983 このままにはできない
リーナ達は別々の馬車に分かれて乗り、チャリティーハウスに移動した。
黒塗りの馬車は軍用かついかにも堅固といった感じで、窓に鉄格子が嵌っていることもあり、リリー達は警備隊に連行されているような気分になった。
だが、リーナ達の馬車も全く同じに見えたことが救いでもあり、驚きでもある。
チャリティーハウスは炊き出し日とはうってかわって静かだった。
警備や施設管理の者がいるが、人員が圧倒的に少なくなっている。
来賓用の応接間に移動して関係者がソファに座ると、早速リーナが口を開いた。
「移動してくれてありがとうございました。個人的には私と皆だけで話をしたいのですが、夫や兄も同席したがって……他にも立っている人がいますが、気にしないで下さい。くつろいでくれて構いませんから」
リーナは少しでも安心させたくてそう言ったが、リリー達は無理だと感じた。
夫はどう見ても怖い。
室内でもマフラーを取らないのは、顔をあまり見せたくないからだと思える。
兄は優しそうではあるが、立場の違いを感じずにはいられない。
その上、護衛達が部屋の中に立っているような状況だ。くつろげるわけがなかった。
「まずはリリーとロビンから。本当に会えて良かったです。おかげでみんなにも会えました。ご結婚おめでとうございます!」
「ありがとう。リーナにそう言って貰えて本当に嬉しいわ!」
「リーナも結婚おめでとう」
「ありがとうございます! それでですね、孤児院を出た後のことですが……」
言いにくくはあるが、言わなければならない。
一番信じて貰えるのは自分であることをリーナはわかっていた。
「詳しく聞きたいのですが、今日は時間が限られていて……そこで、今の状況やこれまでの状況をまとめて紙に書いて貰えないでしょうか? それを参考にして求人への応募書類を作成しようと思うのです」
これは基本的なことだ。重要なのはその先だった。
「でも、紙には書けないと思うこともありますよね。絶対に秘密にするので、ここでこっそり教えていただけませんか? とても重要だと思うこと、困っていること、借金でも違法行為でも、とにかく何でも構いません。皆の力になりたいのです。私を信じて貰えるならお願いします!」
リリーはロビンを見つめた。
「リーナを信じましょう」
「わかっている。ちゃんと話すよ。デナン達も知っていることだ。リーナなら話せる」
ロビンは借金があることを話した。
借金を抱えてしまった理由も全て。
「酷いです! 勝手に内容を付け加えて違反だなんて!」
リーナは叫んだ。
冷静に話を聞かなければいけないとわかってはいたが、無理だった。
「そもそも、できるだけ早くリリーと結婚したがっていたロビンがそんな契約を知っていて就職するわけがありません! その店は悪辣です!」
込み上げる怒りと悲しみが言葉になって溢れ出す。
「でも、雇用契約書がある。どうしようもない。僕の落ち度だ」
雇用契約書の内容が勝手に追加されていることを証明できない。
店にも同僚の中にもロビンの味方をしてくれる者はいない。
雇用契約書に書かれた署名もしるしもロビンのものだ。
「大変だけど、必ず働いて返す。リリーのためにも犯罪には絶対に手を染めない。誘われても断っている」
「……誘われるのですね」
「借金があるせいか僕は多い方かもしれない。デナンは警備の仕事をしているのもある」
借金があるロビンはできるだけ収入を増やすため、残業や連続勤務をするようになった。
別の店で働くデナンはロビンを気遣い、できるだけ時間を合わせて一緒に帰るようにしていた。
そんなある日のこと、二人は強盗に遭遇した。
強盗も二人組だったために正当防衛で応戦し、捕縛して警備隊へ引き渡した。
それから二人には良くも悪くも様々な誘いが来るようになった。
中には好条件の就職話もあったが、今の勤め先との契約がある。
契約破棄による違約金や報復等を懸念し、二人はずっと転職することができなかった。
「僕は借金を返さないと身動きが取れない。でも、デナンはようやく来年からフリーになる。警備や護衛関係で雇ってくれると喜ぶかも。リーナも知っているだろうけれど、デナンは真面目で責任感も強い。しっかり仕事をしてくれるよ」
ロビンは自分ではなくデナンを売り込んだ。
「ピックは性格的に荒事には向いていないと思う。紹介してくれるのであれば日勤の仕事にして欲しい。余計なお世話だとわかっているけれど、弟のように想っている。できるだけ危ない仕事はさせたくない」
