930 助け、支え、守る
食事の時間が静かに過ぎていく。
リーナもセイフリードも無言だ。
しかし、リーナはしっかりと食事を取りながらもセイフリードの一挙一動に注視していた。
セイフリードは食事を取るのが嫌いだ。常にその安全性を疑ってしまう。
空腹感がどうしようもなくなればしぶしぶ食べるものの、驚くほど少量しか食べない。
ところが今のセイフリードは普通に食べていた。
量は少ないが、リーナと同じものを口にしている。
自分が起きるのを待っていたことといい、食事を普通に食べていることといい、リーナはセイフリードが何を考えているのかさっぱりわからずに困惑した。
デザートも食べ終わってお茶だけになると、ようやくセイフリードが話しかけて来た。
「それだけ食事を取れるなら大丈夫そうだな。午後の予定はどうなっている?」
「……後宮に行こうと思っていました。話さなければならないことがあるので」
「宰相室へ突撃したことか?」
リーナはびくりと体を震わせた。
「ご存じでしたか」
「僕の所にパスカルがいた時に緊急通達が来た。後で詳細を報告するよう命令した」
リーナが宰相室に突撃することはヴェリオール大公妃付きの全ての騎士に通達された。
パスカルは第一王子騎士団の役職を得ており、ヴェリオール大公妃の側近でもある。
そのためヴェリオール大公妃付きの騎士とみなされ通達が届いた。
「気にすることはない。ただ、宰相室へ行っただけだ。後宮統括補佐として上司の所へ行くのはおかしくない。普通だ」
「そうですね」
リーナは同意した。
「でも、迷惑をかけてしまいました。反省しています」
「お前は悪くない」
セイフリードは毅然とした態度でそう言った。
「通達をしない宰相が悪い。配慮のつもりでも、仕事ができないと思うのは当然だ」
「……どうしてご存じなのですか? それもお兄様に聞いたのでしょうか? それともクオン様ですか?」
「お前の側には常に護衛騎士がいる。空気のように振る舞っていても、その目と耳は働いている。問題があれば兄上やパスカルに報告をするに決まっている。パスカルは僕の側近だ。ゆえに僕を納得させるために話せることは話す。でなければ、僕の側を離れてお前のもとにかけつけることができないのもある」
リーナはため息をつき、下を向いた。
筒抜けなのだと感じるしかない。
「兄上もパスカルも忙しい。妻や妹として支えるべきだというのに、迷惑をかけるようでは困るというのはわかるな?」
「わかります。申し訳ありません」
リーナは心からの謝罪を口にした。
「はっきり言う。お前は馬鹿だ」
リーナが侍女になった時から、セイフリードは何度もその言葉を発して来た。
そして、リーナはその言葉が正しいと思って来た。反論する気はない。
「人間は完璧ではない。どれほど優秀な者でも自分だけでは無理なこと、抱えきれないことがある。だからこそ、家族、集団、組織、団体、国、様々なものがある。多くの人々が集まることによって無理なことを無理ではなくす。抱えきれないことを抱えられるようにする。これこそがまさに人間の強さであり、英知だ。お前はそれを活用していない」
セイフリードはリーナを強い眼差しで見つめた。
「お前は決して優秀でもなければ利口でもない。自分だけでは無理なこと、抱えきれないことが人よりも多くある方だろう。だからこそ、夫や兄といった家族を頼るのは当然だ」
困っている家族を見捨てるような者達ではない。
必ずリーナを助けてくれる。支えてくれる。
「だが、兄上は国民を守り、パスカルはその兄上を支えつつ、レーベルオードの者達や領民を守らなくてはならない。強い者だからこそ、守るべき者も多い。お前のすべきことはそのことを理解し、向上することだ」
「はい。向上します」
もっと強くなりたい。そして、クオンやパスカルに迷惑をかけないように、支えていけるようになりたいとリーナは思った。
「お前は兄上の妻だ。ゆえに、僕にとっては姉のようなものになってしまう。特別に向上の仕方を教えてやる」
リーナは驚いた。
嬉しい。
向上したいとは思うものの、どうすればいいのかといえば、実はよくわからない。
勉強すればいい、頑張ればいいなどとは思うが、何を勉強すればいいのか、何をどのように頑張ればいいのかというのは漠然としている。
だが、セイフリードがこうすればいいと教えてくれるのであれば、ありがたい。
