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短編小説

偽王女の輝ける星

 扉一枚ほどもある巨大な姿見の中には、驚くほど美しく華やかな自分がいた。これが自分だとは、信じられないくらいだ。

 大きく胸元が開いたドレスは、張りのあるサテンでつくられている。自分の瞳と同じ薄い若葉色の生地に、光輝く銀糸で薔薇の刺繍が丁寧にほどこされ、袖口には手織りのレースがふんだんに使われている。どれもこれも、貴族だけが使用できる最高級品だ。

 もともと真っすぐの薄い金髪にはこてが当てられ、優雅な巻髪に仕上げられている。


「とっても素敵よ」


 感嘆のため息を漏らしたのは、身支度を手伝う侍女だった。


「あなたは幸せものね、アメリア」


 うっとりとした表情のまま、侍女は最後の仕上げにアメリアに大きな白薔薇の髪飾りをつけた。

 アメリアは何も答えず、心の中で深いため息をついた。

 どこが幸せだというのだろう。自国の王女に成り代わり、敵国へ嫁がなくてはならないこの身の上が。



 ◇ ◇ ◇



 大陸の大部分を占めるレーリス王国。外海に面した東部および南部は安定していたものの、西部においてはアルフォルム王国、北部においてはティエル王国と面しており、この国では領土を巡って常に緊張状態が続いていた。


 アメリアはレーリスの北、国境付近の小さな村で生まれた。

 度重なるティエルとの戦争で村は焼かれ、徴兵された父は帰らぬ人となった。

 母は生活費を稼ぐために様々な仕事をしながら、女手一つで幼いアメリアを育ててくれた。しかし結局、無理がたたって病に倒れた母は、アメリアを遺して父のもとへ逝ってしまった。アメリアが八歳の時のことだ。

 それからアメリアは王都の孤児院に送られ、そこで十八歳まで過ごした。


 十年の孤児院暮らしのなかで、アメリアはひたすらに剣の腕を磨いた。レーリスの王立騎士団に入るという目標があったからだ。

 実力さえあれば、身分や性別に関係なく十八歳の段階で入団できる。実際、アメリアは女性の騎士を数人見たことがあった。

 それだけがアメリアの生きる目標であった。父と母を奪った戦争が憎かった。戦うしかないと思った。


 念願叶って騎士団に入団したアメリアに与えられた使命はしかし、戦うことではなく、敵国アルフォルムに嫁ぐことだった。


 レーリスは北のティエルとの戦いに集中するため、西のアルフォルムに同盟を申し込むつもりでいた。

 アルフォルムとも元来友好な関係ではない。同盟を成立させるため、第三王女フェリシアをアルフォルムに嫁がせるという提案が宰相からなされた。

 悩んだ末に国王は決断した。愛娘フェリシアを敵国へは行かせられない。ならば代わりを立てれば良い、と。


 そしてアメリアに白羽の矢が立った。理由は、フェリシアと同年齢であること。体格が似ていて、髪の色と目の色が同じであること。ただそれだけだった。

 馬鹿げている。アメリアは正直そう思った。すぐに露見するに決まっている。その後の関係がどうなるかを考えているのだろうか。

 だが国王は、ティエルとの戦いがひと段落つくまで持てばよいと考えているようだった。落ち着けば離縁させて国に戻らせてくれるとは言われたが、はっきり言って不安しかなかった。

 かといって騎士団に入ったばかりの新米に、君命を断ることなどできるはずがない。アメリアは諦めるしかなかった。

 それからの半年間は、王女として相応しい振舞を身につけるように厳しく教育される日々だった。


「これも、戦いなのだから」


 がたがたと揺られながら、アメリアはため息とともに自分に言い聞かせるように呟く。もう、何度も繰り返したかわからない。

 アメリアを乗せた馬車はアルフォルムへと向かっていた。


「……それにしても、貴族はよくも毎日こんな格好をしているものだわ」


 再びため息。コルセットで締め付けられたウエストは苦しく、スカート下のパニエのせいで非常に動きづらい。一応、ガーターリングに護身用の短剣を仕込んできたのだが、これでは満足に使いこなせるか不安である。


「本当にできるのかしら。フェリシア様として生きるだなんて」


 思わず不安を吐露する。いや、できるできないではなく、やらなくてはならないのだ。もう賽は投げられてしまった。失敗すれば、おそらく首が飛ぶ。それだけではすまないのは明白だ。

 迫る不安に胸が苦しくなった。アメリアは首を振って馬車の外を眺める。丁度アルフォルムの王宮が見えてきたころだった。

 唇を引き結んだ。もう自分はアメリアではない。そう思うと、言いようのない気持ちに襲われた。


「フェリシア様、到着いたしました。どうぞお降りください」

「……はい」


 従者に促されて馬車を降りる。一度、瞳を閉じて深呼吸した。

 ゆっくりと目を開きながら、心の中で呟いた。さようなら、アメリア。



 ◇ ◇ ◇



「レーリス第三王女、フェリシアでございます」

「面を上げよ」

「はい」


 両手でつまんでいたドレスを離し、アメリアは姿勢を正した。

 玉座に座るアルフォルム国王。赤い絨毯の左右には、重臣たちがずらりと並ぶ。

 そして国王の脇には、ひとりの青年が立っていた。


「いずれそなたと夫婦になる、第二王子のカレルだ」


 カレルはゆっくりと会釈した。柔らかそうな銀色の髪が、形の良い鼻梁にさらりとかかる。何よりも印象的なのはその爽やかな目元だった。海のように澄んだ紺碧の瞳に、アメリアは一瞬とらわれる。


