924 宰相室への突撃
突然お休みしてすみません。
加筆が多すぎて時間内に仕上がりませんでした(汗)
改めて、よろしくお願い致します!
リーナは後宮の廊下を猛然と走った。
ヴェリオール大公妃が廊下を走るというのはかなりの緊急事態だ。
宰相室に急ぐとしても走る必要はないことを伝えるべきだったが、誰もがリーナの剣幕と行動に驚いてしまい、一緒になって走ることしかできなかった。
おかげでリーナは馬車のいない馬車乗り場についてしまった。
「馬車がありません!」
外出用に用意されていた馬車は点検や清掃のためにすでに移動していた。
「すぐに用意させます」
リーナはしばしの間、新しい馬車が準備されるのを待たなくてはならなくなった。
しかし、考える時間ができる。
「ラグネス」
リーナは筆頭護衛騎士の名前を呼んだ。
「はっ!」
「急いで騎士を集めて下さい。緊急です!」
「緊急ですか?」
ラグネスは驚いた。
「ここにいる全員は王宮に同行しませんよね? 人数が少なくなるはずです」
現時点でリーナに同行している騎士は十二名。外出していたこともあって普段よりも多い。
だが、このまま全員が同行し続けるわけではないことをリーナはわかっていた。
「王宮内で同行するのは何人ですか?」
「このメンバーですと、残るのは二名です」
リーナを見送った後、後宮の警備室へ戻るのが四名。リーナが王宮に戻った時点で勤務終了になるのが四名。残り二名は交代だ。
但し、交代要員はヴェリオール大公妃の間に向かう。
外出から戻った後の予定が事前に組まれていないことや、時間的にも夕食前の支度に入ると思われるため、リーナがいる場所に向かうことはない。
「この間宰相室へ行った際、補佐官達が邪魔しました。なので、牽制のために騎士をできるだけ多く連れて行きたいのです」
冬籠りの後、リーナは宰相室へ行った。
後宮の書類に印を貰うためだが、すんなり面会できたわけではなかった。
宰相はエルグラードで最も忙しい者といっても過言ではないだけに、面会をするためには事前に予定を確認し、約束をしておかなければならない。
王族は命令権を行使することでいつでも宰相と会えるが、王族妃であるリーナにはその権限がない。
宰相補佐官から淡々と説明され、取り次いでもらえなかった。
リーナはヴェリオール大公妃ではなく後宮統括補佐としての権限で上司への面会を希望したが、それについても同じく約束がないことや宰相府が最高に忙しいことを理由に渋られた。
結局リーナが会えるまで帰らないといってドアの前に座り込んだため、ラグネス達がヴェリオール大公妃を床に座らせる気かと補佐官達に詰め寄った。
困った補佐官達は面会できるかどうかを伺うためにドアを開け、リーナが中に滑り込んで面会を強行したという経緯があった。
「たぶん、沢山の騎士達を連れて行けば説得するのは無理だと考え、すぐに面会できるかを確認するはずです。その際にまた宰相室へ入ります」
ラグネスは考えた。
リーナの推測はあっているように思える。速やかに面会するためには同行する騎士の数が多い方がいい。
また、王族エリアではなく宰相府の出入口まで馬車で行った方が早い。歩く距離も短くなり、宰相室に早く到着する。
外出で疲れていることを考えると、距離がある経路は避けるべきだ。
そして、リーナがヴェリオール大公妃の間を経由することなく宰相府へ行くということになると、急いで騎士達を集めなければならない。
リーナは宰相室へ同行させたいのであって、宰相室前に集合させるということではない。
緊急招集でなければ間に合わない。そう思った。
「わかりました。では、緊急招集をかけますがよろしいでしょうか?」
「お願いします」
ラグネスは王宮到着後に交代する二名を伝令役に指名した。
伝令役の騎士達はすぐに王宮に向かう。
やがて、馬車の準備が整い、リーナが乗り込んだ。
