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私のHERO  作者: 筆上一啓(フデガミカツヒロ)
14/19

人差し指

 たくさんの作品の中からご興味を頂きありがとうございます。この作品は1990年代を舞台にしています。作品内のリアリティのため実在する地名、人名、商品名、企業名を利用している場合はございますがストーリー自体はフィクションとなります。実在する人物、及び、商品、企業とは関係ありませんのでご注意をお願い致します。

 高校という新生活が始まると思いのほか中学とは違う時間の流れに戸惑わされる。進学校というのもあるけれど、身体測定や体力テスト、レクレーションなどの日も午後には必ず授業があった。入学した翌日から3日間はいきなり実力テストが準備されていた。これは入学案内にも書いてはおらず、入学式の日に配られた年間行事予定表で知らされたのでほぼ抜き打ちテストのような状態だった。まあ、それはあくまで中学の復習の範囲内であるからそんなに悪い点数を取ることはなかった。

 そして、テスト明けからの授業は他の近隣の高校とは一線を画し、中学の復習は飛ばして授業を始めたので、ほとんどの教科で教科書を20ページほど飛ばして開始していた。授業についていくのが精一杯で私は部活どころではなかった。強いて言えば高校まで続けるほど部活の成績は良くなかったし、新しく部活を始めるほどそこまで興味のある部活もなかった。

 そんな中1学期の遠足などのイベントが強制的に組み込まれ、あっという間にゴールデンウィークが来て、休みが明ければ中間テスト。その後は宿泊学習。戻ってきたと思ったら校外テストがあって、体育祭の決起会があって、期末テストになって、球技大会があってとあっという間に3ヶ月が過ぎていった感覚だった。

 そんな時流に流されつつあるある中、彼は自分の時間を生きてるようだった。彼は去年貰った学校案内の中には新体操部ではないけど器械体操部があったのでそこで部活をするつもりのようだったが、前年の3年生を最後に部員がいないため廃部となっていた。彼は体操部復興を目指して校内中をめぐって部員探しをしていた。その間にも体が鈍らないようにとサッカー部やハンドボール部など新しくできた友人のいる部活に参加しては体力づくりをしていた。デモンストレーションのつもりか校内奉仕作業の終わった後にグランドの端から端までをバック転で駆け抜けて見せて校内中の有名人になった。それを機に様々な部活からの勧誘を受けることになったり体育祭の決起会もまだな内から団長候補の先輩たちが応援団に入るように声をかけに来たりと彼の周りも騒がしくなってきていた。

 電車での登下校に加えて駅までの自転車移動で中学より勉強する時間は減っているので彼の成績は下がるかと思ったのだけれども、実力テストと郊外テスト、期末テストは学年20位以内だった。どういう訳か中間テストだけは100位以下と大きな開きを見せていた。

 この頃の私は復調していて大体50位以内をキープで来ていて来年は進学クラスに編入できるほどの成績を取れるようになっていた。しかし、それでも彼の成績に追いつけない時がある。毎日忙しそうにして7時に学校が閉まってから7時50分の電車に乗って帰る彼に時々時間を合わせては一緒に帰り、参考になればと勉強方法を聞いても的を得た回答を貰えなかった。

「本当にこの学校の勉強方法は肌に合わない!自分のペースで自分なりの方法で勉強しているだけだよ。だから、テスト範囲に追いつけないと順位落としてるし・・・。」

 たしか、中間テストの後に聞いたときはそんなこと言っていた。そして、中学までは続けていた進研ゼミもやる時間がないと中間テストの後に辞めてしまったらしい。



 そして相も変わらず彼は私が怒るようなことを繰り返す。危ない事や周りと違う行動を取る度に私に見つかり怒られている。そして、私の気持ちを踏みにじるたびに機嫌を損ねた私に当たられていた。

 例えば、1学期入って早々の遠足で高校から5kmほどのところの山腹にあるオートキャンプ場も備えた大きな公園に行く事になった。彼とはクラスも離れているし、大きな高校だったので行きと目的地の公園で彼と会う機会は無かったのだけれども彼は帰り道でやらかしてくれた。

