよ」
男「上がってきなよ」
女「最後の海くらい、わがまま聞いて」
男「もうわかんないからさ」
女「手、取ってくれるだけでいいの」
男「わかんないから、僕が、君が、何を感じてきたのか」
女「優しくまた握って欲しいだけ」
男「わかんないのは、忘れてしまったからだと思う」
女「冷たい手でもいいから」
男「いつまで潜ってんの」
女「お別れするまで」
男「もうしたんだよ」
女「これでほんとのお別れ」
男「もう、言葉だけでいい」
女「触れて」
男「できない」
女「触れて」
男「できない」
女「触れて」
男「触れたくない」
女「……」
男「もう夏はこない、春もこない。秋もこない、冬もこない」
女「バイバイ?」
男「うん。だからそんなとこにいないで」
女「そんなとこじゃない」
男「いつまで過去にぶくぶく潜りっぱなしなの」
女「潜ってないと怖い」
男「もう浸ってちゃいけない思い出だよ」
女「ここにはまだ君がいるから」
男「いないよ、もう」
女「まだ、あと少しかもしれないけど、まだいる」
男「ほんとの意味での僕は、そこから上がってる」
女「ねえ、わかんないでしょ、この海の一番底に何があるのか」
男「深すぎてここからじゃ見えない」
女「お願い。最後に見に行こう」
男「行かない」
女「見に行こう」
男「行かない」
女「蛍だよ」
男「え?」
女「この海の底、私の一番の思い出、蛍」
男「うん」
女「蛍だよ」
男「一番底なんだね」
女「そうだよ、一番」
男「だいぶ、深い海になっちゃったね」
女「だね」
男「僕はもう、潜る気はないよ」
女「…うん。わかった」
男「いつかちゃんとそこから上がるんだよ」
女「もうちょいかかる、かもだけど、そうする」
男「さよなら」
女「ばいばい」
女「…やっぱり、見ていかない?」
男「さよなら」
女「そっか。ばいばい」