「婚礼の儀は、少し理由があって先に延ばすことになった」

「え……」


 アメリアは思わず声を漏らした。覚悟を決めていたのに、拍子抜けしてしまう。しかし、同時にどこかほっとしている自分に気がついた。


「しばらくの間、王女にはカレルの婚約者としてアルフォルムのことを学んでもらうつもりだ。長旅で疲れているだろう、今宵は休むがよい。カレル、王女を部屋に案内してやれ」

「はい」


 カレルはすっと歩み出て、アメリアの目の前に立った。アメリアより頭一つ分も背が高い。姿勢が良く、一見細身だが、華奢なわけではない。騎士団で沢山の騎士を見てきたアメリアだからわかる。隙のない、鍛えられたしなやかな体躯。


「行こう」


 明瞭で凛とした声に促された。

 アメリアは国王へ退出の挨拶をし、カレルへ続いた。



◇◇◇



 謁見の間から下がり、回廊を少し進んだところで数歩先をゆくカレルが立ち止まった。

 カレルは振り返り、口元に微笑を浮かべて優しい声で言った。


「あらためて、よろしく」


 アメリアは、思わずカレルに見惚れていた。目鼻立ちが整っているからだけではない。先ほどから感じていたことだが、カレルには体の内側から気品が溢れ出ているようだった。王族だから皆がそうだというわけではあるまい。


「私の方こそ。至りませんが、よろしくお願い致します。カレル様」

「カレルでいい。俺もフェリシアと呼ぶ」


 カレルはそう言ったが、本来が貴族でもないアメリアにとって、王族を呼び捨てにすることは憚られた。ましてや、カレルのこの風貌だ。


「いえ、カレル様と呼ばせてください。私のことはどうぞフェリシアとお呼びください」


 そう答えると、カレルは少し眉を寄せる。


「堅苦しいな。それではまるで従者だ」


 どきりとする。しかし、その内心の焦りを悟られまいと、アメリアはすぐに微笑みをつくった。


「お聞きしたところ、カレル様は、私より一つ年上でいらっしゃると。年上の方への礼儀ですので。どうかお許しください」

「……わかった」


 ひとつ息をついて、それより、とカレルは話を変えた。


「国内にはレーリスとの同盟を良く思わぬ人間もいる。十分に気をつけて過ごせ」


 厳しい表情で言われ、アメリアは驚いた。しかしすぐに得心が行く。


「婚礼が挙げられないというのは、そういうことなのですね」

「そうだ。彼らは、レーリスの血が王家に入るのが気に喰わないのだ。反対派はお前を殺して同盟を破棄する気だ」


 いきなりの穏やかでない発言。しかし驚き以上に、こちらを見つめるカレルの瞳に、アメリアは心を打たれる。


「もちろん、そんなことはさせない。絶対に。だが、できるだけ俺の側から離れないでくれ。いいか」

「はい」


 少なからず感動を覚えながら、アメリアは感得していた。この方は、とても優しい。そして誠実なのだ。


「言われた通りにいたします。それに、私も多少腕に覚えがあります。どうかご安心ください」

「……腕に覚えがある?」


 王女なのに? という意味を込めてだろう。怪訝に繰り返したカレルに、アメリアははっとする。安心させようと思って墓穴を掘った。


「あの、護身のために、すこし剣を学んだのです。本当に、趣味程度ですが……」


 次の瞬間、カレルに腕をつかまれていた。声を出す暇もなかった。


「細いが、鍛えられた腕だ」


 しまった、とアメリアは僅かに唇を噛んだ。カレルと視線がぶつかった。何かを考えている様子だ。どうしよう。どう言い逃れればいい。

 しかし、カレルはやがて解放してくれた。ふっと口元に涼しげな微笑を浮かべる。


「闘う王女か。面白い女だ」

「……恐れ入ります」


 ほっとしながらアメリアは思わず視線をそらした。冷や汗が吹き出るようだった。大丈夫だった、のだろうか。


「フェリシア」


 呼ばれ、アメリアは顔をあげた。カレルは、今度はひどく真面目な顔をしていた。


「顔も知らぬ男に嫁ぐこと、嫌ではなかったのか?」

「…………」

「他に好きな男はいなかったのか?」

「カレル様は、いらっしゃったのですか?」

「……質問に質問で答えるな」


 困ったように僅かに眉を寄せたカレルにアメリアはくすりと笑い、それから正直に告げた。


「嫌ではなかったと言えば嘘になります。ですが、これが私の戦いなのだと思いました。平和のための戦いには違いありません。私がアルフォルムに来ることで、同盟が成立したのですから」


 自分の望んだ戦い方ではなかったけれど。と、アメリアは心の中で付け加えた。


「戦い、か」


 カレルは小さく繰り返した。その目を半ば伏せる。長い睫毛が影を落とし、その瞳の色が深みを増した。


 と、突然、背後から声が聞こえた。


「そなたがレーリスからきたという王女か」


 アメリアは振り返る。美しく着飾った、圧倒的な美貌の女性がそこにいた。年の頃は、四十は過ぎているだろうか。濃くはっきりとした化粧のせいで、定かではない。


「……王妃殿下だ」


 後ろからカレルの低い声がした。アメリアは慌ててドレスをつまんで頭を下げた。


「フェリシアでございます」

「卑しき他国の血を王家に入れるなど」


 吐き捨てられるように言われた言葉に、アメリアは思わず顔を上げた。王妃の瞳に表れているのは、侮蔑というよりは嫌悪だった。今にも唾棄されそうな勢いだ。もちろん、そのような下品な振る舞いをするはずもないが。