 山腹の公園と高校までのルートの途中に動物たちと触れ合う事もできる観光施設になっている牧場があった。そこには売店があり、その近くには遊覧用のロープウェイがあり、通常は遊覧の為往復するのだが発着場は下にもあり片道だけ乗ることも出来る。彼は新しいクラスメイト4人とそれに乗りショートカットで帰路を取った。

 売店で買ったソフトクリーム片手に4人で下の発着場から出てきたところを偶然にも私と遭遇し、私からみんなと違う行動をしている事に怒られる。規律やら遠足の目的やらクドクドと残りの帰路を説教される。

 はじめは真面目に反省していた彼も私の説教が長くなってくると笑って誤魔化そうとし始めた。それに気を害した私は更に彼を怒ったのだが、流石に可哀相と思ったのか共犯の友人の一人が、

「自分が言い出したからこいつ事はそろそろ許してやって欲しい。」

 と言ってきた。残りの二人も、

「こいつだけ責めないで欲しい。」

 と頭を下げてきて、まるで私の方が悪者の様な雰囲気になったので怒るのをやめざるを得なかった。

 彼らは私の説教から逃れると私たちの少し前を歩いていた。余程私のことが怖かったのか高校生の男子4人が小さくなって歩いていた。

 そんな中、首謀者だった友人が彼に問いかける。

「あの子可愛いけど、怒らせるとおっかねぇなぁ。仲良さそうだったけど、お前とどう言う関係?」

 小さくなってヒソヒソ話のつもりなのだろうけどしっかりと私にまで聞こえて来ていた。そんな私の話題をしているだけでも私は怒りをおぼえはじめているのに、まだよく知らない人達だからと感情を抑えていたのに、奴はヒソヒソと話す素振りも無く、

「保育園からの『腐れ縁』だよ。」

 と答えて見せた。瞬間、私のフラストレーションは限界点を超えて感情が爆発する。

「今、何ていった!!!」

 両手を振り上げて襲い来る私に気付くなり彼は全速力で逃げ始めた。相当な距離を追いかけるも学年トップクラスの足の速さに追いつけることもなく彼を見失う。彼はどこまで走って逃げたのか開けた見晴らしの良い一本道に来ても先に姿を確認する出来なかった。

 しょうがなかったので、帰りの電車の中で彼を捕まえて無言のプレッシャーを与え続けた。

 電車を降り、駅を出るとそれぞれの自転車をとり押して帰る。彼も力も体力も私よりあるのだから自転車に乗って全速力で逃げれば良いものを二人で帰るときは必ずいつもの曲がり角まで自転車を押して歩いて帰って送ってくれるのが習慣になっている様で小さくなりながらも私の横を自転車を押して歩いてくれた。流石に申し訳無いのと暗い雰囲気に堪えきれないのとで私の方から彼に話し掛けて空気を変える。彼に今日一緒にいた友人達がどんな人たちなのか聞いたり、どう言う経緯でロープウェイに乗ったのか聞いてみた。

 聞いてみたら彼らしく意外性も無いくらいトボけたいきさつだった。友人の一人の水筒が空になり水を分けて貰おうと施設に入りタダでは申し訳ないとソフトクリームを買い、疲れた友人を気遣い休憩していたところにロープウェイの管理者に乗って降りたらどうかと言われて乗せてもらったと言う事だった。首謀者の友人が先生たちが近くにいないことを確認して今なら大丈夫じゃないかという話になって疲れている友人のためにロープウェイに乗ったという経緯らしい。

