940 裁き(一)
朝六時、メリーネは起こされた。
第一騎士団の騎士が来て、メリーネを王宮に連れて行く命令を受けていることを伝えた。
「リーナ様からの呼び出しでしょうか?」
「レーベルオード子爵です」
昨日の件でリーナの側近から呼び出しがある可能性は考えていた。
メリーネと秘書室の者達の上司はリーナだが、能力的に考えると後宮での活動を全面的に任せるわけがない。
冬籠りが終われば、側近から直接指示を受けるようなこともある状況もメリーネは予想していた。
伝令に来たのは騎士が一人。
メリーネのしたことを問題に思っているのであれば、連行ゆえに二人の騎士を派遣する。
一人ということは本当にただの伝令ということだ。
メリーネは素早く身支度を整えると、騎士の後に従った。
てっきり歩いて王宮に行くのだろうと思っていたメリーネは、馬車が用意されていることに驚いた。
「馬車で行くのですか?」
「その方が早いので。乗って下さい」
メリーネが馬車に乗ると騎士も乗り込み、扉を閉めた。
二人を乗せた馬車はすぐに発進し、王宮へと向かった。
メリーネは王宮にある一室に案内された。
「こちらで待つように。レーベルオード子爵はお忙しい方ですので、時間がかかるかもしれません」
「わかりました」
王太子、第四王子、ヴェリオール大公妃の側近を兼任する者が忙しくないわけがない。
通常は王族の側近をここまで兼任することはないが、王太子が妻や弟の後見人だからこその特別な処置だ。
そして、パスカルがリーナの義兄であることも関係している。
重用されていることがわかりやすい人事でもあった。
時間が過ぎていく。
メリーネは時計を取り出すと時刻を確認した。
話がどの程度になるかはわからないが、長引けは秘書室の朝礼に間に合わないどころか、秘書室のドアを開けることもできない。
ギリギリまで待って様子を見つつ、状況によっては秘書室の鍵を騎士に託すしかないかもしれないと考えていた。
そして、八時を過ぎる。
姿をあらわしたのはパスカルではなく騎士だった。
「レーベルオード子爵はまだこちらにはお見えになりません。秘書室の鍵をお持ちでしょうか?」
「持っています」
「秘書室長の貴方以外に鍵を持っている者は?」
「基本的にいません。後宮に保管されている鍵がありますが、使用するには後宮長の許可が必要です」
「九時から朝礼が始まるのでは?」
「そうです」
「まだこちらにいていただかなくてはならないので、秘書室の者に鍵を渡します。副室長でいいでしょうか?」
「はい」
「では、お預かりします」
メリーネは秘書室の鍵を騎士に渡した。
「確かに。朝食もまだの状態だということは重々承知しておりますが、飲食物の提供は一切できません。ご了承下さい」
「わかっています。お気になさらず」
「化粧室をご利用される場合は、ドアをノックして下さい。では、このままお待ちください」
騎士は部屋を退出した。
音はしない。鍵はかけていないということだ。
だが、ノックをすれば応じる者がいる。近くに騎士がいるということだ。
メリーネは不安と緊張を感じながらも待つことしかできなかった。
パスカルが姿をあらわしたのは十時半を回った頃だった。
「かけて」
席を立って出迎えたメリーネにパスカルは着席を促した。
「今日は陛下の所にも行かなければならなくて手間取ってしまった。待たせてしまったね」
パスカルはメリーネの向かい側にある椅子に座るとにこやかに話しかけた。
「でもその分、考える時間もできたはずだ。呼び出された理由がわかるかな? 遠慮なく発言して欲しい。リーナが秘書室長に抜擢した者の能力を知りたいからね」
「昨日のことでしょうか?」
メリーネは早速発言した。
「具体的には?」
「リーナ様は最高機密と思われる情報を開示されていました。ですが、正式な開示許可が出ていなかった可能性もあります。そのせいで機密情報を知ってしまった私が呼び出されたのではないかと推測しました」
「それで?」
「すでにご報告が届いているかもしれませんが、緘口令を出しました」
極めて重要な情報であると考え、ヴェリオール大公妃の緘口令と秘書室長の緘口令で二重にしていることをメリーネは話した。
「秘書室の者達は信用できるかどうかを確認した上で採用しております。この件については外部に漏洩することはないと思われます。ご安心ください」
「完璧な対応をしたと言いたいのかな?」
その通りよ!
