卒業式
たくさんの作品の中からご興味を頂きありがとうございます。この作品は1990年代を舞台にしています。作品内のリアリティのため実在する地名、人名、商品名、企業名を利用している場合はございますがストーリー自体はフィクションとなります。実在する人物、及び、商品、企業とは関係ありませんのでご注意をお願い致します。
2月になって体育の授業もなくなり、ストレスの発散する場所がなくなると彼はピリピリしていた。友人たちとはいつも通り仲良くやっている。先生のマッサージも後輩に役職を譲って、昼休みは友人たちとふざけ合っている。机を4つ横に並べて一人がお題を出して4人はお題に合わせて30秒でお題にあった絵を授業で使い切れなかったクロッキーブックに描く。周りの生徒の評価で1番になった生徒が次のお題を出す。お題はふざけたものばかりで「与作」とか「フランス人の子供」とか「安部譲二似の教頭先生」とかどう描くか悩んでいる間に30秒が過ぎてしまいそうなものばかりだった。お題が発表されるたびに周りの生徒たちから笑い声が立ち上がり、絵が発表されるたびに再び笑いの渦が起こる。彼に限らず、この頃は私立の看護科や調理科などを本命で狙っている子もいて、どこのクラスもピリピリしていたからこういうバカみたいなことを一生懸命にやることで笑いに替えてみんなのストレスも緩和されていた。別の日には同じメンバーでゴスペラーズのマネをして「promise」を唄っていた。彼と八塚君は低音のコーラス、沖田君がメロディー、木元君と野崎君が高音のコーラス担当だった。5人はこれも一生懸命にふざけて廊下で調音から真似をしていた。それがいつしかそれなりのレベルになってきてみんなの視線を集めるようになって、他の生徒も混ざって大合唱になったりもしていた。
そんな穏やかな昼休みも終わり放課後になると彼はいつも職員室の後ろの会議席で勉強会に参加している。私や尾道君が先に来ていれば冗談の一つも言って場を和ませてくれることもあるけど、彼が一番に来ているときは正直他の人を寄せ付けないオーラがにじみ出ていて横に座るのを躊躇したくなるほどだった。必死過ぎて鬼のような形相だった。特に英語と数学に対する執着はすごかった。分からないところがあるとすごくイライラしていた。すぐに先生に聞くのではなく自分で調べて納得しないと気が済まないらしく、必死に参考書や辞書のページをめくっている。しばらくは私の冗談にも乗らないし、私をからかってくることもなかった。休日、図書館であって一緒のテーブルで勉強していても挨拶以外は一言も話してくれない日もあった。この時はまだ彼が公立一本とは知らなかったから鬼気迫る勢いになる本当の理由は知らないでいた。そんな日が続いていたからあの私立入試の前日の帰り道の彼の嬉しそうな顔や穏やかな顔も初めて見るくらい嬉しそうだったり穏やかに見えていたのかもしれない。
そんな彼にとって生き地獄のような日々も公立入学試験が終わるといつもの穏やかな笑顔が戻ってくる。入試の時も数学が終わった時はよほど自信があるのか満面の笑みだった。一応話しかけてみたが、やはりかなりの自信らしい。解答方法もすぐに閃いて、見直しの時間までしっかりとれたらしい。一方の私は彼のお守りのおかげで落ち着いて問題には集中できたけど、数学の最後の問題の「バスのワイパーが水滴を弾いた面積」は悩んでしまって見直しの時間を十分に取れなかったから応用問題まではしっかり見直せていないから少し自信がなかった。翌日の新聞にのる入試問題で自己採点し直すしかない。彼は英語と数学、科学は自信があるが社会は歴史なら自信があるが公民とかはまあまあ、国語も古文は少しは自信があるけど現代文はまあまあと言っていた。しかし彼の「まあまあ」は点数ではなくて回答への自信のことだ。大抵、回答欄に空白はまずない。「空白があったから点数は『まあまあ』じゃないかなぁ?」と言う事ではなく、「答えを書いたけど自信は『まあまあ』かなぁ?」と言う事だ。面接はどうだったか聞いてみたけど、生まれて初めての面接で緊張した割には大したこと聞かれなかったから落ち着いて答えられたそうだ。
次の登校日に彼に自己採点の結果を聞いたら、ニヤニヤして、
「まあまあかなぁ?」
と答えた。本当は結構な自信があるのに恥ずかしがって答えたくないパターンの彼だ。安堵感の溢れている彼の少し照れの入った笑顔をみて私も安堵する。
「ふ~ん、良かったね。」
私はそう答えると、彼の元を離れて他にも結果の気になる友達の元へと向かう。
この日から自己採点も含めて試験の結果に問題が残る生徒たちは二次試験に備えることになる。それ以外の生徒は授業のほとんどがレクレーションみたいな感じになる。英語の授業は洋画鑑賞で、授業で扱ったチャーリー・チャップリンの「LimeLight」、「The Sound Of Music」、学年主任の先生がいつか話していた「オズの魔法使い」をみた。体育ではバレーやバスケット、ソフトボールやサッカー、体育と言うよりは遊び感覚だった。彼にやっといつもの笑顔が戻った。
そんなこんなで、あっという間に1週間がたった。そうしてついに中学の卒業式を迎える日が来た。
朝からあちらこちらで別れを惜しみ、すすり泣く声が聞こえてくる。私は卒業生代表の挨拶があるからそれまでは気を強く持って泣く訳にはいかない。泣いて赤い目でみんなの前に立つわけにはいかない。
式は順調に進み、私の卒業生代表の挨拶も無事終わる。むしろ、泣かない様にと意識しすぎて淡々となり過ぎた様な気さえして反省していた。
次は卒業証書授与、担任に呼ばれて順番に舞台に上がっていく。1組の姶良君が呼ばれて、一人目だけ全文読まれたら二人目からはクラスと名前、証書の番号以外は「以下同文」のお決まり文句で厳かに式が進む。
私は3組で彼より1クラス先に呼ばれる。彼は気にしてくれてはいない様子で私と同じ列に椅子が並んでいたのに、私が呼ばれても見向きもしてくれなかった。私は彼が呼ばれてからずっと見ていたのに・・・。