ボスは自分よりも年下の者達を弟や妹のように思って世話をしてきた。
だからこそ、その子分であるロビンもまたその志を受け継ぎたいと思っていた。
「ハイジはとても面倒見がいい。本当は託児所に勤めたいのに雇って貰えない。口利きをしてくれたら嬉しい」
孤児院で育っただけに子供の面倒は見慣れている。
ハイジは託児所に勤めようと思ったが、孤児に子供を預けるわけにはいかない、評判が悪くなるなどといって断られてしまうのだ。
「ジゼは明るくて声が大きいから売り子に向いている。リーナの後、花売りの仕事を頑張ってしていたよ。頭の回転も良くてすばしっこい。小間使いとして住み込みができればと僕は思っている」
ロビンは懸命に話した。
共同生活をしている者達とは家族のように長い時間を共にしてきた。
だが、それぞれの人生がある。共同生活自体も解消になる予定だ。
ならば、せめて良い職につけるように、少しでも口添えしたいと思った。
「さすがロビンです! 皆のことを想っているのがよくわかります。でも、私はロビンとリリーのことも聞きたいのです。借金はいくらですか?」
ズバリ、聞いた。
ロビンは呻きたい気持ちを必死に抑えながら声を絞り出した。
「五百万」
息を飲む者が多数。
隣に座るリリーもその一人だ。
貧民街に住む者にとっては間違いなく大金だ。
「でも、百万ちょっとは返した。残りは四百万以下だ」
「念のために確認しますけれど、ギニーですよね?」
「ギールかって? さすがにそれはない」
ギニーかギールかを明記しないことで、ギニーだったものをギールに差し替えるという騙しの手口がある。
そうやって支払い金や借金を百倍に増やすのだ。
「そうですか。凄いですね! 百万以上返しているなんて!」
え?
そっち?
借金額が凄いってことじゃなく?
ロビンも他の者達も仰天した。
「実は私も一時期借金を抱えていました。節約しているのに借金が増えてばかりで辛かったです。でも、ロビンは少しずつ返せています。私よりずっと凄いです!」
「そ、そうだったのか」
「リーナが借金だなんて……」
後宮に就職をしたリーナはそれだけで成功したかのように思われていた。
だが、実際は借金を抱えて苦労していた。
「リーナは大丈夫なの? ちゃんと返せているの? まさか、結婚して返したとか……」
借金を肩代わりして貰う代わりに結婚することもある。
それで借金苦を逃れても、馬車馬のように働かされる生活が待っていることも珍しくない。
リリーはどうなったのかを気にせずにはいられなかった。
「あ、まあ、夫が払ってくれたのですが、当時は違ったというか……」
詳しくは言えない。それは間違いない。
リーナは焦った。
「と、とにかく心配するようなことはないですよ! もう大丈夫です! 夫のおかげで幸せです!」
リリーにはそう思えなかった。
何か隠しているのは明らかだ。余計に心配になった。
しかし、リーナの言葉を信じたくもある。幸せであって欲しい。
「私のことよりもリリーのことです! 言いにくいこととかありませんか? ロビンも話しましたし、正直に話して下さい」
「私は別に……」
本心を言えば、リリーはリーナだけに打ち明けたい話があった。
ここでは言えない。
リリーナ同士だけの話だからだ。
「嘘だ」
ロビンが言った。
「リリーは花街で働くつもりだ。一緒に止めて欲しい。リーナに言われれば考え直してくれる!」
「別に何も決まっていないのよ。ただ、すぐに見つからないようなら花街でちょっとした仕事をするのもありだと思っただけでしょう?」
「ちょっとのつもりが、そのまま深みにはまってしまう者が多くいる。誰でも知っていることじゃないか!」
「本当にちょっとだけにすれば」
「世間知らずだ。用心していたって、騙されてしまう者がいっぱいいる。それが花街だ!」
「そうです。花街は危険だとボスも言っていました」
注意していたはずのロビンも多額の借金を背負う事態になってしまった。
やっぱり危険な場所なのだということをリーナは改めて実感した。
「リリーは幼い頃、両親と普通に暮らしていましたよね? 孤児院でもずっと内職担当でした。そのせいで知らないこともあるはずです」
「でも、外に行かないと」
リリーは強くならなければと思った。そうしなければ、二人で生きていけない。
