919 冬の森(一)
朝九時。
後宮で働く者達が利用できる休憩室は多くの女性達で溢れていた。
だが、休憩に来た者はいない。
なぜなら、初日における休憩室の利用は十一時からだった。
今いる者達は、ヴェリオール大公妃の外出に同行し、ヴェリオール大公妃の手伝いを希望する者達だけだった。
「どうして黄色いのですか?」
リーナは思わず色について尋ねた。
言葉足らずとしかいいようがないが、メリーネはすぐに答えた。
「外出に同行する者には使用していない侍女の制服を着用させました。不審者ではなく、リーナ様の同行者だとわかりやすくなります」
「それもそうですね」
「もう説明はしてあるのでいつでも行けます」
リーナの散歩に同行するのは側近補佐のベル。
カミーラが風邪を引いてしまったため、その世話をすることもあってずっと顔を出していなかった。
「カミーラの体調はどうですか?」
「大丈夫です。休養室にいるので」
リーナは驚いた。
「大丈夫じゃありません! それぐらい酷いということですよね?」
「あ、重体ということではなくて」
カミーラは側近補佐として王宮に部屋を持っており、仕事部屋ではなく一時的な宿泊室にしている。
病気になった場合は王宮の医務室を利用することができ、病状によっては休養室の利用も可能だ。
最初は自室で安静にしていればいいと言われたものの、カミーラの部屋には夫であるキルヒウスも寝泊まりしている。
冬籠りの間はほぼ王太子の執務室に籠っているが、冬籠りが終了すればまた部屋に戻るようになる。
そこでカミーラは冬籠りの終了と同時に自室療養ではなく、休養室の利用に切り替えた。
自室だとベルが何かと世話をしなければならないため、負担をかけ続けてしまうことも合わせて考慮した結果だ。
とはいえ、病状はすでに軽い。単にキルヒウスにうつしたくないというのが主な理由だ。
「ずっとリーナ様のお手伝いをできなくてすみませんでした。その分、今日はしっかりと働きますから!」
「頼もしいです。ベルなら体力もありそうなので安心です」
「任せて下さい!」
ベルは胸を叩いた。
「黄色のコートですね」
「シャペルからのプレゼントです。愛用しています」
「あ、でも」
リーナは気づいた。
「手伝いの者達は外套が……」
手伝いの者達は元側妃候補の制服を着用している。
長袖で通常の制服よりも上質だが、さすがに外出するのであれば外套が必要だ。
「ご懸念には及びません」
メリーネが答えた。
「馬車に乗る際、後宮警備隊がコートを貸し出してくれます」
リーナとベルは王家の馬車に乗るが、手伝いの者達は後宮警備隊の馬車に乗る。
外出先は後宮敷地内ではない。王宮敷地内だ。
全体警備は護衛騎士の指揮下にある王宮騎士団と王宮警備隊の者達が担当するが、その備品を貸し出すと、警備担当と混同しやすくなってしまう。
そこで、馬車やコートの貸し出しは後宮警備隊がすることになったのだ。
「良かったです。晴れていても寒いでしょうから」
「手袋もあります。作業用のものですが」
女性専用のものはない。大きいサイズになってしまうが、後宮の備品にある作業用の手袋が用意されていた。
「昼食は後ほど届けます」
リーナとベル、護衛騎士の昼食は王宮が用意するが、それ以外の者達の昼食は後宮が用意する。
二カ所から届くため、昼食時間に合わせて現地へ届けることになっていた。
「至れり尽くせりですね」
「移動化粧室もあります」
馬車式のトイレである。
但し、昼食やトイレ休憩は森の離宮で取ることになっている。
あくまでも緊急用だ。
「全然考えつきませんでした……」
「リーナ様が全てを考えて指示する必要はありません。周囲の者達が何も言われなくても用意しておくのが当たり前なのです」
メリーネの有能さはすでにリーナの知るところである。
ヘンリエッタも頷いているため、そうなのかと思うだけだ。
「こんなに楽をしてしまっていいのかどうか……」
いいにきまっていた。リーナはヴェリオール大公妃。王家の女性だ。
「では、いってらっしゃいませ。私は秘書室に戻りますので失礼致します」
メリーネは残業を一秒たりともしない主義だ。
リーナが出発するのを見送るために残るという選択はしない。時間の無駄だと判断する。
さっさと仕事に戻るメリーネをリーナは不敬ではなく頼もしいと思った。
リーナの外出先は王宮地区内にある森の離宮、正式呼称は森林宮と呼ばれる場所だった。
ここはリーナがクオンと結婚した際にも会場の一つとして利用されており、またヘンリエッタ達が後宮を解雇された際に救済処置として雇用された離宮でもあった。
あまり知られてはいないが、森林宮は王太子の管轄だ。
周囲を森に囲まれていることから、古くから狩猟会や乗馬会が行われる場所として親しまれてきたが、今はあまり使用されていない。
