967 二十六日
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エルグラードにおいて十二月二十四日は聖夜、翌日の二十五日は聖日だ。
この二日間はエルグラード各地で特別な儀式や行事が行われる。
多くの者達は聖夜までに年内の仕事を終わらせ、聖夜が来るとそのまま休暇に入る者達が多い。
王宮に勤める官僚の多くも休暇に入るが、そうはいかない者達もいる。
王族と王族妃の側近を兼任するパスカルは後者だった。
「王太子府の官僚は聖夜の後も休みにならないのでしょうか?」
質問したのはアーヴィンだ。
アーヴィンとディランは聖日の勤務は休んだものの、二十六日からは通常通り出勤していた。
馬車による通勤渋滞は全くないどころかスムーズ過ぎるほどだったが、王太子府内はいつもよりもやや人が少ない程度にしか感じなかった。
「基本的には休みですが、担当する仕事によっては出勤になります」
応えたのは黙々と書類にサインをするパスカルではなく、同じく二十六日から出勤しているトロイだった。
「国王府や王子府も同じでしょうか?」
「同じです」
ほとんどの政治組織は聖夜に合わせて年末休暇になるが、王族を支える国王府、王太子府、王子府の事情は異なる。
王族の執務や各自が担当する仕事に合わせて休暇を調整するため、全員が一斉に休むことはない。必ず当番の者が出勤する。
「レーベルオード子爵は側近を兼任されています。今日はどのお方の当番でしょうか?」
「全員です。今日は通常出勤であって、休日中の当番ではありません」
「三人から同時に呼ばれた場合はどうするのでしょうか?」
「パスカル様がどうするのか判断します」
「どのお方の元へ先に行くか決めるということでしょうか?」
「そうです。基本的には王太子殿下が最優先ですが、呼び出しの理由も考慮しなければなりません。緊急度が高いものを優先することもあるでしょう」
「緊急度が高いのはどのようなことでしょうか?」
次々と質問が来ることにトロイは段々と苛立っていった。
見習いが知りたがるのは当然だとわかってはいるものの、教えてもいい範囲は決まっている。
見習いは実習生とは違って官僚としての就職がほぼ決定しているような者達とは違う。
官僚を目指すかどうかを決めるための体験であり、何もかも詳細に教える必要もなければ、教えたところでそれが将来的に役立つ保証もない。
なぜ、パスカル様は見習いを……。
人手がいるのであれば王太子府の者を動かせばいい。今後を見据えた若い人材の確保であれば実習生の方がいい。
ただでさえ多忙を極めているというのに、見習いを受け入れれば余計な仕事や対応が増える。
何か考えがあるのだろうとは思うものの、見習いの対応をしなければならないトロイとしては喜べない状況だった。
「緊急は緊急です。通常は呼び出した方が緊急かどうかを伝えて来ますので、それを考慮します」
「緊急の呼び出しとただの呼び出しが来るのであれば、緊急の呼び出しだと言う方に行くということでしょうか?」
「そうです」
「では、常に緊急を付けた方が得になってしまうのでは?」
「緊急ではないのに緊急だと伝えることはできません。普段から多用していると、どれほどの緊急度なのかを正確に伝えられなくなります」
「緊急はどの程度の頻度であるのでしょうか?」
「統計を取っているわけではないのでわかりません。口よりも手を動かしなさい」
「この書類を仕分けたら仕事がなくなりそうです」
「仕事はいくらでもあります。任せられるかどうかは別ですが」
「トロイ」
パスカルから呼ばれたことで、トロイは瞬時に苛立つ気分を抑えた。
「はい」
「サインが終わったものを確認して届けてくれるかな?」
「届けるのは見習いでも?」
「重要度が高いものばかりだからトロイに頼みたい。二人のことはいい。誰か来たら応対させる」
「わかりました。二人共、パスカル様の足を引っ張らないように」
トロイはディランとアーヴィンを威嚇するように睨んだ後、パスカルがサインをした書類に素早く目を通し、書類封筒に入れて部屋を出て行った。
ディランとアーヴィンは質問する相手がいなくなったため、口を閉じたまま無言で書類を仕分けた。
おかげであっという間に指示を受けた仕事を終えてしまう。
「書類の仕分けが終わりました。追加の指示はありますでしょうか?」
ディランはパスカルに声をかけた。
「どうするかな……」
パスカルはサインを終えた書類をファイルに挟んだ。
「ところで、二人は聖夜を楽しめた?」
「はい。レーベルオード子爵のおかげです。心から感謝致します」
「素晴らしい聖夜の祝福をありがとうございました」
二人は王家の昼食会と礼拝ばかりか、王太子夫妻の茶会にも参加することができた。
すべてパスカルのおかげだ。
ヴェリオール大公妃が二人を茶会に呼んでくれたのも、パスカルが昼食会で見習いのことを話したからだとトロイから教えられた。
「喜んでくれて良かった。毎年二人には多くの祝福と贈り物が届くだろうから、特別な贈り物をするのは大変だね」
ディランとアーヴィンは同意できないと感じた。
それを察したかのようにパスカルは眉を上げた。