メリーネは自信満々にそう言いたいのを堪えた。
自信過剰で顕示欲が強いと思われたら困る。常に冷静かつ優秀な者だと思われたかった。
「状況を考慮した上で最善を尽くしました。後は秘書室の者達がしっかりと自らの置かれた立場を認識し、適切に行動することを信じるしかありません」
「君は部下達を信じているのかな?」
「勿論です」
メリーネは迷わなかった。
秘書室の多くは清掃部と掃除部から抜擢した。
清掃部長である自分の指示に従う。従わない者は抜擢していない。
全員、メリーネの優秀な駒だ。
「他にあるかな?」
パスカルはメリーネに尋ねた。
「追加の御指示があればお伺い致します」
「そうじゃない。ここに呼び出された理由についてだ」
メリーネはパスカルをじっと見つめた。
その様子は冷静そのものでありつつ、穏やかでもある。
メリーネを咎め注意するような素振りもないが、好意的でもない。
質問しながらメリーネが優秀かどうかを見極めようとしている。
「わかりかねます」
本当はあった。自分への注意及び処罰の可能性だ。
しかし、それを口にするのは自分に非があることを認めたと思われる。
わざわざ正直に伝える必要はない。やぶへびだとメリーネは判断した。
「では、認識していないということになるのかな?」
パスカルは少しだけ首をかしげた。
「優秀な者だと聞いていたけれど、それほどでもなさそうだね」
決して挑発的な口調ではない。普通だ。静かでもある。
しかし、パスカルの言葉はメリーネの胸に鋭く突き刺さった。
「何か……ありましたでしょうか?」
「リーナの悪口を言ったことを忘れてしまったみたいだね」
そのことかとメリーネは思った。
だが、リーナが不足なのは本当のことだ。
元平民の孤児。ただの召使いでしかなかった者が王太子と結婚した途端優秀な者に変貌するわけがない。
身分は高くなっても能力は不足なままなどころか、余計に不足することが増えるばかり。
それを自覚させ、優秀なメリーネが支える重要性を感じさせたかった。
リーナにも秘書室の者達にも。
「リーナ様をお支えしたいことを伝えたかっただけなのですが、表現として不適切な言葉があったのかもしれません。申し訳ありません」
「後宮統括補佐にしたところで、できることなどたかが知れていると思った。能力がないと思われ、軽視された。君はそう言った」
パスカルははっきりとメリーネの発した言葉を伝えた。
ラグネス、セイフリード、他の者達にも確認してある。間違いない。
「ヴェリオール大公妃の部下であるというのに、ヴェリオール大公妃の名誉を傷つけた。そう思ったのは自分ではない。国王陛下や宰相閣下だと言いたかったのもしれない。でも、なぜ君が国王陛下や宰相閣下の気持ちをわかるのかな?」
わかるわけがない。勝手な推測だ。
「君は陛下や閣下の言葉という形にして王家の者であるヴェリオール大公妃を見下した。ただの秘書室長でしかない君が、国王陛下や宰相閣下の威を勝手に借りてもいいのかな? 例え話というだけで済むことではない」
メリーネは瞬時に悟った。
今の自分が極めて不味い状況にいることを。
「リーナは優しい。ヴェリオール大公妃への不敬を許す権限がある。でも、自分よりも上位である国王陛下や宰相閣下への不敬を許す権限はない。そして、君のために国王陛下や宰相閣下に許してくれるよう懇願することもない。なぜなら、自分のことを反省するあまり、君の大失言に気づいてないからだ。となると、君は許されているのかな? いないのかな?」
許されていない。国王にも、宰相にも、ヴェリオール大公妃にも。
メリーネは愕然とした。
当たり前のことだと言うのに、その事実に気づいていなかった。
「君は自らの能力を過信している。そして、リーナが優しいことに付け込んでいる。リーナに命令させたね?」
パスカルはメリーネを強い眼差しで見つめた。
すでに穏やかさはない。完全に消え失せた。
瞬時に凍てつきそうな冷たさが漂っている。
「これは重大な違反だ。ヴェリオール大公妃の命令はリーナ自身の考えと意志によるものでなければならない。誰かが考えたものを言われた通りに発するものであってはならない」
メリーネは震えていた。
優秀だからこそ、パスカルの言葉の意味がわかってしまった。
「側近は自らの判断で対応できる。ブレア公爵の件は問題ないとしても、ヴェリオール大公妃による緘口令は取り消されることになるだろう。リーナはまだ勉強中だ。結婚した途端、完璧な判断や命令ができなくても仕方がない。でも、君は違う。自身で緘口令を出せる立場であるにもかかわらず、より上位の者に同じ命令を出させた。もう一度はっきりと言う。ヴェリオール大公妃に命令を出させた」
秘書室長にそのような権限はない。越権行為だ。しかも、相手は王家の者。
「これがいかに重大な過ちであるのかわかるはずだ。君は王家の者であるヴェリオール大公妃を傀儡にしようとした」
これ以上聞きたくない。
メリーネはそう思った。
だが、パスカルは続く言葉を発した。
「メリーネ・ガヴェリー。ウーロスターというべきか。君は反逆罪に問われている。父親であるウーロスター卿と同じような状況になってしまったね?」
メリーネは真っ青になった。
次は(二)です。 メリーネの過去や、裁きの結果もわかります。
またよろしくお願い致します!





