第三章:フレンドラブルへの誘い
午後の授業も残り一科目。休憩時間に廊下にいた俺は、いそいそと男子トイレに向かっていた。べつにションベンじゃない。四限の家庭科で教科書に載ってた、クラムチャウダーを猛烈に食いたくなったから、これから親にリクエストするのだ。
どうやってかって? 文明の利器を使うのだよ。
「おい、貴様」
振り向くと完全無欠の生徒会長と、サポートプロフェッショナルの美人副会長がいた。
無言でたたずむ超絶美人(近くで見るとなお美しく脚がとてつもなく長い)の横で偉そうに佇む完全無欠様(こっちは仁王立ちが良く似合う)。その黒い瞳の半径三メートル内には俺しかいない。
ていうか、初対面に貴様って。
「校内校則は把握しているか」
「まぁそれなりには」
「では、校内校則第四十三条により、校内でのスマートフォンの持ち込みは禁止されていることも知っているな」
凄まじい闘気を放出すると視線を俺のズボン右ポケットにロックオンして
「だせ」
「はい」
凄みのある二文字だった。
さっきあんな話を訊いたあとにこんな形で会うとは、俺の第一印象は最悪だろうな。
クラムチャウダーのことなどとうに忘れた俺は、少しでも印象をよくしようと傾斜角度十五度の一礼をして、早々にエスケープ、したのだが
「待て」
呼び止められる。まだなにか用ですか。
「貴様は確か……一年三組の……ジュンだな?」
確かにジュンとは俺のことだが、貴様の次は苗字ではなく下の名前、ジュン呼ばわりときたもんだ。
仮に苗字を知らないとしても普通は、なになにさん、なになにくん、と付けるものではないか? と、若干不快に思いながら
「そうですけど、生徒会長ともあろう方がいきなり呼び捨てすか? 俺の名前は、む――」
「いや、いいわかっている」
自己紹介すらさせてもらえない! つか知ってんのにジュンかよ!?
あぁもうどうでもいいや、と呆れ半分に耽ってたジュンこと俺をよそに冷炎(ジュン呼ばわりしてんだから心の中で一回くらいいいよな)こと会長は
「それより……美零、わかるか」
「はい、会長」
「うむ、ならばそうなのだな」
呼び止めた人間を無視して、超人二人による万人が理解不能な、超人的意思疎通を見せた後、こいつは、真堂冷火は自信に満ち溢れた表情をつくり、
そして、力強くこういった。
「貴様に我がサークル、フレンドラブルへの入部を申し立てる!」
後光の光がそいつを照らした。
なんだって?
このとき俺はなにもわかっていなかったが、
真堂冷火という女が、いかにして完全無欠かを知る、これは序章だったのかもしれない。
もし周りに、変な二つ名を名乗ってるやつがいたら、まずむやみやたらに近付かないほうがいいだろう。
特に他人だけならまだしも、自分自身でそんなことをいってるやつは、ただの馬鹿か、なにかあるかだ。
こんなことをいう俺はつまり、近付いてしまったのだ。
馬鹿ではない完全無欠の生徒会長、真堂冷火に。
翌日の放課後、俺はまたしてもある場所へと向かっていた。
昨日みたいにトイレじゃない。携帯は昨日没収されたからな、明日返してくれる、つまり三日も没収だ。
スマホがないと不便極まりないのは、もはや現代社会の周知の事実で、親にメールもできない、電話しようにも誰の番号も覚えてない、スマホゲームもできない、目覚まし機能も使えないから押入れ探しても目覚まし時計もないので買いにいって財布のお金もない、元村からは、近くに本屋がないから代わりにグラビア本買ってきてくれと昨日メールしたのに買ってこなかったのか馬鹿やろう、とか意味なく怒られ俺のテンションも限りなくない。さぁ俺は、ないを何回いっただろうか。これがあと二日も続くのかと考えると、貧血気味で体力もない、こともないが、不安ではあるよな。おぉ初めて、あるを使った気がする。でも意味ないか、これで合計十四回ね。現代人がどれだけ携帯依存症かを痛感したね、俺は。
そんな、ないない携帯話などおいておくとして、
昼休みに元村と鈴原さんに昨日の話をしてやると、
「そりゃぁお前、すげぇことだぜ!」
「ほんとだよ! いいなぁジュンくん。わたしも入りたい」
ちなみにこいつらも俺のことをジュンと呼ぶ。
苗字が呼びにくいということなので、入学以来そう呼ばれている。初対面でない限り(マナーとして)べつにどっちでもいいんだが、下の名前で呼ばれると多少のむず痒い気持ちになる。
中学まではずっと苗字かニックネームだったからなぁ、ま、時期に慣れるだろ。
ところで、なぜこいつらは、このように羨ましがってるのかというと、俺の悲劇な没収話とないないスマホ話など一切無視して、生徒会長様様がお創りになられたとされるサークルへの勧誘を、会長自らの指名で受けた、初らしい人物を見て興奮しているからだ。