「両親からの贈り物はどんなものだった?」
「今年は馬車でした」
先に答えたのはディランだった。
「新車で?」
「はい。通学用の馬車が古くなってきたので最新式を購入したのですが、僕の名義にしたようです」
つまりは実用的な贈り物だ。
ディランの口調から考えると、本人が希望したものではなく両親が一方的に選んだものだと思われた。
「アーヴィンは?」
「絵画です」
アーヴィンは嫌そうな表情を隠そうともしなかった。
相応に価値のある絵画だと思われるものの、本人的には嬉しくないのが明らかだ。
「さすが公爵家だね。高額なものを貰っているようだ」
「レーベルオード子爵はどのような贈り物だったのでしょうか?」
「興味ある?」
「あります」
ディランが即答するのに合わせ、アーヴィンも同意するように頷いた。
「レーベルオード伯爵家の者に贈られるのは主にウォータール地区の不動産かな。一気に相続すると税金が大変だから、贈り物という形で名義を書き換えていく」
パスカルはやがてレーベルオード伯爵家の財産を全て受け継ぐことになる。
爵位に付属する領地等の相続については気にしなくていいが、私有財産については莫大な相続税を課せられる。
それを見越し、少しずつ機会を見て相続することで負担が大きくなりすぎないようにしている。
裕福な者であれば必ずしている税金対策だ。
「祖父は急に亡くなったから相続の時に大変だったらしい。ウォータール地区の不動産を全て保持し続けるのは年々難しくなっている。王都の地価が上がり過ぎているからね」
レーベルオード伯爵家は王都内の一地区を保有している状態だ。
その評価額は莫大ではあるが、売るつもりがないのであれば、地価が上がるほど負担が増える。
「将来的な相続税がどの程度になるかわからないけれど、相当な額になるのは間違いない。物納を検討するよりはリーナにあげた方がいいということで、王家に相談しているところだ」
リーナは養女の手続きをする際に法的な相続権を放棄させており、レーベルオード伯爵家の財産が分割されないように対策している。
しかし、このまま不動産等の価値が上がっていくと、パスカルが全てを相続する際に現金が不足する可能性があった。
一部の財産を売って現金を調達するか物納になれば、結局レーベルオードの財産を手放すことになる。
ならば養女であるリーナに与えた方がいいとレーベルオード伯爵は考え、婚姻の持参金という形で財産分与を行うことにした。
王家としても財産家の女性は歓迎だ。
国ではなく王家の私有財産が増え、ゆくゆくは王太子の子供達に受け継がれていく。
「まだ完全には決まっていない。でも、手続きが終われば王太子殿下の財産に頼らずとも裕福な生活を送れる立場になれると思うよ」
ディランとアーヴィンはレーベルオード伯爵家だけでなく王家にも通じる情報を教えられたことに困惑した。
気安く話すようなことではない。なぜ、自分達に話すのか疑問に感じた。
「婚姻しても、リーナに対する風当たりは決して弱くはない。身分や財産目当てだと思っている者達もいる。でも、レーベルオードの財産があればその理由は当てはまらなくなる」
養女であるリーナに多額の財産を与えるかの理由はわかりやすかった。
一つはレーベルオードの相続に関係し、国よりも養女、ゆくゆくは王族に与えた方がいいという考えだ。
もう一つはリーナが十分な財産を持つことにより、王太子の身分や財産目当てだという疑念を払しょくできる。
この二つを両立させる意味も価値も大きい。
だが、ディランとアーヴィンは完全に納得できなかった。
「……そこまでしてレーベルオードが養女を守るのはなぜなのでしょうか?」
答えは推測できる。
養女であってもレーベルオードから嫁いだ以上、王家とレーベルオードは強くつながることができる。
どれほど優秀な血族を輩出しても、王家と強力な関係を作れるかどうかはわからない。
レーベルオードは建国より続く名門貴族でありながら、婚姻による王家とのつながりを持っていなかった。
ようやくそれが叶ったと考えれば、どんなことがあってもこの婚姻関係を駄目にするわけにはいかない。
そのための保険だ。
これなら誰もが非常に納得する理由になる。
「決まっている。家族として愛しているからだ」
ディランとアーヴィンに向けられたパスカルの眼差しは冷徹な策略家や政治家のようなものではなく、優しく温かさを感じさせるものだった。
「家族として受け入れた以上、レーベルオードは全力で守り、愛そうと努める。リーナを家族として愛するのはとても簡単だったよ。リーナもまた家族を愛してくれる女性だからね。信じない者もいるかもしれないけれど、本当に相思相愛の家族なんだ」
パスカルは父親が養女にしたリーナをどのように扱うのかわからず不安だった。
幼少よりパスカルが妹のことを特別視しているのは知っているだけに、悪いようにはしないだろうとは思っていたものの、全く不安がなかったわけではない。
しかし、父親の態度は予想以上だった。
普段からなかなかその本心を明かそうとしない無表情な父親ではあるが、極めて愛情深いことをパスカルは知っている。
リーナは父親に認められたばかりか、実の娘であるかのように愛されていることも。
