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よろしくお願いいたします

何度も体当たりをした。

それでもビクともしないドアへ苛つきを抑えきれない。


閉じ込められてしまったと気づくと、いつもは落ち着くはずの一畳にも満たない空間に狭苦しさを感じはじめる。

小窓を開けると転落防止の柵と真っ青な空が見えた。それと同時にムワッとした夏特有の湿気を帯びた風が流れ込む。


たしかここは南向きだ。昼までになんとか出なければ室内の温度はさらに上がるだろう。

柵の間から周りを見渡した。


「おーい! 誰かー!! おーい!!」


真下にはそこそこ交通量のある道路しかない。

マンションのエントランスはこの空間とは丁度真逆の位置にある。階下に人間が通りがかる気配すらない。


「おーい!! 助けてくれー!!」


ならば隣はどうか。

隣に住む岩崎さんは俺と似たような会社員の旦那さん、スーパーでパートをしている奥さん、それと小学生のお子さんが二人いる。


反対隣はどうか。

菅谷さんのお宅も似たような家族構成だ。


もう一度腕時計を確認する。

平日の朝、八時二十二分。


大抵の人間は留守にしている時間である。


真上と真下の住人も詳しくは覚えていないがこのような時間帯に家にいる可能性は低いだろう。


蒸された空間で顎を伝って汗がポタポタと落ちた。精神的なものもあるのだろう。一気に汗が吹き出しワイシャツが体に貼り付いて気持ち悪い。


ドアをもう一度見た。

外開きのドアの蝶番は空間の外にある。それが内側にさえあれば、もしかしたらまだ手段はあったかもしれない。


ふと下を向く。

ドアと床。その隙間からダンボールを動かせないだろうか。


思わず床に這いつくばった。

この時ばかりは妻の言う通りに座って用を足す習慣を付けておいて良かった。心からそう思った。


ドアと床の間には1cmほどの隙間があった。

指をねじ込んでみる。

ねじ込んですぐに触れた指先の感覚でやはりそれがダンボールだと認知する。

正体が分かって安堵した直後、指先では到底動かせないぐらいピッタリと嵌っている現状を思い知って絶望した。


膝立ちになってベルトを抜き取る。

もう一度這いつくばってベルトの先をねじ込んだ。

安物の革のベルトは少しばかり硬さはあるもののダンボールを動かせるまではいかない。


しばらくの健闘虚しく、苛立ちをぶつけるようにベルトを放り投げた。


時計を見る。

時刻は九時半をすこし過ぎたところだった。

いつもならばとっくに会社について始業しているころだ。



それにしても暑い。

マンションの周りに低木しかないせいかここまで蝉の声は聞こえてこないが、おそらく大合唱しているだろう。汗で貼り付いたワイシャツが気持ち悪くてボタンを外してはだけさせた。


便座の蓋を下ろし座り込む。たまらず頭をかかえた。


新卒で就職し、ほぼ皆勤賞で働いてきた。部下も抱えているし責任も背負っている。


トイレの外から電話が鳴っている。

おそらく社用の携帯電話にも着信が残っているであろう。



遠くで電話の音を何度か聞きすごす。

頭がぼんやりしてきた。


時計を見る。ちょうど正午を過ぎた。

ずいぶんとボンヤリしていたらしい。


汗をかきすぎて脱水症状を起こしているのだろう。頭が痛い。暑すぎる。熱中症の恐れもある。


このまま死ぬのだろうか。


明日の新聞に小さく載るだろうか。


妻は泣くだろうか。娘は悲しむだろうか。



ドアを押さえるダンボール。

そういえば妻はあまり身体が強くなかった。家事の能力が皆無な俺だが、唯一ゴミ捨てだけは任せてもらった。

重たい物を持たせるのが嫌だった。



恐ろしく重い身体を起こして立ち上がる。


水を流すためのレバーを捻る。本来手を洗う場所に頭ごと突っ込む。蛇口に頭をぶつけて痛い。

手で救って水を飲んだ。不味い水だ。不味い水のはずだった。


ワイシャツを完全に脱ぎ捨てて、靴下を脱ぐ。汗と加齢臭か。自分が臭い。

ズボンを足首まで下ろして片足ずつ脱ごう。まずは右足。次いで左足を持ち上げた途端、目眩が襲う。

足元のズボンとワイシャツに足を取られよろけた。そのまま後ろへと重心がズレる。


「うっ…」


あっという間に視界がひっくり返った。棚に頭を打ち付けて便座の横に転がった。

みっともないだろう。情けないだろう。視界が歪む。

痛と熱で弱ったせいか、耐えきれず泣いていた。


もう時計を確認する元気もない。

しばらくズボンを中途半端に脱いだみっともない姿のまま、床に這いつくばって泣いた。


ありがとうございました

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