第三王子であるレイフィールが友人や部下と共に狩猟会や乗馬会、小規模演習をする場所として年に数回利用している程度だった。
「ここが……森林宮」
リーナはそびえたつ建物を見上げた。
王宮や後宮、そしてレーベルオード伯爵邸、ノースランド公爵邸、ディーバレン子爵邸などこれまでに立派な建物を何度も見て来た。
だが、森の中にあるということから、なんとなく自分が幼い頃に住んでいたような屋敷かもしれないと勝手に思っていた。
全然違った。
まさに宮殿である。巨大な。
「ここはほとんど使用されていないのですよね?」
「そうですね。私が子供の時は毎年必ず狩猟会や乗馬会をしていました。今はそういうのがなくなってしまったので」
大掛かりな催しは費用がかかる。
経費削減のためになくなったのかもしれないとリーナは思った。
まずは森林宮で再度警備を含めた全体説明があった。
これからリーナに同行する形で森林宮の周辺に広がる森へ行く。
あくまでもリーナを中心とした団体行動になり、個人行動は許されない。
森の景色を楽しむのは問題ないが、同行者は小枝や落ち葉拾いをすることにもなっている。
リーナは炊き出しのために薪が欲しい。
大量に必要になることもあり、少しでも費用を抑えるため、王宮地区内にある森から薪と一緒に燃やせそうなものを拾い集めることにした。
警備の一部は伐採活動をする。
伐採した木は薪に加工するものの、乾燥度が足りない可能性がある。そこで後宮で備蓄している薪と同量分を交換して貰い、できるだけ無料の薪を確保することにしていた。
「小枝や落ち葉は乾燥度が高く、炊き出し当日に使用できる可能性が高いです。少しでも薪を節約するため、そういったものを集めて下さい」
「はい!」
手伝いの者達には大きな麻袋が配られた。
ノルマはないが、半分程度は集めて欲しいことも伝えられた。
「先に袋を貰ってもいいですか? 早く行きたいです」
「もしかして、リーナ様も拾う気ですか?」
「当然です。そのために来たのですし」
ベルは驚くしかなかった。
てっきりリーナの散歩という名目で外出し、同行者達に薪と交換するための木材や一緒に燃やせそうな可燃物を集めさせるだけだと思っていた。
リーナ自身もそういった作業をするとは全く考えていなかった。
リーナ様は何でも命令するタイプじゃないというよりも、何でも自分でする生活をしていたから、それが当たり前なのよね……。
リーナが本当にただの平民だったということをベルは改めて実感した。
「ヴェリオール大公妃が自分で小枝拾いをするのはおかしい気がします。上に立つ者として命令する方というか……」
ベルなりに考えながら言葉を紡ぐ。
「サボっている人がいないかを監督する方じゃないかと思います」
「なるほど」
リーナは納得した。
確かに自分はヴェリオール大公妃という高い身分だ。
作業を怠っている者がいないかどうかを監督するような仕事をすべきだというのは理解できる。
「でも、その場合は皆で注意すればいいと思います。私だけが注意するよりも早く対応できますよね。散らばっている者達を私だけで見るのは大変です」
「まあ、そうですね」
今度はベルが納得する番だった。
「取りあえず、私達も小枝を拾いましょう。サボっている人がいたら、ベルが注意しておいて下さい」
「えっ、私が?」
「だって、側近補佐です。私の代わりに注意するのも仕事ですよね? 私は小枝を拾っているのでお願いします」
ベルは助けを求めたくなった。だが、幼い頃から頼りにしてきたカミーラはいない。
目に入ったのはリーナを護衛する騎士達。
「ラグネス様はどう思われますか?」
「大変申し上げにくいのですが、リーナ様が作業に使用する手袋の用意がございません。そちらの手袋は防寒用です」
「手袋は手袋ですよね?」
「小枝を拾うと汚れてしまい、洗う者達が泣くことになるかと」
リーナは自分のしている手袋を見つめた。
白い。つまり、汚れやすい。泥汚れは落ちにくい。洗濯する者達は大変だ。汚れが落ちないと怒られる。しかも、刺繍付きだ。洗いにくい。
「そこまで考えていませんでした」
諦める。誰もがそう思った。
「誰か、汚れてもいい手袋を持っていませんか? 予備のものとか」
リーナは別の手袋をすればいいと思った。
普通なことのように思えるが、王家の女性らしくはない。貴族の令嬢としても同じく。
手袋を変えてまで小枝を拾う作業をしようとは思わない。作業をするのは別の者。それを当然だと思うか、任せておけばいいと思う。
やはり、リーナは平民と同じ思考なのだ。
リーナ様って普通な感じで想定外なことをするのよね……。
ベルはそう思いつつ、ポケットから予備の手袋を取り出した。
「これをどうぞ」
「いいのですか?」
「汚れるので帰りは取り換えようと思っていたのですが、手袋をしなければいいだけです。使って下さい」
「ありがとう!」
リーナは笑顔でベルの手袋を受け取った。





