13.元聖女、薬草採集を行う
北門を抜けたセーナは、言われた通り真っ直ぐ森へと向かって歩いていた。
道はなかったものの、遠くに森が見えるために迷う心配はない。
そうして少し遠いと言われた通り、大体三十分ほどは歩いただろうか。
目の前に広がる森に、セーナは感嘆の息を漏らした。
「おおー……遠くから見ていた時点で分かってはいましたが、これはまた大きな森ですね。ここなら確かに薬草も沢山生えていそうです」
それから周囲を見渡してみると、これまた言われた通り人影一つなかった。
しかもここに来るまでの間に魔物とは一匹も遭遇していない。
おそらくはそのことも含めて穴場だと言っていたのだろう。
「本当に親切な方だったんですね……また会うことがありましたら、しっかりお礼を言う必要がありそうです」
しかしそれも、まずはしっかり薬草を採ってからの話だ。
ここまでお膳立てされておきながら失敗するわけにはいくまいと、気合を入れ直す。
「とはいえ、具体的にこの森の何処に薬草が生えているのかまでは分からないわけですが……さすがにそれは甘えすぎですね」
全てが自己責任の冒険者で、ここまで教えてくれたことの方が幸運なのだ。
そのぐらいは自分で探すべきである。
「さて……では、始めるとしましょうか」
呟き、眼前の光景を見据えると、セーナは生い茂った森の中へと足を踏み入れた。
その足取りは無造作ではあるが、そもそも森にはほとんど人の踏み入った痕跡がなく、道らしい道がないのだ。
ならばどう歩いたところで同じであり――だが少し進んだところで、セーナはふと首を傾げた。
「道らしい道はないというのに、不思議と歩きやすいですね……?」
森と言われてセーナが真っ先に頭に思い浮かべるのは、やはりと言うべきか実家の裏手に広がっていたあそこである。
というか、森の中をまともに歩いた経験はあそこしかなく、だがあそこは訓練に使用していることもあってか途中まではしっかり道が出来ていた。
その時の歩き心地と今のそれとを比べた場合、不思議とそれほど違いがなく――
「と言いますか、わたしが歩くのに合わせて枝とかが避けていっているような……? ……いえ、さすがに気のせいですよね」
進行方向にあった枝が気が付いたら消えていたりしているが、単に背が低いためにいつの間にか下を潜っていたとかなのだろう。
雑草が膝上まであるくせに妙に歩きやすいのは気になるが……まあ、考えてみたらそもそも森の中を歩いた経験などほとんどないのだ。
歩きにくそうに見えて実は歩きやすい、ということなのかもしれない。
「まあ、歩きにくいのであればともかく、歩きやすいのであれば問題はありませんしね。それよりも、今は薬草の方を……っと、おや?」
薬草を捜し求め周囲を見渡していると、ふとすぐ近くの木の根元に見覚えのある形の葉っぱが見えた。
雑草に紛れ分かりにくいものの、近付いて確認してみれば、やはり図鑑で見たことのあるものだ。
「薬草、でいいんですよね……? やりました、見つけました!」
喜びながらその場にしゃがみ込むと、セーナはナイフを取り出した。
屋敷からナイフを持ってきたのは、元々採集で必要だということを知っていたからなのだ。
薬草などを採集する際、気をつけなければならないのは根元から引き抜いてはならないということである。
それではやがて全て採り尽くされ、新しいのが生えなくなってしまうからだ。
生命力が強いため根元さえ残しておけばそのうち新しい葉と茎が伸びるらしいので、土から出ているあたりで刈り取るのが正しい採集方法なのだそうである。
さすがに初めての採集ということもありスマートにはいかなかったものの、根元に近い部分にナイフを当て、何とか刈り取ることに成功した。
「やりました……! 薬草、げっとです!」
ちょっと自分でもテンション高いなという自覚があるものの、初めての依頼に無事成功出来たのだから仕方があるまい。
そう自分で自分を納得させつつさらに周囲を見渡すと、同じ形の葉っぱを再び見つけた。
「おお、こんなところにも……これは本当に穴場ですね。と言いますか、よく見てみたら薬草の他にも図鑑で見た覚えのあるものがそこら中にありますね、これ」
採集依頼という形でギルドに提出可能なのは、薬草だけではない。
他にも毒消しの効果のあるものなど、幾つも存在している。
問題があるとすれば、その全てをセーナは認識しているわけではないということだが……まあ、とりあえずは採れるだけ採ってみて、ギルドで確認してみればいいだろう。
普通であれば荷物になってしまい出来ないことだが、幸いにもセーナには魔法の鞄がある。
どれだけ入れたところで満杯にはなるまい。
「そもそも、採集依頼は初心者のうちから受けられることもあり、安いという話ですしね。数を稼がなければなりません。確か薬草だけであれば、最低でも百把は必要という話でしたが……そもそも一把とはどのぐらいのことを言うのでしょうか? そんなに沢山集めて何にするのかも実は分かっていませんし……むぅ。わたし意外と知らないことだらけですね」