「はぁ・・・。まあ、あんたが首謀者でもないし友達のためだったんなら仕方ないけど・・・。」

 呆れてため息しか出ない私をしり目に、

「でもやっぱり駄目なもんはダメだよね。」

 と言って照れ笑いで誤魔化そうとしている彼が横にいる。最近は怒るのも疲れるので、

「もう勝手なことしちゃだめだよ。」

 と言って話を終わりにする。

 別の日にはこんなこともあった。

 ちょうど冬服から中間服に替わったばかりの時だ。突然の雨に打たれて駅舎内は混雑していた。辛うじて振り出す前に駅に着いた生徒たちも電車の来るまで時間があったのでホームには行かず駅舎で待っている生徒がほとんどだった。田舎の駅なので駅舎とホームは別々でその間に屋根はない。混雑しているがホームにも向かえず駅舎内はごった返していた。

 雨に打たれながら駅舎に駆け込んできた私と三園さんの前に彼の姿があった。珍しく早めの電車で帰るようで中学からの旧友たちと待合のところで話し込んでいる。私たちに気づくと軽く手を振ってくれる。

 突然降りだした雨も落ち着こうとしたころ、そろそろ電車が着こうとしたころ同じ中学だった瀬戸さんが同じ高校の生徒たちと駅舎にずぶ濡れで飛び込んでくる。彼女は雨に打たれた時間が長かった分、滝にでも打たれたかのように濡れていて長い髪もブラウスも肌にピッタリと張り付いていた。幼い顔つきで低い身長に華奢な体つきなのに立派なものを胸に有していていたので濡れた肢体がそれに反して艶やかさを醸し出していた。その場にいた男子のほとんどが彼女の濡れてあらわになった肢体のシルエットと透けた下着を見ないふりして見ている。尾道君に至ってはガン見していて正直引いた。

「ちぃちゃん、これ使いなよ。」

 彼はセカンドバッグから大きめのスポーツタオルを取り出すと彼女に手渡した。そう言えば私も彼も小学校の5・6年生で同じクラスだった。そんなに仲の良いイメージは無かったし住んでいる地区も近くないので下の名前の千歳ちとせ』からくる愛称で呼んだのは少し意外だった。

「ありがとう。」

 と言うと瀬戸さんは遠慮することなくタオルを受け取り、髪の毛や濡れた服を拭く。ひと通り拭き終わるとタオルを返そうとする。

「ちょっと、胸!みんな見てるから!!タオル返すのは今度会った時でいいから!!!」

 彼は顔を赤くしてちょっと困ったような顔をして彼女に男子たちの視線のことを注意する。

「あぁ・・・。」

 瀬戸さんは今頃になって自分の下着が透けているのを確認して納得している。タオルを広げると胸元にかけて彼に微笑みかける。

「教えてくれてありがとね。」

 そう言えば瀬戸さんはこんな感じの子だった。おっとりした性格でガードが弱くて天然で何を考えているのかよく分からないことがある子だった。クラスメイトの時は話がかみ合わないなんて日常茶飯事だった。

 瀬戸さんに集まっていた細やかで熱い視線は今や「余計なことをしやがって!」と恨み節が聞こえてきそうな勢いで彼の方に集まっている。それに気付いてか気付かないでか彼は飄々と元居た友人たちの輪に戻ろうする。

 私はわざと彼の前に立ちはだかり、

「ちょっと、わたしも濡れてるんだけど?」

 と少し不機嫌気味に声をかける。私としては付き合いの長い私の方を大事にして欲しかったので少しヤキモチを焼いていた。ついでに彼をからかいたかった。

 彼は私を見ると髪と肩のあたりが濡れているのを確認する。視線を追うと少しだけ胸元を確認する。私と三園さんは雨が降り出した時には駅の近くまで来ていたので瀬戸さんほどは濡れていない。下着も色はよく見れば分かるかもしれないけど瀬戸さんほどはっきりとは分からない。彼は胸元を見た後は周囲を見渡してから私に語りかける。

「誰も見てないしそんなに濡れなくてよかったね。面積が少ないと濡れる量も減るのかな?」

「なっ!!!」

 どこの面積が少ないと言っているのか!コノヤロー!!!あまりの怒りに声にならない。毎度毎度人の胸をしっかり見ておきながら言うことが失礼すぎる!この距離でうっすら湿度を帯びたブラウスの下にある私の下着の色までしっかり確認しておいて言うことはそれかよ!少しは気にかけて欲しいのにわざととしか思えないほど私の逆撫でるような様なことしか言わないし、私が女の子だということを忘れているとしか思えないような扱いだ!

