959 食事の話
リーナ様ああああああ!!!!
ラブは心の中で叫んでいた。
昼食会の際に会ってはいるが、再婚した両親が自分達の娘としてラブを紹介するため、側を離れることはできなかった。
王太子夫妻が食事のために個室に行くのに合わせてラブも個室に移動したが、リーナとは話しにくい位置にある座席だったこともあり、淑女の仮面を被ったまま大人しく昼食を食べていた。
ようやく自由行動ができる茶会になったものの、全種類のグリッシーニを取りに行かないという選択肢はない。
乾杯が終わると同時に移動したが、同じように思う者達が多くいたため、予想以上に待たされてしまった。
リーナはディランやアーヴィンを引き連れ、楽しそうにテーブルで食事を選んでいた。その光景を目撃しただけに、リーナの元に早く行きたい気持ちが募る一方だった。
本当は私があそこにいるはずだったのに!
ようやくグリッシーニのグラスを受け取った瞬間、ラブは一目散にリーナの元へ向かった。
リーナはテーブル席が用意された部屋におり、ベル、ディラン、アーヴィンだけでなく先にテーブル席がある部屋に移動した者達に囲まれていた。
人の壁ができているが、それにひるむラブではない。
最も大きそうな隙間を見つけると足先を入れながら横を向いて体の幅を減らし、両脇にいる者達を背中とグラスを持った手でやんわりと押し出しながらすり抜けて前へ出た。
「リーナ様! 私もご一緒させてください!」
息を整えながらラブがそう言うと、リーナはにっこりと微笑んだ。
「歓迎します。ラブはグリッシーニを貰ってきたのですね。長い列ができていて大変だったでしょう? お疲れ様」
リーナ様、優しい~!
ラブのささくれだった気持ちは一瞬で癒された。
更に、
「ラブ、良かったら私の席を使って」
ベルが立ち上がった。
リーナがいる場所は四人席。
リーナ、ベル、ディラン、アーヴィンが座っており、それ以外の者達は全員が立っている状態だ。
「いいの?」
「こういう時は未成年の方がお得ね。ラブが成人したら譲らないわよ?」
ベルは笑いながらラブに席を譲った。
「ありがとう。未成年でラッキー!」
ラブは遠慮なく着席すると、早速リーナにグリッシーニの入ったグラスを差し出した。
「リーナ様、良かったらお好きなのをどうぞ!」
全種類を食べたくはある。だが、リーナのためなら譲ろうとラブは思っていた。
「大丈夫です。テーブルの方から取って来たので。ラブこそ、ゼリーやサンドイッチをどうですか? 私は事前に試食しているので、どのような味か知っています。欲しければ遠慮なく食べて下さい」
「ええっ?! いいの?」
良くない。
ダメダメ。
社交辞令に決まっている!
ヴェリオール大公妃の皿に手を付けるなんて非常識よ!
周囲の者達は心の中で念じたが、ラブには届かなかった。
「喜んでいただきます!」
ラブはリーナの皿を見つめた。
何を取っていたのかは会話に聞き耳を立てていたために知っている。
「じゃあ、これを!」
ラブは躊躇することなくチキントリュフサンドに手を伸ばし、口の中に放り込んだ。
リーナが解説していた通り、角がないので食べやすい。
女性は大きな口を開けて食べにくい。通常のサンドイッチよりも小さなサイズになっているのも嬉しい配慮だ。
「……なにこれ! 激ウマだわっ!」
ヴェリオール大公妃がいるテーブル席においても淑女としても完全に不合格な発言だった。
しかし、今回の茶会ではある程度の無礼講が許されることもあって、人々の興味はラブの口調よりもサンドイッチの美味しさの方に注目した。
「とても美味しいわよね!」
ベルも賛同した。
「ソースがなくて大丈夫なのかしらと思ったけれど、シンプルな味付けだからこそお肉の味をしっかりと感じることができるというか。それにトリュフの香りがまたふんわりとして後味もいいのね!」
「このサンドイッチを考えた料理人は凄いわね! ほんのちょっぴりなのに、トリュフの香りがちゃんとしていて、お肉のうまみとうまく合わさっているわ!」
「お茶会で出したものは一人の料理人が考えたものではなく、後宮の調理関係者やそれ以外の者達も一緒になって考えたものなのです」
チキントリュフサンドは塩味の肉を挟んではどうかという意見をきっかけに生まれた。