そんなに凄いものなのかねぇ、生徒会長のサークルとやらが。
「そりゃお前、すげぇさ! あのサークルは入部を受け付けてねぇんだよ。今年何人かが入部を希望したらしいが全員だめ、『貴様には荷が重い』の一言。二人で仕事を全部やっちまうからな、あの人たちは。人数増やす意味もないし、分担されてもこなせるやつもいない」
なるほど、学生大多数憧れの完璧超人二人が運営するサークルとだけで興味がそそられるだろうに、他生徒の入部を拒否し続けるサークルとは。
最低人数必要な部活動とは違いサークルなので無問題とはいえ、いやはや。
そんなに入部希望者が多いなら部員増やして正規の部活動へと昇格しちまえばいいのに。
超人さんの考えは良くわからん。
こいつらも落とされた一人だったりしてな。
「ちちちがうちがうよ! えっと、わたしの友だちがね、そういってたの! ねっ、もっちゃん?」
「そそっ、そうだぜ! 俺もつい最近、ダチからきいたんだって!」
その友だちとは、互いのことをいってるんじゃなかろうか。
鈴原さんなんて、さっき「わたしも入りたい」っていってたし。嘘でもほんとでもどっちでもいいんだが、ふむ、そこまで人気のあるサークルとやらも珍しい。
会長、副会長のファンクラブ会員による過大評価なのかもしれないが。
サークルの活動内容について詳しく知りたいと懇願した俺に、元村も鈴原さんも「それは」と顔を突き合わせて
「いえねぇなぁ」
「いえないよねぇ」
ウザイほど似た者夫婦っぷりを見せつけてくれやがった。
「わたしたちがしゃべっちゃうより自分の目で確認したほうがいいと思うんだよね」
正論がにんまりスマイルに乗せて跳んできたので、なにもいい返せず、六限まで一人でもやもやムヤムヤ頭をカリカリ、授業も訊かず考えた結果、
「生徒会室かぁ」
今こうして、第一生徒会室と書かれた扉の前に立っているというわけだ。
生徒会室なんて見慣れない文字に、やや緊張。深呼吸を一つ。
すーっはぁー。
二回ノックして「失礼します」、ノブを回した。
中には、五十センチくらいの山のような資料を、ときにはじっくり、ときにはパラパラ眼を通し、四つの小山に分別していく会長と、パソコンをダダダダと、コンピュータ会社の社員顔負けな高速ブラインドタッチを披露する副会長が在席していた。
うわぁ……仕事現場にしか見えねぇ。
「うむ、来たようだな」
俺を一瞥すると、分別作業を終了した会長様。
合計三百部以上はありそうな紙山が、むやみに脳内の、だらけ細胞を活性化させる。
俺はため息をもらした。
「あのですね」
「しかし、遅刻だ。あと五分遅れていたら置いていくつもりだったぞ」
まるで来るのが至極当然かの主張である。
「今の今まで忙しそうに仕事してただろ」
「これは明日の仕事だ。貴様があまりにも遅かったのでな、人々に平等に配分された貴重な時間を、少しでも有効活用したのだ。うむ、おかげで充実した二十分を送ることができ、なおかつ、明日の仕事が随分楽になったぞ。こんなことは久しぶりだ、貴様に感謝せねばならんな」
超が付くほど前向き。
高校生に同じような台詞をいう人がこの世界にあと何人いるだろうね。大人でも印象付けの為に極少数がたまぁーに使うくらいだろう。
会長さんは理由なく心底そう思ってそうで、ちと怖い。
「そりゃどうも」
「会長、彼が来られたのなら、あの件を」
いつの間にか彩援さんは高速タイピングを終わらせ、ノートパソコンを閉じていた。
あの件とはなんだろう。
そういや会長さんが、置いていくつもり、とかなんとかいってたが。
「うむ、そうだな」
会長さんはわざとらしく咳払いをする。
「本日は最重要要綱なのだ。美零、時間は間に合いそうか」
「はい、会長」
実に秘書らしい言葉を告げる彩援美零さん。
「では、行こうぞ」
「はい、会長」
どうやらそれが口癖らしい。
いやいやそうじゃない。俺が五限まで考えて、出した結論をいわないと。
胸を張って、会長をじっと見た。
「悪いけど俺は今日、会長の誘いを断りに来たんだ」
「こっ、断るだと?」
会長さんは眼をあんぐりしている。
きりっとしている彩援さんも眼だけはどことなく驚いているように見える。
「まさか、すでにどこかへ入部を決めたのか? 剣道か、弓道か、相撲か、茶道部か?」
「どうして和を重んじるスポーツ限定なんだよ! まだどこも入部してねぇけどさ、一応これから野球部に入ろうと思ってるんだよな。中学からアホみたいに続けてたスポーツだし。っていってもずっと補欠だったけどな」
「おぉそうか。我がサークルで、貴様の球技に対する熱き想いを魅せてくれ。我は熱き人間が大好きだ。冷たき人間も多少は好きだがな、温めでもいい」
…………訊いちゃいねぇ。
野球って単語のみに反応してんじゃねぇよ!