彼は呼ばれると大きな返事と共に勢いよく立ち上がる。姿勢を正しきれいな歩き姿で舞台に向かっていく。流石、部活の優勝旗やトロフィー授受や返納、美術コンクールの入賞や徒競走の選抜決勝などの表彰で登壇の回数をこなしているだけあって緊張を感じさせない実に自然に凛々しく歩いている。
ただ少し不安なことがあって姿勢を気にするあまり足元を見ていない事だ。私は真横で彼をずっと見ていて気付いたのだけど、1列前の席で一か所その席の生徒が勢いよく立ち上がりすぎて椅子が後ろにずれて道を邪魔していた。彼がそれを気付いているか気になって彼の視線を確かめるけど、姿勢を気にしているから目線は少し上を遠くを見るような感じで見ていた。嫌な予感がした。
「あっ!」
私のかすかな声が漏れるとともに「ガシャンッ!」と大きな音がして、彼の大きな体が視界から消える。彼は盛大にこけて床に這いつくばっている。「やってしまった!」と私の心が騒いだ。彼の性格なら笑いに替えようとして式の雰囲気を壊してしまうかもしれないと心配をした。
しかし、私の心配も出過ぎたことの様だったみたいで彼はおもむろに立ち上がるとずれていた椅子の並びを正し、何事もなかったような厳かな表情で舞台に向かっていった。私は何事も起こらずホッと胸を撫で下ろす。些細な事故はあったもののその後は何事もなく式は進んでいく。それに伴って卒業生の席からだけではなく在校生の席や保護者の席からもすすり泣く声が大きくなっていく。私も役目を終えたので涙を我慢することなく、感情に任せて流した。私の涙を頬でせき止めてくれているハンカチを見て私は更に泣きたくなる。彼に借りっぱなしのハンカチは1度洗ってからずっと私のタンスで眠っている。違うハンカチなのにハンカチ一つで思い出もあるものだと思ったら泣けてきた。その後も感情に任せて泣きたいだけ泣いて式の終わりを迎えた。
教室に戻り、最後のホームルームが始まる。先生からの祝辞、クラス委員長からの挨拶、保護者代表の挨拶があって、最後に卒業アルバムと最後のPTA新聞が配られる。
私は先にPTA新聞を開く。今年は初めて生徒からのコメントが3年間の思いを川柳で読むという内容だった。万年のマンネリ脱出の糸口の為の挑戦だと彼から聞いている。彼の親が今年新聞部の役員だったらしく話を聞かせて貰った。これの評判が良ければ来年も川柳になるらしい。読んでみて、結果は正直面白かった。160人を超える生徒がたった17音で先生や親、友人や恋人に3年間の思いを伝えていた。小学生の時は普通にコメントだったけどみんな似たり寄ったりで、仲の良かった数人の内容しか覚えていなかった。だけど、川柳ってこんなに個性が出るのかと驚いた。親や先生や友人に同じ気持ちを伝えているのに17音に納める言葉はみんな違う。どれ一つとして同じものがない。普段、仲良くしていなかったクラスメイトや一度もクラスメイトになったこともなく名前しか知らない同級生の川柳まで気になって読んでしまった。
1組から順番に読んでいたので先に私のクラスのページが来た。私が読んだ川柳は「3年間 変わらぬ体型 からかうな!」だ。これは3年間私のコンプレックスをからかってきた彼への中てつけだった。本当にこんなことに使うのはもったいないような気もするけど、私の思いついた一世一代の彼への仕返しはこれだった。私のこの川柳を読んで反省させてやろうと言う気持ちが99%、残り1%は3年間そばにいてくれて調子狂わされてばかりだったけど、それでも私は楽しかったから、捻くれているけど彼への気持ちを込めている。
4組のページを捲って真っ先に彼の川柳を探す。彼は「君がいた日 思い出が宝石になった日」と書いていた。イマイチ分かりづらいし五七五ではなく、型崩れの17音なところが彼らしく捻くれている。そして、彼には似合わないくらいロマンチックな川柳だった。彼は友人に恵まれていたから、あれだけの怪我を2回もしてその都度友人たちに支えられていたからその友人たちとの思い出は宝石の様だと言う事なのだろうか?まあ、そう考えると彼らしいのかもしれない。
次に卒業アルバムを開く。私は製作委員だったから卒業アルバムの中身を知っているけど、彼の写真は極端に少ない。3年のイベント写真が主なのだけれど、彼は3年になって大きな怪我を2回してイベントの多くに参加が出来なかったので写真が無い。委員会の生徒と写真家の人の中では彼と小多田君と塚本君の200m決勝のゴールの瞬間とその後3人が肩を組んで歩いている姿がとても良かったので載せようと言っていたのに先生に、
「このレースで大怪我をしたのだから思い出したくないかもしれない。一生残るものだからこの写真を載せるのはやめましょう。」
と言われて、彼の唯一の写真はお蔵入りになっていた。彼が載っているのは3年のクラス写真、2年の修学旅行の時の集合写真、部活紹介写真、クラブ活動写真など大勢の中の一人でしかなかった。このアルバムを作る時にそう言う写真以外でみんな1回は写真に乗っているように工夫することが私たちの委員会が出した目標だった。委員会には彼の親友の田中君もいたから彼や数名の生徒の写真だけが無いことに抗議をしてくれたけど、全てを叶えるのは難しいと取り合ってもらえなかった。
そんな自分にとっても煮え切らない結果にしかできなかった卒業アルバムをわざわざ開いたのは、やっぱり女の子同士でお互いにコメントを書きあうためだ。仲の良かった友達と順々に交換してコメントを書きあった。最後の2ページが毎年白紙なのはそんな理由がちゃんとあるからだ。これもアルバム製作委員会で毎年前年の良かったところを踏襲していくか話し合って決めるんだけど、女子はみんなやりたいと言うから掲載できる写真を10枚くらい削ってそのページを用意している。もし、この寄せ書きスペースが無かったら彼やその他数名の全体写真しかない生徒も1回は写真を載せることができたのだろうか?目一杯書かれた私へのコメントを読みながら罪悪感が募る。
