93 王族席の間(二)
王族席の間には第二王子のエゼルバードがいる。
ノックも許可もなしにドアを開けることができる人物は限られていた。
部屋にいる全員の視線が注がれた先にいるのはエルグラードの王太子――クオンだった。
クオンはドアを開けたまま動かなかった。
エゼルバードの同行者はいないことを確認した上で来たつもりだった。
ロジャーや護衛騎士は関係ない。エゼルバードがいる所には必ずいる。
だが、女性がいるのは予想外だった。
「同行者はいないと聞いていた。ヴィクトリアに同席を許したのか?」
「違います」
エゼルバードはすぐに否定した。
「なぜここにいる?」
「内密の話になります。ドアを閉めてからでも?」
クオンが部屋の中に入ると、側近のヘンデルとパスカルもそれに続いた。
「あ?」
思わずヘンデルは声を上げた。
クオンはヴィクトリアしか見ていなかったが、ヘンデルはヴィクトリアより下がった場所にいる女性の方を見ていた。
美しいドレスを着た清楚な雰囲気の女性は貴族の令嬢に見える。
だが、ヘンデルはすぐにリーナだと気づいた。
パスカルもまたすぐにリーナに気づき、視線を固定した。
クオンの顔が動いた。リーナの方へ。
その瞬間、部屋にいる全員に緊張が走る。
すぐにクオンから不穏な空気が漂ったのは、リーナだと気づいた証拠だった。
「エゼルバード、どういうことだ?」
「内密の話になると言いました。ドアを閉めてください。ヴィクトリアとリリーナは出ていきなさい」
「退室は許さない」
即座にクオンが打ち消した。
「説明が先だ」
「説明するためには控えの間に移動させる必要があります。ロジャー、開演時間を遅らせなさい。ヴィクトリアはリンドバーグの席へ。リリーナは控えの間に残しておくように」
「わかった」
ロジャーはすぐに返事をすると、強引にリーナの手を引いて控えの間に連れ出した。
その様子をクオンは恐ろしいほどの表情で睨んでいたが、ロジャーは気にしてはいられない。
第二王子の側近だけに、第二王子のための行動が優先。それで問題ない。
エゼルバードの指示を再度打ち消す言葉もなかった。
「ヴィクトリア、早く出ろ!」
ロジャーが強い口調で声をかけた。
「申し訳ございません。失礼させていただきます」
ヴィクトリアは謝罪をして一礼すると、素早く控えの間に移動した。
ドアが閉まる。
クオンは室内を見まわした。
「護衛騎士も下げろ」
「下がりなさい」
護衛騎士の二人も素早く下がった。
部屋の中に残ったのはクオン、エゼルバード、ヘンデル、パスカルだけになった。
「話せ」
「側近に聞かせるのですか?」
「このあとに対応させるためにも教えておく。話せ」
「ヴィクトリアが勝手に連れて来たのです」
今夜のオペラにヴィクトリアは友人と参加する予定だったが、友人が急遽欠席になってしまったため、ノースランド公爵家で行儀見習いをしている者を同行させることにした。
ヴィクトリアはリンドバーグ公爵のボックスの席を確保していた。
リンドバーグ公爵は身分主義者。行儀見習いは男爵家の者。当日変更にも代理の身分が低いことにも腹を立てるのは明らか。
ノースランド公爵家とリンドバーグ公爵家の間で問題になるのはロジャーのためにならないため、エゼルバードが特別な配慮をすることにしたという説明が行われた。
「男爵家の行儀見習いと言ったな? リリーナと呼んでいた」
「エーメル男爵の孫にあたるリリーナ・エーメルです」
「養女に出したのか?」
「いいえ。この件については別の事情があります。説明すべきでしょうか?」
「話せ」
「私が担当している孤児院の件で、犯罪組織に関係しているものがあったことはすでにご存知のはず。その犠牲者でした」
ロジャーがリーナと話したところ、本名はリリーナだとわかった。
孤児院が提出した国民登録のせいで、名前が愛称のリーナになってしまった。
同年齢で行方不明者や死亡者のリストを確認させたところ、リリーナ・エーメルの名前が浮上した。
屋敷に入った強盗団によって両親は死亡、リリーナは誘拐されて孤児院に売り飛ばされていた。
同じような犠牲者がいたため、その件については国王に相談し、エゼルバードが内密で元の出自に戻れるようにするか、平民として生きるかを選択させることにした。
リーナの場合は祖父のエーメル男爵との極秘交渉がまとまり、元の出自に戻れることになったとエゼルバードは説明した。
「レイフィールは知っているのか?」
「孤児の中に犯罪事件の被害者がいて、貴族の子どもが含まれていたことは知っています」
「私だけ知らされていなかったのか」
クオンは顔をしかめた。
「兄上は多忙です。煩わせないようという父上の配慮です。被害者を救うことを優先するため、私の方でも情報を扱う者は制限しています」
「行儀見習いとして、ノースランドで暮らしているのか?」
「貴族として最低限の礼儀作法と知識を教えなければならないということで、勉強させていました。ノースランドには常に複数の行儀見習いがいます。ヴィクトリアがリーナを同行者に選んだのは偶然でした」
クオンの表情は晴れない。
突然の説明を吟味したかった。
「兄上、時間を遅らせるにも限度があります。続きは幕間か観劇後でもいいでしょうか?」
「リーナの席はどこだ?」
「一階です」
「ノースランドの席か?」
「いいえ。今夜は私が来るのでどこも満席状態です。さすがに立ち見はつらいと思ったので、一番席に補助席を設けさせました」
「舞台が見えにくいではないか」
「リンドバーグ公爵家のボックス席よりはましです。六番ですよ?」
「リーナの席は私の方で用意する。エゼルバードは王族席に行け。時間が押している」
「兄上は三階のボックスですか?」
「そうだ」
クオンは個人的にボックスを購入している。
今夜は王族席で観劇をするつもりはなく、観劇の前に少しだけエゼルバードと話し、三階の五番ボックスの方で少しだけ仮眠、途中で王宮に帰る予定だった。
「また来る。ここで待て」
「わかりました」
「時間がない。行くぞ」
クオンは控えの間に移動すると、まっすぐにリーナの側へ来た。
「事情は聞いた。エゼルバードが用意させた席はよくない。別の席で観劇させる。共に来い」
クオンはリーナの手を取った。
「ロジャー、終演後については少し考える」
「わかりました」
開演予定時間を過ぎているため、廊下には劇場や警備関係者しかいなかった。
クオンとリーナの後ろにヘンデルと護衛のクロイゼルが続く。
パスカルはもう一人の護衛であるケヴィンと共に先行していた。
「ちょっと待った! 転びそうで危ないよ」
ヘンデルはクオンに連行されているようなリーナの様子を見て心配した。
クオンは背が高いこともあり、歩幅が大きい。
急いでいるせいもあって、リーナに合わせていなかった。
「靴のヒールが高いのか?」
「はい」
「脱げ。ヘンデルが靴を持て」
「パスカルじゃないの?」
側近としての序列はパスカルの方が低い。
雑用はパスカルがすべきだとヘンデルは感じた。
「護衛能力が高い。緊急事態に備えて手は空けさせる」
「そう言われたら仕方がないな。というか、いざという時は俺も剣を持つけれどね」
リーナは高いヒールの靴を脱ぎ、素足で廊下を走ることになった。
先ほどよりは速くなったが、ドレスの裾が長いこともあって効果が薄かった。
「仕方がない」
クオンはリーナを横向きで抱え上げると走り出した。
その表情は変わらない。冷たく厳しいまま。
だが、リーナの胸は最大級にドキドキしていた。