「レーベルオードは聖夜のために家族全員が揃いの衣装をあつらえる。ヴェリオール大公妃の衣装は王太子殿下が決めるから、レーベルオードで揃えた衣装を着用するのは難しい。そこでヴェリオール大公妃の衣装にレーベルオードが合わせることにした。勿論、王太子殿下の許可もいただいてね。僕ではなく父の発案だ」
リーナの衣装は王太子が夫婦で揃えるよう指示をしたため、許可をとってそのデザインを入手し、レーベルオードの衣装にも同じ刺繍をした。
あくまでも目立たないように一部のみ。聖夜を意識した衣装を着用するのは普通なことだけに、教えなければ誰も気づかない。
それでもリーナの義父と兄にとってはとても重要なことだった。
「家族全員のつながりを感じながら聖夜を過ごすことができた。これこそまさに祝福であり、最高の贈り物だよ」
パスカルは幸せそうに微笑んだ。
「少し話し過ぎてしまったかもしれないけれど、ディランとアーヴィンなら秘密を守れるし大丈夫かな」
パスカルはディランとアーヴィンをまっすぐに見つめた。
「僕が何よりも重要だと思っているのは家や親ではなく、相手自身がどうかだ。今の僕はホールランドやキーシュの味方とは言えない。でも、ディランとアーヴィンの味方だ。そうなりたい。二人もまたそれを望んでくれたらと思っている。何かあったら遠慮なく相談して欲しい。必ず力になれる。家や親に頼らずとも、僕自身が強い力を持っているからね」
強さ。揺るぎなさ。寛大さ。何よりも深い愛情と信頼。それを守るための力。
ディランとアーヴィンにとって、パスカルから感じるもの全てが眩しく輝いている。
自身もまたそれを渇望するがゆえに。
「そろそろ昼食か」
パスカルは腕時計を確認した。
「準備に入ります」
ディランとアーヴィンは官僚食堂に行こうと思った。
出勤者は少ないだけに、ワゴンが取り合いになることはないだろうと予測する。
「食堂には行かなくていいよ。今日の昼食は会議をすることになっている。トロイから聞いていない?」
「聞いていません」
「レーベルオード子爵の予定は必要時にならなければ教えて貰えません」
「トロイのミスでも意地悪でもないよ。重職者の予定はできるだけ小刻みに伝えることになっている」
王族の側近をはじめとした重職者は関係者以外に予定を知られたくない。
上司の予定は上級の部下ほど把握し、下級になるほど制限される。
必要時には教えるが、どの程度かは教える者の判断に委ねられる。
昼食の予定を直近あるいは午前中の予定として事前に教える者もいれば、昼食は昼食、午後の予定として教えない者もいる。
トロイは後者というだけだ。
「一日あるいは数日単位で教えないのは情報漏洩と暗殺を防ぐためだ。出世するほど気をつけなくてはならないことが多い。トロイなりに細かく注意をしてくれているということだから、部下としての評価は上がる。信頼度もね」
ディランとアーヴィンは感心するしかない。
何も知らなければトロイが情報を教えなかったことを不満に感じ、悪意を勘繰る原因になっていた。
しかし、パスカルが細かく説明してくれたおかげで、そうしなければならない理由があることを知った。
むしろ、トロイが上司の安全についても細かく気を配っていることもわかった。
公爵家の跡継ぎ、高飛車、パスカルの信望者という印象だったが、王太子府に勤める官僚としての一面をより知ることができたと二人は感じた。
「伝令が来たら昼食会議の部屋に移動する。トロイがその件も確認してくるかもしれないけどね。しばらくはソファで待機だ。見習いは立ち仕事が多いから、足を休めておいた方がいい」
「わかりました」
ディランとアーヴィンは頷くとソファに向かった。
だが、アーヴィンが足を止める。
「質問したいことがあるのですがよろしいでしょうか?」
「何かな?」
「レーベルオード子爵は見習いをしたことがあるのでしょうか?」
「あるよ」
パスカルは即答した。
「父親が内務省の官僚だからね。内務省で見習いをした」
「遠慮なくこき使われ、大変だったのでしょうか?」
内務省のエリート官僚であれば多忙だ。息子なら信頼できる。丁度良い人材として多くの仕事を任せられたかもしれないとアーヴィンは思った。
「見習いは見習いだ。二人と同じく書類整理や留守番役をこなした」
「そうですか」
「でも、思わぬ仕事もあったよ」
アーヴィンの興味は一気に高まった。
「どんな仕事でしょうか?」
見習いには守秘義務が課せられる。教えてはくれないだろうとアーヴィンは思った。
だが、パスカルは教えられないとは言わなかった。
「公安がマークしている人物一覧に内務省の関係者がいないか調べることとか」
内通者がいないかどうかを確認する仕事だ。
「内務省は公安や警備組織も管轄するだけに、内部に対する監視もかなり厳しい。意外な人物が要注意になっていることがある。裏の世界を垣間見ることができたのは事実だ。じゃあ、待機だ。もう少しサインをしておきたい」
「はい」
ディランとアーヴィンにとって、パスカルが話すこと全てが魅力的かつ興味深い。
もっと話を聞いていたい気持ちを抑え、二人はソファに座って待機することにした。





