01.元聖女、転生する
懲りずに新連載始めてみました。
よろしくお願いします。
あまりの頭の痛さに、ふと目が覚めた。
だがしっかり目を開いたはずなのに、不思議と目の前にあるものが何であるのか理解出来ない。
異様なほどに視界がぼやけているのだ。
ついでに言えば、どうにも頭がぼんやりとしている。
「あー……これはもしかして、風邪、でしょうか……?」
喉までやられてしまったのか、呟いた声は自分のものであるはずなのに、妙な違和感があった。
どうやら風邪で間違いなさそうである。
とはいえ、風邪を引くようなことをした覚えはないのだが……いや、というか――
「……そもそも、昨日は何をしていたんでしたっけ?」
これは意外と重症かもしれないと、ぼんやりした頭で考えながら、何とか寝る前のことを思い出そうとする。
確か、いつも通り聖女としてのお役目を果たした後で寝室へと向かい……そのまま寝ようとして……?
「……あれ? 完全にいつも通りですね……。特に寒かったというわけでもないはずですし……いえ? そういえば、寝ようとしたところで一度起き上がったような覚えが……?」
そんなことを考えながら、軽く周囲を見渡し、そこで思い出す。
そうだ、枕元に本を置きっぱなしにしていたことに気付き、書庫へと戻しに行ったのだ。
本棚に戻した覚えもある。
「そうそう、そうでした……って、あれ? ……いえ、おかしいですよね」
書庫に本を戻しに行った?
どうやって?
書庫が何処にあるのか、そもそも書庫が存在するのかも知らないのに?
「……うん? いえ、わたし書庫の場所は知っていますよね? ちょくちょく通っていますし……って、それもおかしいですね。聖女にそんな暇があるわけが……いえ、そういえば、聖女って何ですか? わたし……のことでは、ないですよね……?」
そんな大層な身になった覚えはない。
この身はあくまで辺境伯家の末娘だ。
セーナ・マルクグラーフ・フォン・クラウゼヴィッツ。
それが自分の名前で――
「……いえ、わたしの名前は、狭霧聖菜で――っ!?」
瞬間、まるで頭に針でも突き刺されたかのような、鋭い痛みが走った。
今まであった痛みとは比べ物にならないようなそれに、反射的に右手で頭部を触る。
何かを意識するよりも先に、口が言葉を作っていた。
「――『癒しを』」
直後に右手で触れていた部分がほんのりと暖かくなり、その暖かさが広がっていくのに合わせ痛みが引いていく。
そればかりかぼんやりしていた頭も急速にはっきりしてきて、数秒も経たないうちに痛みは完全に消え去った。
それと共に頭も完全にはっきりし……一つ、息を吐き出す。
自分の今の状況というものが、完全に理解出来てしまったからだ。
「……なるほど。今度は転生、というわけですか……」
そうして、クラウゼヴィッツ辺境伯家の三女セーナにして、元異世界人且つ元聖女の狭霧聖菜は、もう一つ溜息を吐き出すのであった。
端的に結論を言ってしまうのであれば、セーナ・マルクグラーフ・フォン・クラウゼヴィッツは転生者である。
狭霧聖菜という名前で生きた前世を覚えている……否、思い出したと言った方が正確か。
そういう存在である。
とはいえ、狭霧聖菜としての半生は極々平凡なものであった。
生まれも育ちも平凡で、特筆すべきようなことは何一つとしてない。
日本という国のとある中流家庭の長女として生まれ、平凡な日常を過ごしながら大学までを卒業し、とある会社に就職し……少なくともそこまでは、聖菜は普通の一般人であったはずだ。
就職した会社が少々……いや、大分ブラックな会社ではあったものの、まだ一般の範疇ではあるだろう。
きっとそのままであれば、聖菜は平凡なままで人生を全うしていたに違いない。
自分のことなのだから、自分が一番よく分かっている。
だがそうはならなかった。
そう、平凡だったのは、あくまで半生――生きていた時間の半分でしかなかったのだ。
聖菜が平凡な人生から足を踏み外すこととなってしまったのは、ブラック会社で三年ほど働いた、とある日のことであった。
サービス残業は常態化しており、休日出勤は当たり前。
人間関係だけは円満だったせいか、ずるずると三年も続けてしまったが、身体というのは正直だ。
限界を訴える身体を引きずりながら、そろそろ辞め時かと、そんなことを考えていると……不意に聖菜は落ちた。
実際にどうであったのかは分からないが、少なくとも聖菜はそう感じたのである。
唐突に地面の感触がなくなり、高所から落ちた時のような浮遊感を覚えたのだ。