その後は懇親会になって保護者と簡単な食事をしながら、一人ひとり3年間の中の思い出や感謝の言葉など一言ずつ語って回る。私もみんなと同じようなことだけど友人や先生、親に感謝の言葉を伝えた。
懇親会が終わるとお母さんが一緒に帰ろうと言ったけど、他のクラスの友達とも寄せ書きの交換をしたかったから先に帰ってもらうことにした。私は2組に向かって、そこで1年の時のクラスメイトに寄せ書きをお願いした。お互いに思い出やこれからのことを語ってしばらくしたら私は次に4組に向かった。彼の教室だ。だけど、今回は彼が目的ではない。小山さんと南さんに寄せ書きをお願いするためだ。
4組に行くと彼の姿は無かった。小山さんと南さんは他の友達に向けてアルバムにコメントを書いていた。ただ、少し気になったのが二人と親友の山田さんの姿も見えない事だった。
一応、先に目的を果たそうと小山さんと南さんに寄せ書きのお願いをする。お互いにコメントを書き終わったところで小山さんが意外なことを言ってくる。
「今日彼がね、あなたのこと好きだってみんなの前で言ったんだよ。」
「えっ!!!どういうこと?!」
私は驚きのあまり、ペンを落としてしまった。
「あのね、懇親会でみんなが一言ずつ3年間の思い出を言って回っているときに彼がね、ポテトサラダがどうとか言って、それで好きだって急に告白したんだよ。」
正直、ポテトサラダがどうやったら「好き」というカミングアウトに繋がるのか分からない。
「ちょっと、よく分からない!詳しく聞かせてよ!!!」
「ごめん!あまりに突然のこと過ぎて、話が吹っ飛んじゃって覚えてない・・・。」
気が動転して慌てる私に小山さんもオロオロして、またその時にも驚いて詳しいことは覚えていないと言う。南さんが言うには「『好き』って言ったんじゃなく『ファン』って言わなかったけ?」とのことだけど、他のクラスの女の子も「好き」のニュアンスで受け取っているようだった。
「ええ~~~!」
私が驚いているところに山田さんが戻ってくる。私の顔を見るなり、誰が見ても分かるくらい故意に目を逸らされた。何か鋭く冷たいものが心に深く突き刺さる。
「ねえ、あっち行こう?」
小山さんと南さんを連れて教室を出ようとする彼女は教室を出る間際に振り返り、明らかな敵意を私に向けた。
「あなたが悪いわけじゃないのにあれは感じが悪いよね。」
私の横に外野さんが立っていう。
「でも、彼もあなたも悪いんだよ。ずっと『ただの幼馴染』って言っててさ、今頃になって『本当は好きだった』って言ってさ、あの子もずっと好きだったんだから傷付くに決まってるじゃない!」
「えっ!」
なんで私の気持ちを知っているのだろうと驚いていると、彼女は語りを続ける。
「あなたも最近、給食の時間に同じ班の子たちに『彼のことを1年の頃まで好きだった』って話したんでしょ?でも、なんで、そんな嘘をついたの?」
「えっ・・・。」
「体育の見学の時も、昼休みも放課後の勉強会でも、いつもアイツの横を陣取ってさ!絶対に『ただの幼馴染』じゃないしさ?絶対に『1年の頃まで』じゃないしさ?それなのにそんなこと言ってさ、正直計算高いって言うか卑怯って言うか・・・。あなたも感じ悪いよね。」
「・・・。」
言葉にならなかった。多少の自覚はあったけれど、改めて言われると正直きつかった。
「ゴメンね。やっぱりあの子と1年間同じクラスだったから少し味方になってあげたくてさ・・・。ひどいこと言ったね。」
「ううん。そんなことない!本当に悪いのは私だから!!」
慌てて謝る私に外野さんは笑いかける。
「でも、私はあなた達を応援するよ。高校に行ったらお互い正直になるんだよ。そうじゃなきゃあの子も報われないしね!」
「・・・ありがとね。」
取り繕ってくれているけど、女の敵と思われていることがヒシヒシと伝わってくる。フォローしてくれたことにお礼を言うけど声が震える。
「じゃあ、私にも書いてくれる?」
そう言うと外野さんは私にアルバムを差し出す。私は自分のアルバムを差し出して彼女のアルバムにコメントを書こうとする。考えがまとまらずペンが進まない。そして、書こうと思っても今度は手が震えてうまく書けない。あの子の敵意に満ちたまなざしに対する恐怖心と自分自身の卑怯さに対する懺悔と後悔とそんな私に情けを掛けてくれる彼女への申し訳なさに手の震えが止まらない。結果、とんでもなく歪んだ字になってしまった。
「ごめんね。うまくかけなくて・・・。」
そう言うと私の瞳からとめどなく涙が溢れはじめた。自分が悪いのに、泣く訳はいかないと思っているのに涙が止まらない。
「大丈夫だよ。これ以上、誰もあなたを責めたりしないから!もし、これ以上言う奴がいれば私が許さないから!!」
外野さんは私を抱きかかえて、優しく励ましてくれる。さすが女子バスケ部の元部長だけあって本当の優しさと厳しさを兼ね備えている。3年ではクラス委員長まで任されるだけあって信頼されているわけだ。私はそんな彼女の器の大きさに甘えて涙が落ち着くまでその胸を借りた。
存分に泣いて気持ちが切り替わったら、私は他のクラスにも言って友人たちからのコメントを集める。途中、数人の男子に「第二ボタンを受け取ってほしい」と言われて渡される。中には私が2年生の時にフッた男の子もいた。あれからも思い続けてくれていると知ったらその子たちにも悪いことをしてきたと再び懺悔の念に駆られた。そんな感じで彼の教室を出てからあっという間に1時間以上が経った。私は一応、先生や友人たちのコメントを集め終わり帰宅の準備に付く。いつもの事だけど仲のいい友人たちは私とは帰る方向が違うから下駄箱を出ると正門に向かう私に対して友人たちは別の門に向かっていく。私はいつもなら何とも思わないのにこの日ばかりはわびしさを感じる。最期の最後で私は一人なんだと思わされる。だけど、卑怯者の私にはお似合いなのかもしれない。
