25.元聖女、迷宮へと辿り着く
正直に言ってしまうのであれば、セーナは冒険者としてパーティーでの行動というものに憧れていた。
その根幹にあるのは、やはりと言うべきか姉達から聞いた話である。
姉達も当然というべきかそれぞれパーティーを組み、だが話に聞いた限りでは決して仲良し小良しというわけではないようであった。
仲間のあそこが気に入らなかっただの、あの時は取っ組み合いの喧嘩になっただの、そんな話をよく聞かされたものである。
だがそんな話をしつつも、彼女の顔にはいつも楽しげな笑みが浮かんでいた。
おそらくは姉達の仲間もそんな顔をして姉達のことを話しているのだろうと、何の疑いもなく思えるような笑みであり……そんな当時の関係性が垣間見えるようなそれが、とても羨ましかったのだ。
そしてだからこそ、自分もそんな人達と共に冒険する事が出来るのならば、それはきっととても楽しいことになるのだろうと思っていたのである。
冒険者になったらそんな経験が出来るのだろうと、そう思っていたのだ。
だというのに――
「……まあ確かに、現実というものはそうそう思い通りにいくものではない、ということは分かっていたつもりでしたが……」
もう少し世界というものは優しく出来ていてもいいのではないかと、口の中だけで言葉を転がしながら溜息を吐き出す。
周囲に聞こえないようにはしたものの、敢えて呟くようなことをしたのは、その場の空気に耐えられなくなったからだ。
そっと伺うように周囲を眺めれば、そこにはつい先ほど顔を合わせ、そのままパーティーメンバーとなった三人がいる。
しかし誰一人として口を開こうとはせず、ただ黙々と足を進めていた。
彼女達が普段どんな関係性なのかは分からないので、これが彼女達にとってはいつも通りなのかもしれない。
だが楽観的にそう考えたくとも、冷静に状況を見ている自分がそれを否定した。
彼女達が口を開かないのは警戒をしているからで、しかしその警戒している先は周囲ではなく、セーナであったからだ。
肌を刺すようなピリピリとした空気が自分に向けられていることを考えれば、それは明らか過ぎることであった。
というか、そもそもの話、現状はそこまで警戒するような状況ではないのである。
周囲は見渡す限りの平原で、何かがあったら即座に分かるような状況だ。
最低限の警戒は必要だろうが、それ以上は必要がなく……そういったところから考えても、やはり彼女達の様子の原因はセーナであるということ以外に考えられまい。
「先ほどの様子から、ある程度は覚悟しているつもりでしたが……」
所詮はつもりでしかなかったということか。
まあここまであからさまに警戒されるなど、さすがに予想しろという方が無理な気がするが。
だがそこでへこたれないのがセーナという少女である。
というか、折角の状況なのだからへこたれている場合ではない。
セーナ達が現在向かっているのは、エルザが言った通り迷宮だ。
迷宮での話は姉達の話の中でもちょくちょく出てきたし、勿論危険な場所だというのは承知の上である。
姉達はどちらも迷宮で手ひどい失敗をし、その結果冒険者を引退することになった、という話も聞いていた。
しかしそれでも、やはり迷宮という言葉を聞いてしまったら期待せざるを得まい。
しかも一月ほど採集ばかりを繰り返し、さすがにちょっと飽きてきたかなと思っていたところでのそれだ。
どうしたって期待は高まろうかというものであった。
そしてだからこそ、へこたれている場合ではないのだ。
折角ならば道中は何かを話をしながら、そうして気分を高めていきたいのである。
だが誰一人として話し出す気配はなく、自分はむしろ警戒されている有様。
しかしゆえに、ここはセーナが話すべきところなのではあるまいか。
原因は不明だが、自分が警戒されているのは確かなようである。
だが誰かを警戒するのは、大半の場合その相手のことをよく知らないからだ。
実際三人はセーナのことをよく知らないだろうし、セーナもまた三人のことをよく知らない。
ならばこそ、ここは話すことで相互理解を促すべきなのではないだろうか。
とはいえ問題は、話題を何にすべきかということである。
何せエルザ以外の二人は、名前こそ告げられたものの、未だにどちらがどちらなのか分からないほどなのだ。
