968 昼食会議
後宮の大宴の間では二十四日に王太子夫妻の聖夜の茶会が開かれたが、二十六日にもまた使用されることになった。
その目的はヴェリオール大公妃が匿名で開催する炊き出しのための会議だ。
これまでも各自が少しずつ準備を整えて来たが、多忙な時期であるがゆえに参加者や協力者全員が集まるような機会がなく、全体的な把握がしにくかった。
炊き出しの日は二十八日。
二日前ではあるが、すでに当日用の準備に入っている者達も大勢いる。
そこで都合がつく関係者をできるだけ多く集めて説明するとともに、各準備が順調か、問題がないかも合わせて確認することになった。
「本日は御多忙な所、わざわざお集りいただきありがとうございます!」
昼食会議が始まり、最初に挨拶をしたのは主催者であるリーナだった。
「ご存じとは思いますが、炊き出しは二十八日に行います。昼食と共に支援物資を配布する予定ですので、今日から始まる当日の準備もあります。これから順番に説明しますが、必ず配布された資料を読んでください」
大宴の間に来た者にはマニュアルも記載された説明書を配っていた。
「誰かに聞けばなんとかなるとは思わず、一人一人が何をすればいいのかを把握して下さい。恐らく現場では予想外のこともあります。マニュアルを確認しなくても基本的な対応についてはできるよう協力してください。では、炊き出し担当のトロイから説明をして貰います!」
リーナに代わったトロイは集まっている者達の注目を浴びることになった。
「今回、ヴェリオール大公妃が催す慈善活動の担当になったトロイ・シルオーネです。担当としてだけでなく個人的にもこの催しを成功させ、王都の片隅で貧困と空腹にあえぐ人々を少しでも支援できればと思っています。では、全体の予定と担当についてご説明致します」
今回の炊き出しには非常に多くの人員がかかわる。
後宮だけでなく王宮や騎士団、軍も含めたあらゆる所属の者達がボランティアとして参加する。
リーナだけで全体を隈なく指揮するのは難しいため、エゼルバードとレイフィールも指揮を執る。
「ヴェリオール大公妃は昼食及び支援物資の準備と配布の担当で第一団の責任者です。第二王子殿下は拠点の担当で第二団の責任者、第三王子殿下は警備と輸送の担当で第三団の責任者になります。ボランティアは所属先及び指揮系統を再度確認して下さい」
今回の催しでは主だった仕事に応じて三つの団体に分けている。
それぞれの責任者がリーナ、エゼルバード、レイフィールになることによって分担する仕事への指示出しもしやすく、命令系統もわかりやすくなる。
また、各団内においても細かく隊や班に分けられている。
決められた仕事や準備をしやすくするとともに、ある程度は各隊長や班長に選ばれた者の判断に委ねることにした。
このような方式になったのは軍の統括で直轄の特殊部隊を指揮しているレイフィールが組織編制に携わったからだった。
「説明書の方に各団の仕事についても記載しています」
二十六日の時点で、第一団の調理部隊は当日配布するビスケットの制作及びスープ用の食材の下準備に入る。
数日前から準備する分は堅パンにする予定だったが、食べやすさを考慮した結果、ビスケットに変更された。
パンとビスケットの二種類にすることによって製造日がわかりやすく、見てすぐ判断できることも考慮された。
第二団は拠点をいつでも使用できるように整えることも担当になっている。
今日から一部が拠点に泊まり込み、次々と届く輸送物や出入りする関係者の管理業務を行う。
第三団の受け持つ警備については王都警備隊の協力も仰いでいる。
しかし、炊き出しの関係者かどうかを王都警備隊が細かく見分けることはできないため、第三団の方で目を光らせなければならない。
また輸送物も当初の予定よりも大幅に増えており、拠点の者達と協力して倉庫管理もすることになっていた。
「この催しに協賛を申し出た者からの支援物資も追加されます。非常に喜ばしいことですが、関係者が増えるほど情報が漏れやすくなります。守秘義務をしっかりと認識し、余計なことは一切言わないようにして下さい。あくまでも、善意ある者達の集まりによる慈善活動です。ヴェリオール大公妃の主催かつ王族が関わっている慈善活動だと教えてはいけません」
教えた方がヴェリオール大公妃や王族の評判が良くなるなどと思ってはいけない。
ヴェリオール大公妃も王族の方々も自身の評判を良くするためではなく、純粋な慈善活動として動いている。ボランティアで参加する全員も同じく。だからこそ匿名で行う。
そして、そのような情報が現場で洩れれば、必ず大騒動になる。
安全の確保を優先しなければならないために、炊き出しが中止になってしまうかもしれない。
炊き出しを成功させるため、全員が自重する必要がある。
トロイはその点を強く念を押した。
「これほど多くの関係者が当日以外で集まるのは最初で最後です。各責任者、隊長や班長の指示に従い、わからないことは確認してください。問題に気づいた場合は即刻連絡を。全体に影響しそうなことについては責任者等で対応済みでも、炊き出し本部がある秘書室に報告をお願い致します。以上です」
トロイからの説明が終わると、各隊長や班長になった者達から現状等が簡潔に説明された。
最後になり、リーナは数枚の紙を手にして前へ出た。
「えっと……私の方から改めて通達することがあります。一つはボランティア参加者の毛布の回収について。まだ洗濯カウンターに出していない者が結構います」
洗濯カウンターに自分の使用している毛布を出すと、その場で新品あるいは比較的新しい毛布と交換して貰える。
古い毛布は洗濯後、処分品として炊き出しの支援物資にできる。
ボランティアが自分の毛布を新しいものに交換するほど、支援物資の量が増えることになる。
