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後宮は有料です! 【書籍化】  作者: 美雪
第八章 側妃編

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975 リリーとロビン



「凄い人ね」


 炊き出しの列に並んだリリーは呟いた。


 多くの人々による熱気のせいか寒さはあまり感じない。


「知らない場所にいるみたい」

「孤児院があった頃とは全然違う風景になったね」


 突然、国軍が来たかと思うと孤児院とアパートの跡地を整備し始めた。


 道路も掘り起こされ、配管を通す作業が始まる。上下水道を通す工事だ。


 貧民街の中にある広い空き地に誰かが家を建てるらしいとわかり、貧民街の者達は呆れかえっていた。


 調整区のほとんどは公共水道がないため、点在する井戸を利用する。


 孤児院の跡地には小さな古井戸があるというのに、なぜ大金を投じて水道工事をするのかまったく理解できなかった。


 それ以外にもおかしい点があった。


 作業にあたる者の多くは軍人だ。民間業者は一部だけ。民間工事とは考えにくかった。


 軍に関わる施設ができるのかもしれないと思っている間に配管工事は終わり、ほぼ同時進行で行われていた建築作業によって木造の建築物ができた。


 軍の施設らしくない外観だけに、周辺住人は戸惑った。


 どうして軍が工事を?


 なぜ、こんな場所に上下水道を?


 あの建物は?