ベルも同じく馬車に乗ろうとするが、ラグネスが突然呼び止めた。
「ベルーガ様、よろしいでしょうか?」
「何か?」
「ここだけのお話です。リーナ様はかなり感情的になっているように思います。外出についての報告をするという名目で、ヴィルスラウン伯爵にこのことを伝えていただけないでしょうか?」
「お兄様に?」
「他の側近達はどこにいるかわかりませんが、ヴィルスラウン伯爵は必ず王太子殿下の執務室にいます。判断によっては王太子殿下のお耳にも入るのではないかと」
ラグネスはいつも温厚なリーナが非常に怒っていることを心配していた。
緊急招集をかけても宰相との面会を強行しても、ヴェリオール大公妃だけに処罰はされない。注意もしくは厳重注意で済む。
しかし、相手は宰相。不安を拭えない。
ベルは政治的権限のないヴェリオール大公妃の側近補佐でしかない。重要組織の官僚としてすでに強い権限を持っている側近達に比べると、その権限も対応力にも圧倒的な差がある。
同行しても力不足なばかりか、リーナに代わって処分対象になってしまう恐れもある。
そこで所在が確定している側近のヘンデルにこの状況を伝えて貰う。妹でもあるために面会しやすい。
その判断次第では王太子に伝わり、最善と思われる対応をするだろうとラグネスは考えた。
「わかったわ」
「王族エリアの出入口で一旦馬車を止めますので、ベルーガ様はそこで降りて下さい。リーナ様はそのまま宰相府の出入口まで馬車で移動します。外出で足が疲れているはずですのでその方がよろしいかと。お疲れかとは思いますが、できるだけ急いで伝えて下さい」
「了解よ」
ベルが乗り込み、ラグネス達もそれぞれの馬に騎乗する。
ヴェリオール大公妃の馬車が動き出した。
ヴェリオール大公妃であるリーナが宰相補佐官室にあらわれると、宰相補佐官達の表情が一気に緊張したものになった。
以前にもリーナが突然来て、宰相に面会したいと要求したことがあった。
補佐官達は通常対応として事前に宰相の予定を確認の上で面会予約を取る必要があることを伝えたが、リーナは納得しなかった。
ドアの前に座り込まれるという非常に困った事態になってしまったばかりか、面会の許可が出る前にリーナが宰相室に入ってしまった。
宰相室の中では数名の補佐官達がおり、重要書類を扱っていた。
部外者であるリーナに見せるわけにはいかないため、面会をするのであれば重要書類を見られることがないように片付ける必要がある。それができなかった。
リーナが押印の手伝いをしたこともあって、宰相は面会の強行を問題視しないことにしたが、補佐官からこの件を王太子に報告し、注意を促すよう伝えさせた。
ところが、王太子の代わりに話を聞いた首席補佐官でヴェリオール大公妃付きの側近でもあるヘンデルが猛然と反論した。
後宮統括補佐であるリーナが上司である宰相に面会を求めるのは当然の権利だ。
後宮統括補佐というのは後宮統括の部下における上位。必要と判断すれば即時面会できる権限がある。でなければ、緊急性の高い用件が発生した際に困る。
しかも、後宮統括である宰相は後宮にいない。後宮統括の部屋さえないため、リーナが上司に会うには宰相室に行くしかない。
現時点の状況で判断すると、宰相室は後宮統括室でもあるため、そこに後宮統括補佐であるリーナが面会希望を伝えるために入るのは問題ない。
宰相補佐官が取り次ぐ必要はなく、後宮統括補佐であるリーナ自身が直接尋ねればいい。
部屋に入られるのが困るような状況であれば、上司である宰相がすぐに部屋から出て行くよう伝えるか、重要書類を片付けるまで補佐官室で待機するように指示すればいいだけだ。
そもそも、第一側妃達が宰相室に行った際、宰相補佐官達は同じ様な対応をするのかと問いただされた。
伝令役の宰相補佐官は言葉に詰まった。
国王の妻である第一側妃達が来れば、すぐに来たことを宰相に報告する。面会できない、予約を取って欲しいと言って追い返すようなこともしない。
