市松人形が担ったものとは?
つまり何か?
曽我礼人が市松人形を手離したことで、実家にも悪影響を及ぼしたってことか?
「……そこまで話が広がるものか?」
『これは私の妄想なんだけど、曽我家で代々あの人形を受け継がせるしきたりとかがあったんじゃないかな」
「……けど、受け継ぎ失敗……」
でも、何のために曽我家に尽くす?
幸運をもたらすモノなんだろ?
その幸運を逃がした。
それだけのことなんじゃないのか?
まとまらない疑問が次々と脳内に浮かぶ。
『……たとえば、曽我家の昔の人の中に、人道的にひどいことをした人がいた。いわゆる、業が深くなるようなことを。それを帳消しにするのが、その市松人形、とか』
おいおい。
範囲どころか、昔のことまで掘り下げちゃったよこの人。
『で、そんな曽我家を守ってきた人形だったけど、結果として拒否された。内容は、フランス人形も奥さんの家柄の守り神で、そうとも知らない二人が一緒になったもんだから争いになり、その争いに負けた、てことになるんだけど』
……やべえ。
市松人形も、ちょっとかわいそうでないかい? とか思うようになってきた。
『でも、曽我君がしたことは、今言った通り結果として、自分の家を守り続けてくれた市松人形を拒絶した、と。守ってきた対象から拒絶されたら、そりゃ戻るつもりはないわよね』
そうだ。
なぜ気付かなかった?
本来の持ち主は曽我だ。
そいつからどんなに遠ざけても、本来の持ち主である曽我の元に戻ることがない現状はおかしい。
『それに戻ろうとしたところで、その荷をすり替えた張本人のフランス人形は、その時はまだ夫婦の体をなしていた曽我家に健在。戻ろうとしたところで阻止されてたりしたんじゃないかしら? 移動しようとしてできなかったという経緯と結果は、その時の保護者であった磯田君には気付かなかった』
……そりゃそうだ。
何かをしようとしてできなかった、という事実は、その事実を知らない者にとっては何も起きなかったも同然。
故に、俺がそんなことを知りえるはずもない。
三村さんが体験した、顔が変わった現象と俺の関係と同じだ。
『で、手離した途端、曽我君やその実家の人達の加護の力も薄れ、消えていった』
「業が深いって言ったのは、消息不明の理由の伏線か」
『うん。そうでもないと理由が他に考えられないしね』
池田のことだ。
そんな事件を何度も手掛けたんだろう。
でなきゃ、そんな発想、出て来やしない。
「で、曽我家はどこで市松人形と接点を持ったんだろうな」
『それはもう、家の人達に聞かないと分からない類の話よね。過去話を聞いても、ふーんで終わっちゃうだろうし』
……そりゃそうかもしれんが、聞かないと気持ちが落ち着かない。
とは言っても、深入りする気はないしなぁ。
『でも、磯田君とこのご本尊のそばにいたがるってのは、人形は守り神って言ったけど、神じゃなかったのかもね。さっきも言ったかもしれないけど』
「人知を超えた力を持った者に対しては、皆神様呼ばわりして崇めて祭る。その力がどの方向に向くか分からない。ご機嫌伺いっちゃあ生々しい言い方かもしれんが、人間の知識を超えた存在なんか、人間の理解を越えてるわけだから、そっちの常識はこっちの非常識ってことになるかも分からんし。そういう意味では、あの人形も仏様も一緒くたにして考える方が、楽でいいんだがな」
『曽我家を守ってきた存在ですら縋りたくなる相手が神様仏様、てことなんじゃない? 磯田君とこのご本尊にはどんな謂れがあるか分からないけど』
「ねぇよ。何にも」
期待したいとこだろうが、すまんな。
いい話とか、そんなもん一つもねぇよ。
『そっか。てことは、人形さんも、何にも知らないけど仏様なら縋らずにはいられないほど、大変な思いをしながら、曽我君達を守り続けてたのかもね』
大変なお役目だ。
何の因果か、特別な力を持った者が、勝手に守り神呼ばわりされて、空気読んでそう呼ぶ者らを守って、しかもフランス人形という仇敵と争いながら……。
そのご苦労、誰からも偲ばれることはないとはなぁ……。
「……ひょっとしてさあ、池田」
『何?』
「……お前もそうだったりすんの?」
……なんか、言葉に詰まった様子が、音声だけでも感じられる。
しばらく返事がない。
なんか、地雷踏んだ?