 胸のことを言われて怒りと羞恥心で顔が熱くなるのを感じる。ワナワナと足元から怒りに震えが湧き上がってくると不意に彼に何かを被せられる。ふわりと彼のにおいがした。学校指定のジャージの上着だった。

「ごめん。冗談だから・・・。」

 そう言って彼はそっぽを向いている。顔は耳まで真っ赤だった。悪態をつきながらもやっぱり女子の下着が見えてしまったのは恥ずかしかったらしい。

「あ・・・、ありがと。」

 私は拍子抜けして素直にジャージを貸してくれたことにお礼を言う。

「ねえねえ、わたしも濡れてるんだけど?」

 私の後ろから悪戯っぽい声で彼に三園さんが声をかける。

「えっ、えっと・・・。」

 タオルもジャージも貸してすべてのアイテムを出し尽くした彼はセカンドバッグを漁りながら狼狽えている。

「お、オレの使う?」

 尾道君がセカンドバッグからジャージの上着を取り出してきたタイミングで、

「あっ、そう言えば今日授業で体育あったからジャージ持ってた!」

 小悪魔的な笑みを浮かべながら三園さんは自分のセカンドバッグから自分のジャージの上着を取り出してきた。彼をからかうのは私だけの特権なのに三園さんにそれを取られてしまった。そのヤキモチにも似た憤りを彼の方にぶつける。前の方からジャージを被せるように掛けられて両手を出せない私はおでこを彼の胸のところに押し付けるように小突いて、

「誰にでもいい顔をしようとするからからかわれるんだよ!」

 と毒づく。その癖、本当は私と三園さんは同じクラスだから私もジャージを持っているのにその後、いつもの分かれ道まで彼のを借りたままにしていた。

 彼はそっぽを向いたまま頬をかいていたけど私が顔をあげると目を合わせて『にぱぁ』といつものように笑う。小さいとき、私が悪戯っ子に苛められたのを助けた後に必ず見せていたあの時と同じ笑顔を見せる。いつもその笑顔に言葉はないのに不思議と気持ちが伝わってくる。「もう大丈夫だよ」「問題ないよ」「気にすることないよ」「笑顔を取り戻してよ」たった一つの笑顔にいろんな言葉が乗っかって私に伝わってくる。そして、その笑顔を見るとどうしてもそれ以上怒れなくなってしまう。



 何も変わらない彼に対して私は高校に入って変わった。変わるように努力した。より女の子らしくなるよう努力した。中学生の時までのように手を叩いて大声で笑うなんてことすることはしなくなった。外野さんに言われたように彼に対する気持ちも今までよりは素直にするように努力した。たまに彼のペースに巻き込まれて感情的になって昔のようなやり取りをしてしまうけど、それはそれで正直な私の一部なのだから否定しようがない・・・なんて言うのは言い訳がましいかもしれない。けど、私は変わるよう努力した。彼の前でも極力女の子であろうと努力した。

 そう言えば変わらない変わらないと言うけど、彼も少しだけ大人になったところがあった。私への不用意なボディタッチがなくなった。そして、それはそのまま私たちの距離感も変えてしまった。

 きっかけは単純だった。ある日の帰りの電車の中で彼を見つけて声をかけると私の顔を見るなり顔を真っ赤にして謝ってきた。

「今まで変なことしてごめん!!!」

 いきなり謝られても何に謝られたのか皆目見当もつかない。

「いやいや、失礼なことは随分されてきたけど何に対して謝られているのか急すぎて分からないから。」

 私の問いかけに彼は何から話そうかとまごまごしていたところに彼と同じクラスの南さんがやってきた。

「今日クラスで女の子のほっぺや二の腕はおっぱいと同じ柔らかさだって話をしたら、知らなかったとは言え、あなたの『ほっぺも二の腕も小学校のころからずっと触り続けてきた』って青ざめて言っていたんだよ。」