第一側妃よりも上位の側妃であるヴェリオール大公妃に対してだけ、面会できない、予約を取って欲しいなどというのは非常に無礼であり不敬ではないかと指摘され、ぐうの音も出なかった。
王太子への報告はやぶへびになった。
ヴェリオール大公妃であり後宮統括補佐であるリーナのことを、宰相も宰相補佐官達もしっかりと尊重し、無礼なことはしないようにという王太子からの注意が逆に届いた。
とはいえ、滅多にないことだろうというのもあって、その件については流された。
だというのに、この状況だ。
まただ……。
リーナの姿を見た宰相補佐官達はすぐにそう思った。
しかも、前回のやり取りで学習したのか、騎士達を大勢同行させていた。
これは身分の高い者や大臣等の役職者がよく取る手法だ。
突然行っても約束がないなどと言い返されるのを見越し、仲間や部下達を大勢連れて行くことで威圧したり牽制したりする。
リーナが多忙過ぎる側近達を全員引き連れて来るのは難しい。侍女を連れて来るのでは威圧にも牽制にもならない。
護衛騎士は護衛を理由にどこまでも同行できる権限があるため、廊下に追い返せない。
リーナの判断は鋭く賢いとしか言いようがなかった。
「宰相閣下に面会します」
断固たる態度でリーナはそう言った。
面会できるかどうかを尋ねるのは失敗であることも学習していた。
「閣下はお一人でいます。それだけ重要な書類を確認中だと思われますので、護衛騎士の方々を同行するのはご遠慮いただきたいのですが」
このような意見は大抵無視される。
宰相を威圧したり牽制したりするにはこのままの状態で部屋に入った方がいいからだ。
しかし、リーナはすぐに頷いた。
「元々二人だけで話すつもりでした。騎士達はここに待機させます。ですが、後宮に関する重要な話になります。聞き耳を立てられたくありません。補佐官達は廊下に出て下さい」
条件がついた。
宰相補佐官達はそれぞれ顔を見合わせたが、頷く者が多かった。
相手はヴェリオール大公妃。
帯剣した騎士達を同行させているが、宰相に危害を加える可能性は絶対にないと信じられる。
いつもと違って激怒している表情から、宰相に強烈な言葉を投げつけそうな予感もした。
いくら部屋が防音仕様でも、怒鳴れば多少は聞こえてしまう。それを聞かれたくないというのはわかる。
下手に刺激して、騎士達に追い出されてしまうような事態はどちらのためにもならないだけに避けたい。
「……わかりました。ですが、閣下が誰かを呼ぶ可能性もありますので、一人だけはこの場に残ることをお許し下さい」
穏便かつ保険を確保する対応だった。
「駄目です。今、ここは後宮統括室です。後宮関係者以外の者は外に出て貰います。そして、護衛騎士は絶対に私から離れることができません。宰相室に入らないだけでもましだと思って下さい」
リーナの言葉も態度も揺るがない。
宰相補佐官達はため息をついた。
それは白旗を上げた証拠だった。
「宰相閣下に面会します!」
ドアが開くとリーナが姿をあらわした。
宰相もまた補佐官達と同じ心境になった。
またか……。
だが、前回のことで宰相も学んでいる。王太子から注意された以上、無視するわけにもいかない。
無言のまま机の上にある重要書類を伏せて隠した。
「今度はなんだ?」
リーナは書類を手にしてはいない。扉はすぐに閉まった。同行者もいない。激怒している。
これらのことを考えると、リーナの目的は抗議か要求しかない。
「宰相閣下、いえ、後宮統括閣下に抗議しに来ました!」
宰相の予想は当たった。
「後宮へ何度か通達を出しているそうですね? でも、私は何も聞いていません!」
宰相は抗議の内容を瞬時に把握した。
その件に対する答えは決まっている。
「伝える必要がないと判断した。それだけのことだ」
「いいえ。伝える必要があります!」
リーナは否定した。