言われた通りにすれば間違いない。セイフリードの頭の良さ、指示の的確さを侍女として側にいたリーナは実感しており、心から信頼していた。
「ぜひ、お願いします!」
「簡単だ。僕に話せ」
リーナは一瞬わからなかった。
「え?」
「僕に話せと言っている。そんなこともわからないのか?」
「えっと、でも、それでは向上にならない気がします」
「本当に馬鹿だな」
セイフリードは呆れたように言った。
「向上するというのはよりよい方向に進むことだ。自らを向上させることも重要だが、一人では無理なこと、抱えきれない場合があると言ったはずだ。その場合は家族を頼れ。夫も兄も忙しいなら弟のようなものである僕を頼ればいいということだ。これでわかったな?」
わかった。
だが、リーナは困った。
「でも、ご迷惑をおかけしてしまいます」
「迷惑じゃない」
セイフリードは断言した。
「頭のいい者として利用されるのは迷惑だが、家族として頼られるのは嬉しい。だから、お前は家族として僕を頼ればいいだけだ。そうすればお前よりはるかに頭がいい僕が考え、良い方法を見つける。より良い方向に進める。向上できる」
本当にそれでいいのだろうかとリーナは思った。
セイフリードに任せるだけで、自分は何もしていないような気がしてしまった。
「お前は僕を家族だと思いたくないのか?」
「そんなことはありません! 思っています! 光栄です! 凄く!」
リーナは必死に弁明した。
「だったら頼ればいい。正直に話すということだ。お前は楽をしようとしているわけではない。懸命に考えているが、難しい。だからこそ、信頼できる者を選んで協力を求め、より良い結果を得られるように最善を尽くす。わかるな?」
「はい。わかりました」
全てを自分で考えなければ何もしていないということではない。
時には自分よりも良い考えを知っていそうな者、信頼できる者を選んで打ち明け、協力を求めるという方法を取っても構わない。
それが自分の最善を尽くすことになり、良い結果につながるということだ。
「兄上もパスカルもお前を心配しているが、仕事がある。ずっと側にいることはできない。特に今の時期は駄目だ。忙しすぎる。そこで、僕が伝えた。家族としての配慮だ。でなければ、お前が起きるまで待っているわけがない」
「そうですね。わかります」
リーナは頷いた。
セイフリードは自分が優先だ。どうでもいい者は無視する。起きるまで待つようなことは絶対にない。
家族だからこそ、リーナが起きるのを待っていたという説明に納得した。
「僕はお前を家族として助け、支える。そこで、お前も僕を家族として助け、支える。これはおかしいか?」
「おかしくありません!」
家族は助け合い支え合う。当然だとリーナは思った。
「ならば、早速僕を助けて欲しい」
「え?」
リーナは驚くしかない。さきほどから驚いてばかりだった。
「僕は来年の四月に成人する。今年はミレニアスへ訪問したせいで誕生日を祝って貰えなかった。その分も来年は派手に祝ってくれるらしい」
「誕生日が四月なのですか?!」
リーナは驚いた。今初めて知った。
「僕の侍女だったくせに」
「すみません……」
「まあ、知っていても何もできない。エルグラードにいたわけではないからな。取りあえず、僕は成人に向けて様々な準備をしなければならない。どんな準備かといえば、社交デビューのための準備だ。お前も養女になった際に勉強をしたな?」
「しました」
「ダンスの練習をしたか?」
「しました!」
「僕も練習をしなければならない」
ああ、そうですよね……。
リーナはセイフリードの気持ちがわかった。
ダンスが得意ではないだけに、練習するのは大変だった。
それでも侍女見習いだった時にワルツを猛特訓したため、なんとか普通程度には踊ることができた。
うまく踊れたとしても、それはリードしてくれる相手のおかげであることもまた重々承知していた。
「それほど多くはないと思うが、練習相手になって欲しい。女性と一緒に踊る練習を回避することはできないと言われた。お前なら背丈も丁度いい。僕が失敗しても足を踏んでも文句は言わない。軽視もしない。守秘義務を守れる。だからだ。わかったか?」
「わかりました!」
リーナは即答した。
「実は他にも身につけなければならないことがある」
「どんなことでしょうか?」
「乗馬だ」
ああ……。
