曽我家の夫対妻・市松人形対フランス人形
市松人形の扱いが、もしも不適切なら、ひょっとしたら刑事事件になりかねない。
ということで、今回の件をまとめてみる。
市松人形が突然、俺の寺に送り付けられた。
送り主と俺との関係は、高校時代の同期。
だが、俺にはそいつの記憶はない。
そして今まで普通に人形を所有していたそいつの家庭が離散……というか、離婚か。
そして、その所有者ならびに実家も所在不明。
所有者の婚姻関係にあった女性は、見聞によれば健在。
なお、その人物が所有しているフランス人形が送りつけられる予定だったらしい。
送り付けられる理由は不明。
経緯は、同じく同期の池田による推奨。
池田とも面識はなかった。
知り合うきっかけになったのは、同じく面識のない同期の三島美香の件。
だが三島家は俺の寺の檀家ということと、霊能力とかがない俺だけが、なぜか死んだ後の美香と会話ができた、ということから、彼女と親しい間柄だった池田との距離が急に縮まった。
とは言っても、共通点はあっても共通の話題はない。
だから、向こうが俺に親しい思いを持っても、俺には同じ感情を持つ理由はないし馴れ馴れしい態度をとるつもりもない。
が、向こうはそうとは思ってなかったらしい。
どういうことかというと、池田は俺に親しいと思ってたから、俺も自分に親しい思いを持っているものと思い込んでいた、ということだ。
理不尽ではあるがこの事態の成り行きは、因果関係としては、まぁ納得はできる。
さて。
次に、その市松人形が引き起こす現象についてだ。
俺の元に届いた人形。
けれどそれは、俺に贈る、という目的で送られたんじゃない。
送り主の家庭内で何かがあり、それで預かってくれ、とのこと。
しかし送りたかった物は別の物。
送り主に言わせれば、おそらく、いつの間にかすり替わってしまった、と言ったところだろう。
こちらから送ってくれって頼んだわけじゃないから、俺に言わせれば、一体何なんだ? って状況だ。
いずれ、預けさせられた立場だから、いつかは返却しなきゃならんはずだ。
送り返そうにも、送り主の住所は不明。
それどころか当人とその家族、実家の人まで消息不明ときたもんだ。
下手に扱って訴えられでもしたら、寺の業務にも障りがある。
ということで、送られた市松人形は丁重に扱う必要がある。
なのに。
座敷の床の間が、安置する場所に相応しいと思ったのに。
いつの間にか、本堂の本尊の前にいた。
もちろん誰も触っていない。
誰が触ったか。誰が移動させたか。
そう考えるよりもまず、法要に差し支える、ということで、せめて本尊のいる宮殿の端に移動させた。
なのに。
翌日、門を開ける時間に確認すると、本尊との距離が縮まっていた。
いわゆる、超常現象というやつだ。
が、俺の知らないところで、誰かが勝手に移動させたのが原因、という可能性もなくはない。
だが俺は、その原因を究明しようとは思わなかった。
本当に超常現象なら、対処のがないから。
だったら、物理的な理由がある可能性を残しておく方が、まだ安心できる。
……人はこれを、現実逃避、という。
超常現象と言えば、数年前の、同期の幽霊騒動もそうだ。
だが、話せば分かる、意思疎通ができる相手だったし、人畜無害なら安心もできる。
逃避する理由がどこにもないなら、特に怖い現象でもない。
だが人形はそうじゃないだろ。
つか、同じ人間でも、送り主のその行為というか、そっちの方に対しては、得体のしれない恐怖感ってのはある。
いずれ、人形が引き起こす現象は、そんなとこ。
さて。
次に送り主の現状だが、これはさっきも言った通り。
消息不明。
で、ここに至るまでの送り主、曽我礼人の周囲に関して知る限りの情報に、野次馬としての考察を混ぜて考えると、だ。
妻の持ち物であるフランス人形を送った。
が、届いたのはそいつの所有する市松人形。
この時点で、フランス人形と市松人形の間に何かがある、みたいなことは考えられる。
その後、二人は離婚。夫は消息不明で妻はどこぞで元気に生活しているという。
それぞれの人形は、それまでは互いに利する現象が起きていたようだ。
具体的な話は妻の方しか聞いてないが、高額ではないが、かといって少額とは言えない金額を宝くじでしょっちゅう当てている、とか。
察するに、夫の方もそんな感じだろう。
だが夫はフランス人形をよく思わない……というか、よく思えない現象に苛まされたか。
俺に人形を預けるきっかけが、おそらくそれだ。
ところが恩恵にあずかっている市松人形を、本人の思惑はおいといて、結果として手離してしまった。
手離したんなら、送り返してくれ、なりの一報を俺に寄こせば済む話。
ところがそれができない事態に見舞われた。
夫はその後、というか直後?