 ショックを受けるよりも、アメリアはただ面食らった。これほどあからさまな態度は、生まれて初めてだった。

 王妃はすぐにアメリアからカレルに視線を移し、美しい唇を歪めてゆっくりと笑う。


「しかし、カレルにはお似合いのようだ。同じく卑しい出身だ」


 王妃の瞳が挑発的にカレルを射抜いた。しかしカレルは王妃を正視せず、低く淡々とした口調で答えた。


「父上のご命令でしたので、従ったまでのことです。それでは失礼します。行くぞ、フェリシア」


 アメリアの返事を待たずに、カレルはアメリアの手を取りその場から強引に連れ去る。

 背後で聞こえよがしに大きな舌打ちが聞こえた。



◇◇◇



「カレル様、あの」


 先ほどの場所から随分離れたところで声をかけると、カレルは急に歩みを止めた。

 掴んでいたアメリアの手を離し、小さく嘆息してからこちらに向き直った。


「すまなかったな」


 突然の謝罪に、アメリアは小首を捻った。


「何故謝られるのですか?」

「嫌な思いをしただろう。卑しき血などと言われて」

「ああ……」


 そんなことか、とアメリアは少し笑った。これが本当に誇り高き王女であったのなら、憤慨していたのかもしれない。が、元来がアメリアは血統がどうのということに無縁の平民であったから、嫌な思いなど特段することはなかった。もちろん、あちらの拒否感は十分に感じとることはできたが。


「気にしていません」

「……そうか」


 アメリアが特別強がった様子もなくそう答えたので、カレルはほっとしたようだった。


「驚いただろう。初日から、あんなことを言われては」


 アメリアは少し迷って、結局正直に頷いた。


「もうわかっているとは思うが、王妃は俺の母親ではない」


 そのことはアメリアにも察しがついた。どう見ても、実の母子のやり取りではない。


「俺の母親は、第二王妃だった」


 過去形で、カレルは言った。


「田舎の小貴族の出身で、純粋といえば聞こえはいいが、王宮で生きていくには無防備すぎた。結局、体を壊してしまった。最後の方はほとんどベッドから出られず、今思えば精神を病んでいたのだと思う」


 カレルは瞳に広がる悲しみを覆い隠すように苦笑いする。

 その時アメリアは病に倒れた自分の母親を思い出していた。無力感が全身を支配する。


「王妃には息子が一人いる。第一王子である、俺の兄だ。今は遠征に出掛けていて不在だが」


 アメリアは思い起こす。確か、名はナイジェル王子といったはずだ。ナイジェルもまた若く独身であると聞いている。


「長子なので順当にいけば王位を継承するはずが、父上は実力主義だ。俺達は幼い頃からずっと、どちらが後継者に相応しいかと試されてきた。つまり、王妃や兄にとって、俺は目障りな存在だというわけだ」

「先ほどお話くださった反対派というのも……」

「ああ、王妃と兄。そしてその支援者たちだ。彼らは純血主義だ。自分達のように古くから続く大貴族以外を認めない。だから俺の母も、その子である俺も、他国からきたお前も嫌う」

「……お母上様は、いつお亡くなりになったのですか」


 アメリアは気になっていたことを尋ねた。

 すると、カレルはやるせない笑みを浮かべた。


「俺が九歳の時だ。今でこそ俺を支援してくれる貴族もいるが、当時はこの王宮内で孤立無援の状態だ。父上はそれすらも実力で乗り越えろと言うしな」


 カレルは冗談めかして言ったが、アメリアは思わず眉根を寄せていた。アメリアも八歳の時に親を亡くした。でも、孤児院では仲間がいたし、あんな風にあからさまな敵意を向けられることなどなかった。カレルはずっと耐えてきたのだ。たった一人で。それは、どれほど強い精神力を必要としただろう。


「辛くはなかったのですか」


 思わず声にしてしまった。

 カレルは一瞬驚いた表情をしたが、すぐにその瞳に力強い光が宿る。それはとても真摯で、凛然とした眼差しだった。


「これが、俺の戦いだ。辛くないはずがない。戦いとはそういうものだ。だが、信じるものがあれば人は戦える。お前が、平和のための戦いと言ったように。この国の平和と繁栄のために、俺は戦う。辛いからと逃げるのは国と民に対する罪だ。全力で戦い、その資格を自分に問う」


 その時アメリアは、カレルに王者の輝きを見た。溢れ出る気品の故を、思い知った気がした。ただ戦争を憎んで戦うことを決意した自分とは違う。純粋に国を想う、誇り高さ。


 アメリアは感服していた。そして思った。カレルの役に立ちたいと。偽りの王女として、カレルを欺いている。だから、せめて役に立ちたい。心からそう思った。



◇◇◇



 アルフォルムに来て、ひと月が経った。フェリシアとしての生活は、問題なく続いている。


 朝はゆっくりと正午近くに起こしてもらえ、ベッドで半身だけ起こして待てば、体を目覚めさせる紅茶が運ばれてくる。

 その後も身支度は勝手に整っていく。コルセットを締められ、髪を結われ、宝石で飾られる。唯一、することといえば丸く花開くような状態のドレスの中に足を入れることだけだ。