リーナはまたもやすぐに理解した。
セイフリードはずっと引きこもり状態だった。乗馬ができるわけがない。
「身分の高い成人男性は一人で馬に乗れないといけない」
「わかります。そうですよね」
「これは単に馬を操る技術があることを示すだけではない。自分以外のものを従えるだけの能力があることを示すためでもある」
「なるほど」
「僕は王子だ。移動には馬車を使う。わざわざ馬に乗る必要はない。それでも、乗馬が出来なければならない。王子だからこそ、乗馬ができなければならないのだ。平民とは違う。上に立つ王族だからだ。わかるか?」
「わかります」
リーナは頷いた。
「成人に求められるものは数多くある。いきなり十八歳になった途端、全てのことができるようになるわけではない。少しずつ時間をかけ、ことによっては長い年月をかけて身につけていかなければならない。お前は何が必要だと思う?」
「成人に必要なものですか?」
「そうだ。ダンスや乗馬ではないことだ」
「礼儀作法です」
リーナは礼儀作法をしっかりと守ることが大事だと思った。
そのための勉強を自分がしたからでもある。
「それも必要だろう。僕が思うものは他にもある。それは自分以外の誰かを助け、支え、守ることだ」
リーナは言葉が出なかった。
考えるレベルが違うと感じるしかない。
「子供は弱い。非力だ。全力を尽くしても自分だけでは自分自身さえも支えることができず、守れないことがある。だからこそ大人が助け、支え、守る」
成人になるということは大人になるということだ。
多くの者達は自己責任を持つことだと考える。自分のことは自分でする。責任を持つ。自分で自分を支え、守るということでもある。
それも非常に大切なことではあるが、セイフリードはそれだけでは不足だと思った。
大人が全員自己責任だけでいいということになれば、誰が子供の責任を取るのか?
子供の親だけが責任を持つべきなのか? 親以外の家族、親族、周囲の大人は何もしなくていいのか?
違う。立場や能力、状況に応じながら、自身のできることをすべきだ。
でなければ親に見捨てられた子供はどうする? 親が支えきれない時は?
誰の助けも支えも守りもなしに一人で生きろとでもいうのか?
大人でさえ自分一人では困難な状況が溢れる世界に、非力な子供だけで立ち向かえるわけがない。
子供を助け、支え、守るのが大人全員の務めだ。それを人々が肯定する社会、国こそ望ましい。
だからこそ、真の成人とは自分以外の誰かを助け、支え、守ることができる者だとセイフリードは考えた。
これは自身の体験から学び、考えたことでもある。
衣食住だけは整えられていた。だが、両親から放置され、周囲の大人達もそれに倣ってセイフリードを軽視した。
それが当たり前ではないと気づいた時、子どもだったセイフリードの心はどうしようもないほどに傷ついた。
そして、歳の離れた兄が来てくれること、手を差し伸べ、温かく優しく抱きしめてくれることに救われた。
自分だけではどうしようもない子供には手を差し伸べる者が必要なのだ。
そして、これは子供だけの話でもない。
大人でさえ、困難に絶望する時がある。
そのような時に、誰かが手を差し伸べることで救われることもある。
セイフリードは大人になった時、自分を放置し、軽視し、何もしなかった者達と同じようになりたくないと思った。
「僕は大人になる。自分以外の誰かを助け、支え、守っていけるようにならないといけない。大学を卒業したら兄上の執務を支えたいと思っていたが、大学院に通いながら多くの友人を作り、見識を広め、ダンスや乗馬をできるようになって欲しいと言われた。頭が良ければいいわけではない。それでは成人として不足だと言われた」
リーナはクオンの気持ちがわかった。
セイフリードが一人前の大人になるために、あえて厳しくもやるべきことを示した。
そして、それを言われたセイフリードが悔しい気持ちもわかる。
頭が良ければ執務を支えられると思っても、実際はそれだけでは駄目だと言われてしまった。
「そこで僕なりに考えた。僕が誰かを助け、支え、守れることを示せば、兄上は成人として不足ではないと認めてくれる。パスカルも同じだ。僕を子供扱いしない。そして、あの二人の弱点であり、僕よりも馬鹿で面倒を見るのに丁度いい者が一人いる」
リーナはわかった。誰のことか。
「お前だ」
やっぱり!