ロビンが借金を抱えているのであれば、力になりたい。支えたい。
愛しているのだから。
「リーナだっていきなり知らない所へ行って、就職先を決めてきたでしょう? 後宮って凄く遠いはずだわ。きっと、こことは全然違うのでしょうね。孤児のせいで辛い思いもしたはずだわ。借金だってあったわけだし。それでもずっと頑張っていたから結婚して幸せになれたのよね?」
「そうですけれど……」
「私も頑張らないといけないわ。何もしないで死ぬより、力を尽くして死んだ方がいいもの。できる限りのことをしたいのよ」
「それで倒れた。もう忘れている」
ロビンが説教をするように指摘した。
「もう平気ということよ。元気でしょう?」
「また仕事を始めて忙しくなったら倒れる。もっと体力をつけてからにしよう」
「私は孤児なのよ? どこかのお姫様のように扱わないで」
「僕にとってはお姫様だよ」
「ほらね、甘すぎるの。だから気にしないで。ロビンはいつだってこうだから」
それはリーナもわかっていた。
ロビンはリリーに甘い。それだけ深く愛している証拠だ。
「他にはないですか?」
「何を話せばいいのかよくわからないし、気になることは全部聞いてくれると助かるわ」
リリーナ・エーメルの件はクオンに任せることになっている。
そこでリーナは別のこと、食事について質問することにした。
「一日どの位食べていますか? どんなものを食べているというか」
「パンを食べているわ」
リリーはロビンを気にするように言葉を一度切った。
「何かと忙しいし、一食になってしまうこともあるわね」
本当は一食だった。常に。
「駄目じゃないか!」
ロビンが怒った。
「だって、働いていないもの。でも、どうしても辛くなったら食べるわ。パンがあるのに我慢して飢え死になんておかしいでしょう?」
「普通に食べていい! 僕が働いているだろう? パン以外だって買える!」
「でも、調理する場所なんてないじゃない。水はちゃんと飲んでいるわよ」
「それは食事じゃない!」
「ジゼがパンをくれることもあるの。失敗作を貰える番になると持ち帰ってくれるから。それがあるかどうかを確認してから食べたっていいでしょう?」
「辞めちゃったからもう貰えない。ごめんね」
ジゼはしょんぼりと肩を落とした。
「いいのよ。ジゼには本当に感謝しているわ。私の方こそ何もしてあげられなくてごめんなさい」
「そんなことない! 朝起こしてくれたり髪を結ったりしてくれるし」
「私にできるのはそれぐらいしかないから。食べ物が貰えるような仕事につければいいのだけど……」
自然とリーナの体が震えた。
かつての苦しい生活を自分は抜け出した。
だが、今もまだその生活はある。ここに暮らしている人々にとっての日常だ。
まずは炊き出しだと思った。そして、実行した。
でも足りない。圧倒的に足りない。
もっと何かをしなければならないという気持ちがリーナの中で膨らんでいった。
「辛いだろう」
リーナの手にクオンが手を重ねた。
「ここに住む者達の生活が厳しいのは事実だ。お前は私よりもずっとそのことを知っている。苦しみも増すはずだ」
そして、今の自分との差を思い知る。
辛い状況にいる皆に申し訳ない、自分は無力だという気持ちをリーナは感じるのはわかりきったことだった。
「深呼吸をしてみようか」
パスカルの助言に従い、リーナは何度も深呼吸を繰り返した。
「……すみません。皆に会えて嬉しくて浮かれていました。もう大丈夫です。私、ちゃんとわかっていますから!」
リーナは自身に言い聞かせるように強くはっきりと言葉を口にした。
今すべきこと、それはクオンに頼むことだ。
なんとしてでも皆の力になりたかった。
「大変な状況のようですので、早急に検討をお願いします! お忙しいのはわかっていますが、このままにはできません!」
「わかっている」
「どうかどうかお願いします! 私にできることがあれば、何でもしますから!」
クオンはリーナの頭を優しく撫でた後、対面側に座っている者達をゆっくりと見つめた。
リーナの友人であり、仲間であり、孤児の者達。
エルグラードの国民であり、貧しく苦しい状況を余儀なくされている者達でもある。
クオンが守りたい者、そして、守らなくてはならない者達だ。
「妻が苦しい時、支えてくれたことに感謝する。孤児は社会的にも弱い立場だ。辛い状況を強いられてしまうことが多く、生活が不安定になりやすいだろう」