「……しょーもないことを聞いて悪かった。まぁなんだ。こっちはそれなりの扱いを続けるしかねぇってことは分かった」
そんな池田にどう声をかけていいか分かんなかったから、これまでの池田の話をまとめて俺の所感を口にしたんだが、まとめにもなってねぇ。
だって、今まで俺がやってきたことを継続するっつー話で、聞いたからそんな結論を出したって話じゃなかったからな。
『全知全能の神、完全なる存在じゃない限り、どこかに欠けたところがあって、それに気付いた時はそれを埋めようと頑張って、それでも無理なら何かに縋りたいって思いはみんな持つんじゃないかなぁ』
……それは池田、お前もか?
『でも、縋る相手がいなかったり、諦めたりしたら……それをどうにか誤魔化して……。そしてそれでも生きて行かなきゃならないから……』
待て。
その話の流れ、まさか池田も縋りたい相手ってのを見つけられずにいて、ようやくその相手を見つけて、それが俺、なんてことはねぇよな?
自惚れるつもりはねぇが。
『……それは、磯田君も同じじゃない?』
「へ?」
俺?
何で俺に振る?
誰かに縋りたい?
縋れるものなら縋りたい。
死んだ後なら、そりゃ間違いなく、文句なしに仏様一択だよ?
けど生きてる間は……縋る相手なんて、今までいやしなかったしな。
って……。
それも、諦めに入るのか?
「……どうだろうな。考えもしなかった」
『私に縋ってきてもいいんたよ?』
「あー……そりゃ無理だ」
即答。
当たり前だ。
だってさ……。
『間髪入れずにそんな返事って、つれないなー』
「甘えさせてくれるってんなら、まず俺の目の前にいてもらわなきゃどうしようもないからな。俺のために尽くしてくれるって相手なら存分に甘えさせてもらうさ。けど誰彼構わず、そんな欲求に付き合ってくれって言うほど図々しくもないし、相手の都合を考えないような無神経なつもりもない」
『……そか』
「お前の頭や心の中にある俺のデータのほとんどが、おそらく高校時代に限定されてるだろ。……俺だってそれなりにこの仕事こなしてきてんだぜ? 少なくとも俺の耳に直接、俺の仕事ぶりに対する不満の声は届いてない。てことは、それなりに評価を受けてるってことだろ」
『そうね』
「てことは、年の割には自己中心な仕事をしてるっつー悪評はない。ということは、そこまで無神経じゃない、と」
『お互い、大人になったってことね』
「……ま、いいけどよ」
なんか、何となく上から目線の一言って気がした。
が、気のせいかもしれん。
そう思わせたのは、特別な力を持った者の池田の優越感か、それともそれに比べて平々凡々な俺の、池田に対する劣等感か。
……美香が健在なら、池田は対等に接してたろうな。
何の特別な力がなくても。
だが、同じく何の特別な力がない俺にはそう言えるのは……。
「……親密な仲、だからか。信頼度がそこまで至らないせいか」
『何の話?』
……口に出ちまった。
つか、同業や檀家以外の人と、こんなに長く話をするのは……我ながら珍しいな。
つくづくぼっちなんだな、俺は。
「いや、何でもない。……美香さんが元気だったら、俺はお前とこうして話できてなかったんだな、てな」
『……磯田君……』
俺の名を呼んだ短い一言にも、悲しいような怒ったような、それ以外の複雑な感情が込められてるのを感じた。
「とりあえず、なんだ。あの人形については、毎日監視はする。が、特別、盗難だのなんだのに対する対策は施さない。だって俺は曽我に、引き受けた、とか、任せろ、とか言ったことはないし、その意志を表明するつもりもないからな。特別扱いはしないっつーこった」
どこぞに連れ去られたら、自力で戻ることもできるだろうし。
「まぁ、そこにいてもいいよ、って許可を出すくらいなもんだ。ただし火の用心は心掛けてもらわねぇとな」
火災保険には加入してるが、必ず下りるとは限らない。
誰だって願う家内安穏・家業繁栄は、俺だって願う。
それに反する災害は、できれば……いや、できなくても避けて通りたい。
『……うん。……私も、曽我君は生きているって前提であちこち調べてみるから。……迷惑かけてごめんね』
「……? あ、あぁ、人形のせいで被災したってことはない限り、気に病む必要はねぇよ。何か分かったら教えてくれ。……あぁ、じゃあな」
池田の奴、最後の一言言う時、泣いてたか?
……まぁよく分からんが。
にしても曽我、ほんとにつくづく図々しい奴だよな……。