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よろしくお願いいたします
目が覚めると白い天井があった。
鋭い頭痛に顔をしかめながら周りを見ると泣き腫らした顔の妻と亜美がいた。俺が目を覚ましたことに気づいた二人はよく似た顔をくちゃくちゃにしながら飛びついてきた。
「パパ!!」
「パパー!!!」
ぼんやりとそれを受け止めながら現状を認識していく。
「……!」
トイレに閉じ込められたこと。死にかけたこと。
そしてトイレの床を水浸しにしてしまったことを思い出して顔が青くなった。
「す、すまん…床を水浸しにしてしまった…」
俺の言葉に妻はポカンとした顔をしたあと泣く寸前のような笑顔になった。器用な笑顔だと思った。
「わ、私のほうこそ、ごめんなさい…ダンボールを、あんなとこに…お、置いたせいで…」
「いや…」
嗚咽をもらして泣き始めた妻を慰めるように否定した。
たしかに妻があんなところにダンボールを置かなければ真夏のトイレに閉じ込められるなんてことはなかったろう。
「お前が置いたダンボールのせいで死んだら、お前が悲しむなって…死んでたまるかって、思ったよ」
不思議と怒りは湧いてこなかった。ただ安堵している。
気づけば妻の手を握り、妻も俺の手を握ってくれていた。
「…パパ」
亜美に呼びかけられて目線を向けると同時にギョッとした。
頭には小学生女児が好みそうなカチューシャを頭につけ、一年前に流行ったらしいキャラクターのTシャツを着て、少し前に話題になったたまご型携帯ゲーム機を首からぶら下げていた。
俺の顔を見ていたずらっ子のように笑う。いや、ように、ではない。こいつは昔からいたずらっ子だった。
「ねぇ、あたしが救急車呼んだんだよ」
「…あぁ」
意識を失う寸前に見た。あれは幻覚ではなかったらしい。
「パパ、あたしの顔見た瞬間『クローゼットの引き出し』って言ったんだよ? 覚えてる?」
「…いや」
そんな事言っただろうか。だとしたら、やはり。
「一日入院するって言うからさ…パパのクローゼット開けたんだよね」
「…」
「そしたらいっぱいプレゼント入ってた」
「…」
クローゼットの引き出しの中に、小学五年生から六年間分渡せなかった誕生日とクリスマスのプレゼントか入っていた。
何を渡せばいいか分からなくて部下に聞いたり玩具売場を彷徨いたりして、それなのに渡せなかったプレゼント。
「…」
「ねぇ、パパ。これ全部、あたしのだよね?」
「…」
「パパ」
「…あぁ、そうだよ」
恥ずかしさでいたたまれなくて「全部亜美のだよ」と蚊の鳴くような声で続けた。
「…あのさ、パパ」
亜美の声が震えている。泣きそうな声で必死におちゃらけようと笑っている。妻に似て器用な笑顔だと思った。
「あたしも、パパと一緒」
そう言ってベッドの脇に両手で抱えるような紙袋を一つ置いた。
妻がベッドのリクライニングを起こして見やすくしてくれた。おずおずと紙袋の中身を見ると、俺の似顔絵が六枚も入っていた。さらに袋の底には粘土で作った貯金箱のような工作やプレゼントの箱があった。
「あたしも、渡せてなかった。父の日と、誕生日」
似顔絵を広げてみた。年々上達していっているのが分かる。
「…亜美は、昔から…絵を描くのが上手だったなぁ…」
あまりにも嬉しくて可愛らしいサプライズに笑顔がこぼれた。
俺と亜美のやり取りをじっと見ていた妻が鼻をすすって誇らしげに言った。
「ほんとに、あなた達ってよく似てるのよ!」
その様子に俺も亜美もツボにはまったように笑った。
女の子は父親に似てると言われて嫌ではないだろうか。ふとそんな気持ちが湧いてくる。
「うん。あたし、パパに似てて、嬉しい」
胸の奥がくすぐったかった。
それから数週間過ぎた。
あれから俺は朝トイレに逃げ込むのをやめた。
親子三人で囲む朝食をゆっくりと食べる。
熱々の味噌汁が胃に染み込んで、やっぱり勇気を出してたまには和食が食べたいと言って良かったと思った。
「パパ、最近トイレで新聞読まないじゃん」
そんな疑問を投げかけられた。
まだ暑い夏が続いているから、しばらくトイレに長居するのは躊躇いがあるのだが。
「パパな、可愛い娘の顔を良く見てから仕事行こうと思ってな」
「へぇ?」
「愛する娘の存在はどんな栄養ドリンクより効くよ」
おちゃらけて言ってみると鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。
たまらず笑いだすと亜美もつられてゲラゲラと笑いだした。
「くっさ!」
「あぁ、くさいな」
今日も35℃を超えるらしい。
以前より少し早めに家を出る。
見送る妻と、隣を歩く娘が愛おしい。
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実はお家シリーズとなっておりまして、
他に玄関のおじいちゃんがあります。
そちらは短編となっております。
後々台所、リビングと更新する予定です。