 マナーや立ち振る舞いに気はつかうとはいえ、これまでの自分の生活と比べ、あまりに何もしなくてよいものだから、楽というよりはむしろ、退屈なくらいだった。


 だから、このところのアメリアは少々油断していた。


 公務の都合でカレルがどうしてもアメリアの側を離れなくてはいけなくなった。

 部屋の前でカレルを見送った後、側にいた侍女が優しく笑って言った。


「フェリシア様、庭園の薔薇が盛りです。一度ご覧になってはいかがですか。案内いたしますので是非」


 無下に断っては悪いと思い、アメリアは促されるままに足を運んだ。


 広大な庭園の一画、薔薇のアーチをくぐり、芳醇な香りの中へ入った時、背後に殺気を感じてアメリアは振り返った。

 黒いローブを纏い、そのフードを深く被って顔を隠した男が四人。侍女は走り去り、男達の長剣がアメリアを囲んだ。

 護衛の兵士の後ろで、アメリアは身を固くした。もっと慎重に行動すべきだった。自分のうかつさにきつく唇を噛む。


 じり、と男たちが一歩距離を縮める。


「フェリシア様、お逃げください!」


 そう言われたが、一対四では彼の身が危ない。アメリアはさっと腰を落とし、スカートの中に仕込んでいた短剣を手に取った。フードの影に隠れた、男たちの表情が怪訝に曇ったのがわかった。


 男のうち三人が、護衛の兵士に斬りかかる。彼はなんとか凌いでいる。

 残りの一人がアメリアに近づいて、剣を動かした。


「フェリシア様!」


 振り下ろされる直前に身を躱してから、アメリアは短剣で男の脇腹を狙う。

 短剣はやすやすと沈み込み、男は顔を歪めて剣を持たない方の手でアメリアを突き飛ばそうとした。

 バランスは崩したが、アメリアは倒れなかった。

 手に握っていた短剣は放していない。それを引き抜く際に男が思わず剣を取り落としたので、アメリアは即座に短剣を捨ててその剣を取っていた。


「この女……!」


 男が怒りに狂った様子で唸った。

 声が響いたのは、その時だった。


「フェリシア!」


 男たちの注意が逸れる。

 アメリアはその一瞬の隙を見逃さなかった。剣を振り上げ、目の前の男へ袈裟懸けに振り下ろす。ひきつれた叫びが響きわたり、アメリアの頬に赤い染みをつくった。


「……くそ! 逃げるぞ!」


 男たちは肩を貸しあって走り去る。致命傷には至っていないだろう。残念ながらアメリアにそれほどの腕力はない。


「待て!」


 抜刀したまま駆け込んできたカレルは制止の声を上げた。

 が、追うことはなく、カレルは蒼白の顔をして自身の剣を捨てると、アメリアの両肩を掴んだ。


「大丈夫か!? 怪我はないか!?」

「……ありません。大丈夫です。それより彼が」

「私は大丈夫です。フェリシア様を危険な目に合わせてしまい、お詫びの言葉もありません……」

「いや、お前は良くやってくれた」

「あなたがいてくれて助かりました」


 深く息をついて、アメリアは持っていた剣をその場に落とした。緊張から解き放たれ、どっと倦怠感が体を襲う。

 カレルもまた深い息を吐くと、片手を額にあてて首を振った。


「……息が止まるかと思った」


 その言葉に、カレルの思いが凝縮されているようで、アメリアはいらぬ心配をかけてしまったことを心底心苦しく思った。


「申し訳ありません。私がうかつでした」

「いや、それは俺も同じだ。王宮内で白昼堂々と襲ってくるとは思っていなかったから、油断していた。いつもの侍女と違うようだったから、気になって戻ったんだ。本当に良かった。すぐに護衛を増やす手配をする」


 そこでようやくアメリアははっとした。


「カレル様、ご公務は? 交易国の使節団をお迎えする大切なお役目だと……」

「……放り出してきたので、怒っているだろうな。いいさ。今夜の宴席で、ゆっくり謝ろう。酒に夜通し付き合えば、機嫌も直るだろう」


 気にするなというように、カレルは口元に柔らかな微笑を浮かべた。

 その優しさに、アメリアはいたたまれなくなって身を小さくした。


「……本当に、申し訳ありません」

「いいと言っただろう。ほら」


 カレルはアメリアの肩からその手を離すと、胸元からチーフを取り出し、アメリアの頬についた赤い血をそっと拭った。


「しかし、まさかここまで腕が立つとは思わなかった。次の遠征の際には、連れて行きたいくらいだ」


 そう言って笑うと、カレルはアメリアの背中に優しく触れ、部屋に戻ろうと促した。


 しかし、これだけでは終わらなかった。事態は、最悪の方へと向かったのである。



◇◇◇



 アメリアを襲った男たちについて、カレルは即座に調査をするよう命じたが、結局犯人は分からずじまいだった。カレルは悔しそうに唇を噛んでいた。


 その日、いつもとは違う気配がしてアメリアはベッドの上で上体を起こした。

 激しい足音が近づいてくる。やがて激しさをそのままに、荒々しく扉が開け放たれ、複数の兵士が部屋に駆け込んできた。声を上げることもできずに目を見開くと、乱暴に両腕を引かれてベッドから下ろされた。


 部屋着のまま、謁見の間に引きずり出された。

 アメリアが初めてきた日と同じように、正面には国王が座し、赤い絨毯の左右には重臣たちが並んでいる。たた違うのは、国王の横にいるのが、カレルではなく王妃であるということだった。


