923 のけ者
後宮に戻ったリーナ達は早速新規に開設された休憩室へ向かった。
だが、いざ休憩室へ行くとなると、リーナは困ってしまった。
「どちらにしましょうか?」
新しい休憩室は四つある。
今回は下位の者達が地上で堂々と休憩できるための場所を作るということを重視したこともあって、地下と地上を結ぶ階段の近くにある部屋が選ばれた。
「男性用の休憩室は除外として」
男性用と女性用で各二部屋ずつ。
どの程度の利用者になるのかわからないことや、後宮の組織として制定されている階級差を考慮した。
基本的には上位と下位の者達では明確な差があり、使用する部屋どころか通路、共用施設であっても可能な限り分かれている。それが後宮という場所だ。
休日におけるプライベートな交流という意味では階級差を考える必要はないように思えるが、プライベートだからこそ貴族と平民の差がより重視されるとも言える。
また、リーナ自身召使として働いていたことから、休日に利用できる休憩室があったとしても、そこに上位の者達が大勢いると部屋に入りにくい。くつろいでおしゃべりもしにくい。遠慮してしまうと感じた。
そこで取りあえずは二部屋用意し、利用者達がどうするのか様子を見ることにした。
「悩む必要はありません」
リーナとは対照的にベルはあっさりとしていた。
「空いている方を使用するしかありませんから」
部屋に大勢の人がいると使用したくてもできない。そのため、混んでいない方へ行く。当然の選択だ。
ベルは二つの部屋の様子を見比べ、空いている方を示した。
「こちらですね」
リーナもドアを開ける際に中の様子を見たが、片方の休憩室には物凄い数の人がいた。
リーナのイメージでは椅子に座っておしゃべりしているイメージだったが、テーブルや床にも座っているような過密状態だ。
リーナ達は空いている方の部屋に入った。
「え?」
数人しかいない。あまりにも差があり過ぎた。
「こちらは随分空いていますね。椅子も余っています」
ベルも隣の部屋との差が激しいことを不思議に思っていた。
「こんにちは。質問してもいいですか?」
ベルは部屋の隅の方に置いてあるテーブルの方にいる女性達に声をかけた。
ヴェリオール大公妃の外出に同行を許された者達が黄色の制服を着用することはすでに後宮中に知れ渡っていた。
だからこそ、黄色い制服を着用した者達を従えるようにして来た女性達がヴェリオール大公妃とその側近の女性というのは一目でわかった。
休憩室にいた女性達はすぐに席を立ち、緊張した面持ちでリーナ達を見つめていた。
「はい!」
「何でもお答えします!」
「失礼ですが、ヴェリオール大公妃の側近の方でしょうか?」
「あの、申し訳ありません。お邪魔でしたらすぐに部屋を移ります」
女性達は緊張していたこともあって返事もバラバラだった。
ベルはにっこりと微笑んだ。
「私はヴェリオール大公妃リーナ様の側近補佐を務めるベルーガ・シャルゴットです。今日は外出の予定でしたが、新設された休憩室が気になるのでこちらに来ました。隣の部屋は混雑していますが、こちらは空いています。どうしてこのような状態なのか知っていますか?」
「向こうは召使達がいます」
「下位の者達の休憩室は初めてらしいです」
「地上にあるのは」
「隣はずっと満員というか、混雑しています」
「秘書室の者達もあまりにも盛況過ぎて驚いていました」
次々と答えが返って来た。
但し、女性達は朝からずっと休憩室にいるわけではない。先に休憩室にいた者達から伝え聞いたこともある。
休日の者達が自由に利用できる休憩室が出来たということに誰もが興味を持ち、休みではなくても仕事の休憩時間に様子を見に行こうと思っている者達が大勢いた。
そして、利用開始時間になると、多くの人々が休憩室に訪れた。
最初は二部屋共に満室のような状態で、廊下にも人が溢れてしまい、秘書室の者達が人数制限を行ってなんとかしようとしていたほどの混雑ぶりだった。
さすがにこのような状態では休憩できないということで、ほとんどの者達が場所の確認と休憩室の中を確認するだけになった。
昼食時間が近かったこともあり、休憩室に長々と滞在する気がある者は少なかった。そのため、急遽見学のみに切り替えられても不満の声は上がらなかった。
昼食時間は終わるとまた人々が殺到して混雑し始めた。今度は休憩するための利用目的の者も多かった。
そこで秘書室の者達が片方を休憩室としての利用、もう片方を休憩室の見学のための利用に分けた。
「こちらは見学用です。椅子が空いていなければこんな感じの部屋であることを見学するだけになります。立ったままで長時間滞在することはできません。休憩室として利用したい場合は隣の部屋に行かないと駄目なのです」
