982 ボロボロのアパート(二)
「リーナ?」
「リーナよ!」
「マジかよ!」
「本人か?」
リーナに会っていない四人は信じられないと思いながら叫んだ。
炊き出しのこと、責任者がリーナだったこと、求人について確認してくれることになったこともリリーとロビンから聞いていた。
だが、話を聞くほど自分達との差を感じるしかない。
後宮に就職した後に何があったのかはわからないが、成功しているのは間違いない。
真面目で誠実で努力家なのは知っているが、成功した者ほど貧民街に来ない方がいいというのが常識だ。
なぜなら危ない。狙われやすい。金だけでなく命まで奪われかねない。
本人にその気がなくても見下しに来たのだろうと思われ、嫉妬や憎悪の対象になることもある。
恐らくは手紙で連絡が来る。
できることなら会いたい。どうしているのかも知りたい。だが、自分達とは関わらない方がいい。陰ながらリーナの幸せを願おうと話していた。
だというのに、リーナが来た。
炊き出しの二日後だ。
あまりにも早い。予想外。奇跡だ。
「本当にリーナなの?」
リリーは歓喜と不安に押しつぶされそうだと感じた。
ロビンも信じられなかった。
だが、曇り色のリーナだと名乗ったこともあり、恐る恐る鍵を外してドアの外を覗いた。
「……」
黙り込むロビンを後ろの方から五人が凝視する。
「ロビン、教えて」
「うん。でも」
「急に来てしまって申し訳ない。大人数でぶしつけなのもわかっているけれど、治安の悪い地域だから理解して欲しい。立ち話もどうかと思うし、中に入れて貰えないかな?」
男性の声が聞こえた。
「え、あ……ちょっと待ってください」
ロビンは困惑の表情で尋ねた。
「沢山いる。入れてくれって。どうする?」
「何人だ?」
「できれば八人」
外から男性の声がした。
「ギュウギュウだな」
「まあ、リーナだけってのは無理そう」
「一人でも八人でも見られたら一緒」
「確かに」
「椅子とかないけど」
結局、立ち話だ。
しかし、それでもいいということでドアを開け、招き入れる。
先頭にいたのは目つきの鋭い男性で、両手をマントの中に隠しているのは武器に手をかけているからではないかと思われた。
続いて二人大柄の男性達が入り、三人の男性に左右後ろを囲まれたリーナ、最後の一人はドアを確保するように立った。
リーナ以外の全身がほぼ黒い服装であることからいっても、リーナとその護衛達だと思われた。
「ドアを開けておいた方がいいかな?」
言葉を発したのはリーナの横にいた男性。金髪碧眼の美青年だ。
顔を全て見せているのはリーナとこの男性だけで、他の者達は全員が黒いマフラーで鼻までを隠していた。
「あ、えっと……」
「大家が来ると不味い」
「閉めて!」
「早く!」
「鍵を閉めておいてね!」
デナン達は大家が来ることを警戒し、ドアを閉めるよう言った。
「お久しぶりです! 見た目が少し変わったと思うかもしれませんが、曇り色のリーナです!」
リーナはにっこりと微笑みながら挨拶をした。
「デナン、ハイジ、ピック、ジゼにも会えるなんて! 仕事はお休みですか? まさか全員いるなんて思いませんでした。今日来て良かったです!」
リーナはそう言いながら持っていた箱を差し出した。
「これ、お土産の焼き菓子です。みんなで食べて下さい!」
「あ、ありがとう」
ロビンは戸惑いながら箱を受け取った。
リーナを見るからこそ、その背後にいる長身の男性が気になってしまう。
金髪に薄い灰色の瞳。
他の者達とは少し違う威圧的なオーラを発している。
マフラーで表情がわかりにくいこともあって、余計に怖いとしか言いようがなかった。
「こちらもどうぞ」
リーナの横にいた金髪碧眼の美青年が手提げ袋を差し出した。
「タオルです。炊き出しの際に希望していたと聞きました」
「わざわざどうも……リーナ、もしかして一緒にいるのは」
チャリティーハウスと呼ばれる施設の管理者あるいは担当者ではないかとロビンは思った。
「後ろにいるのは夫です。私、結婚したので!」
「結婚!!!」
「夫おおおおーっ?!」
「リーナが?!」
「ええーーーーっ?!」
リーナの答えに大絶叫が響き渡った。
「こっちが兄です。養女になったので」
手提げ袋を持っていた金髪碧眼の美青年が柔らかく微笑んだ。
瞬時に女性達だけでなく、男性であるピックまでもが恥ずかしくなる。
花街で見かけるような魅惑的の笑顔への耐性はあるが、どこかホッとさせるような温かみのある笑顔の破壊力は凄まじかった。