校舎出てトボトボと中庭を歩いていると校門に寄りかかって立っている彼が見える。校内で全く見かけないと思ったけど、ずっとあそこにいたんだろうか?何のために?誰を待っているのだろうか?そんな事を考えながら歩いていると彼の方も私に気付いて手を振ってきた。
「今帰り?」
「うん。一緒に帰る?」
「いいよ。けど、ちょっと待って。みっちょんを待ってるから!」
「分かった。一緒に待つね。」
実は彼の教室を出る前に外野さんに給食時間に私が言ったことを彼が知っているか聞いてみた。彼女が言うには、「知っていれば直接告白してるんじゃない?」との事だった。「みんなの前でカミングアウトできる勇気があれば、両思いって分れば告白するんじゃない?自分の片思いだと思っているからみんなの前でカミングアウトしたんじゃない?」と言っていた。だから、彼はみんなの前でカミングアウトして自分の恋に蓋をするつもりなんじゃないか?と外野さんは言っていたから、彼が私のために待っていたわけじゃない事くらい予想がついていた。
だけど、私はちょっとだけ自分を待っていたのではないかという期待を期待通り裏切られて、毎度のことの様に空気の読めない彼にため息が漏れる。私が来ることなど期待していなかったとしても、君が好きな女の子が目の前にいて二人っきりで、伝えるなら今しかないと言うチャンスで彼は何の行動も起こしてくれない。今日がどんな日なのかくらいはさすがの彼でも分かっているはずだ。
「おっ、ボタン誰かにあげたの?」
本当は彼を遠目に見つけた時から第4ボタンと第5ボタンが無いのには気づいていた。
「持ってるよ。」
そう言うと制服の上着の右側のポケットからボタンを2つ取り出す。
「えっ、どうしたの?」
あげたんじゃないのにどうしてボタンが外れているのか気にかかって聞いてみた。
「部活とかの後輩たちに『ボタンをください』って言われて『男にあげる趣味は無い!』ってあしらったら『何でもイイから先輩のモノが欲しいんです』ってねだるから裏ボタンをあげたんだよ。そしたら『おれも、おれも』ってなって第4、第5ボタンと襟カラーと裾ボタンを全部持って行かれたwww」
「あはは、残念だったね。女の子じゃなくて!」
鈍感な彼には後輩君たちが女の子に頼まれたと言う発想はきっと無いんだろうなと思った。
「ほら、君がプレイボーイだから、こんな時に限って女の子は誰も来てくれないんだよ!」
「なんでそうなるかなぁ?」
いつもと何も変わらないやり取りをいつもと同じように繰り返す。
「でも、やっぱりサッカー部はみんなモテるよね。ヤマモもカイチョーも帰るのを見かけたけどボタン一つも無かったよ。二人とも彼女いるのに怒られんのかな?」
「さあ?怒りたいけど第2ボタンを彼女にあげていたら、他の子はもう会えないからボタンぐらいあげていても彼女の余裕みないなもんで許すんじゃない?それに少しくらいモテる彼氏の方が女の子としても自慢になるしねぇ。」
「ふ~ん。女心はむずかしいなぁ・・・。」
「ねえ?」
「うん?」
急な彼の問い掛けに不意を突かれる。
「うさぎぐらい目が真っ赤だけど大丈夫?」
相変わらず変なところで観察力があると言うかよく見ていると言うか・・・、これで女心が分かってくれていれば文句は無いのだけど本当に残念な男だ。
「いっぱい泣いたよ。大丈夫じゃないから、私に優しくしろ!」
「なんで上から目線なんだよ。」
「ひどいなぁ、優しくしてほしいのにwww」
ひと笑い取ると私は周りを見渡す。尾道君もまだ来る様子は無い。それどころか私たち二人きりだ。
「ねぇ?」
「なに?」
「それ、わたしが貰ってあげようか?」
私は意地悪な顔をして彼の第2ボタンを指さす。さっき自分に正直になるように言われたばかりなのに、本当に私自身も残念だ。
「えぇ?!彼女でもないし、高校が離れ離れになるわけでも無いし、あげる意味が分からない。」
ホントに本当に女心が分かっていなさすぎて頭にくる。
「ほらぁ、遠慮するなよ!」
そう言って私はセカンドバッグのサイドポケットから男の子たちに無理やり渡されたボタンを彼に見せる。私の小さな手では3個しか握れなかったけど、バッグの中には5・6個入っていた。
「うわぁ、相変わらずモテるんだねぇ・・・。」
彼の顔が引きつっている。
「ほらほら、ボタン付いたまま帰っても親に顔向けできないでしょ?貰ってあげるって言ってるんだから遠慮すんな!」
「いやぁ、余計にあげたくなくなったわ!それじゃあ、どれが俺のか分からんやろ?!」
彼の本音が少し漏れ出て顔がにやけそうになる。そうかそうか、そんなに私の特別でありたいならその第2ボタンを奪ってあげようではないか!
「えいっ!」
無理やり彼の第2ボタンを奪い取ろうとする。しかし、結構強く引っ張ったのにボタンは取れることなく、彼を前によろけさせてオデコ同士でぶつけあった。
「いったぁ~いぃ~!」
「ごめん、大丈夫?ボクの裏ボタン真鍮製だから。」
彼もオデコを抑えて痛そうにしているのに、無理やり引っ張ったのは私なのに彼の方が謝ってくる。
「どうなってるの?」
そう言って彼の上着の第1ボタンを外させて、上着をめくらせて裏ボタンを見せてもらう。そこには真鍮製の裏ボタンが金メッキで塗装され、洋画の様な女性の絵が飾られていた。
「本当に君は制服まで捻くれているよね。なにコレ?」
「ルノアール。」
「洋画の作者を聞いているわけじゃない!なんでこんな不良が付けてそうなもの卒業式につけてきているのか聞いてるの!校則違反でしょ?!」
「いや、不良みたいに風神雷神とかじゃないし、お気に入りだし・・・。正直言うと替えるの忘れてたwww」
そう言って彼は何の自慢か上着のボタンを外して裏ボタンを見せる。第1ボタンはルノアール、第2ボタンはアルフォンス=ミュシャ、第3ボタンは東郷青児、後輩にあげた第4は再びルノアール、第5がモネだったらしい。どこでそんなものを手に入れるのか謎だ。ルノアールとモネは美術の授業で習ったけどあとは知らない。きれいな絵だけど誰なんだよ!
