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04.辺境伯家とエリクサー 前編

 クラウゼヴィッツ辺境伯家の朝食の時間というのは、一日の中でほぼ唯一家族が揃う時間である。


 何せ国境を任されている一族だ。

 なるべく共に食事を摂ろうとしてはいるも、皆が相応に忙しく、集まろうにも中々集まれないのである。

 だからせめてこの時ぐらいはと、時間を捻出し集まっているのだが……いつもは五人揃うその一角が、今日に限っては欠けていた。


 そのせいもあってか、今日は食器の立てる音が食堂によく響いている。

 普段と比べ交わされる会話は少なく、貴重な時間がただ食事を摂ることだけに浪費されていく。


 そんな中でふと、音の一つが止んだ。

 クラウゼヴィッツ辺境伯当主であるフォルカー・マルクグラーフ・フォン・クラウゼヴィッツが、食事を終えたのである。


 そしてそのタイミングを見計らったかのように、フォルカーの背後に一人の男が進み出た。

 齢六十になろうかというその男は、クラウゼヴィッツ家の執事長である。

 用件を理解しているのか、フォルカーは一瞥だけを執事長に向け、その視線を受けながら執事長は恭しく腰を折り曲げるとその口を開いた。


「……どこにもおられなかった、とのことです」


「――そうか」


 交わした言葉はそれだけであったが、十分でもあった。

 何のことを言っているのかなど、考えるまでもないからだ。

 頷いたフォルカーの視線が、自然と食堂の一角へと向けられる。


 つまり今の言葉は、普段ならばそこに座っているはずの少女――末娘のセーナの姿が、この屋敷のどこにもなかったということだ。

 いつもならば誰に呼ばれずともやってくる、長い銀色の髪と空を思わせる蒼い瞳を持つ愛らしい娘が、誕生日のその朝に姿を消したのである。


 その事実を前にして、フォルカーの顔に感情が浮かび上がっていく。

 ただしそれは、怒りや悲しみではなかった。


 口元を吊り上げながら、フォルカーは笑っていたのだ。

 しかも、とても楽しそうに、である。


「なるほど……どうやら、あいつもやはりうちの血を引いていたみたいだな」


 その言葉もまた楽しげであり、事実フォルカーは楽しんでいた。

 誰かに連れ去られたなどとは考えておらず、自分の意思でなのだろうと確信を持っていたからである。


 この家ではよくあることであり、というか、全員似たようなことを経験済みだからであった。


「だから言っただろ? 心配いらないって」


 そう言って肩をすくめたのは、長女であるアルマだ。

 確かに、姿を見せないセーナのことを心配いらないといい、食事を始めるよう勧めていたが――


「ふむ……もしやお前は何か聞いていたのか?」


「いいや? 朝にちょっと会っただけさ。だけど、それだけで何か決意を固めてたって察するには十分だったしね。伊達にあの娘の姉やってないさ」


 その言葉に、フォルカーはなるほどと納得した。

 セーナは基本的にしっかりしている娘ではあるが、所々抜けてもいる。

 大方今回も本人的には隠せているつもりでも、まったく隠せていなかったといったところなのだろう。


「ま、ようやくだったってわけだ。ちょっとギリギリにも程がある気がするけど、それはそれであの娘らしいかね」


「このまま家出することなく成人してしまうのでは、と思っていたところでしたものね。まあ結局成人はしてしまいましたけれど、あの娘もやはりクラウゼヴィッツ家の一員だということが分かり一安心ですわ」