そのエルザにしたって分からないことばかりであるし、何の話題を出すのか最善かなど分かるわけもない。
もっともだからこそ、話す必要があるのだが……やはり一番無難なのはこれから向かう場所のことか。
先ほどちらっと聞いた話によれば、三人共迷宮を目的としてパーティーを組んだというのだ。
話の取っ掛かりとしては悪くないだろう。
が、幸か不幸か、それ以上そのことを考える必要はなくなった。
そうこうしているうちに、目的としていた場所――迷宮の入り口へと辿り着いたからだ。
所要時間は大体街を出てから三十分ほどか。
あの街の北には森が広がっているが、西には山が存在しており、その山の麓に迷宮はあるのだ。
視界に映っているのはまるで洞穴のようではあるが、あの先に迷宮は広がっているらしい。
姉達から聞いていた通りの光景に、思わず呟きが漏れた。
「……ここが迷宮、なんですね」
「そうね……あたしも来たのは初めてだけど、特に見張りとかはいないのね」
正直なところ、ただの独り言のつもりだったので、返答があったことに驚いた。
反射的にエルザの方へと顔を向けてしまい、不機嫌そうな顔が返される。
「……なによ?」
「い、いえ……何でもありません」
昨日の時点で分かっていたことではあるが、やはり悪い人ではないようだ。
そうなると何故唐突に態度が変わってしまったのかということになるが……そもそもエルフというのは、基本的に排他的だと聞いた事がある。
独自の習慣なども多いらしく、あるいはその辺のことが関係しているのかもしれない。
他の二人に関しては、完全に初対面なのだ。
初対面の相手とパーティーを組んでいるということを考えれば、警戒しているのは当然と言えば当然だろう。
その辺のことを解消するにも、本来であれば話し合いが必要なのだろうが……生憎と三人からは、セーナと話をしようという素振りは見られない。
とりあえず今は、機会を伺うしかなさそうだ。
「……ま、いいわ。それよりも、これから迷宮に向かうことになるわけだけど、まさか迷宮とは何か、なんて基本的なことを理解してないのはこの中にいないわよね?」
「当然。私も来たのは初めてだけど」
「ボクは何度か来てるからね。知識は分からないけど、少なくとも経験ならこの中で一番じゃないかな? ま、だからこそキミ達のパーティーに入れてもらえたわけだし」
その言葉に、ふとそういえばこの三人はどういう経緯でパーティーを組むことになったのだろうか、と首を傾げる。
やはりと言うべきか、黒髪の少女……と言っていいのか分からない人は、冒険者として先達のようだ。
そして言葉から察するに、そんな人が後からエルザ達のパーティーへと加わることになったようである。
あるいはランクに関しても、同じではないのかもしれない。
というかここの迷宮の推奨ランクのことなどを考えれば、その可能性は高いだろう。
だが基本パーティーの中でランクが同じであった方がいい、というのは以前にも触れた通りである。
セーナに声がかかったのも、それが理由であったはずだが……まあ、最初からランクが違うということが分かっていれば、そう問題にはならないだろう、という判断なのかもしれない。
むしろどちらかと言えば気になるのは、上のランクだろう黒髪の人が、どうして下のランクだろうエルザ達とパーティーを組む気になったのか、というところだが――
「……で、あんたは?」
と、そこで思考を中断した。
色々と気にはなるが、どうせ聞いたところで教えてはくれまい。
であるならば、今に集中すべきであった。
「そうですね……わたしも来たのは初めてですが、それなりに知ってはいると思います。実際に何度も迷宮に潜ったという人達から話を聞いたこともありますし」
とはいえ、それだけで熟知していると言ってしまうほど、セーナは世間知らずではない。
というか、そもそもの話、迷宮というのが実際にはどんなものであるのかは、以前にも述べた通りよく分かってはいないのである。
そんなものを相手に、詳しいなどとは口が裂けても言えまい。
しかしそんな迷宮ではあるが、幾つか確証を持って言えることというのも存在している。
先人の知恵というか、試行錯誤の末というか、よく分からないなりにも、迷宮には確かな法則というのが存在しているというのが分かっているのだ。