クオンもリーナと同じ気持ちだ。
このままにはできない。
だからこそ、示す。希望ある道を。
「一人一人が持つ自分らしさや能力を活かして働けるようにしたい。それができれば、より強く確かな足取りで人生を進んで行けるだろう。私が与えるのは同情ではない。自らの力で向上する機会だ。採用条件は厳しくなるだろう。それでも嘘偽りのない書類を作成し、覚悟を持って挑むかどうかは自分で選べる」
クオンはパスカルを見つめた。
「担当にする。この件は直接だ」
「はい。わかっています」
クオンは腕時計を取り出して時間を確認した。
リーナが腕時計を愛用しているため、自分も懐中時計ではなく腕時計に変えたのだ。
「昼食は早めにしたい」
リーナの心痛を考え、昼食を理由に休憩にした方がいいだろうとクオンは思った。
「人数の都合上、二部屋に分かれて取ることになっております。移動していただかなくてはなりません」
「リーナは私と一緒だろうな?」
「勿論です。この者達とは別です」
「えっ! 私は皆ともっと話がしたいです!」
リーナがそう言うのは想定内だった。
しかし、現在の身分や状況を今の時点では教えないことになっている。
自由に会話ができるような機会を長く設けるのは得策ではない。
「夫の面倒を見るのは妻の役目じゃないかな? この者達とはまた会える。今は昔話を楽しむよりも、この者達の不安な状況をできるだけ早く取り除くことを優先したい。リーナも協力してくれるね?」
「……はい」
リーナは頷いた。
パスカルがリリー達の方を向く。
「わざわざ来てくれたのに、まだお茶も出していなかったね。でも、昼食にしたい。求人への応募書類についても説明する。年末だけに急いで書類を揃えたくてね。理解して貰えないだろうか?」
リリー達は頷いた。
「はい。大丈夫です」
「年末なのにお手数をおかけします」
「大事なことなので勿論」
「急いでくれるのはありがたいです」
「だね。早く次の仕事を見つけたいし!」
「よろしくお願いします!」
「リーナ達は第一団の部屋だよ。初めてここに来る者もいるから、リーナが案内してあげて欲しい」
「わかりました」
リーナはクオン達を第一団が使用していた部屋へと案内した。
すでにテーブルや椅子がセッティングされている。
同行している者達も同席だ。
しかし、
「お兄様の席は? オスカーの分もありません」
全員が座ったことで、空席がないことにリーナは気づいた。
「もしかして……リリー達と一緒に食べるのですか?」
「時間が限られておりますので、食事を取りながら応募書類についても説明するのではないかと。それよりもリーナ様、お食事の方をご確認していただけますでしょうか?」
リーナは給仕されたスープを見た。
「野菜と肉団子!」
炊き出しの時に配られたスープだ。
「炊き出し時の食事になりました。王太子殿下が味わってみたいとおっしゃられていたので」
場所柄もあって豪勢な昼食を用意するのは難しい。
弁当などを持参するか、チャリティーハウスの施設で作れるものにするかを考慮した結果、炊き出し時と同じメニューにすることになった。
「皆、ご馳走だって言っていましたよ。美味しかったので、また食べることができて嬉しいです!」
「私も嬉しい。温かい食事であるばかりか、希望していたものが出て来るとは思わなかった」
クオンは王太子だが、食事は圧倒的に冷えているものが多い。
執務の合間に取るだけでなく、毒見の関係もある。
だからこそ、温かい食事を取れることが嬉しい。
「貧しい者達は温かい食事を取りにくそうだ。食費以外にも燃料費がかかってしまう」
「台所どころか暖炉さえない家がいっぱいありますから」
「炊き出しの温かい食事は嬉しかったことだろう。その気持ちは私にも理解できる」
リーナは思いついた。
「野菜と肉団子のスープをチャリティーハウスの名物にするのはどうでしょうか?」
炊き出しの度にどんな食事にするかを考えるのは大変だ。
ならば、大勢の人々に喜ばれた野菜と肉団子のスープを毎回作って出す方がいいのではないかとリーナは思った。
「必ず美味しい食事が出るという評判が広まり、大勢の人々が集まってくれそうです。貧しい人々だけでなく、ボランティアの者達も」
「試してみればいい。だが、その前にこれを食べたい」
「そうですね!」
リーナとクオン、そして護衛達は熱々のスープを味わった。