そんな感じでいつもの彼の調子に持って行かれてしまうと、結局最期の最後までこんな調子かと思うと笑えてきた。彼も釣られて二人で笑っているところに、ようやく尾道君がやってくる。
尾道君はうだれているような、不機嫌なような複雑な顔をしている。
「何をしていたの?」
私の問いに尾道君はイライラしていてなかなか口を開かないので彼が代わりに答えた。
「『誰か一人くらいオレのボタン貰ってくれるはず』って校内をうろついていたんだよ。」
「女子は誰も声かけてくれなかった・・・。」
「あははは。」
彼の暴露話に怒ることもなく笑いを誘う様に尾道君は大げさにリアクションを取る。
「一人くらい貰ってくれそうな心当たりがあったんだけど、会えなかったの?」
「だれ?誰?」
彼の振りに食いついたのは尾道君より私の方だった。
「ほら、女子バレー部の2年のちっさい子。いつも、部活中によく近寄ってくる子いたじゃん。」
「あっ!オレ、今から会ってくる!!」
「もう帰ったよ。ニコニコしていたから貰ったのかと思った。俺にも手を振ってご機嫌で帰ってたよ?」
「マジかぁ・・・。」
「あははは。どんまい!」
膝をついて大げさに落ち込む尾道君を私は笑いながら肩を叩いて励ます。
「こうなったら、オレのボタン全部貰ってくれ!!」
尾道君はやけくそになって私に向かってそんな失礼なことを言ってきた。
「嫌だ!!そんな気持ちのこもってないモノ絶対に要らない!!!」
本当に二人して女心が分かっていない!私にまで拒絶されて尾道君は更に凹んでいる。
「あ~自分、しっかりボタンあげてるし!」
尾道君は顔を上げると彼のボタンが数個無いのに気付く。
「そうそう、こいつスケベだから女の子に第2ボタンあげるたびに一個ずつ上にずらしてるんだよぉ。」
ぬっと彼の腕が伸びてきて素早く私の頬を摘まむ。けっこう本気で摘まんでいるので痛い。
「妙な嘘を吹き込まないでくれるかなぁ!」
そう言いながら私の頬を縦横と引っ張る。
「君こそ本当の事を言うんだ!」
そう言って彼の頬を摘まみ返す。
「何度も説明すんのもめんどくせぇ~!みっちょん、後輩の男子に裏ボタンだけあげただけだから!」
そう言って彼は左手だけで私の手首を掴んで彼の頬を摘まんでいる手を引き離す。私の頬を摘まんでいた右手で私に見せた時の様にポケットに入っていたボタンを尾道君にも見せる。
そうして、彼は面倒くさそうに私にした説明をもう一度する。尾道君は男でもあげてる分だけ様になっていると妙なヤキモチを焼いている。私はワザとそれを馬鹿にするように笑って笑いに変えて話を一区切りさせる。そうして、ようやく三人で帰路に着く。
「ねぇ、この後みんなでカラオケ行くんだけど一緒にどう?」
初めて彼から遊びに誘われた。
「ごめん。わたし先に約束があるから。ほんとゴメン!」
約束があるのは本当で、さっき下駄箱で別れた友人たちと同じくカラオケの約束をしている。
「タッキー(沖田君)やチャッピー(田中君)もいるけど、みんな一緒にどう?」
今度は尾道君が私たち女子みんなを誘う様に押してくる。
「やぁだ!男子ばっかりだし、下心ありそうだし!!!」
ちょっとばかり、最期に沖田君と彼と私のおちゃらけ3人組で過ごすのも興味があった。
「いいよ、みっちょん。女子がいると尾崎とかミスチル歌う度に『お前が歌うな!』とか『下心がキモい』とかひどいことばっかり言われるし、男だけで楽しくやろうよ?」
彼は私が来たくなるような言い回しを熟知している。残念なことにそれに気づいてもそれに乗ってしまう私がいる。
「そう言われると行きたくなってきたなぁ。同じカラオケ店に行こうかなぁ?」
思わせぶりな私のセリフに尾道君は嬉しそうに盛り上がるのに対して彼は、歩みを止めて踵をきれいに揃えて深々と頭を下げる。
「申し訳ございません。お願いだから来ないでください。」
私は頭を垂れている彼を後頭部から思いっきり叩く。式でしか被らない学生帽が音を立てて落ちる。
「自分から誘っておいてひどくない?」
彼は帽子を拾うと笑っている。彼は思惑通りの突っ込みに満足している。そうして私に言葉とは裏腹に来るよう誘っている。
「どこで歌うの?」
「『元気倶楽部』で3部屋借りる予定。」
尾道君が答える。
「へえ、(友人の中の一人の家から)遠いなぁ。誘ってみてOKだったら行くよ。」
私の約束していた友人たちとは違うカラオケ店だったので私一人でも決めきれないので、当たり前だけど友人たちの許可を得ることにする。
「ねえ、いつも何歌うの?」
私の問いに尾道君は予想通り『The Boom』の『星のラブレター』や『島唄』などを田中君たちと歌うと言う。彼と沖田君はいつも部屋を行ったり来たりすると言う。アニメソング縛りの部屋や洋楽縛りの部屋が毎回あるらしく彼や沖田君は歌いたい歌に合わせて部屋を移動するらしい。
「へえ、で『ミスチル』は何が歌いたいの?」
「う~ん、『Love』とか『シーソーゲーム』とかかな?」
「ぶっ!」
思わず吹き出して思いっきり笑ってしまう。女心は分からないくせに、たまに超能力者みたいに変な感がうまいこと当たると言うか、間が悪く当たると言うか『Love』と聞いて真っ先に思い出した歌詞の一部が、
『♪
本当に手におえないよ 天気予報より嘘つきで
青空の中に映る 調子いい君のあの笑顔
口さえなけりゃ誰もが振り向くようなスタイルで
人をその気にさせるのが上手い
気が付けば いつの間にか巻き込まれてる
いつも君のペースだけど楽しくて
・・・♪』
の部分を私の方が彼に対して思いっきり歌ってやりたいと思った。
そして、『シーソーゲーム』に至っては、
『♪
恋なんて言わばエゴとエゴのシーソーゲーム Ah
いつだって君は曖昧なリアクションさ
・・・♪』
のサビの部分。外野さんに言われて改めて自覚したけど、私と彼のエゴで周りに迷惑かけながら恋をしているのに私も彼もいつも曖昧な態度ばかり取ってきていた。
「ひどいなぁ~!人がなに歌ってもイイじゃないか!!!」
「ごめん、ごめん。君のことを笑ったんじゃなくて、ちょっと思い出し笑いしたんだよ。」
そう言って私は堪えきれない笑いを我慢することなく吐き出す。少し本気で怒っている彼に笑いで言葉にならないので肩をポンポンと叩いて「気にしなくて大丈夫だよ!」とボディコンタクトを取る。
そうこうしている内にあっという間にいつもの別れ道に着く。
「ねえ、二人ともさっきのボタン貰ってあげようか?」
ちょっと別れるのが名残惜しかったのと、少しだけ自分に素直になることにした。「ありがとう」と言って私の手を握ってお礼を何度も繰りかえす尾道君と対照的に彼は、
「だから、嫌だって。俺のボタンって判らなくなるのにあげたくなんかないよ。」
彼は冷たく言い放つ。
「女心が分かってないなぁ。物が欲しいんじゃなくて思い出が欲しいんだよ。中学最後の思い出に二人からボタンを貰った思い出が欲しいんだよ。」
彼はそう言われると暫らく考え込んでいる。その間に尾道君は第2ボタンを引き千切って私に渡してくれる。その様子を見て彼も決心がついたようだ。
「しょうがないかぁ。裏ボタン付きであげるよ。」
彼はあくまで私の特別でいたいらしい。私は顔の綻びを正すのに精一杯だ。彼のボタンは引き千切ることは出来ないから裏ボタンから丁寧に外す。制服からボタンを外すと裏ボタンを第2ボタンに再びつけて私に渡してくれる。
改めて珍しい裏ボタンを眺める。
「これ、なんて言ったけ?」
「アルフォンス=ミュシャの『ヒヤシンス姫』のたぶん黄色?」
「知らない画家だなぁ・・・。」
「画家じゃなくて、イラストレーターというか舞台や映画館の看板を作る職人さんというか・・・。」
「どう違うの?」
「画家はアーティストだから、描くだけでビジネスは別の人がすることが多いけど、この人は看板職人だからビジネス的に絵が描ける人。」
「ふ~ん。」
と言いながら、言っている意味の半分も理解出来ていない。同じイラストや絵画が好きな沖田君とか山田さんなら彼の話を理解できるのだろうか?