 地区清掃に参加した者によってとある慈善団体の建物であることや年末に炊き出しが行われることが判明した。


 驚愕と好奇の視線が向けられ、誰もが炊き出しに行ってみようと思っていた。


 リリーとロビンもその中の一人だ。


 二人は取り壊されてなくなった孤児院の出身だけに、余計にその跡地を所有しているという慈善団体や炊き出しに興味を持った。


「寒くない?」

「大丈夫よ」

「疲れたら言って。おんぶでも抱っこでも何でもするよ」

「子供じゃないわ」

「僕の大切な奥さんだからだよ」


 若い二人が夫婦になるのは簡単だった。孤児ゆえに反対する肉親がいない。


 だが、二人だけで生活していくことは簡単ではなかった。


 年齢の関係で先に孤児院を出て行かなければならなかったロビンは、この地域にとっては定番の就職先である花街に就職した。


 必死で働いて貯めた金を元手に古いアパートの一室を借り、リリーを迎えに行くと一緒に暮らし始めた。


 ロビンは絶対にリリーを花街に就職させたくなかった。


 部屋さえ借りることができれば、わずかな給金であっても通いの仕事ができる。


 ロビン自身も花街で働くことを望んでいたわけではなかったが、リリーのためであればどんな仕事でも我慢できた。


「食事、貰えるかしら?」


 リリーは炊き出しで食事が貰えると思い、朝から何も食べていなかった。


「千人分あるらしいから大丈夫だよ」

「そう願いたいわ。並ぶのが遅くなってしまってごめんなさい」


 リリーは勤務明けのロビンと待ち合わせていたが、あまりにも大勢の人々が来ているせいで見つけるのに時間がかかってしまった。


「次の方、どうぞ!」


 食事の配布所は複数あり、一人ずつ空いた場所に移動する。


 但し、夫婦や家族の場合は何人でも一緒に移動して構わないという案内が事前にあった。


 家族がバラバラにならずに済むための配慮に喜ぶ人々は多かった。


「お待たせしました! 熱いので気を付けて下さいね!」


 配布係の女性はにっこりと微笑みながらリリーにトレーを渡した。


 ボウルに入ったスープとパン。


 ご馳走だ。


 スープには沢山の野菜と大きな肉団子が一つ。十分に温かいことを証明する湯気さえも美味しそうだった。


「温かい食事は久しぶりだわ」


 火災の危険から貧民街にある住宅のほとんどは台所どころか暖炉さえなく、火を扱うことを禁止していることも多い。


 そのせいで温かい食事どころかお湯さえ飲めない者が多くいる。


 日々の食事はパン屋や食品店から購入したもので、当然のごとく冷え切ったものばかりだ。


「具沢山のスープです! とっても美味しくて栄養も取れますよ!」


 同じく食事のトレーを受け取ったロビンと共にリリーは先へ進んだ。


 飲食用のスペースが設けられているのはわかっていたが、ここにも驚くべき点があった。


 それは、自分で空席を探さずに済むということだ。


「お二人ですか?」

「はい」


 係員は数本持つ手旗の中から白いものを選んで揚げた。


 一人の場合は緑、二人は白、三人は黒、四人は水色、それ以上は赤の旗を揚げることになっているのだ。


 立食用のカウンター側だけでなく着席用のベンチシート側にいる女性達も白い旗を上げて応えた。


「着席用も立食用も空いているようです。好きな方へ行ってください。旗を持った女性が近くの空席を教えてくれますよ」


 リリーとロビンは足を休ませるため、ベンチシートの方へと向かった。


「こちらです!」


 元気の良い女性が白い旗を振りながら二人を迎えてくれた。


「ここに二席ありますので使って下さい。ごゆっくりどうぞ!」


 リリーとロビンは並んで座れたことにホッとした。


 二人は孤児だったこともあって様々な慈善団体による炊き出しへの参加経験がある。


 この炊き出しでは随所に感心する部分が多い。着席用の食事スペースを沢山設けていることもその一つだ。


 テーブルやイスを用意するにも片付けるにも労力が必要になり、費用もかかる。そのせいでなかなか設置されない。


 だが、簡素なベンチシートは費用を抑えやすい。詰めれば大勢が座ることができる。少しずれるだけで並び席も用意できる。


 しかも、足部分が折りたためるようになっている。


 これなら持ち運びもしやすく、収納するにも場所を取りにくい。


 食事が先であるために手荷物がなく、座席の使用者も移動しやすい。協力しやすくもある。


 他の慈善団体にもぜひ真似して欲しいと二人は思った。


「座れて良かったね」

「そうね。嬉しいわ」


 二人は早速熱々のスープを味わった。


 量を増やすことを優先して薄味になっていない。しっかりとした味付けだ。野菜の出汁が効いている。


 大きな肉団子をスプーンで切り分けると、中から溢れ出た肉汁がスープに溶け込んだ。


 このような炊き出しでは肉が出ること自体が特別だ。二人だけでなく誰もがこの大きな肉団子にくぎ付けになっていた。


「凄く美味しいね」

「とっても美味しいわ」


 二人はそれだけ言うと、無言で食べ続けた。


 美味し過ぎて、あっという間になくなってしまう。


 満腹感を得るためには少しずつ食べた方がいいのかもしれないが、配布品をなくなる前に貰いたかった。


 パンは大事に食べるために持ち帰ることにした。


 二人はトレーを返却台の方へ持って行く。


「ご返却ありがとうございます!」


 トレーを受け取った女性はにこやかにお礼の言葉を述べた。


 まるで店に来た客への挨拶のようだ。


 言葉だけでなく態度にも温かさや優しさが感じられた。


「トレー、ボウル、スプーン。全部ありますね。配布品の列の方へどうぞ!」


 うながされるままに進むと、別の誘導係がいる。


「失礼ですが、ご夫婦でしょうか?」


 誘導係の女性が尋ねてくる。


「そうです」


 ロビンの答えにリリーは嬉しくなった。


 貧しくても愛するロビンと一緒であれば頑張れると感じる。


「奥様をとても労わられているように見えました。もしかして妊娠中では?」

「あ、いいえ、そうではなくて……」

「元々体が弱いんです。貧血でめまいを起こしやすいのもあって気を付けています」

「そうでしたか」


 女性は理解したとばかりに頷いた。


「もし体調等が気になるようでしたら、医者もいます。無料で診断して貰えますよ」

「もしかして、薬も貰えるのでしょうか?」

