弟の想い
僕はフリッツ・ホフマン。
伯爵家の嫡男だ。
家族は両親と、エミーリアという一つ歳上の姉がいる。
正確にはエミーリアは姉ではなくて従姉妹なのだけれど。まあ、家族である事に変わりはない。
この姉は少し変わっている。
見た目は黒髪の可愛い少女なのだけれど、幼い頃から時々変な事をいう。
暑い日が続くと「アイスが食べたい…」、逆に寒い時は「ヤキイモ食べたい…コタツにミカン…」だの、謎の単語を呟いている。
どれも食べ物らしいのだが。
どうも姉上の頭の中には、別の世界があるらしい。
本人がそう言った訳ではなくて、観察の結果、僕がそう思ってるんだけど。
謎の言葉と、時々遠くを見る視線と表情がそう思わせるのだ。
そんな姉上が十二歳の時、ベルハルト殿下と婚約した。
殿下が姉上に一目惚れしたらしい。
…確かに見た目は可愛いけれど、中身はちょっと変だからなあ。
大丈夫かなと思っていたけれど、どうやら気が合うらしくて姉上は喜んで殿下に会いに王宮に通っている。
しばらくして父上と姉上が一緒に王宮から帰ってきた翌日。
僕は父上に呼ばれた。
「エミーリアの事でお前に教えておきたい事がある」
そう切り出した父上は、姉上が魔法を使える事…そしてその力は姉上の実の母親の血によるものだろうと言った。
「エミーリアには伝えられなかったが…あれの母親というのは、人間ではないかもしれないのだ」
姉上の父親の話からそう感じたのだという。
この事は姉上には言うなと口止めされたけど…多分、姉上はその事を知っている。
一度鏡の前で自分の顔をじっと見つめる姉上を見かけた事がある。
その時の姉上の瞳は赤く光っていた。
———赤い目を持つのは魔物しかいない。
その事を知っても…不思議と姉上に対して嫌な気持ちは起きなかった。
元から変わった所のある姉上だ。何者でも…たとえ人間でなくても。中身は同じなのだから。
魔法が使える事が明らかになっても、姉上は何も変わらなかった。
一度「魔法の力でアイスを作るわ!」と張り切って、ミルクと砂糖を混ぜて凍らせたものを作っていた。
魔法ってそういう事に使うんじゃないような気もしつつ、僕も食べさせてもらった。
冷たくて甘くて美味しかったけれど姉上は「何かが足りない…バニラなんてこの世界にないし…」と納得していないようだった。
家で魔法を使ったのはそれくらいで、それまでと変わらない日々が過ぎていった。
その姉上が十五歳になったある時、ベルハルト殿下と家出をした。
その日、王宮から帰ってきた姉上の様子がどこかおかしいとは思っていたけれど。
置き手紙には、王太子が殺されそうになった事…ベルハルト殿下がそれは自分がいるせいだから王子をやめて旅に出る、姉上も一緒に行くとあった。
父上達は大騒ぎしていたけれど。
僕は…何となく感じていたんだ。
いつか姉上はここからいなくなる。
それは嫁入りとかいうのではなくて…姉上の中にある、もう一つの世界へ行きたいのだろうと。
一人の時に遠くを見ていた姉上。
赤い瞳の自分をみつめるあの時の顔。
———それらが全てこの家出に繋がった気がした。
殿下と姉上の行方は分からなかった。
姉上が消えて寂しくなり笑い声の消えた屋敷に、ようやく穏やかな日常が戻りだした頃。
夜遅く、本を読んでいた僕は何かに呼ばれたような気がした。
その気配はベランダからするようだった。
ベランダへ出た僕の前に立っていたのは、一頭の狼だった。
黒い身体に、真っ赤な瞳が光っている。
恐ろしさはなく———その赤い瞳に、僕はある可能性に気づいた。
「…君は、もしかして姉上の知り合い?」
「———へえ、察しのいい坊やだ」
そう答えて…狼の姿は次の瞬間ヒトの姿になった。
「俺はルプス。姫様…お前の姉さんの従者だよ」
「従者?」
「俺は昔、姫様の母親に仕えていた。それで今度は姫様に仕える事にしたんだ」
ふーん。それってつまり。
「姉上は実の家族に会えたの?」
「いや…母親はもう死んでるよ。父親の方は知らん」
「そうなんだ…」
「お前は随分と物分かりがいいようだが。姉がこんな魔物を従えてると聞いて驚かないのか?」
「姉上もその魔物だというのは知ってるし。変わった人だから何が起きても驚かないよ」
「へえ。なかなか面白い人間だ」
「姉上と殿下は元気なの?」
「ああ。仲良く旅をしているよ。俺は故郷の様子を探ってこいとの命令で偵察に来たんだ」
「…それで、どうして僕に会いに?」
偵察って、秘密に行うものなんじゃないの。
「協力者が欲しくてな」
「協力者?」
「情報を提供してくれる人間だな。俺は昼間は動きづらいんだ」
「何の情報が欲しいの」
「とりあえず家族の安否と、姫様達を追ってくる者がいないかだな」
それくらいなら教えられるけど。
「———協力するって事は、僕にも何か得られるものがあるんだよね」
「しっかりしてるな。何処にいるかは言えないが、姫様の安否情報だけじゃ不満か?」
「そうだなあ」
少し思案する。
「姉上に手紙を送りたいかな」
「手紙?」
「僕達家族の事は、僕の言葉で伝えたい。できれば返事も欲しいけど」
「いいだろう」
交渉成立だね。
手紙は明日の夜取りにくると言って魔物の男は闇に消えていった。
部屋に戻り、姉上の事を思い出しながら手紙を書く。
———手紙を送りたいのは、姉上に忘れて欲しくないからだ。
僕達は家族だという事を。
たとえ姉上が自分の世界を見つけたとしても、ここが姉上の家である事に変わりはない。
いつでも戻ってきていいんだから、どうか家族の事を忘れないで。
大切な…エミーリア。