「後は全員護衛です。ここは治安が悪い地域なので同行させるしかなくて。訪問予定も伝えていなくて、驚かせてしまいましたよね。すみません」
お忍びの予定が第三者にわからないよう、あえて訪問先への先触れはしていない。
移動も豪華な馬車ではなく軍用馬車。チャリティーハウスへの輸送に見せかけた。
「そうだね……びっくりした」
距離が近いロビンはなんとか答えているような状態だ。
リーナとその兄だという男性は話しやすい感じがするが、他の同行者達に自然と圧倒されてしまう。
夫は特に。
とにかく凄い者達が来たとしか感じられなかった。
「えっと……」
リーナは部屋を見回した。
「窮屈になってしまいましたね。もしかして、奥の部屋はもっと広いですか?」
「それはない」
きっぱりと答えたのはピックだ。
「狭いし臭い。男性部屋に女性の立ち入りは原則禁止だよ」
「女性部屋も駄目よ! 洗濯物が干してあるから!」
「絶対に見ちゃ駄目!」
慌てて移動した者達が奥にある部屋へ続くドア前を塞いだ。
その様子を見た後で奥の部屋を見せて欲しいとは言えない。
「リーナ、時間があるから気を付けて」
「そうでした。私が今日来たのは早速確認した結果をお伝えしようと思って」
「どうだったの?」
リリーは期待した。
わざわざ来てくれたことを考えると、求人募集があるのではないかと思った。
「ごめんなさい。工事関係なので男性の募集ではないかということです」
「そうなのね」
落胆は大きい。
しかし、リーナが来てくれた。
治安が悪い地域だと知っていても手紙にしなかった。土産まで用意してくれた。
自分達のことを心配し、何かしたい、少しでも喜ばせたいと思ってくれている証拠だ。
その気持ちが何よりも嬉しいとリリーは思った。
「でも、ありがとう。やっぱりリーナね。昔のままだわ。いつだって誠実で優しくて……」
リリーは微笑んだ。
「大丈夫よ。気にしないでね。一応、あてはあるの」
「駄目だ! 絶対に許さない!」
「後で話しましょう」
それだけでリーナにはわかってしまった。
ロビンが絶対に許さないこと、それは花街の仕事しかない。
「実を言うと、チャリティーハウスの仕事については紹介できないのですが、別の仕事なら紹介できるかもしれません」
「別の仕事を?」
「はい。でも、正直に今の状況を教えて貰う必要があります。何もわからない状態では仕事を紹介できません」
当たり前のことだと誰もが思った。
「話が長くなると思いますので、チャリティーハウスに移動して貰ってもいいでしょうか? ここよりも広いし、椅子とテーブルもあります。お茶とかも出せると思いますから」
「わかった。でも、僕は夕方から仕事だ。それまでにして欲しい」
「わかりました」
「良かったわね。リリー」
「本当のことを話すのよ!」
「ロビン、お前もだ」
「そうだ! リーナなら話しても大丈夫だよ!」
ハイジ、ジゼ、デナン、ピックがエールを送る。
リーナは後ろを向き、クオンを見上げた。
「全員でもいいんですよね?」
求人を探しているのはリリーとロビンという話だったが、同居人についても状況次第で検討するということをリーナは教えられていた。
「確約はしないが、検討はできる」
「ありがとうございます!」
リーナは嬉しそうにお礼を伝えた。
「デナン、ハイジ、ピック、ジゼも一緒に来て下さい。今の状況を全部話してくれれば、もっと良い条件の仕事を紹介できるかもしれません。確約はできないのですが、検討して貰うのはどうでしょうか?」
リーナは嘘をつかない。誠実だ。
この地域で最大かつ最高の炊き出しの責任者をしていただけに、本当に良い条件の仕事を紹介してくれる可能性がある。
四人はリーナを、その言葉を信じたいと思った。
「ぜひ頼みたい」
「嬉しいわ」
「行く!」
「やったー!」
「あ、でも私が雇用するわけではないです。夫次第というか」
それは一目瞭然だ。
どう見ても夫の方がはるかに偉そうであり、強そうであり、凄そうだった。
「とにかく正直に。言いにくいこともあると思います。その……違法行為に関係するようなこととか、借金のこととか。でも、全部話して下さい。お願いします!」
違法行為はしていないと六人は思った。
辛くても苦しくても真っ当に生きている。
だからこそ薄給であり、苦しい生活なのだ。
しかし、借金については違う。
一名だけ。
五人の視線がロビンへと注がれた。
すみません。あまり進みませんでした……。
次回もよろしくお願い致します!