「いいえ。基本的には診断だけです。でも、貧血気味ならぜひ医務室へ行って見て下さい。きっと良かったと思うはずです」

「どうする?」

「行ってみたいけれど、配布品の方が……」


 リリーは配布品か医者の診断かを選ぶと思った。


 しかし、そうではないことがすぐに判明した。


「ちゃんと貰えますよ。医務室の方にも配布品の係がいるので、希望の品を伝えて下さい」

「じゃあ、せっかくなので」


 リリーとロビンは医務室へ行くことにした。


 配布品に加え、無料で診断を受けられるのは得ではないかと思ったのだ。


 医者は男性ばかりだったため、リリーは看護婦へ相談する方法を選んだ。


「女性は貧血になりやすいですからね。ご家族の理解とサポートが必要です」


 看護婦の女性はリリーの相談を受けた後、メモ用紙を差し出した。


「これを持って第二処置室へ行ってください」


 第二処置室に行くと、メモを見た女性がお茶を持って来た。


「症状に合わせたハーブティーです。ここで飲んでいって下さいね」

「薬ではなくお茶が貰えるのですね」

「診断によって効能を考えたハーブティーや薬湯を処置としてお出ししています」


 貧しい人々は薬を手に入れにくい。無料で貰えるとわかれば殺到する恐れがある。


 医療品や薬は配布用ではない。応急処置用だ。


 そこで基本的には診察だけとし、診断に応じてハーブティーや薬湯を提供していた。


「クセがあるので、飲みにくければ砂糖を入れて甘くします。どうしますか?」

「砂糖を? お願いします!」


 リリーは甘いお茶を嬉しそうに飲んだが、隣にいる夫に申し訳ないとも感じた。


「ごめんなさいね。私だけ砂糖入りのお茶を飲んでしまって……」

「僕は貧血気味じゃない。大丈夫だよ」


 ロビンは優しい手つきでリリーの頭を撫でた。


 昔からロビンは優しい。幼少時は気が弱かったが、成長するにつれてたくましくなった。


 リリーが花街で働かずに済むよう懸命に働いてくれている。


 嬉しくはあるものの、リリーも花街で働けば生活が楽になることは間違いない。


 ロビンの重荷になってしまっていると感じ、リリーは心苦しかった。


「本当にごめんなさい。わたしのせいで……」

「違う。僕のせいだ。もっと生活が楽になるよう頑張るから」

「私のせいよ。ボスが転職話を持って来たのに、断ったと聞いたわ」

「誰に聞いたの?」

「ハイジよ。給料が安くなるのは困るって言ったらしいわね?」


 ボスというのは孤児院でロビンより一つ年上だった者のあだ名だ。


 孤児院を出た後は一時的に姿を消した。


 犯罪に巻き込まれた可能性もあったが、孤児院にいた頃から何をするにも抜き出ていたことから、自分の力で人生を切り開きに行ったのだろうと思われていた。


 ボスが貧民街に姿をあらわしたのは、何かと目をかけていたリーナが孤児院を出た後だった。


 リーナが後宮に就職したと知ってボスは驚愕したが、孤児にとっては奇跡的ともいえる就職先であることに安堵もしていた。


「もう三回目ですって? ボスも呆れているわ。見放されてしまうかも」

「大丈夫だよ。ボスは兄さんみたいなものじゃないか」

「でも」

「いつも遠慮しなくていいって言ってくれる」

「遠慮がなさすぎよ」

「とにかく大丈夫だから」


 この話題は避けたいとばかりにロビンが視線を逸らす。


 リリーはため息をついた。


「私、なるべく早く新しい勤め先を探すわ」


 リリーは少し前に勤め先をクビになった。


「無理をしたら駄目だよ。風邪だって命取りになる。暖かい季節になったら考えればいいよ」

「でも」

「大丈夫だから。僕がいるじゃないか。それより場所が場所だ。ここで話すのはやめよう」


 リリーは残りのハーブティーを飲み干した。


「ありがとうございました」

「お大事に」


 処置室を出た後は配布室で配布物を受け取るよう教えられた。


「こちらのリストから一人につき一つ欲しいものを選んで下さい」


 ロビンは毛布、リリーはタオルを選んだ。


 配布品を用意する女性は箱を漁り出す。毛布はすぐに見つかったが、タオルが見つからないようだった。


「ねえ、タオルは?」

「もうない?」

「なさそう……」

「じゃあ、配布所から貰って来ないと」

「すみません。こちらで確保していた分がなくなってしまったので、補充してきます。大変申し訳ないのですが、ここでお待ちいただけますか? それとも別の配布品に変えますか?」

「どうする?」

「もう一度リストを見せて貰えますか?」

「どうぞ。私は補充に行くので、別の係の者に伝えて下さい。こちらの女性のこと、よろしく頼みますね!」

「了解!」

「いってらっしゃい!」


 対応してくれていた女性は補充のために部屋を出て行った。


「ここの方は親切なだけでなく、仲も良さそうです。新しいし清潔だし、素敵な職場ですね」

「え?」


 代わりに対応することになった女性は困惑の表情になった。


「私達はボランティアなので、職場ではないというか」

「そうでしたか。ここで働いているのだと思いました。催しにはボランティアの方も参加されているのですね」


 ますます女性は困惑した。


「ここの施設は……たぶんですけれど、誰も働いていません。全員炊き出しのボランティアです」

「全員? じゃあ、ここの建物を管理しているのは誰ですか?」


 女性は同僚に顔を向けた。


「ねえ、ここの建物って誰が管理しているの?」

「さあ?」

「リーナ様じゃないの?」

「実際は別の者がやっているわけでしょう?」

「トロイって人じゃないの?」

「違うわよ。偉過ぎるわ。もっと下っ端よ」

「それもそうね」


 口々に女性達は意見を言い合う。


 その様子を見ていたリリーはふと思いついた。


「すみません。ここの建物はできたばかりです。管理とかちょっとした雑用とかの求人はないでしょうか?」

「リリー、急にそんなことを言って。困らせてしまうよ」

「聞くだけならいいでしょう? すぐではなくても今後募集するかもしれないわ」

「求人……」

「ないような?」

「まあ、ないでしょうね」

「私達にはわからないというか」


 女性達はまたもや意見を出し合う。


 その結果、


「よくわからないことは責任者に確認することになっているので、ちょっとお待ちください」


 リリーとロビンは待たされることになった。


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