「僕がお前の面倒を見る。これは僕のためにすることだ。遠慮しなくていい。わかったか?」
「セイフリード殿下が……お目付け役ということでしょうか?」
「家族として支え助けるという言葉をもう忘れたのか? 殿下は必要ないとも言った」
「すみません」
「名前で呼んでみろ」
「セイフリード様」
さすがに呼び捨てにはしなかった。
セイフリードは生まれつきの王族。王家の一員、家族とはいっても自分とは違うとリーナは思った。
「……まあいい。後宮へ行くのだろう? 僕も行く」
「えっ!」
リーナは仰天した。
「お前が今どのようなことをしているのか知らなければならない。でなければ面倒をみることができない」
「そうかもしれませんが、いきなり言われても……」
リーナは渋い表情をした。
本心がわかりやすい。
セイフリードはリーナを睨んだ。
「お前に拒否権はない。但し、僕は何もしない。お前が普段どのようにしているかを護衛騎士達と一緒に見ているだけだ。僕はいないものと思って好きにすればいい」
「でも……セイフリード様が一緒だと、それだけで私だけでなく他の者達も緊張しそうです」
セイフリードは考える。すぐに答えが出た。
「変装すればいい」
「変装!」
あまりにも意外過ぎる答えにリーナはのけぞった。
「護衛騎士になればいい。どうせ僕の顔を知る者はいない」
「無理だと思います。全然騎士っぽくないです」
「チビだと言ったか?」
「言っていません!」
リーナはぶんぶんと首を横に振った。
セイフリードが身長の低さを気にしていることを知っているだけに、ここは絶対に否定しなければならないと思った。
「騎士を呼べ。僕の制服を用意させろ」
リーナは断れなかった。
これ以上無理だと言えば、セイフリードが激怒するような気がした。
その結果、筆頭護衛騎士のラグネスを困らせることになった。
「……申し訳ありませんが、制服のサイズがない気がします。非常に申し上げにくいのですが、王族付きの騎士はそれなりに体格に恵まれていないとなるのが難しいので」
「細身ですから!」
リーナは咄嗟に横幅という部分を強調する言葉を叫んだ。
「騎士は十五歳以上でなれるだろう? 僕のように小柄な者もいるはずだ」
「若くして護衛騎士になれる者はいません。どれほど優秀であっても騎士です。通常の制服であればもしくは……」
「仕方ない。普通の制服を用意しろ」
「下位の騎士、もしくは従騎士の制服になってしまうかもしれません。さすがに殿下にそのようなものを着用させるわけには……」
ラグネスとしては騎士に変装する案を考え直して欲しかった。
「仕方がないと言っているだろうが! さっさと用意しろ!」
ラグネスは懇願するような視線でリーナを見つめた。
「……セイフリード様、別に騎士ではなくても官僚ということでいいのではないでしょうか? 官僚は私服です」
その通り! さすがリーナ様だ!
ラグネスは心の中でリーナを賞賛した。
「一人だけ官僚がいるのはおかしい」
「そんなことはありません!」
明らかに困っているラグネスのためにも、リーナはなんとかこの案で説得したいと思った。
「炊き出しの担当をしている官僚が一人で来ることもあります。なので、新しい担当ということにしておけばいい気がします。セイフリード様ならいかにも頭が良さそうな官僚に見えます! ラグネスもそう思いますよね?」
「思います」
「若くして抜擢されたエリート官僚の設定でバッチリですよね!」
「はい。バッチリかと」
リーナとラグネスのやり取りはいかにもわざとらしく説得したいことがありありとしていたが、セイフリードは妥協することにした。
「秘書室の担当ということにしておく。毎日のように入り浸っているそうだな?」
「では、そういうことで」
リーナがラグネスを見ると、力強く頷かれた。
「だが、僕の騎士もついて来る。第一の制服を貸与しろ」
またもや難題が発生した。
「王太子殿下の許可がなければ無理です。基本的に護衛騎士の制服は貸与できません」
「最下位の騎士のでも従騎士のでもいい。今日だけだ。兄上とパスカルは忙しい。ラインハルトに許可を取れ」
「……では、団長に確認します」
すぐに許可が出た。
セイフリードの護衛騎士は元第一王子騎士団の騎士。
基本的に護衛騎士の制服を他の者へ貸与することはないが、第一と第四に共通する極秘任務ということになった。
リーナは官僚設定のセイフリード、第一及び第四の護衛騎士と共に後宮へ向かった。
次回の更新は木曜の予定です。すみません(汗)
またよろしくお願い致します!
10月27日23時30分頃加筆。