 とクラスであったことを教えてくれた。彼は周りにいたクラスメイトたちに「スケベ」だの「変態」だの散々罵られたとのことだった。

「ふ~ん。」

 と別段気にしていない私の反応に彼は驚いているようだった。

「あれ?怒らないの?」

「私は中学からその話は知ってたけどあんたの態度を見ていたら本当に知らないんだなぁと思っていたから今更謝られても気にしてないかなぁ・・・。」

 私は正直な気持ちを伝える。

「まあ、他の女の子の触ってたら注意してたと思うけど?私だけのようだったし、ほっといたかな。まあ、これを機に私を含めて気安く女の子に触れないようにしないとね。もう、高校生なんだし女の子に触れるのはいろいろ誤解を生むから不用意に触んなよ!」

「ごめん・・・。」

 と言うと彼は頭を掻いて恥ずかしさを誤魔化そうとしている。

 これを機に彼は私に気安く触ってくることはなくなったのだけれども、中学の卒業式以降感じている彼の少し疎遠な素振りも含めて私の心のモヤモヤしたものの厚みはさらに増してきてしまった。

 あの日、外野さんに言われたように私は自分の気持ちに素直になろうとして、彼ともっと一緒にいたいという気持ちに素直になろうと彼を見つけては彼の傍らにいるようにした。だけど、彼は偶に私との距離を取るような素振りを見せる。その度にあの日外野さんが言っていた『気持ちを整理するためのカミングアウト説』が脳裏を過ぎる。それを思うたびに私の心臓は無くなってしまったのではないかと思うくらい痛みを伴いながら小さく小さく縮こまってしまう。



 体育祭の練習が始まったある日のことだった。彼は応援団の練習で毎日21時55分の電車で帰っている時期だった。こんな田舎ではそんな時間の電車にはほとんど乗車客はいない。(たまに三園さんもいるけど)二人っきりになるにはもってこいのチャンスなので狙ったように何かと理由をつけて学校に残っては彼と同じ電車で帰るようにしていた。

 この日は三園さんと二人で学校でおしゃべりしている内に遅くなってしまって普通にいつも18時29分の電車に乗り遅れた。次は19時50分、その次は20時58分、その次が彼の帰る21時55分。たまには早く帰らないとお母さんに怒られるのだけれどもそれよりも彼といることの方が大事なことのように思えた。

 私たちは駅前の本屋さんで20時まで時間をつぶすと閉店に合わせて駅に向かう。駅の待合室で少しは勉強をしてその後はまた三園さんとおしゃべりをして時間をつぶした。

 電車がホームに入り私たちは移動して電車に乗る。発車のベルが鳴りドアが閉まる直前に彼が乗り込んでくるのが見えた。彼は駆け込みが何とか間に合い先頭車両の一番前のドアから入ってきてその反対の閉まっている方のドアから近いところの吊革に掴まる。

 電車が発車する。私たちはドアの開いていた方の座席に座っていたのだけれども彼が私たちに気付いている様子がないので彼に近づいた。

「お疲れ!毎日、遅くまで大変だね?」

「お疲れ。そっちはこんな時間までどうしたの?」

「私たちは単に乗り過ごして遅くなっただけ(笑)」

 そんな何気ない挨拶と会話を暫らくを続ける。

 急に電車が揺れる。

「きゃっ!」

 私の身長では吊革に掴まるのは精一杯の事だった。彼に近づいたとき私は彼の横で吊革に掴まり三園さんはスタンションポール(手すりから縦に伸びるパイプ)に掴まっていた。私だけが不安定な状態だった。揺れた拍子に指が吊革から離れて彼にぶつかる。