「それでこっちが空いていたのね」
「はい。誰かが来てもちょっと見てすぐに行ってしまうので、椅子も空いています。隣は下位の者達で占領しているような状態なので、上位の者達は元々ある休憩室の方に行っていると思います」
「あ!」
リーナは思い出した。
上位である侍女見習いや侍女には元々休憩室がある。
仕事の合間に利用できるようになっているが、休日は利用できないわけではない。むしろ、休日の者と仕事の休憩で来た者とが話をするには丁度いい場所になっていた。
新しい休憩室は二つ。片方は地上にいたい召使達が大勢いて占領している。
侍女達はそのような休憩室をわざわざ利用する必要はない。新規の休憩室の場所や様子だけを確認し、元々使っている休憩室に移動すればいいだけだ。
だからこそ、片方の休憩室も召使達だけで占領した状態が続いているということだ。
「私達はここに人が来たら、今日だけは見学用になっていることを伝えるようにと言われています。秘書室は凄く忙しいので、ずっと誰かがここにいるわけにはいかないとか。時々は様子を見に来るものの、いない時は部屋にいる者達で情報や伝言を共有しておいて欲しいと言われました」
「そうだったのね」
ベルは頷いた。
「貴方達は……その、上位なのかしら? それとも下位なの?」
女性達は全員が私服だった。制服ではないため、ベルには判別できない。
「上位です。私達は全員侍女です。部署は違いますけれど」
「今日、お友達になりました」
「顔は知っていたのですが話したことがないというか、いつもの休憩室は同じ職場の者達で固まるので」
「他の部署の者達と仲良くしていると、情報漏洩しないよう上司に注意されます。だけど、ここだとそういう縛りがないというか……」
「自由におしゃべりできるのが嬉しいです」
「秘書室の者に伝言役を頼まれたので、ここに居続けてもおかしくありません。堂々といられます」
侍女の女性達は普段は話しにくいと思っていた他の部署の者達と話す機会ができたことや友人になれたことを喜んでいた。
元々休憩室がある上位の者達が使用する新規の休憩室は必要ないわけではない。
下位とは違う理由で、上位の者達も新規の休憩室を活用できるということだ。
「リーナ様、何かご質問はありますでしょうか?」
ベルが尋ねると、周囲にいる女性達は一気に緊張した。
「椅子があって良かったです。外出した者達は疲れているので、ぜひ休憩してみてください。使用した感想や気づいた点、もっとこうして欲しいというようなことがあれば、秘書室宛に手紙をくれると助かります」
リーナの言葉を聞いた女性達は、何か注意のようなことを言われるのではないかと思っていたため、ほっとした。
「私は秘書室に行こうと思います。同行者の者達はここで休憩というか、解散でいいのですよね?」
「はい。今日の外出は終わりです。ただ、貸し出している制服は必ず今日中にクリーニングカウンターに出して下さい。それで返却したことになります」
「皆のおかげで沢山の小枝と落ち葉が集まりました。本当にありがとう。また何かあれば手伝いを募集すると思うので、良かったらお願いします。ただ、あくまでもボランティアですので任意で構いません。命令だとは思わないで下さい。終わりです」
「では、ここで解散します。本当にお疲れ様でした。ゆっくり休んで下さい」
リーナとベルは休憩室を出ると秘書室へと向かった。
「おかえりなさいませ」
秘書室へ顔を出したリーナ達をメリーネは座ったままで迎えた。
これは本来ありえない。起立し、深々と一礼するのが正しい。
だが、メリーネは別の選択をした。
リーナにはこの対応を叱責する権限も理由もあるが、何もしないどころか問題にさえ思わない。
メリーネはそのことを見抜いていた。
「今日の外出につきまして問題やお気づきの点がございましたら紙に書いてご提出ください。早急に対応するとともに、次回における参考に致します」
「わかりました」
リーナは頷いただけではなかった。
「腰の具合は大丈夫ですか?」
メリーネが立たなかった理由を知らなかったベルや護衛騎士達は驚いた。
メリーネは腰を痛めている。立ったり座ったりするのは負担がかかる。元部下であるリーナはそのことを知っている。秘書室の者達も。
そのことがわかった。
「職業病ですので仕方がありません。それよりも報告したいことがあります。ご不在の間に重大な問題が発覚しました。これについてはリーナ様の早急な対応が必要だと思われます。言葉で説明するよりも書類を読んでいただいた方が早いので、今すぐお読みいただけるでしょうか?」
リーナは素直に頷いた。
「わかりました。緊急のようですね」