入院してしまった。
退院後に消息不明。
で現在に至るが……。
そんな話を聞いた人ならきっと、市松人形を手離してからの夫には不運に付きまとわれた、と思うのが普通だろう。
そして、いくら夫婦とは言え、夫が勝手に自分の物をどこの誰とも知らない人あてに送ろうとしてた。
何も知らなきゃ、世はなべて事もなし。
ところが、その家から亡くなったのは、自分の気に食わない物ではなく、自分の気に入った物だった。
そうなるとそこに出てくる、人間の悲しいサガ。
俺が不安に感じて、その対抗手段としてとった行動。
相手も同じように感じて、同じことをしたに違いない、という思い込み。
夫は妻に問い詰める。
そこで妻は初めて知る。
あたしの大切な人形を処分しようとした?!
そこから夫婦喧嘩に発展ってのを想像するのは、実にたやすい。
ただの思い出の品、であっても、他人に好き勝手に扱われるのは腹立たしい。
だがそれは、ただの思い出の品じゃない。
自分に現世利益の幸運をもたらす品だ。
しかもその利益が現金。
生活費の助けになるような額確定。
そりゃ腹も立つだろう。
そして夫は夫で、いつの間にか消えていた市松人形。
どんなご利益があるのかは聞いてないが、確実に目に見えて幸運をもたらしてくれてた物であることには違いない。
しかも、妻の人形は未遂で終わったが、夫の方は実際手離してしまった。
返却を要求する機会も訪れなかった。
結果夫側は、その実家の建物も更地。人も不明。
その現実を交えて考察すると、この一松人形は夫の幸運の品や福の神なんて、そんなスケールの小さいものじゃなかったのではなかろうか?
夫の一族の守り神、と言わしめるほどの存在なのでは?
そうでなければ、そこまで範囲が広くならない。
そして送った物がすり替わり、それが人の手によるものでなかったということから……。
人形同士の幸運戦争の結果、フランス人形が勝ち、市松人形はその夫婦の家庭から追放という罰を受けた。
……なぁんだ。
よくある追放ものではないか。
などとのほほんと暢気に構えてる場合じゃない。
その人形の影響が、とうとうこっちにも及んでしまったのである。
※※※※※ ※※※※※
「ごめんくださーい」
「はーい。……あ、三村さん、いらっしゃい。今日はどうしました?」
この三村なる人物は、うちの檀家の一人。
先月年回忌の法要を本堂で執り行った。
「いや、実は……この枝豆をですね」
でかい紙袋を俺の目の前に出して見せてきた。
その袋の中に、枝豆が大量に実っている茎が目一杯詰められている。
「……どうしたんです? これ。買われたんですか?」
「いやいや、まさかまさか」
と三村さんは苦笑いしながら、顔の前で大きく手を振る。
「趣味で農業してましてね。いろいろやってるんですが、お裾分けした方々から、この枝豆だけは絶品だって毎年言われてましてね」
初耳だ。
檀家の趣味……というか、何かに夢中になっているという話は、なかなか聞けるものじゃない。
「で、一番おいしそうなところをもいで、そのまま持ってきたんですよ。お寺の皆さんでどうぞ、と」
「お……おぉ……。ありがとうございます。でも……」
趣味でやっている、というには、あまりにも多くないか? これ。
「相当力を入れて畑仕事されてるんですね……。仕事は会社員じゃなかったでしたっけ?」
勤めながらの農作業の収穫がこれ。
趣味で留まる範囲じゃない。
自己満足で十分なら、まぁ誰でもできるだろう。
けど、誰かにお裾分けをするってんなら、農作物を育てる技術は相当なもののはず。
好きこそものの上手なれ、とは言うが、好きだけじゃここまでにはならんぞ?
「いやいや、仕事はもう……五年くらいになりますかね、定年退職しましてね」
「あ、なるほど」
それなら納得だ。
「で、その……まぁ、おかげさまで、ですかねぇ」
……まぁ、おかげさま、だろうな。
何かのおかげで、実り豊かな作物を手にすることができる。
うちに持ってきたってことは、仏様のおかげ、と。
まぁ、お天道様のおかげ、の方が実感は湧きやすいか?
「……まぁご利益いただけたから、そのお返し、というには……これでは足りんかもしれませんが……」
「は?」
ご利益?
お返し?
「……けど、ちょっとアレは……」
アレ?
何のことだ?
「あの……仏様のそばにある人形、ありますよね……」
「えーと……」
認めたくはない。
言いたくはない。
が、三村さんが口にする人形ってば、心当たりが一つだけ。
「……市松人形、ですか?」
「えぇ……。あれ……何と言いますか……」
三村さんの歯切れが悪い。
そんないわくがある人形なんてこと、誰の耳にも入れたくはない。
「……不気味、じゃありません?」
「えーと……かれこれ数カ月前から置いてますが、髪の毛が伸びたりなんてしてませんよ?」
冗談めかして誤魔化すことにした。
この馬鹿切りの話題なら、笑い飛ばしておしまいにした方が、問題はほとんど起きないはずだ。
しかし、この目論見は失敗した。
「……顔、はどうなんです?」
「顔?」
「はい。……恩恵に預かっといて、こんなことを言うのは気が引けるんですが……」
そう言い出した三村さんの顔は、やや青ざめていた。