「大丈夫?」

 そう言って彼は両手で私を支えてくれる。

「吊革キビシかったらボクに掴まってていいよ?」

 彼がいつのも優しさで私に提案してくれる。

「うん。」

 彼は左手で吊革を掴み右手が空いていた。荷物は網棚の上だった。私は素直にそれに従うと彼の腕にしがみつく。右側にいた私はぶらりと空いている右腕にしがみついた。上腕二頭筋のあたりに頬を寄せてしっかりと彼に掴まり体を安定させる。彼はまた背が伸びたようで寄りかかる私の頭は腕の三角筋のあたりになっていた。「また、伸びたんだ・・・。」そんな事を思いながら彼に掴まっていた。

 彼は私がしがみつくと明後日の方を向いてしまってそれまでの会話が切れてしまった。私も気恥ずかしくなって俯いてしまう。

 そんな様子を見て三園さんは私の顔を伺う様にしたから覗き込んできた。やけにニヤニヤしていた。

「ねえ、聞いてみたら?」

 どうやら確認していたのは私の顔だけではなく彼の方もだったようだ。それを見て「脈あり」と判断したようで彼女は私にこっそり耳打ちしてきた。

 実は最初に電車に乗り遅れたおしゃべりもこの電車を待っている時も似たような話になっていた。三園さんは「絶対に両思いだから告白した方がイイ!」と言うのだ。それは何と無く分かっているのだけど中学1年の時の出来事がトラウマになって私にその勇気は無かった。三園さんにはいろいろ相談したので彼が私から離れようとしているかもしれないと言う話もしている。その上で今のうちに告白して引き留めるべきだとアドバイスしてきているのだった。外野さんの説が正しければどれだけ今彼が私のことを思ってくれていてもいつかは決別する為に私から離れていく。だから、そうだったら彼からの告白は期待できない。二人が恋人の関係になるには私から勇気を出して告白するしかないのは分かっている。分かっているけど・・・。

「やだっ!」

 私は三園さんを押しのける。さっきもそう言う会話をしたのだけれども、三園さんは「せめて『好きな人はいるの?』ぐらいの探りを入れるところから始めてみたら?」と言っていた。だけど、私はそれに対して今までもはぐらかされて一度もちゃんと答えてくれたことが無いことを伝えた。

 三園さんは押しのけられてもめげずに私に近づく。私の腕を下に引きお互いに中腰になると力強い目つきで言った。

「じゃあ、私が聞いてあげる!」

「やめときなよ!」

 彼女を止めようと両手で彼女の制服の肘のあたりを掴んで立ち上がろうとするのを止める。だけど、留めることが出来ず彼女は立ち上がる。

「ねぇ、好きな人いるの?」

「いるよ。」

 ごく普通に彼は応えた。今まで居るかいないかすらも答えてくれなかったのになぜ答えてくれたのだろうかと一瞬驚いた。しかし、すぐに理解した。「私(もしくは三園さんのどちら)ではないから言えるのだ」と・・・。

 私以外の人が気になっているから「○○さんのことが気になってる。」とは言えることもあるだろう。好きな人の前で「好きな人がいる。」と言えば当然当人以外の誰かのことが好きと誤解を産むから好きな人の前でははぐらかすハズだ。

 私は「おわった・・・。」と思って頭が真っ白になって彼を正面に捉えながら呆けてしまっていた。心に大きな白い穴が開いたような気分だった。何も考えられず、何の言葉も紡ぎだせない。

「だれ?ねぇ!ダレ?誰?!」

 三園さんは何に期待して続けざまに聞いているのだろう。やめてほしい。その続きは聞きたくない。この流れは私ではないと気付いて欲しい。いくら傍から見て私たちがいい雰囲気に見えていてもそれは幼馴染であることと彼の優しい性格からのことで私には脈が無かったと言う事に・・・。

 私は涙が溢れそうになり目頭が熱くなる。唇の端に力が入る。彼は私が見つめるからずっと私を見ている。一瞬の事なののとても長いこと見つめられているような気がする。涙腺を熱い物が上がってくるのがコンマ何秒単位ではっきりとわかるくらい時間の流れが狂ってきている。

 彼はいつものにこやかな表情を崩さない。そして、ゆっくりと彼は人差し指を私に向ける。

「えっ?!」

 彼の意外な行動に三園さんと二人して言葉が漏れる。そして次に彼が言葉を発するまで私たちは言葉を失う。

 まさか!そんな、まさか!!そんな漫画やドラマみたいな展開があり得るはずがない。この展開で、このタイミングで「君だよ。」とか言われて告白されるハズは無い!!!