 アメリアはもう理解していた。真実が、明らかになってしまったのだ。


「王女に成り代わった、そなたは何者だ」


 あくまで表情は常のまま、だが声をいつもの何倍も低くして、国王が問うた。

 アメリアは唇を噛んで項垂れた。


「…………」

「陛下の声が聞こえぬのか!」


 容赦のない女の声が降り注ぐ。無言を貫くアメリアに、声の主は苛立ったようだった。


「陛下、この卑しき女、即刻処刑なさいませ」


 王妃の提案に、重臣たちが次々と声を上げる。


「陛下、この者の素性を調べてからでも遅くはありません。どうかご慎重に」

「何を言います。偽者を送るなど、レーリスは我がアルフォルムを愚弄したのですぞ。即刻処刑し、首を送り返してやるべきです!」

「その通りです。すぐにでも開戦を!」

「しかしナイジェル様も遠征に出られている今、レーリスと戦うには兵力が足りませぬ」

「左様でございます。しかも昨秋は天候がよろしくなく、国全体が不作に見舞われてしまいました。財政が逼迫している今、戦争を起こすのは……」

「それでは黙っているというのですか!」


 頭上で飛び交う声に、アメリアはぎゅっと目を閉じる。


「静まれ」


 その一言で、謁見の間は水を打ったような静寂に包まれた。誰もが息を呑んで国王の答えを待った。


「……今現在、我が国に余裕がないのは明らかだ。この同盟、我が国にとっても有益には違いない。ひとまず使者を送り、レーリスの出方を待つ。こちらの弱みを見せぬよう、戦いの準備は整っていると伝えるがよい。浅慮断行をなんと言い訳するか、聞いてやることとしよう。うまくやれば、今よりも優位に立てるはずだ。娘の処置については、一旦それまで保留とする」


 アメリアは目を開けて顔を上げた。


「投獄せよ」


 掛け声とともに兵士たちがアメリアの両脇を掴む。

 国王の最後の言葉がアメリアの胸を深く刺した。


「カレルとも良い関係であると聞いていたが。残念だ」



◇◇◇



 王宮の外れにある、無骨な石の監獄。窓は無く、柱に掛けられた松明の光だけが周囲を赤く照らす。

 鉄格子の中で、アメリアは深く項垂れていた。

 既にアメリアは観念していた。例えアルフォルムでの処刑は免れても、祖国が自分を許さないだろう。どちらにせよ、もはやこの命に先はないのだ。


 その時、こつこつとこちらに近づく足音がした。

 アメリアは顔を上げて驚愕する。王妃だった。


「私の可愛い部下たちを良くも傷つけてくれたな」


 突然で、一瞬何のことか分からなかった。

 しかし、すぐに理解した。薔薇園の刺客のことだ。


「……あなた、が」


 掠れた声を出したアメリアを、王妃は氷のように冷たい眼差しで見下ろす。


「お前を暗殺し、その責任をカレルに問うはずだった。まさか失敗するとは。しかし、そのことでお前の素性に疑問を持った。レーリスの王女はしとやかで女らしいと聞いていたからな。それで調べさせてもらった」