魔石のことなどもそうだし、中でも最も特異なのは――
「ふうん……なら質問だけど、迷宮で最も気をつけなければならないことは何?」
「そうですね、気をつけるべきことは幾つかありますが……最もと言うのであれば、一つしかないかと。一つの階層に長く留まらないことです。でなければ、死神に遭遇してしまいますから」
――死神。
それは文字通りの存在であった。
魔物であるのかは分からないが、分かっているのは、それと遭遇してしまったら命はないということである。
極々稀に逃げ切ることも出来るらしいが、少なくとも倒せたという話は聞いた事がないし、かつてはAランクの冒険者パーティーが挑みそのまま戻らなかったという話も聞く。
迷宮では絶対に遭遇してはいけない存在の一つなのだ。
だがそんな死神とは、とある条件を満たさなければ出会うことはない。
それは、一つの階層に大体二時間ほどいるというものだ。
そのため、迷宮では必ず一つの階層につき一時間以内で攻略しなければならない。
というのも、迷宮は多重構造になっており、縦に何十層もの階層が連なって出来ていると考えられているからだ。
実際階段のようなものも存在しているし、基本的に迷宮は下に下にと向かうようになっている。
どれだけ深いのは分からない。
迷宮はここ以外にも存在しているが、そのどれでも最下層に到達したという話は聞かないからだ。
確か現在での最長到達記録は二百五十階層ぐらいであったか。
ともあれそういうわけで、迷宮から戻るには来た道を引き返さなければならないのである。
そして行きと帰りとで時間は別、ということにはならないため、往復で二時間を越えてしまわないよう、一つの階層には一時間以上留まってはならない、というわけだ。
ちなみに死神と直接遭遇するには条件が必要だが、間接的であれば条件は必要ない。
要するに、他の誰かが死神と遭遇している場面に出くわしてしまえば、関係なく襲われてしまうということである。
まあそれはもう気をつけていてもどうにかなることではないのだが……そういうこともあって、迷宮に潜るのに推奨ランクというものが存在しているのだ。
もっともそれは、時間のことも大きいのだろうが。
というのも、二時間だとか一時間だとか言っているものの、この世界に前世のような時計はない。
この世界の時計とは、二時間に一度街全体に鳴らされる鐘のことなのだ。
一時間を測るには体内時計以外になく、そういう慣れも関係しているのではないか、ということである。
が、どうやらその条件は少なくともこの場にいる全員は満たしているようだと、その場を見渡しながらセーナは確信した。
「……なるほど、確かに知ってるってのは嘘じゃないみたいね。時間の方も問題なし、ってとこかしら?」
「まあわたしも迷宮には正直興味がありましたから。行くために必須となれば、そのぐらいは」
この辺は前世のこともあって、もっと細かい単位で時間を計ることに慣れているから、というのもあるかもしれないが、まあ可能であることに違いはない。
「……そ。ま、たとえ必要最低限だとしても理解出来てるんなら問題はないわ。ああ、そうそう、さっきも言ったけど、中での危険については心配する必要はないわよ。あんたがどんなつもりであたし達と一緒にここに来たのかは知らないけど、ここに来るのにあんたが必要な以上はしっかり守ってあげるから」
「えっと、別に企みのようなものはないのですが……まあ、守っていただけるというのであれば助かります。もちろん、先ほども言いましたように、しっかり役に立てることをお見せするつもりもありますが」
「……あっそ。じゃあ期待しないでおくわ」
「むぅ……期待してくれていいのですが……」
まあその辺は、やはり実際に役立つところを見せるしかないのだろう。
その時が来るということは誰かが傷付くということなので、痛し痒しではあるが。
「さ、とにかく、こんなとこでもたもたしてても仕方ないし、行くとしましょうか」
そのことに異論はない。
状況はどうあれ、迷宮に潜る事が出来るのだ。
果たしてこれからどんな経験が出来るのだろうかと、密かに心躍らせながら、セーナはエルザ達と共に迷宮の中へと向かうのであった。