基本的にエルグラードの料理はソースの味で決まるといわれており、多くの料理人は自身だけのオリジナルソースを作るために試行錯誤している。
だからこそ、塩味の肉料理は珍しい。
ソースではなく肉そのものの味をしっかりと楽しめるような一品があってもいい。
リーナもレールスで塩とハーブのチキンを食べた経験を話し、他の者達もそれぞれ自身の知る料理や調味料の情報を披露した。
そして、シンプルな鶏肉のうまみをより引き出すものとしてトリュフ塩を活用することにした。
「後宮の料理人達のおかげで、塩にも様々な種類があることもわかりました。今は海水塩が大量に輸入されているのですが、湖水塩や岩塩もあります。取れた場所や製法で味も触感も違いますし、ハーブやスパイスが混ぜられているフレーバーソルトも多くの種類があるそうです」
白トリュフ塩もフレーバーソルトの一種になる。
最も一般的なのは塩に胡椒を混ぜたものだが、ガーリック、バジル、パセリ、唐辛子、レモン等のハーブやスパイス、食材を混ぜ入れたようなものも売られている。
料理人は作る料理に合わせて調味料や香辛料の分量を個別に調整するが、元々混ざっているようなものを使うと時間や労力を節約でき、費用を抑えることにもつながる。
茶会で使用したものは後宮の料理人達が手作りしたもので、一般的に流通しているトリュフ塩とは少し違う。
後宮の料理人達が持つ知識と経験によって様々な工夫を凝らし、冷えてもジューシーかつ香り高い特別なチキントリュフサンドを作り上げた。
「美味しいものを食べると幸せな気分になります。そして、この美味しさと幸せは多くの人々の知恵と努力の証でもあります。そのことを忘れないようにしながら、日々の食事やその食材についての見識を深め、何かの役に立てることができればと思っています」
ヴェリオール大公妃は誠実で努力家だと言われている。
美味しい食事を食べて満足するだけでなく、何かに役立たせたいという意志表明に人々は感心した。
だが、何の役に立てるつもりなのか詳しく知りたいと思う者もいた。
「ヴェリオール大公妃、具体的に言うとどのようなことに役立てようと思われているのでしょうか? もしかして、王宮の食事に何か問題があるのでしょうか?」
尋ねたのはディランだ。
現在、ディランとアーヴィンは官僚食堂についての案件を担当するように言われている。
官僚食堂の評判は調べるほど悪い。
王宮で饗される立食用の食事の評価もあまり良くない。
それだけに王宮で作られる料理のレベルが下がっている可能性をディラン達は考えていた。
だからこそリーナが食べる日常食についても問題があるのではないか、あまり美味しくないのではないかという疑念が生じた。
「王宮の食事というか、官僚食堂には問題があるようですね」
ディランとアーヴィンは千載一遇のチャンスが来たと感じた。
自分達に任されている案件について、ヴェリオール大公妃の意見を聞くことができる。
「官僚食堂の評判はあまり良くないようです。ここだけの話として、ヴェリオール大公妃はどう思われているのでしょうか?」
「せっかく官僚のための食堂があるのに、不満に思われているのはとても残念です」
官僚のための食堂があるのはとても良い事だ。
しかし、価格が高い、値段に相応しい味ではない、他の場所へ持ち運べないことを不満に思っている者達が多い。
後宮が安くて美味しい軽食を販売すれば状況は改善するかもしれない。
しかし、王宮にいる官僚全員分の食事を供給するほどの量ではない。
また、後宮に頼る方法では官僚食堂が抱える問題を根本的に解決できない。
官僚食堂もまた安くて美味しい食事を提供するための方法を考えていかなければならないとリーナは思っていた。
「個人的な意見ですが、官僚食堂は改善すべき点が多くあるように思います」
リーナは官僚食堂に対して口出しすることはできない。
しかし、冬籠り、炊き出し、茶会のために考えたことを、王宮の官僚食堂にも活かせるのではないかと感じていた。
「官僚食堂が完全有料化されてしまう原因は、赤字が多いからです。ですので、赤字がでないようにしなければなりません。その際に気を付けるのは、食事の価格を上げないことです」
官僚達は二十ギールのセットでも高いと思っている。
値上げすれば、官僚食堂の食事はますます売れなくなる。赤字が増えるだけだ。