薬草というものがどんなものであるのかは図鑑で見て知っているものの、その薬草というものがどういう用途に用いられるのか、ということはセーナの読んだ図鑑には書かれていなかったのだ。
同様に、姉達から最初の頃は薬草採集をこなして少しずつギルドからの信頼を得るものだ、ということは聞いていたものの、やはりその薬草が何のために使われるのか、ということは聞いていなかったのである。
聞かなかったというよりは、色々と興味深い話が多かったため、聞きそびれたというのが正しいが。
「まあ名前からして何らかの薬を作り出す材料になったりするのでしょうが……そういったものもそのうち調べたいものですね」
ギルドには冒険者しか見ることの出来ない書物が存在しているという。
ただし閲覧にはDランク以上が必要らしいので、読みたくともすぐに読むことは不可能だ。
まあどうせDランクは目指しているのだから、後々の楽しみがあるとでも考えていればいいだろう。
「気楽に生活出来るようになったら、そういうのを読みながらのんびりしたいものですね。っと、本当にここ穴場ですね……」
次々と見つかる薬草やら何やらを魔法の鞄に放り投げつつ、周囲を見渡す。
一応警戒もしているのだが、魔物が現れる気配もないし、本当に穴場だ。
「こんな場所を利用する必要がないなんて、失礼な言い方ではありますが、意外とランクが高い方だったんですね……」
姉達の話によれば、常設されている採集依頼には度々世話になるものらしく、卒業出来るのはDランクになってからという話だ。
こんな穴場を必要としないということは、つまりあの人は最低でもDランクということなのだろう。
見た目がくたびれていたのでてっきりそこまでいっていないと思っていたのだが、人は見かけによらないというか何と言うか。
「本当に反省する必要がありますね……っと?」
足元を見ながら歩いていたら、不意に足元から雑草が消えた。
慌てて顔を上げ周囲を見渡し、思わず瞬きを繰り返す。
視界に映っていたのは、森の中とは思えないような光景だったからだ。
そこにあったのは、一面の水であった。
湖とまでは言わないが、池と呼ぶには大きすぎるほどの水が溜まっている。
透き通った水は底までがはっきりと見え、おそらくは飲んでも問題あるまい。
頭上を覆っていた木々はなく、柔らかい光が差し込んでおり……そして何よりもセーナの目を奪ったのは、その光に照らされるようにして水のほとりで咲き誇っている花であった。
不思議な光沢を放っているそれは光の加減でか七色に見え、誘われるようにセーナは足を進める。
「……本当に不思議ですね。ここまで近付いてもやはり七色に見えますし……どうなっているのでしょうか?」
しかもこんな花は図鑑でも見たことがない。
さすがに誰にも知られていない、ということはないとは思うが……かなり珍しいものである可能性はありそうだ。
「んー……もしやギルドに持ち帰ったら高く引き取ってもらえたりするのでしょうか?」
綺麗だということよりもそんな思考が先に来てしまうのは、ここまでずっと採集を続けていたためだろうか。
だが冒険者としては正しい思考のような気がする。
「代わりに女子力が死んでしまった気がしますが……まあ冒険者を志した時点で今更な気もしますね」
そんなことを気にするぐらいならば、最初から貴族令嬢のままでいるという話だ。
そうして自分に納得すると、セーナはその場にしゃがみ込み、そっと花の根元付近にナイフの刃を当てた。
そのまま刈り取る。
「……やはり何処から見ても七色に見えますね」
本当に不思議だと思いながらも、とりあえず魔法の鞄に仕舞う。
それから立ち上がり、再度周囲を見渡した。
「他にはこれといったものはなさそう、ですかね。さらに奥に向かう、ということも出来そうですが……いえ、今日のところはここまでにしておきましょうか」
初日から無理をすべきではないし、というか今気付いたのだが、まだ宿などを取ってもいない。
勢いのままにここまで来てしまったが、やはり舞い上がっていたようだと今更ながら実感した。
「さすがに泊まれなくなるとは思いませんが……念のために早めに戻っておきましょうか。それなりに採集したと思いますから、清算に時間がかかるかもしれませんし」
そうしてその場から立ち去りながら、ちらりと後方を振り返る。
ここが穴場だということは、この場所を知らない人も多いということだろうか。
「それは本当に、勿体無いことですね……」
そう思うのと同時に、こんな場所を教えてくれたことには本当に感謝しかないとも思う。
そしていつか、自分がしてもらえたように、困っている新人の冒険者を見かけたら、穴場としてここを紹介出来たらとも思った。
「なんて、まあそもそもその前にまずはわたしが新人から脱しなければならないんですが」
苦笑と共にそんなことを呟きながら、まずはその一歩の為に、セーナは再び生い茂った森の中へと足を踏み入れるのであった。