「これ、どこで買うの?」
「受験勉強の合間に作った。」
「えぇっ!どうやって?!」
「元々は不良な先輩から貰った裏ボタンなんだけど、元の絵を剥がしてパソコンで印刷した絵をハメてクラフト用の透明樹脂で覆えば簡単に出来るんだよ。」
「・・・君は変なところでマメだよねぇ。」
「元々、ラジオやトランシーバーを作ったり、ラジカセ修理したり、パソコンのプログラムで簡単なゲーム作ったり、細かいことするのが好きなんだよねぇ。」
どこか恥ずかしそうに笑う彼。
「行く高校間違えたんじゃない?」
「やっぱり、そう思う?」
そう言った彼の顔はさっきと表情を変えず笑顔のままなのにどこか心のこもっていない空っぽの笑顔の様に感じた。私は少しばかり彼を怒らせてしまったようだ。
「そんなこと言ったらダメだって!せっかくここまで3人で頑張ってきたんだからさぁ、明日の合格発表で3人同じ高校受かっているように願おうよ!」
尾道君にまで注意をされてしまった。彼は本当に優しくて少しHな冗談がたまに傷だけど私のことも気にかけてくれて、思い返せば彼がこんな風に私に何かを注意してきたことは無かったような気がする。彼は基本自分への劣等感が凄くて人に何か言えるような立場では無いと思っている節がある。だから、今の私の無神経な彼への言葉は彼のみならず、尾道君まで怒らせてしまっていた。
そうだ。私たち3人は夜遅くまで部屋の灯りや懐中電灯で信号を送りあい、FAXで問題の解を探し合い、お互いに励まし合ってきた仲だったじゃないか!自分自身の無神経さに怒りが湧き、自分自身に悔しさを感じて泣きそうになる。だけど、散々泣いてきたから涙も枯れて流れない。ただ、顔が熱く紅潮しているのが分かる。
「ごめん・・・。」
二人はギョッとして私を見つめる。二人ともほぼ同時にハンカチを差し出してきた。
「ごめん。そんなに怒ってないから泣かないで。」
「ごめん。言い過ぎた!」
二人とも謝ってくる。悪いのは私で、自分への歯がゆさに泣いているのに余計に申し訳なくなってくる。
「いいよ。自分の持ってるから。私が悪いんだから・・・。」
二人のハンカチをそっと押し返して、自分のハンカチを取り出すと目頭に当てる。枯れ果てたと思っていた涙が再び溢れ出す。彼の手が私の背中を摩り、尾道君の手が肩を子供をあやすように優しいリズムで叩く。
暫らくして気持ちも落ち着いてきて涙が止まると、右側にいた尾道君の腕をポンポンと叩く。
「もう大丈夫だから。明日、合格発表の会場で会おうよ!」
精一杯の空元気で、作り笑顔で二人を安心させてその場を取り繕うと試みる。尾道君は騙せたようで安心した顔を見せるけど、彼は未だに不安そうな顔をしている。彼の前で泣いたのは2年前に1回だけなのに私が強がっていることに感づいているような気がする。女心は分からにクセに変なところで鋭いから嫌いだ。
「じゃあ、明日ね!」
私はそう言うと二人から逃げるように走って帰る。
翌日の合格発表の会場でも彼は一波乱も二波乱も巻き起こした。まあ、一つはいつも通り首を突っ込んで巻き込まれていたのだけれども・・・。
真っ先に受験番号で自分のを見つけたのは尾道君だった。
「受かってたぁ~~~!奇跡だぁ~~~!!!」
膝をついて泣き崩れる尾道君に彼、三船君、成田さん、小山さんや南さんなど勉強会の初期メンバーが駆け寄ってきて尾道君に「おめでとう」とか「がんばったもんね!」とか口々に彼の頑張りを讃え、お祝いのメッセージを送っている。私もハイタッチをして尾道君と合格を祝いあった。彼と三船君に抱き合い、3人で肩を組んで泣いていた。「頑張った。頑張った。」ひたすらそればかりを三船君は繰り返していた。
「二人とも受かっているって自信があったから!3人であれだけ頑張ったんだから受かってるに決まってるじゃん!!!」
そう言って、彼は尾道君の背中を何度も力強く叩いていた。
尾道君を讃えている間にもあちらこちらで似たような光景が広がってくる。しばらくすると尾道君は「絶対に受からない」と言われ続けて、戦い続けて来たプレッシャーや緊張感からやっと解放されたことで、気が抜けてしまったのか座り込んで動けなくなってしまった。彼と三船君に他のみんなの邪魔にならないところに移されると呆けた顔で座り込んでいた。
続く様に私や南さん、三園さんの受験番号を見つける。尾道君ほどの苦労やプレッシャーでは無かったから、あそこまで泣き崩れることは無かったけどみんなでそれなりには泣き合って、祝い合い、労い合った。
しばらくすると少し異変が起きる。彼と小山さんが自分の受験番号を見つけられていないようだった。「そんなはずは無い!」とそれぞれの友人たちが二人の受験番号を確認して合格者の受験番号が張り出された掲示板の中から二人の番号を探す。しかし、なぜか見つからない。二人はそれぞれに「何度も見直して自信はあった」とか「回答欄も間違っていないか確認まで出来ていた」とか口ずさみながらも焦燥感が現れていた。
「お~い!あったゾ~~~!!!」
遠くから三船君の声がする。
「お前の名前、あっちにあったぞ!!!」
三船君は彼に近づくなり、違う掲示板に名前があったというのだ。三船君は私たちが二人の受験番号を一生懸命探していたことなど知らず、たまたまスポーツ推薦の合格者欄を探している内に彼らの名前を見つけたそうだ。三船君は自分の合格を伝えるより先に親友の合格を見つけたことに喜びを感じ走ってそれを知らせに来てくれたのだ。
みんなで見に行ってみるとスポーツ推薦の合格者枠の横に受験者上位20名の名前と受験番号が張り出されていた。その中に彼の名前と小山さんの名前、ここには来ていなかったけど田池君の3人の名前がそこには有った。