 次女であるキャサリンも微笑と共に頷き、そこに心配している様子はない。

 当然だ。


 アルマは十歳になった頃に、キャサリンも十二歳になった頃に家出をしている。

 外の世界に興味を持って、飛び出したのだ。


 繰り返すが、クラウゼヴィッツ家ではよくあることなのである。

 アルマは見た目通りに、キャサリンは外見と口調だけは令嬢然としているのだが、その身体にはやはりクラウゼヴィッツ家の血が流れているのだ。


 クラウゼヴィッツ家の教育方針が放任主義なのも、その辺りが関係していたりする。

 放っておいても勝手気ままに成長していくため、親が何かをするのは逆にその成長を阻害しかねないと考えているからだ。


 成人するまで外出禁止というものもその一つである。

 後々になって爆発されるよりも、抑圧させることで早めに爆発させてしまおうという、雑な思考によるものであった。

 まあそれで上手くいっているので、そういうところも含めてのクラウゼヴィッツ家ということなのだ。


 しかしそんな中で、末娘のセーナだけが一向にそういった気配を見せなかったため、今まで家族はそれとなく心配していたのだが、これで一安心、というわけである。

 そんな風に三人は笑みを交し合い……だが、その場で一人だけ、笑みを浮かべていない者がいた。

 セーナの母であるベリトだ。


「……まあ確かに、安堵はあるわ。でも正直なところ、私としては素直に喜んでいいのかは何ともいえないところかしら。母親としてはやっぱり、ね」


 と、そう言って憂うように溜息を吐き出したベリトに、フォルカー達が思わずといった様子で顔を見合わせる。


 そこにあるのは、どこか呆れたような表情だ。

 代表するようにアルマが肩をすくめた。


「クラウゼヴィッツ家の血を引いてもいないのに、九歳の頃に家出したっていう母さんがそれを言うかね?」


「お父様も同じ頃に家を飛び出し、そして旅先で出会い恋に落ちた、というのがお二人の馴れ初めでしたわよね? 素敵な話だとは思いますけれど、お母様に何かを言う資格はないと思いますの」


 キャサリンの追撃も加わり、ベリトはそっと視線を逸らした。


 先に述べた通りである。

 この場にいる全員が、家出を経験済みだということは、無論ベリトも例外ではないのであった。


「……別にいいじゃないの。それはそれ、これはこれ、よ。自分達がどうであっても……いえ、むしろからこそ、心配するというものでしょう? 特にあの娘はあなた達と違って、素直でいい娘ですもの」


「それだとあたし達が素直でいい娘ではないってことになるんだけど? ま、自覚あるけど」


「そうですわね。今更純粋無垢ですなどと戯言をほざくつもりはありませんけれど……その上で、やはりあの娘の心配は必要ないと思いますわよ?」


「そうだな。あいつはあれで結構意思が強いところがあったりするぞ? まあ色々抜けてたりもするから、心配になる気持ちは分かるが」


 そんな話をしているうちに、フォルカー以外の三人も食事を終えた。

 最後に一度だけ、食器の立てる音が小さく響き……そのタイミングを待っていたのか、フォルカーの背後で再び足音が鳴る。


 しかし進み出た執事長は、今度は話をするわけではないようだ。

 その手に持たれた一つのグラスが、そっとフォルカーの前に置かれる。


 そこでフォルカーの眉根が少し寄ったのは、注がれていたのがただの水にしか見えなかったからだろう。

 水ならば既にあるし、そもそも食後に出す意味が分からない。


「……これは?」


「セーナお嬢様のお部屋の状況に関しましては、既にお伝えしましたと思いますが……」


「確かに聞いてはいるが……ふむ、なるほど。これがそうだ、と?」


 セーナの姿がなかった自室の中に、代わりとばかりに透明な液体の入った数十本の瓶が置かれていた、という話は聞いている。

 セーナが食堂に現れなかった直後に知らされた情報であるため、その時点ではどういう意図のものだったのか判別は付かなかったのだが……セーナが家出した可能性が高いとなった時点で、必然的に自分達に残されたものなのだろうと判断し、こうして出されたというわけか。


 とはいえ、ただの水であればこうして出されることはあるまいし、わざわざセーナが残すこともあるまい。

 水にしか見えないそれを眺めながら、フォルカーは口元を吊り上げる。

 非常に興味深かった。


 セーナはどうにも、自分のことを普通だと思っている節があるが、そうでないことは家族だけではなく屋敷で働く全員が知っている。

 まあ、そもそも三歳から書庫に入り浸っている時点で、普通であるわけがないのだが。

 そんな娘が一体、どんなものを自分達に残したというのか。


 アルマ達も興味深げに見つめる中、フォルカーはもったいぶるようにゆっくりとグラスを持ち上げた。

 至近から見てもやはり水にしか思えず、匂いもない。

 話によれば、見つかった瓶は屋敷の中でゴミとして転がっているようなものであったという。


 さて一体何なのだろうかと、楽しみに思いながらグラスの中身を自らの口へと流し込み――


「――っ!?」


 瞬間、目を見開いた。


 思わず、叩きつけるようにしてグラスをテーブルの上に置く。


「父さん……!?」


「お父様……!?」


 慌ててアルマとキャサリンが立ち上がるが、掌を向けることでその場に留まらせた。

 近付くのが危険だったからではなく、余計なことに思考を回したくなかったからだ。


 睨み付けるように水にしか見えないそれを見つめた後で、後方に待機していた執事長へとそのままの視線を向ける。


「……屋敷の備蓄は?」


「確認済みでございます。幾つかお嬢様が持っていったと思しき物がなくなっていましたが、該当のものには手を触れた形跡すらございませんでした」


「…………そうか」


 その意味するところを考えながら、フォルカーは頷く。

 もしかしたら、自分達の娘は想像以上の何かなのかもしれない。

 そんなことを考えながら、フォルカーは唇をゆっくりと吊り上げていくのであった。

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