 王妃はゆっくりと口の端を持ち上げた。


「お前は薔薇園で死ぬべきだったのだ。王女として死んでいれば、私もお前を疑わなかった。そうだろう?」


 絶望感がアメリアを襲った。体の奥底から寒気し、握り締めた拳が細かく震えだした。

 王妃が何かをアメリアの側へ投げ入れた。銀色の切っ先が鈍く光る。見覚えのある、アメリアの短剣であった。


「私からの贈り物だ。楽になりたければ使うがよい」


 最後に鼻で笑って、王妃は去っていった。

 アメリアは呆然と短剣を見つめることしかできなかった。やがて、ゆっくりとそれに手を伸ばす。


「カレル様……」


 短剣を手にとりながら、アメリアはカレルを想った。せめて、最後に謝りたかった。アメリアはぎゅっと目を瞑った。


 と、再びこちらに近づいてくる足音が聞こえた。今度は随分と急いでいる様子だ。足音が止まり、くぐもった衛兵のうめき声が響いた後に、どさりと人の倒れる音。

 何事だろうとアメリアは眉を寄せて顔を上げた。

 鉄格子に近づいた時、目に飛び込んできたのはカレルの姿だった。


「……カレル様!?」

「待っていろ、今開けてやる」


 衛兵から奪ったのだろう、カレルは金属音を響かせながら鍵束から鍵をひとつひとつ錠前に突っ込んでゆく。

 アメリアは血相を変えた。


「何をなさるのですか!」

「決まっているだろう、お前をここから出す」


 音を立てて錠が開いた。カレルは身をかがめて鉄格子の中へ入ってくる。

 アメリアが手に短剣を持っているのを見ると、眉を寄せた。


「これは、どうした」

「…………」

「誰がこれを?」

「……王妃殿下、です」


 カレルは眉間に皺を寄せたまま小さく首を振った。


「どうせ、ろくでもないことを言われたのだろう。忘れるんだ、いいな」

「……でも」


 心が打ちのめされ、アメリアは弱音を吐露するのを止めることができなかった。


「私のせいで……」

「違う。責任があるのは、お前を王女に仕立てたレーリスだ。お前に罪はない。だから、馬鹿なことは考えるな」


 カレルはアメリアの手から短剣を取る。


「これは、お前の身を守るために使え。ここから逃げるんだ」


 再び差し出された短剣を、アメリアは受け取ることができなかった。必死に首を横に振る。


「私を逃がしては、カレル様が……」

「俺のことは心配するな」


 カレルはアメリアの手に短剣をおさめると、立ちあがらせた。いつになく強引に、そのままアメリアの手を引いて、カレルは急ぎ足で牢の外へと向かう。


「時間がない。衛兵が気づく前に行くんだ」

「カレル様、待ってください」

「リンデルの街におりたら、教会に向かえ。国を出るまで、手伝ってくれる」

「……カレル様!」


 無礼を承知でその手を振り払った。

 カレルは驚いたように動きをとめる。


「私は、カレル様を騙していたのに!」


 だからどうか、自分のためにこんな危険なことはやめて欲しい。たまらない思いでアメリアは訴えた。

 二人の視線がぶつかり合う。一瞬の沈黙の後、カレルはふわりと微笑んだ。


「気づいていた」

「……な」

「はじめから、王女らしくなかったからな」


 咎めもせず清々しい笑顔を見せるカレルに、アメリアは力なく首を振った。


「でしたら、どうして……」

「偽りでも、同盟が成立していた方が我が国にとっても良いと思ったからだ」


 カレルは言葉を切ってアメリアを見た。薄暗い闇の中で、澄んだ紺碧の瞳が優しく揺れる。


「辛かっただろう、正体を隠して過ごすのは。自由にしてやれなくて、すまなかった」

「私は、カレル様と過ごせて……」

「ああ、俺もお前と過ごせて楽しかった」


 アメリアの心が震えた。一瞬で目の奥が熱くなる。堪えきれず、瞳から透明なものがこぼれおちた。

 カレルは両手をアメリアに伸ばす。その暖かい手のひらが、アメリアの頬を優しく包み、親指が涙を拭った。


「お前の名は?」


 アメリアは一瞬泣くのも忘れて魅せられる。カレルの瞳は、泣きたいくらい美しかった。


「本当の名を、教えてくれ」

「……アメリア、です」


 震える声で答えると、カレルはゆっくりと頷く。


「アメリア。良い名だ」


 いつくしむようにそう言って、カレルは再びアメリアの手を取った。


「ここを出よう」


 外へ出た時、衛兵たちがこちらに向かってきているのが目に入った。

 カレルは急いでアメリアを用意していた馬へと乗せる。


「行くんだ。国を出たら、絶対に戻ってくるな」

「いけません、カレル様!」

「アメリア、お前のことを忘れない。会えて良かった」


 カレルは馬の臀部を叩いた。馬はいななき、前足を上げて駆け始める。


「カレル様!」


 手綱にしがみつきながら、アメリアはカレルを振り返る。

 カレルの晴れやかな笑顔が、涙で滲んだ視界にうつった。



◇◇◇



 城下町リンデルで、夜陰に乗じてアメリアは教会の敷地へ忍び込み、勝手口を叩いた。

 何度か繰り返すと、神父が顔を出した。顔に刻まれた皺から推測するに、年は五十を越えているだろう。短く切り込んだ銀色の髪には白髪が混じる。しかし、頬は精悍で、眼光もするどい。神父の格好をしていなければ、騎士に間違えそうな風貌だ。明るい翡翠の瞳が、怪訝にアメリアを観察する。