 彼の指先がゆっくりと私に向かってくる。本当はそんなにゆっくりではないのだろうけどさっきから時間の流れが狂っているのだ。私の周りの時間だけがやたらとゆっくりと過ぎていくのだ。

 彼の指先が私のオデコに触れる。彼の手で彼の顔は半分も見えないハズなのに私の眼には彼の顔しか見えない。さっきそこまで来ていた涙はどこに行ってしまったのだろう?全ての体中の感覚が無くなって彼だけしか感じられない。

「言えるわけないだろ!」

 次の瞬間、そう言って彼は軽く私を人差し指だけで突き飛ばす。

 私は全身の力が抜けてへなへなと座り込んでしまう。ほんの一瞬で私は突き落とされて、担ぎ上げられた。そして結局いつもの場所へ脇から支えられるようにふわりと抱えて立たされ、なぜか安堵感に包まれていた。

 そう、私は安心していた。結果的に突き落とされもせず、担ぎ上げられもせず、いつもの場所に居られたことにホッとしたのだ。私その安心感で涙がこぼれそうだった。汚い話し鼻水も出そうだった。腰が抜けておしっこを漏らしそうだった。

 座り込んだまま彼を見上げると耳まで真っ赤にしてまたそっぽを向いていた。何の気まぐれかこんな会話に付き合ったことが恥ずかしかったのだろう。彼は私たちの方を向こうともしない。私が座り込んでしまったのも見ていないのであろう。いつもだったら私を引き起こそう手を差し伸べているはずだ。

「ビックリしたぁ!!!告白するかと思っちゃった!」

 素っ頓狂な声で場違いな事をいう声の主は三園さんだ。

 そうだ!私が突き落とされ、担ぎ上げられるような思いを作った原因はこいつだった。

「もう!だから言うはずないって言ったじゃん。」

 そう言って彼女に掴みかかったと同時にまた電車が揺れた。その反動で私と三園さんは床に投げ飛ばされた。

 尻餅をつきながらも三園さんは、

「え~、でも、だって・・・。」

 と何かこの先を言わせたら私の立場がなくなるような気がしたので慌てて彼女の口を塞ぐ。今度こそ彼女は床に伏せてしまう。

「ちょっと、他のお客さんに迷惑だよ。」

 気が付くと彼が後ろからそう声を掛けて私たちを起こそうと手を差し伸べる。確かに乗客は少なかったけど後方のドアの近くにサラリーマン風の男性が座っている。雑誌で顔を覆って気にしない素振りをしているけどこちらを意識しているのが伝わってくる。

 その後は気まずくなって3人して黙ってしまう。それから何分もしないうちに自分たちの町の駅に着く。黙って降りて駅舎を出ると三園さんに「バイバイ。」と言って彼と二人で自転車置き場に向かう。そしていつものように二人自転車を押して帰る。

 いつも私から話しかけて、私ばかり話しているからこうなってしまうと長いこと沈黙が続く。

 彼の方も気まずさを感じているのだろう落ち着きがない。そして彼の方から沈黙を破る。

「そっちはどうなの?」

「えっ?!何のこと?」

 急な問いかけと主語が無いことに質問の意図を理解できず問い返す。

「好きな人、いるの?」

 彼はまっすぐ前を向いて私の顔色を疑う様子もなく尋ねてくる。その様子は恥ずかしくて顔を会わせたくないといった様子ではなく聞きたくない事から逃れようとしているようにも窺える。