「これは後宮の者だけが対象です。後宮のボランティアは今日中に毛布を出して下さい。古くなっているかどうかは洗濯カウンターの方で判断するので、古くないと感じても一応持って行って聞いてみてください。明日に出されても洗濯が間に合いません。支援物資にできないと判断され、古くても新しいものと交換して貰えないので注意して下さい。それから」
リーナは秘書室への問い合わせが多かったことについても再度説明することにした。
「大変申し訳ないのですが、ボランティアは無給です。給料で働いていると誤解されないようにするため、有給休暇は取れないそうです。報奨金や参加品もありません。当日用の衣装や外套、帽子、エプロン等は貸し出されるだけで、翌日中に回収されます。昼食は出ますが、朝食と夕食は出ません。朝食は勤務先の上司を通し、集合時間前に取れるようにして貰って下さい。水は拠点で自由に飲めます。トイレもあります。お湯の配布はありませんが、昼食には温かいスープが配られます。第二団と第三団の昼食は各責任者が個人的に手配するので、第一団とは違う昼食になります」
リーナはボランティアの昼食については炊き出しと同じものを考えていた。
しかし、拠点に泊まり込んでいる者や警備に携わる者は食事の時間を合わせにくいため、第二団と第三団の食事についてはエゼルバードとレイフィールの方で独自に手配することにした。
「第一団の昼食は炊き出しで配られるものと同じ昼食で、拠点内で配ります。一般の人達と同じく外の列に並ぶ必要はありません。休憩室、医務室もあります。体調等が優れなかったり疲れてしまった場合は無理をしないで休んで下さい」
リーナは書類を読み上げながら、ボランティア達が様々な点について考え、よくわからない部分があることを実感した。
秘書室に問い合わせがあった場合はすぐに応えるように指示しているが、ボランティアの人員が多種多様な所属のせいで口伝えでは広まりにくい。
知り合いに教えて貰ったという者もいるが、たぶんということであやふやさが残り、不安や複数回の問い合わせにつながっているようだった。
「当日、お金や高価なもの、なくしたら困るようなものは絶対に持って行かないでください。忘れ物をしても後日戻ることができません。自分で用意するのはハンカチ位です。当日は必ずボランティア登録証を身に着けて集合して下さい。紐がついているので首からぶら下げ、いつでも見ることができるようにしておいて下さい」
当日は参加する全員にボランティア登録証が発行されることになった。
第一団は赤、第二団は白、第三団は青、それ以外の特別関係者は黄色のカードに名前や所属等の情報が書かれている。
これを首から下げている者だけが炊き出しの関係者だと判定される。
「わからないことがあれば秘書室に問い合わせて下さい。どんなことでも遠慮しなくて大丈夫です!」
リーナは強い口調でそう言うと、大宴の間を見渡した。
後宮で一番広い部屋だというのに、全員が入りきらず、廊下にも溢れている状態だ。
身分が高い者のために椅子が場所を取ってしまったせいもあるが、すでに準備等や通常勤務の関係で参加できていない者達もいる。
ここにいるのは勤務や休みの関係で集まることができる者だけでしかない。実際はより多くの者達がリーナの炊き出しに協力してくれている。
それがどれほど嬉しく、心強いか。
リーナは涙が出そうな気分になった。
「……本当にこれほど多くの人々が協力してくれて嬉しいです。皆の気持ちをしっかりと届けられるよう私も最大限に頑張りたいと思います。どうかよろしくお願い致します!」
ヴェリオール大公妃としてではなく、炊き出しの主催者としてリーナが深々と頭を下げると、集まっている人々による拍手が一斉に響き渡った。
その多さ、強さ、響きはリーナだけでなくこの場にいる者達全員の気持ちをあらわしているに等しい。
必ず成功させてみせる!
リーナは今にも溢れだしそうな涙を抑えるために目元をごしごしとこすった。
「最後に!」
リーナが懸命に声を張り上げると、拍手がぴたりと止んだ。
「今日は昼食時間の会議なので、隣の部屋でコロッケパンを配布しています! まだ貰っていない人はぜひ貰って食べて下さい!」
会議の出席者には集まる時間を考慮して簡単に取れる昼食を配ることにした。
とはいえ、後宮の調理部門は通常の食事と炊き出しに向けた準備で多忙だ。大量の凝った昼食を用意することができない。
そこでパンだけは王宮の調理部門に支援を要請した。
王宮は官僚達を始めとした通勤者達が休暇でいないため、その分の余裕がある。支援を頼んでも負担になりにくい。
また、パンにはさむ具材についてはできるだけ簡単かつ大量に作れるだけでなく、買物部でいずれ扱う軽食への反応を確かめることも考慮し、コロッケを作ることにした。
野菜と肉を細かく刻んでジャガイモと混ぜれば、コロッケ一つで野菜も肉も取れる。
いちいちサラダや肉料理を作って皿に盛るより、準備も調理も後片付けも楽だ。
調理部の者達にも歓迎された結果、後宮の通常昼食もコロッケパンになった。
「ただこんなに大勢が集まれるとは予想していなかったので、数が不足するかもしれません。追加を頼んでいますが、コロッケがなくなり次第ハムに変更されるとのことです」
大宴の間に集まった人々を見て、調理部から参加している者が慌てて配布分の追加を要請した。
後宮の通常昼食もコロッケパンだけに、コロッケ自体は大目に用意されている。
それでも不足だということになれば、切って挟むだけでいいハムを具材にするという連絡が届いていた。
「すみませんがよろしくお願い致します! では、解散です! 速やかに大宴の間から移動して下さい!」
ヴェリオール大公妃であるリーナの言葉は命令も同然だ。
出入り口に近い者達から急いで廊下に出る。
目指したのは隣の部屋。
会議に参加した者達の頭の中にはコロッケパンが浮かんでいた。