「誰だ?」


 アメリアは一瞬言葉に詰まった。しかし、カレルの言葉を信じて正直に告げた。


「……カレル様から、こちらへ向かえと」


 そう言うと、神父はさっと顔色を変え、一度あたりを見回すと、アメリアを迎え入れた。

 案内された部屋で、神父はアメリアにテーブルにつくように促した。


「名前は?」

「……アメリアと申します」

「俺はキースだ」


 キースは、アメリアの目の前に籠に入ったパンと、グラスに注いだミルクを置いた。


「その様子じゃ食べてないんだろう。食え」


 神父という職業に不釣合いなほどぶっきらぼうだが、親切な人間なのだろう。でなければこうして匿ってくれるはずがない。


「ご迷惑をかけて、申し訳ありません」


 アメリアは目の前の食事に手をつける気になれなかった。カレルのことが頭の中から離れない。視線が自然と下に落ちる。


「心ここにあらず、だな」

「…………」


 アメリアの前で椅子を引くと、キースはそこに座って頬杖をついた。


「レーリスの偽王女か」


 その言葉に、アメリアははじけるように顔を上げた。王宮で騒ぎになったのは、今朝のことだ。もうここまで話が伝わっているとは考えられなかった。ならば。


「……事前に、カレル様から?」

「ああ、頼まれた。もしものことがあれば、匿い、国へ返すように。勘違いであることを願っていたが、本当に偽者だったんだな」


 アメリアは再び頭を垂れた。偽者と知りながら守ろうとしていたなんて。涙がこぼれおちそうになるのを、アメリアはきつく唇を噛んで堪えた。


「ここもあまり安全とはいえない。何しろカレルが頼るのは俺くらいだと、敵さんも知っているだろうからな」


 キースの言葉に、アメリアは驚いて顔を上げた。今、キースは「カレル」と随分親しげに呼んだ。

 疑問は表情に出てしまったのだろう。キースはそれに気づいてああ、と口の端を上げた。


「あいつはたった一人の、かわいい甥さ」


 アメリアは思わず目をみはる。


「まさか国王陛下のご兄弟なのですか」

「なわけないだろう。母親の方だ」


 呆れたようにそう返して、キースはとんとんと中指でテーブルを叩いた。


「それより、国を出る方法を考えないとな」


 アメリアは咄嗟に強く首を横に振った。


「カレル様が、私を逃がしたせいで苦境に立たされているかもしれません。私だけ、逃げることなど……」

「じゃあ、どうする。もう一度戻るか? それこそあいつの行為が無駄になる」


 冷静に切り返されて、アメリアは言葉に詰まった。テーブルの上の拳を、ぎゅっと握り締める。


「……せめて、ご無事を確認するまでは」


 ややしてそう答えると、キースはやれやれと大きく息をついた。


「分かった。調べてやるよ。分かり次第ここを発つんだぞ。いいな」



◇◇◇



 翌日、やはり王宮の兵士が教会へ押しかけてきた。


「誰も匿っていないと言っているだろう。しつこいぞ」


 舌打ちをしながら、キースは背丈ほどもあるメイスを自在に操り、一人、また一人と昏倒させていく。

 騎士の如き風貌に違わぬその腕に、建物の陰に隠れて盗み見をしながら、アメリアは何度も舌を巻いた。


 夜更けになると、カレルの状況を探りにキースは教会から出掛けていった。

 アメリアは屋根裏部屋で息を潜めて待つことしかできない。一緒に行きたいのが本音だったが、キースに待つように言われ、また、今度こそうかつな行動はしまいと心に誓ったこともあって、アメリアはじっと耐えた。


 キースは、すぐに戻ってきた。屋根裏に続く隠し階段を、荒々しく下ろす。


「アメリア、降りろ」


 下を覗きこむと、キースは異様なほど厳しい表情をしていた。アメリアの胸がざわついた。

 階段を下りたアメリアの脇を通ると、キースは部屋の奥に立てかけてあった愛用のメイスを手に取った。


「どうされたのですか」

「クーデターだ」

「……今、何と?」


 アメリアは耳を疑った。

 キースは立ち尽くすアメリアに、歩きながら話す、と言って、急ぎ足で部屋を後にする。アメリアは慌てて後を追った。


「遠征に出掛けていた第一王子のナイジェルが兵を率いて戻ってきた。国王を離宮へ幽閉し、王宮を占拠している」

「……カレル様は!?」


 悲鳴のような叫びをあげると、キースは唇を噛み締めた。

 礼拝堂の扉を開けながら、キースは低い声で答えた。


「投獄され、処刑待ちだ」


 アメリアは鈍器で思い切りなぐられたような衝撃を受けた。思わず歩みが止まる。声が喉にはりついて、言葉にならない。


「カレルはお前を逃がした罪に問われたが、国王はその罰について先延ばしにした。レーリスとの交渉はこれからで、あくまで同盟は継続したいというのが国王の考えだからな。カレルに交渉に行くよう命じ、結果を出せとおっしゃった。国王も、カレルには期待しているんだ。それに不満な反対派が、ナイジェルを担ぎ上げ、ついにことを起こした。大方、下準備は前から済んでいたんだろうがな」


 礼拝堂の中を進みながら、キースは苦々しく言い捨てた。祭壇の前までくると、一度膝をついて祈りを捧げる。低頭して黙し、やがて立ち上がると、礼拝堂の入り口で立ち尽くしたアメリアの前まで戻ってくる。