本当なら私もそこに名前が無くてはいけない。高校、大学と奨学金を受ける予定の私にはそれなりの評価が必要だった。尾道君も駆け寄って3人で再び喜びと涙と労いを分かち合っている横で私は一人別の焦燥感に駆られていた。彼に祝いの言葉も懸けることなく、私は逆に彼にここにきて負けたことに嫉妬までしていた。
ここまでは勉強会メンバーの全員受かっていたが、ついに一人目の不合格者が分かる。成田さんが両手で顔を覆って泣いている。数人の生徒が彼女の元に集う。その中に彼と尾道君の姿もあった。女の子たちは背中を摩ったり肩を抱いたり、彼女をあやしている。
「受験カード貸して!おれが見つけてくるから!!!」
行動力のある尾道君が成田さんの手から受験カードを取ろうとする。手の平からスルッと抜けるカードを受け取ると尾道君と彼はそれを覗き込む。
「俺、あっち探してくる!!!」
彼は再び特待生用の掲示板を確認しに行こうと踵を返す。
「待って。あっちに無いのは私自身が一番分かっているから・・・。」
そう言って成田さんは彼の裾を掴んで俯いている。そう言われると彼は振り返り、成田さんをきつく抱きしめた。そして、自分の事の様に悔しそうな顔をして涙を浮かべて天を仰いだ。
彼と成田さんは彼が引っ越しで保育園を転園した先で出会い、近所で父親同士も仲が良くて、それ以来の彼のもう一人の幼馴染の女の子だ。学校でクラスが一緒になったことは1度しかないのに、小さいころからよく一緒に遊んでいたらしい。中学に上がってからはクラスが同じになったことはないけど、部活の練習場所が隣同士だった。成田さんは女子バスケ部だったから新体操部の練習の隣で休憩中に彼と話しているところを見かけたこともある。部活の前に楽しそうにバスケットを一緒にしているところを見かけたこともある。一緒に下校している姿も何度も見かけている。
だけど、そんな彼女に私は今までヤキモチを焼いたことは不思議と無い。彼女がショートカットで男の子の様に快活な性格で誰にでも屈託なく裏表なく話しているから、彼とでも男女の仲を疑ったことが無かった。
ただ、今の彼女は普通の女の子だった。彼の腕の中で泣いている彼女はいつもの男の子の様な元気な姿ではなく、か弱い一人の女の子だった。
「あ“―――――っ!!!」
急に尾道君が叫ぶ。
「オレみたいな自分のエゴだけで受けたやつが受かってるのに、なんで夢のあるリナちゃんが落ちるんだよ!オレが落ちれば良かったんだ!!!」
抱き合って泣く二人の横で尾道君が自分の胸の内を開く。
次の瞬間、あまりに急すぎてすぐには理解できなかった。あの元バレー部で体格のいい尾道君が吹き飛んだ。
「バカヤローーー!みっちょんはみっちょんで頑張ったから受かったんだ!そんな言い方、逆に理名に失礼だろ!!!」
尾道君を殴り飛ばしたのは彼だった。成田さんを右脇に抱いて左の拳だけで尾道君を吹き飛ばした。二人の大声と吹き飛んだ尾道君を見て周りの空気が変わる。殴られた瞬間を見た女の子たちは「キャー――!」と叫ぶ。他校の生徒を含め人だかりができる。彼と尾道君はそんなのお構いなしで無言の対話を続ける。そんな事態の収拾を図ったのは渦中の成田さんだった。成田さんは放っておけばもう一発くらい殴りかかりそうな勢いの彼を両手で体を押して必死に顔を横に振る。
「お願い!私のことで二人がケンカしないで!私が悪かったから・・・、私の努力が足りなかった結果だから。お願い!!!」
その声を聴いて幾分冷静さを取り戻した尾道君が彼の顔を改めて見て気付く。彼が自分の事の様に悔しそうな顔をしていることに。
この時、私は彼の優しさが成田さんの悔しさを自分の事の様に感じていると思っていたけど本当は違った。それを知ったのは2年後三船君に聞かされてからだ。本当は尾道君と同じことを思っていたのにそれを口にしたら、一緒に頑張ってきた勉強会のメンバーを裏切ることになるから、尾道君や三船君に対して失礼になるから一人心に気持ちを閉じ込めて、そんな自分に悔しさを感じていたようだった。
「ごめん、二人とも。オレが悪かった・・・。」
尾道君は彼自身が悔しそうに泣く姿を見て、何かを思い出したかのようなハッとした表情をすると二人に対して謝り、その後二人に近寄り抱き着くと3人で抱き合って泣いていた。
普通だったらこの状況を見てもらい泣きをしたり、成田さんを慰めに行ったりするのだろう。実際、数人の勉強会のメンバーは成田さんを慰めるために彼らに寄り添って言葉を掛けていた。同様の光景は他でも見かける。全員が夢をかなえられるわけでは無い。夢破れて途方に暮れている生徒たちもいる。そんな人たちに普通はどう接するか?仲が良ければ慰めるだろう。そうでもなければそっとしておくだろう。あまり親しくもない者だったら見ないフリでもしているだろう。だけど、私の感情は違った。私は昨日私に第2ボタンをくれた二人が、深夜にFAXを送りあってまで切磋琢磨してきた二人が、私を特別に感じてくれている二人の男の子が、今二人して他の一人の女の子を抱きしめて泣いているのを見て、お腹の底のもっと深いところからじわじわと上り詰めてくる不愉快な黒い感情を抑えるのに精一杯だった。
ことに彼に対しては学力面で差を見せつけられたことと一人の女としての感情の二つの面で嫉妬してその場に居ても立ってもいられなくなり、彼にお祝いの言葉を掛けるのも忘れたまま母親と帰宅する。
この後、合格者は中学校に10時に集合し合格通知と入学案内書を受け取りに行くことになっていて、体育館に直接集合になっていた。私は学校に向かい、体育館に向かう途中から一緒になった他の高校を目指していた友人たちの顔を見るたびにお互いの合格を祝い合いながら体育館を目指した。