全部好きなんじゃねぇか!
果たしてどっちを叫んだら負けなんだろうか? 誰でもいい、教えてくれ。
「おぉすっかり忘れていた!」
勝手に話を進めやがるし。
「最重要要項についてなにも説明してなかったな! いや大したことに実はもう一人素晴らしい人材を見つけたのでな、これから会いに行く。その者、天草しいなという若い女。しなやかな肉体にピューマのような脚、カンガルーのようなバネ、陸上部で期待されている以上の器だな。顔つきはほどよく愛らしく、なおかつ気高さと気品に溢れている。我としたことが見惚れたわ。とてもよい女だったぞ」
「何が、おぉすっかり忘れていた、だっ! 最重要要項だとか天草しいなって女がどんなやつかなんてかなりどうでもいい。のろけ話も同様、興味もなければ訊きたくもない。俺が今、ここにいる理由はただ一つ、入部を辞退するた、め、だっ」
俺はいった、いってやった。この口ではっきり入部辞退をいってやったぞ。
これでまんぞ――
「貴様、天草しいなと肩を並べると申すか。ふふっ……それこそ、我の見立て通りの男ぞ」
――く、なはずないですよねー。
だめだ……話通じねぇよこの女。
俺が半分お手上げ状態になりつつどうにか流れを変えられないかと模索していると、ぐちゃぐちゃだった机を被っていた紙やペン類を、資料は机端へ、ペンは色別に筆入れへ、数秒できちんと直した彩援さんが生徒会室と書かれた鍵を持ち、会長を促す。
「会長、事は急を要しますので、歩きながらお願いします」
「そうだったな済まない。では、任務開始だ」
会長さんが歩き出し、彩援さんも後を続く。
「て、おい!」
話が全く終わってねぇぞ! の言葉は華麗にスルー。俺は二人を追うしかない。
道中、俺の否定の言葉をずばずば切り落とす、こともなく、全てを寛大に受け入れ、全てを自分の良いようにポジティブに解釈する生徒会長。
その横を秘書レベルマックスの副会長がハイヒールを履いたモデルみたいな直進で一進乱さず歩く。
二人ともオーラからして高校の制服を着た二十代前半にしか見えねぇよ。
三分ほど歩を進めたところで立ち止まる。
そこには一枚の扉。
会長がドアノブに手をかけ、がちゃがちゃ。鍵がかかっているようだ。
「扉を」
「はい、会長」
秘書風の美人女子は、どこからか取り出したピッキングに使うっぽい銀色の鉄の棒を、鍵穴にぶっ刺し、またもやピッキングっぽく十秒くらいガチャガチャいわせてから、やっぱりピッキングをやってのけ、施錠を解除した。
驚きもせず中に入る会長、続いて秘書、俺はその後を付いていくしかない。
そこは昼休みに音楽を掛けたり教師が生徒を呼び出す場所、放送室。
当たり前だが俺たち以外は誰もいない。
彩援さんが、ぱたん、と扉を閉めた。
「こんなとこ来て、鍵まで無断で開けて……つーか生徒会長なんだから鍵くらいどっかから借りてこいよ」
「んなっ! なるほどその手があったか……さすが我の見込んだ男。校内校則第七十三条を破る必要もなかったというわけだな」
阿保の子なのか?