視界が暗転し……そして気が付いた時には、聖菜は見知らぬ場所で見知らぬ人達に囲まれていた。
薄暗い石造りの部屋で、周囲にはローブを纏った如何にも怪しげな老人や、何処となく偉そうな男性に、可憐な美少女。
当然のように混乱し困惑し恐怖を覚え、偉そうな男性が開口一番に口にした言葉に、さらに混乱は増した。
彼女が聖女かと、胡散臭い老人に問いかけたからだ。
無論聖菜はただの一般人でしかなかったが、聖菜が口を挟む暇はなかった。
頭の中が混乱しきっていてそれどころではなかったのと、直後に老人が頷き、その場で歓声が溢れたからだ。
そのままあれよあれよという間に何処かへと連れて行かれ、そこが王宮であることを知ったのは、豪華なドレスを着せられ、聖女降臨パーティーとかいうものに出席させられた時のことであった。
自分がどうやら聖女というものだと思われているということを理解したのも、その時のことである。
そこは自分の元いた世界とは異なる世界で、そこに召喚されたのだということを知ったのも。
とはいえ、聖菜は聖女などではなくただの一般庶民だ。
人違いだろうと散々説明し……だが、言われた通りに試してみたら確かにそれっぽいことが出来てしまったのだからどうしようもなかった。
傷を負った人に向けて手をかざしてみたら、傷があっという間に癒えてしまったのだ。
さらには、たとえ人違いだったとしても元の世界に戻す方法はない、などと言われてしまったら尚更である。
聖菜は聖女としてその世界で生きていくことを渋々納得せざるを得ず……いや、半分ぐらいは嘘だ。
本当は割とノリノリだった。
何せ聖女である。
言葉の響きからしてちやほやされそうだし、楽が出来そうではないか。
きっと優雅で気ままに過ごすことが出来ると、そう思ったのだ。
ブラック企業で働くのと、聖女として異世界で生きていくの。
どちらを選ぶのかと言われれば、聖女を選ぶに決まっていた。
勿論元の世界に残すことになってしまった家族や友人のことは気になったものの、戻れないらしいことに違いはないのだ。
ならば諦めるしかあるまいと、そこが渋々納得した部分である。
あとの部分は本当に割とノリノリだったし、実際ちやほやはされた。
聖女というのは、分かりやすく言ってしまえば凄い回復魔法を使える存在のことである。
死んでしまった人を蘇らせることはさすがに出来ないが、それ以外ならば何でも可能なのだ。
手足が千切れていようとも再生させることが可能だし、不治の病だって呆気なく治せる。
聖女様の奇跡の光を授かろうと、毎日沢山の人が自分のところへとやってきたものであった。
誰かを癒すたびに、感謝の言葉と笑みを向けられたものだが――
「うーん……これは間違いないみたいですね……」
かつての自分のことを思い返しながら、聖菜――否、セーナは溜息を吐き出した。
見下ろす自らの左手には、傷一つない。
試しに作った引っかき傷により、つい先ほどまでは血が滲んでいたというのに、そこには傷の名残すらなかった。
セーナが右手をかざし癒そうと思っただけで、一瞬で治ってしまったのである。
先ほど自分の頭痛を癒した時点で分かってはいたが……どうやらセーナは前世と同じ力を使えるようであった。
即ち、聖女と呼ばれるほどの癒しの力を、である。
「しかも、別の世界に転生したとかいうことはなさそうなんですね……」
覚えのある地名や出来事をちらほらと耳にしたことがあるからだ。
ただし、それらが存在していたのは今から三百年ほど昔のことらしいが。
つまりは、予想が正しければ、ここは聖菜が存命だった頃の三百年後の世界、というわけである。
そして先ほども軽く触れた通り、前世の聖菜からすれば、この世界は異世界だ。
文字通りの意味に加え、この世界には魔物と呼ばれる存在がいて、魔法というものがある。
だが医療を含め文明そのものが元の世界に比べると低く、人は容易く傷付き、死に至る。
三百年の間にある程度文明が進みはしたようだが、それでも聖女の価値に大差はあるまい。
要するに、こんな力を持っていることが分かればとても歓迎されるだろう、ということだ。
きっと前世と同じようなことになるに違いなかった。
沢山の人を癒し、沢山の人からちやほやされることとなり――ならば、これからすることは一つしかあるまい。
「――よし」
そのことを思い、考え、セーナは拳をぎゅっと握り締めた。
そして。
「逃げましょう!」
セーナはこの家から逃げ出すことを決意するのであった。