「この教会とも今日でお別れだ。今すぐにお前を安全なところまで連れていく」


 今日でお別れ。つまり、自分も戻ってくる気はないということだ。


「……キース神父は、どうされるのですか」

「お前を送った後、カレルを救いに行く。妹の大事な忘れ形見だからな」


 その瞬間にアメリアは決意した。


「私も一緒に行きます。カレル様のために、私も戦います」

「……邪魔だと言ったら?」

「レーリスでは騎士団に所属していました。ご迷惑はかけません」

「死ぬかもしれないぞ。俺も、お前を助けてやる余裕はないかもしれん」

「死にません。カレル様を救うまで、何があっても」


 決然と言い放ったアメリアに、キースはにやりと口の端を上げた。


「いい覚悟だ。気に入った」


 ほっとしてアメリアは息をついた。すぐに気がつく。武器が必要だ。今持っている短剣では、戦うには不十分だ。


「剣を貸していただけますか」

「ああ、こっちだ」


 急ぎ足で身支度を整え、二人はカレルの元へ向かった。



◇◇◇



「カレル様!」


 たった一日で、この場所へ戻ってきた。必死の思いでアメリアは鉄格子へ指を絡めた。

 背後ではキースが、昏倒させた衛兵から鍵束を探している。


「……アメリア」


 薄暗い闇の中で、信じられないという表情でカレルは力なく首を横に振った。


「何故きたんだ」

「ここから逃げましょう」


 鉄格子を挟んで見つめあう。カレルはひどく苦しそうな表情をした。


「どうして国を出なかった」

「お前を助けるためだろうが」


 鍵束を見つけたキースが、アメリアを押しのけて錠前に鍵を入れた。

 カレルは非難の目をキースに向ける。


「伯父上、どうしてアメリアを逃がしてくれなかったのです」

「本人が嫌だと言うんだ。仕方がないだろう」

「だからといって!」

「ああ、うるせえな。助けにきてやったのに何だその言い草は。ほら、早く出ろ」


 キースは面倒くさそうに言って、カレルの体を拘束していた縄を解くと、腰に掛けていた長剣をカレルに渡した。

 牢から出たカレルの姿に怪我がないのを確かめて、アメリアは心からの安堵の息をついた。


「ご無事で、本当に良かった」

「アメリア……」

「おい、話は後だ。とにかく逃げるぞ」


 キースの声に、アメリアは改めて唇を引き結んだ。三人は建物の外へと急ぐ。


 外に出ると、衛兵と騎兵がずらりと彼らを待ち構えていた。


「さすがに、二度も簡単に逃がしてはくれないか」


 そう言ったカレルは、しかし不敵に微笑んでいた。


「突破しよう。アメリア、俺の後ろに。行くぞ」


 短く言ってもうカレルは走り出していた。アメリアはその広い背中を追いかける。

 三人は素早く、一点のみを集中的に狙って兵士をなぎ倒していった。


「逃がすな! 追え!」


 騎兵たちが馬の首をこちらに回した。と、キースが一人立ち止まり、カレルとアメリアに背中を向けた。


「俺がここで食い止める。カレル、アメリアを連れて逃げろ」

「キース神父!」


 立ち止まってアメリアは叫ぶ。同じくカレルも立ち止まったが、彼は何も言わなかった。


「お前はこの国に必要な人間だ。行け、カレル」


 その表情は見えずとも、背中から静かな気迫が伝わった。もはや止めても無駄なのだろう。


「……伯父上、信じています」


 その言葉に、キースは肩越しに振り返った。にやりと笑ってカレルに応える。


「当たり前だ。俺を誰だと思ってる。必ず後を追うから心配するな」


 カレルは強く頷いた。


「キトの丘に、手掛かりを残します」

「ああ、分かった。行け!」


 それを最後に、カレルはアメリアの手を取って走り出した。



◇◇◇



 第二王子の逃亡は、表沙汰にされることはなかった。


 国王は廃位され、第一王子のナイジェルの即位式はすぐに行われた。新国王はレーリスとの同盟を破棄。偽王女を送ったことを理由に宣戦布告をした。

 しかし、新国王に反発する勢力もやはり残っていた。彼らに余計な希望を与えぬように、カレルのことは、混乱のうちに命を落とした、と広められた。当然、秘密裏に行方を捜して殺そうとするつもりだ。


 クーデターの日からちょうど一週間。カレルとアメリアはアルフォルムの国境を越えようとしていた。


「アメリア、お前はここまでだ。このまま、国へ帰れ」


 身を隠すように深い森の中を進んできた。森を抜ければそこはもうアルフォルムの国土ではない。

 森にはちょうど午後の陽光が差し込み、木々の隙間を明るく照らしていた。その光に包まれながら、カレルは言った。


「約束する。必ず父上を救い出し、本来のアルフォルムを取り戻してみせる。レーリスとの同盟関係を修復し、不必要な戦は止めさせる。どうかそれまで耐えて欲しい」


 すべてを奪われてなお、カレルの誇りは、本物の輝きは、決して傷つけられはしないのだ。アメリアはそのことに深く感動しながら、決意を込めて思いを告げた。


「偽者だと看破された私を、国は許してはくれないでしょう」

「それは……。だが、今のアルフォルムにいるよりは安全だ。頼れる人間はいないのか?」

「残念ながら。ですからどうか、カレル様のために働かせてください」


 カレルは驚き、首を横に振った。


「駄目だ。これ以上危険に巻き込むわけにはいかない」

「国に戻っても危険です。同じ危険なら、カレル様の側でお役に立ちたいのです。カレル様、どうか私を従者にしてください」


 引き下がらないアメリアに、迷った様子のカレルはやがて言った。


「……女連れでは、目立つ。だから駄目だ」


 それが本心でないのは明らかだった。そう言えば、アメリアがあきらめると思ったのだろう。

 アメリアは無言で腰の短剣を手に取った。


「アメリア!」


 カレルが制止の声を上げた時にはもう、アメリアの髪はばっさりと斬り捨てられていた。

 長い金色の束を、アメリアは未練なくその場に捨てた。


「これで、男の服を着れば、すぐに女とはわからないはずです」


 にこりと笑ったアメリアに、カレルは絶句していた。


「カレル様、私を従者にしてください」

「…………」

「お願いします。カ――」


 言葉の途中で、不意に体を引き寄せられた。広い胸に受け止められる。一瞬でアメリアの頭の中が真っ白になった。


「馬鹿だな、本当に……」


 カレルの大きな手が、ゆっくりとアメリアの髪を撫でる。

 すぐ側にカレルの吐息を感じ、アメリアの心臓が早鐘を打つ。心がめちゃくちゃに乱れ、アメリアは声を上げることもできなかった。


「美しい髪の、責任をとらないといけないな」


 そう言ってカレルはゆっくりとアメリアをその身から離した。

 アメリアは熱くなった頬を隠すようにうつむく。カレルに見えないように小さく深呼吸して、必死に自分を落ち着かせた。


「アメリア」


 優しい声色に、アメリアは顔を上げた。


「一緒に行こう」

「カレル様!」


 目前の世界が急に輝いて見えた。


「ただし従者ではなく、共に戦う仲間として」


 カレルは微笑み、ゆっくりとその手を差し出した。


「一緒に行こう、アメリア」

「はい……!」


 手のひらを重ね合わせる。カレルの温もりが伝わった。


 ここに、希望がある。

 それがあればきっと、どんなことでも乗り越えられる。そう思った。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 他の作品と毛色が違うので、少し不安になりながら読んだらとても良かったです!キャラクターに好感が持て、一生懸命応援したくなる話でした。続きも見たいです!!
[一言] この後どうなってしまったのか、気になります。 できれば続編を希望します! 気長にお待ちしています!!
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