できるだけ価格を抑えることで、利用しやすくする。
日常食のため、特別な食事である必要はない。
値段が安いことや王宮内で食事をする利便性を考慮して妥当だと思われるものを供給できるようにする。
その上で、節約や改善できる部分を探す。
「今は五種類の昼食があります。日替わりでメニューが変わるわけですし、用意するのは一種類のセットでもいいのでは?」
後宮の召使いの食事は日替わりで、下級でも上級でも同じ食事内容になる。
役職者でも通常の食事よりも量が多い、あるいは一品増えるような特典だけであることが多い。
完全に食事内容が違うのは王族付きや後宮長等の上位役職者のみ。
官僚も似たような形式にすればいいのではないかとリーナは思った。
「選択式にしたいのであれば、価格ではなく食事内容を選ぶようにするとか」
値段の高い食事には高価な食材を使っている可能性が高い。そこで、値段の高い食事をなくすことで、食材費にかかる費用を少なくする。
その上で二種類のセットを作り、嗜好に合わせて選べるようにする。
サンドイッチ等の食べやすい食事か、カトラリーで食べる食事か。
メイン料理が肉か、それ以外のものか。
スープがつくか、サラダがつくか。
どのような違いをつけるのかはいくつもの案があるが、作る料理の種類を少なくすることで、調理にかかる時間や手間、費用を抑える。
貴族の食事のようにフルコースやそれに準じた食事である必要もない。
スープ、パン、メインの三種類だけでも安い価格で抑えることができるならいい。
リーナはそう思っていることを話した。
「平民街にある食堂はできるだけ安い食材を仕入れ、その食材を美味しく調理するための工夫をしています。食材を商人ではなく生産者から直接仕入れるだけでも安くなるそうです。官僚食堂もそのような取り組みをしてはどうでしょうか? 一食十ギール程度にすれば、利用者は必ず増えます」
食事を提供する仕事だからこそ、食材費が絶対にかかる。
だからこそ、食材費を抑えるための努力も必要だ。
それは粗悪な食材を使うということではない。
良質な食材を安く仕入れる方法を模索する。
更に、
「後宮では食材をできるだけ無駄にしないようにするという考えがありませんでした。そのせいで多くの食材が無駄に捨てられ、経費もかかっていたのです。この件については改めることになりました。王宮でも同じようなことをしているのであれば、改めるべきだと思います」
食材の無駄遣いは食材費がかかる原因になるだけでなく、大量のゴミを処分する手間や費用にもつながる。
食材を無駄にすることなく最大限に活用するメニューを考えることで、食材費だけでなく、ゴミの処分にかかる手間や費用も節約する。
「官僚食堂の利用者がどの程度いるのかも調べなくてはいけません。官僚の中には特別な許可を貰い、外部の弁当を手配して食べている者もいます。官僚全員分の食事を作らなければならないわけではないということです。利用者の分だけを作るようにすれば無駄が出にくくなります」
毎日同じ人数ではないかもしれないため、平均利用者数を調べる。
さらに月曜日の利用者は多い、金曜日の利用者は少ないなどといった傾向を分析し、売れ残りにくい食事数を考えて用意する。
「官僚のための食堂だからこそ、官僚に負担をかけるものであってはなりません。官僚の仕事や生活を支える食堂であるべきです。給料の少ない新人でも安心してお腹いっぱい食べることができるような食堂になって欲しいです」
そのような食堂になれば官僚達に喜ばれるのではないかと思っていることをリーナは伝えた。
「大変かもしれませんが、やりがいのある仕事だと思います。官僚食堂の担当者にはぜひ頑張って貰いたいです」
「リーナ様が官僚食堂の担当者だったらいいのに」
ラブが呟くと、リーナは微笑んだ。
「私にも協力できることもあると思いますが、王宮側の担当者は優秀なはずです。きっと良い方法が見つかります。期待しましょう!」
「そうね!」
王宮側の担当者ですか。
俺達もその一人だ。
ディランとアーヴィンはリーナに期待されていると感じた。
実現性が高い解決策を考えれば、見習いの考えた案であっても本採用になるかもしれない。
リーナの案を参考にしつつ、有効な手立てを考えようと二人は強く決心した。