「私は後宮統括補佐です。後宮統括である閣下から通達が来なければ、その通達に従って動くことができません。私の直属である秘書室の者達も同じです。後宮への全体通達だというのに、私や秘書室の者達だけが知らないのはおかしいではありませんか!」
リーナの主張は正しい。
だが、宰相は優秀だ。正しい主張を無効にする方法はいくらでも考えつく。
「秘書室長は清掃部長だろう? 必ず通達が届く。秘書室長から報告を受ければいい」
まずは下のルート。
「それでは遅すぎます! 秘書室の立場が上位部同等どころか、より低く見られてしまうかもしれません。そのようなことでは困ります!」
「では、国王から聞け」
次は上のルート。
「基本的に後宮への通達は国王からということになっているが、実際は私が考えなければならない」
統括は国王の許可がなくても命令を実行できるという極めて強い権限を持っているが、国王の承認がないままでもいいわけではない。
事前承認を事後承認にすることで迅速かつ効率的に仕事をしているだけだ。
最終的に国王の承認が得られなければ命令を変更あるいは撤回しなければならない。
「私は後宮へ通達すると同時に国王へも通達内容の報告をする。書類の作成及び通達を届けるのは国王府の者が行っている」
本来は補佐が通達書を作成して国王に届けたり後宮長に通達したりしなければならないが、官僚としての経験が全くないリーナにはできない。
また、ただの官僚ではないヴェリオール大公妃にそのようなことをさせるわけにもいかない。
そこで、後宮を管轄する国王府の者がそういった仕事をしている。
「国王は多忙ですぐに確認できない。国王府にいる後宮監理官が通達書を預かっているだろう。それを確認すればいい。但し、通達書を探すには時間がかかる。秘書室長からの報告を待った方が早い」
結局、上のルートは使えない。下からのルート、清掃部長を兼任している秘書室長から報告が来るのを待つのがいいということだ。
「では、閣下が国王陛下と後宮長に伝える際、私を呼んで下さい。私が通達を届けます。そうすれば通達内容を知ることができます」
「王家の一員であるヴェリオール大公妃を呼びつけるわけにはいかない」
「私の部屋に通達書を届けさせればいいだけでは?」
「不在の時に困る。後宮の書類だけに、侍女には渡せない」
リーナが不在で直接手渡せないと、再度出直すことになる。
手間と時間が無駄にかかって通達しにくくなる。
「様々な部分を考慮した結果、後宮統括補佐を通さずに通達をするということが最も効率的かつ迅速なのだ。そもそも、ヴェリオール大公妃は私の通達に従って仕事をしているのではなく、独自の仕事をしているではないか。自分のしたいことをしていればいい。通達は後から届く。早くなければならない必要性は低い」
「そんなことはありません。早い方がいいに決まっています!」
「そう思うのは勝手だが、私の判断はすでに決まっている。変更はない」
「変更して下さい!」
「変更しない」
「のけ者にするなんて酷いです!」
「のけ者にしているわけではない。通達を知るのが遅いだけではないか」
「それでは困るのです。何も知らない間にどんどん通達されてしまいます!」
「秘書室長がすぐに報告しなかっただけだ。あるいはヴェリオール大公妃が忙しくて後宮に行かないからではないか?」
「後宮にはほぼ毎日行っていますし、秘書室にも行っています!」
「では、秘書室長の責任だ」
「違います! おかしいと気づいたのは秘書室長ですから!」
「おかしくない」
「おかしいです!」
リーナの主張と宰相の意見は一致しない。
解決に向かう様子は微塵もなかった。
……諦めが悪いのはともかく、引き際を全く考えていない。兄よりも手強い。
宰相は心の中で唸っていた。
次回は「隠れた配慮」の予定で、クオンが登場します。
またよろしくお願い致します!