体育館に入ると10人くらいの男子がバスケットボールを取り出したようで5対5でバスケをしていた。また、9時45分くらいなのに何時から来て遊んでいたのかすでにすごい汗をかいている。みんな体育館シューズも履かず靴下のまま、学ランのままバスケに夢中になっている。そのメンバーは田中君や池田君、小多田君と身長の高い男子生徒ばかりだ。その中に彼もいた。今朝泣いていたのがウソのように笑っている。私は少しホッとして彼に合格祝いのメッセージを伝えるタイミングを伺う。
だけど、そんなチャンスは来ないまま5分前になって集合の声が掛けられる。ざわざわと完全に落ち着く様子もなく、いつものようにしっかりと整列するわけもなく、一応クラスごとに分かれながらも身長順でも出席番号順でもなく、クラス内の仲の良いメンバーごとに2~3列になって並んでいる。隣のクラスの彼は一緒にバスケに興じていた池田君、田中君たちとにこやかに話し合っている。
やがて時間になり、先生の号令でみんな静かになる。学年主任の学年主任の先生が最初にみんなに対して簡単な祝辞を述べて、その後はクラス担任が一人一人を呼んで合格通知と入学案内書を配る。先生たちは一人ひとりに「おめでとう」と声を掛ける。そんな中、学年主任の学年主任の先生は色々と気にかけていた生徒たちに一人ずつ声を掛けて回っていた。尾道君や三船君など正直、「無理」と言われたり合格ラインぎりぎりだった生徒や池田君や彼の様に本命1本に絞った生徒や学力推薦で合格した生徒たちだ。その他、私たちに関わった先生たちも時間を見つけて挨拶に来てくれた。一様に喜びのムードに包まれる中、気が付いたら彼は物凄く不機嫌な顔をしていた。誰かに失礼なことでも言われたのだろうか?いや、彼の事だから、不合格で悲しんでいる友人たちがいる中で浮かれていられないとか言う彼独特の考え方みたいなものからなんだろうと思う。一応、先生とは挨拶をして生徒同士ではガッツポーズやハイタッチをしていたけど、解散の時間になったら他の生徒は離任式までみんなとしばらく会えなくなるので別れを惜しんでいるのに、彼は真っ先に帰ろうとする。
私はまだ彼に合格祝いのメッセージを言えていないので、一緒に帰るタイミングで言おうと思って彼を追いかける。
「ねえ、待って!一緒に帰ろうよ。」
「ゴメン。一人で帰る。」
彼は不機嫌な態度を私にぶつけてきた。冷静に考えれば怒ったり叱ったり、イライラをぶつけられるほど彼が気持ち的に甘えられる存在は殴りあえるほどの仲の尾道君やイライラをぶつけられる私の様にごく一部なんだろうけど、正直そんな態度取られて気分のいいものではない。
「なんだよ。もう、一緒に帰ってやんないぞ!」
「ごめん・・・。ひとりになりたいんだ。」
私の文句に彼は謝ると走って体育館を出ていく。体育館の出口近くまで来ていた私は今更みんなのところに戻るのもおかしいので彼の後を追う様に体育館を出る。50mくらいの距離を空けて私は彼の後をついて帰る。
彼は普通に一人で帰っている。道端に落ちている空き缶や小石に当たり散らすこともなく、ごく普通に歩いているのにイライラしているのが伝わってくる。いつもより早歩きになっている。いつもより視線を落としている。いつも友人たちに囲まれているのに、一人ぼっちだ。彼は私や尾道君との帰り道を進んで帰る。私が付いて来ているのに気付いていないのだろうか?気付いていて別の道で帰っても良さそうなモノなのに、なぜこの道を選んだのかはじめは分からなかったけど、いつもの分かれ道に来てわかった。彼はランニングコースで帰るつもりのようだ。分かれ道になると私の家のある左側の道に入っていくと走り出した。どうやらあの子猫が亡くなった一見以来彼は気持ちが落ち込んでいるときやイライラしている時など気持ちを切り替えたい時や忘れたいことがある時は目一杯体を動かして気分を変えているようだ。受験勉強中も煮詰まったり、気分転換したい時に時間も気にせずランニングをしている話を前に聞いたこともある。
「なんでいつも大事なことは一人で抱え込むかなぁ?誰かに話せば楽になるのに・・・。」
そんな事を呟きながら彼の背中を目で追いかける。
私は家について親と合格通知や入学案内書を確認する。4月に入ってすぐ入学式の前にクラス編成テストがあると案内書に描いてあったので、本格的にテスト対策をするのは明日からと親とも話したけど、彼のあんな姿をみたらなんとなくじっとしてもいられなくて昼食をとると自分の部屋に戻って勉強を始めた。
暫らくして気分転換に外を眺めるとさっきとは逆方向でランニングをしている彼の姿が見えた。もう、制服ではなくランニング用のTシャツと短パンを履いていた。あれからずっと走っているとは考えられない。流石に昼食はとっただろうし、ずっと走っていたらご飯も食べずに3時間近く走っていることになる。流石にそれは無いだろうと思って彼を見送る。
しかし、彼はその後苦しそうに天を仰ぎながらでも日が暮れるまで数時間にわたって走り続けていた。たまに外を見るたびに彼を見かけて驚かさせる。そうして、さっきありえないと思った考えさえも肯定的にさせ私に余計な心配をかける。家を出て彼を止めに行こうとも思ったけど、きっと無駄だろう。彼が変なところで頑固なのはよく知っている。カンニングを疑われて一人掃除用具の前で後ろ向きにテストを受け続けるような男だ。それにそれを最後に暗くなると流石に彼はランニングを辞めたようでそれ以上見かけることは無かった。
あれ以上走り続けられるのは彼の体と心が心配だけど、どこかでもう少し彼を見ていたい気もした。今日は自分自身が嫌になって彼を避けたり、彼を恐れて彼と距離を取ってしまったり、私自身も煮え切らない思いをして彼ともっと話をしたくて、お祝いの言葉を掛けてあげたくて、もやもやとした気持ちでいた。
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