「もうすぐ終業時間ですので、私としては緊急です」
メリーネはきっぱりとした口調で言い切った。
「じっくりと検討されたい場合はお持ち下さい。自室で読まれても構いません。ですが、かなりの重要書類になります。関係者以外の者が絶対に読むことがないよう注意していただく必要があります」
リーナは書類を受け取った。
すぐに目を通す。
そこには後宮統括補佐であるリーナと秘書室がのけ者になっていることがわかりやすく記されていた。
現在、秘書室が抱えている仕事は手紙の仕分け以外にもある。
警備調査室宛の手紙を秘書室宛に変更したために大量の手紙が届くが、炊き出しにかかわる件等のヴェリオール大公妃への通達も全て秘書室に届くようになった。
それとは別に秘書室はメリーネの指示によって様々な係を作り、後宮内の改善等に関わる業務もこなしている。
まだ新設されたばかりであるものの、秘書室は今後の後宮運営に対して非常に重要なポジションにいる。
にもかかわらず、後宮への正式な通達が秘書室には来ない。
なぜかといえば、リーナが後宮統括補佐だからだ。
基本的に補佐という役職は独立した役職ではない。後宮統括の補佐をする者ということで、後宮統括に付属する位置付けだ。
後宮の組織図における頂点は国王。その次が後宮長。
だが、国王は様々な執務を抱えている。後宮長に直接指示を出すことが難しい。
そこで国王府に所属する者の中から後宮担当を選んで任せている。
これまでは後宮監理官を最上位とする担当者達がおり、後宮を任されていた。
だが、国王は宰相を後宮統括に任命した。
基本的に統括というのは専門性を持つ最上級の官僚職。その権限は相当なもので、当然のことながら後宮監理官よりも上だ。
国王から後宮監理官を通して後宮長へ伝えられていた通達が、国王から後宮統括を通して後宮長へ伝えられる形に変更された。
その通達経路に後宮統括補佐が入っていない。秘書室も同じく。
なぜなら、上司である後宮統括の宰相がリーナに通達しないからだ。
後宮長からリーナに通達することもない。リーナは後宮長よりも上位の者であるため、通達はすでに行われていると判断されてしまう。
基本的に通達は上から下に行く。上から下に行き、また上に行くということはない。
秘書室はヴェリオール大公妃の直属。リーナが通達を秘書室に教えなくてはいけない。
リーナに通達が来なければ、秘書室に教えることができない。秘書室にも通達が来ていない状態ということになる。
どうしてこのことがわかったのかといえば、メリーネが清掃部長を兼任しているからだった。
後宮統括からの通達は後宮長を通して各上位の役職者に伝えられる。当然、通達の順番に従って上位部長にも伝えられる。
メリーネは清掃部長として通達を何度か受け取っていたが、秘書室長として通達を受け取ったことがなかった。
最初は新規に設立されたばかりということもあって様子を見ていたが、リーナが後宮統括である宰相と直に話をし、様々な書類に許可を得た後も同じく通達がなかった。
後宮統括補佐も秘書室も通常の通達体系から外れている。完全に。
それを確信したため、メリーネはリーナにそのことを伝えるための書類を作成した。
このままではリーナが知らない内に次々と通達が後宮に伝えられてしまう。
メリーネが清掃部長として通達を受けた時点で秘書室にも同時に通達し、リーナに報告することはできる。
だが、そうなると秘書室の立場は上位部と同等ということになる。
それは後宮統括補佐の直属であるにもかかわらず、上位部に対する優位性が失われてしまうということだ。
また、通達のタイミングが遅くなる。
早急に対策しなければならない場合や、その通達を変更したい場合に備え、できるだけ早く知っておいた方がいい。
通達が相当下まで降りてしまってからは後手になるため、不利かつ面倒になる。
メリーネはどうすればいいのかについてもしっかりと明記していた。
後宮統括と直接話し、通達経路の変更を要請する。
後宮長への通達はリーナからするように変更する。
あるいは後宮長と同じタイミングでリーナにも通達をして貰う。
読み終わったリーナの表情は普段のそれとは違い、真剣そのものかつ怒りが宿っていた。
「私と秘書室をのけ者にするなんて許せません! 抗議して来ます!」
「秘書室の仕事に多大なる影響が出る前にぜひともお願いしたく存じます」
「王宮に戻ります! 宰相室に突撃です!」
突撃?!
リーナの言葉に周囲は驚愕の表情になった。
だが、リーナは気づかない。
一刻も早く王宮に戻るべく走り出した。
次のタイトルは「宰相室への突撃」の予定です。
またよろしくお願い致します!