「いや、まず真っ先に思いつくだろ」
「そうなのか? ふははっ我としたことが思わぬ失策をしたものだ!」
「校則を侵す瀬戸際を上手く回避した苦肉の策でしたのに……」
完璧な阿保の姉妹であった。
「彩援さん、全くもって回避出来てないです」
本気でいってるんだろうか? いや……本気なんだろうな、完全無欠の生徒会長も、サポートプロフェッショナルの副会長も、二つ名通りだとしたら、間違いなく。
弘法も筆の誤り、というやつなのか?
そういうことにしておこう。
「ふははっ美零! 誰にでもミスはある! 気にするでない」
「あぁ寛容な会長のお言葉にわたくし、感無量です」
あぁ……誰も突っ込まない限り、永遠にこの光景が続きそうな気がするな……。
「んで? 校則破ってまで――」
「破る瀬戸際……」
彩援さんの瞳がギラリと光る。
「……瀬戸際までやっといて、わざわざどうする気なんだよ」
「なに、こうするだけだ」
いって真堂冷火は校内放送に使うであろうマイクに顔を近付け、ただでさえ強みのある眼力を二乗にし、黄色のビニールテープに黒色のまるっこい字で『校内放送』と書かれたスイッチを、オフからオンに切り替えた。
「生徒諸君、貴様らの貴重な放課後に失礼する。生徒会会長、真堂冷火だ。これより生徒会会長権限を持って命ずる。一年三組、女子、天草しいな! 我はお前を必要としている、必要としているのだ! 十分以内に、第二生徒会室へ来るように。もう一度いうぞ。第二生徒会室に十分以内だ。我はお前を必要としている、とても愛している! 以上!」
いい切ると、スイッチをオフに戻し、雌のハートを射止めたライオンみたいな笑顔になった。
生徒会会長権限といえば、『これは教師と同等の権限を持つ。この権限は生徒会会長のみが使用することを許されている』と学生御用達である生徒手帳にしっかり記載されるという無茶苦茶なおそらく我が校のみに存在する校則(元村の説明により記載を確認済み。校長の推薦と投票により校則化したらしい)。
なんとも、愛の告白……まではいかないけど意味深だな。
天草しいなという女んとこへいくんだろうなとは思ったけど、まさかここまでやるとは。普通に呼び出せばいいのに。直接会いに行くとか。
「お前……」
「どうした? はっ、もしや! 貴様もようやく天草しいなの魅力に気づき、我に嫉妬したと申すか!」
「どうすれば見たことも訊いたこともない人間に魅力を持つんだよ! それに俺は天草しいななんて女に全く好意を持ってない、仲良くなる気もない、知りたくもない、興味すらない!」
「ふふ、そう油断させておいて、我を出し抜こうというのだな……全く天晴れな男ぞ」
なんだこいつ。
鼓膜と言語置換能力と空気察知機能の全部がイカれてるとしか思えねぇ。
「どう解釈したらその回答に結びつくのかを、四百字詰め原稿用紙五枚以内で説明してほしいぜ」
「むっ、我に課題を提供するとはさすがだな。我は課題というものが大好きだ! 課題をこなすことイコール、その分だけ成長できたということだからな。我はどんな課題もを必ずやクリアして更なる高みを目指す、それこそ我の生き甲斐だ」
真堂冷炎は満面の笑顔で晴れやかだ。良い名言ぽいとこがちょっとかっこいい。
イッツポジティブ! まさしくポジティブキング!
ポジティブが二百二十度くらい回転して、鬱陶しい限りである。
「……お前ってさ」
「我がどうした?」
「馬鹿だろ」
薄々感じていた何かを、つい、ぶちまけてみた。
「馬と鹿か、なるほど。我を美しき動物に肩を並べる人間といいたいのだな。あまり褒めるでない、次の生徒会長を貴様にしてしまうではないか」
全く怯む様子をみせない、太陽光に咲く向日葵のような笑みでいうポジティブウマシカ会長。
…………突っ込みたいことは山ほどあるが、ほんとに生徒会長にされたらたまったもんじゃない。会長職なんてもっての他、俺は平凡に陰ながらひっそり生きていきたいんだ。
それにさっきから彩援さんから殺意の念が送信され続けているような気がしたので、こう告げることにした。
「ととととにかく、天草しいなを呼び出したのなら、もうここにいる必要はないよな!」
「おぉ、そうだな。我も早く、天草しいなをこの眼に焼き付けたい。行くぞ、美零」
「はい、会長」
なにかの危機を回避したことに胸を撫で下ろす瞬間だった、のかもしれない。