「なんでそんなこと聞くの?」

 少し間をおいて、彼の横顔から窺える聞きたくないことを聞こうとする様子から質問に答える前に質問を返す。

「実はさ、何人かの男子に君を紹介してほしいって頼まれているんだよね。」

 ずっと私は彼の方を見ている。彼は一度も私の方を見ようとしない。彼は私の質問に対して何の感情も込めることなく淡々と答える。本当は言いたくないのに答えているのが分かるから見ているこっちが痛々しくなる。

「やだ。困る・・・。」

 私は前を向いて答える。いろんな感情を殺して、彼に顔を見られてもそれらを悟られない様に・・・。彼と今顔を会わせてしまうと私は隠していた気持ちが溢れてしまいそうだった。

「そうだよね。困るよね。ごめん、変なこと聞いて・・・。」

 彼は顔をそむけるようにして斜め上を見て私の顔を見ない様にして謝る。私は自分のことで精いっぱいで前を向いていたからそれに気付けなかった。それに気づいて彼の気持ちに気付けていたなら私たちの将来は変わっていたのかもしれない。

 それからまたしばらく沈黙が続く。そして、小さく深呼吸をするとまた彼から沈黙を破る。

「自分ももう少しだけこうしていたいから・・・。」

 私の家までもう100mもないところまで来て彼は急に口を開く。

「うん・・・。」

 私もどう答えていいのか分からずそれだけ答える。そこに「もう少しだけ」という期限が設けられていることも忘れて彼とこうしていられ続けられる安心感にいろんなことを見落としてしまっていた。いや、たぶん気付かないふりをしていたのだと思う。それまで一緒に帰れば狭い歩道を二人が並んで自転車を押しているので何度も自転車を押す肘が当たってその度に「ごめん。」とお互いに謝っていたのに不思議なくらい肘が当たらなくなっている。彼は狭い歩道をギリギリまで端に自転車を寄せている。肘が当たりそうな瞬間、腕を引いている。ちょっとした距離感がこの会話以降変わっていることに私は気付かないふりをしていた。

 これ以降、彼はあからさまに私を避けはじめた。帰りの電車が一緒になればいつものように自転車を二人で押して帰ったけど例の距離感が壁を感じさせる。会話も減った。彼は難しい顔をするようになった。何か悩んでいるのかと聞いても「まあ、ちょっと・・・。」と言って答えてくれなかった。

 ある日、朝の通勤通学で混む電車の中で彼の近くにいたことがあった。彼は彼の友達と私は私の友達と輪を作って話していた。電車が揺れた瞬間、吊革に掴まってもいなかった私は後ろにいた彼にぶつかった。「大丈夫?」と私を支えると彼は奥に引っ込んだ。明らかに距離を取られた。

「ごめんなさい・・・。」

 明らかな拒絶のサインに私は恐怖と驚きのあまり他人行儀の返事をしてしまった。彼には私の声が聞こえているはずなのに、いつものようなそれ以上のやり取りが無かった。気遣いの言葉一つなかった。何も考えられず彼の背中を見つめる。友人たちに声を掛けられるまで動けなかった。

 あの人差し指が私に彼から好意を持って触れた最期の瞬間になってしまった。約1年後、2年生の時に一度だけ彼が私の手を引いてくれたことがあったけど、それは彼の為でも私の為でもなくその時私の話していた女の子に引き合わせたい男子がいて、それで私がその邪魔だったのでわざと私と一緒になってその男子と女の子を二人にさせるためだった。

 私はあの日の会話を何回も思い出そうとした。何が彼の機嫌を損ねたのだろう?何が私との距離を取ろうと思わせたのだろう?私の何が悪かったのだろうと・・・。

 原因は私だけが考えても答えは出ない。ただどうすれば良かっただけは分かる。彼に「好きな人。いるの?」と聞かれた時、

「君だよ。」

 とたった一言言うだけの事だと・・・。

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