918 秘書室
後宮に秘書室が新設された。
正式に許可が出たのは冬籠りの後だが、冬籠り中に設立されていた。
秘書室にはヴェリオール大公妃の手足となって働く者達が所属する。
早急に一定の人員を確保するため、リーナは清掃部長のメリーネと掃除部長のマーサに一部の人員を兼任あるいは異動させたいことを直接伝えた。
二人はすぐに了承した。
しかも、清掃部長のメリーネは自身も異動を希望した。
上位部の長になるのは決して簡単なことではない。
リーナだけでなく掃除部長のマーサも驚いた。
しかも、今の給料の半分でいい、必ず後宮の経費削減に貢献できるような結果を出すと約束した。
口では結果を出す、自分は優秀だなどとアピールするだけなら誰でもできるが、給料は半分でもいいと自ら申し出る者はいない。
それほどの自信と覚悟があるということだ。
リーナはメリーネのことを知っている。
仕事のやり方について変更したいと言った時、試す機会を与えてくれた。
今度は自分がメリーネを信じ、試すべきだとリーナは思った。
「仕事の方はどうですか?」
リーナが秘書室へ顔を出すのはもはや日課のようになっていた。
「順調です。人員を追加しました。二十名です」
「どんどん増えていますね……」
「合計百名になりました」
リーナは当初、清掃部と掃除部から十名ずつ採用することにした。
室長を清掃部長のメリーネ、副室長を掃除部のネッタに指名した後は、警備調査室の補助をするため、手紙の仕分けをするように指示した。
だが、メリーネは自身の裁量によって秘書室内に係を作り、受け持つ仕事を増やしながら人員を補充していた。
「こちらが異動の辞令です。承認印をお願いします」
絶対に必要なものとして秘書室専用の印を揃えたのもメリーネだ。
リーナには思いもつかないことだった。
「わかりました」
リーナは辞令書を受け取った。
通常は先にリーナの承認を受けるべきだが、リーナは後宮にいるとは限らない。
メリーネは事後承認にすることで、どんどん仕事を進めていた。
「こちらは元所属先の長による承諾書です。それから本人の異動希望届と雇用条件承諾書。経歴書及び調査書。全て揃っています」
「目を通しておきます」
リーナの代わりに同行していたヘンリエッタが書類を受け取る。
「印を押しながら聞いて下さい。新たに人事係と労務係を設けました。人事係は秘書室に望ましい者の調査、採用者の指導、担当決め、勤怠管理を行います。秘書室の者が増えたこともあり、専任の係を作ることにしました」
人に関係する仕事だとリーナは思った。
「労務係は労働環境に関わる業務を行います。リーナ様が考案されました休憩室に関わる業務も担当します。すでに通達及び告知をしました。明日から利用を開始できます」
「えっ、明日?」
リーナは驚いた。
地下で働く者達が休日を地上で過ごせるようにしたいことをメリーネに伝え、使用できそうな部屋を探して欲しいということは頼んだ。
だが、部屋を探すだけでなく、明日から利用を開始できるところまで進んでいた。
「空き部屋を休憩室として利用可能にするだけですので」
「まあ、そうですけれど……」
「後宮長以下の上位役職者による同意書もあります。いざという時はこの中の誰かに責任を取らせることもできるでしょう」
「大丈夫です。私が責任を取ります」
「住居係からの報告によりますと、新しく調査した部屋の設備に問題があるとのことです」
秘書室内には住居係というものがある。
これは後宮で働く者達に与えられる部屋にかかわる業務を行う者達だ。
部屋の選定及び調査、実際に利用する許可を与えるだけでなく、引っ越し作業の手伝いまで担当する。
リーナとしては、来年からはできるだけ多くの者達が地上にある部屋で生活できるようにしたいと思っている。
そのために空き部屋の状況や数、定員等を確認させていた。
「水回りですか?」
「はい。施設部だけでなく、保守管理部の怠慢も明らかです。しかも、修理部と修繕部によると、一年前に修理したはずだというのです」
「せっかく直したのに、壊れてしまったわけですね?」
「考えられるのは三つ。老朽化しているため、直してもすぐ壊れる。修理人の腕が悪かった。実は直していない」
リーナは緊張した。
「もしかして……直していなかったのですか?」
「後宮警備隊に外来者の記録を確認させました。一時間しか滞在していません。恐らく、修理人は何もしていません。できたとしても、応急処置だけでしょう」
外来者が利用する出入口は決まっている。問題がある部屋まで行くだけでもかなりの時間がかかる。戻るだけで倍の時間。修理の時間も必要なら、一時間で終わるわけがない。
「応急処置であるにもかかわらず、どうせ使用しない部屋だと思い、修理したと報告したのではないかと」
「酷いですね」
「修理代はしっかりと計上されていました。高額です。領収書は偽物でした」
リーナは驚いた。
「どうして偽物だとわかったのですか?」
「後宮内で使用される特殊な紙だったからです。清掃部長である私の目は誤魔化されません」
後宮の書類の一部には特殊な紙が利用されている。
内部情報が流出しないように、重要な書類は特殊な紙を使用するのだ。
修理した業者が発行した領収書であれば、一般紙になる。少なくとも、後宮の特殊な紙と同じものではない。
だが、修理代の領収書は後宮の特殊な紙によるものだった。これは後宮の者が特殊な紙を使って領収書を作成したということになる。
修理業者への支払いは現金払いが多い。
実際に支払う額よりも高額の見積書を作成しておき、多額の現金を用意しておく。
修理業者には元々の安い金額を支払い、受け取った領収書をより高額な請求書や領収書に差し替える。
すると、多額の残金が出る。帳簿上は経費として支出済になっているが、不正を行った者が自由に使える。
メリーネの説明を聞いたリーナは険しい表情になった。
「犯罪行為です!」
「証拠品である領収書等と共に警備調査室に報告しました。すぐに捕縛するそうです。秘書室の功績を奪われたくないので、こちらで報告書を作成しておきました。リーナ様と秘書室の功績になると思います」
「凄いです! 経費を節約するだけでなく、不正まで発見してしまうなんて!」
メリーネは有能だった。
秘書室への人事異動を打診する際、元所属部に給与分の予算を秘書室の予算として変更させていた。
現在の秘書室には予算がないため、異動した人員への給与分を元所属部から秘書室に移す必要がある。
元所属部は来年から異動した人員分の人件費がかからなくなる。経費削減したことになるため、人事異動は歓迎だ。今年度の給与分を秘書室に移動させることも了承する。
一方、秘書室に異動する者は給与が減額される。
嫌なら異動を断っても構わない。だが、後宮は何度も解雇を繰り返しているような状態だ。秘書室に移れば解雇対象から外れる。誰もが喜んで異動する。
結果として、秘書室には異動した人員の給与分の予算が増える。
異動した者は減額を了承しているため、実際の人件費は少なくて済む。
つまり、人件費を削減したことになる。
そして、秘書室の人員が増えれば増えるほど、節減効果は高くなる。
この方法は一見すると秘書室に異動する者達の給与を搾取しているかのように思えるが、そうではない。
減額は本人の了承を得ていることもあるが、減額される以上の得があるのは明白だからだ。
解雇されないというのは相当な保険だ。減額されなくても、元の所属先で解雇の不安におびえ、実際に解雇されてしまうよりはずっといい。
また、秘書室はリーナの意向によって人員の待遇や労働環境についてもしっかりと考えていくつもりでいる。
立ち上げたばかりの今は最低限でも、将来的には成果に応じた何らかの利益や褒賞を期待できる。
つまり、自分の給与の一部を未来に投資しているようなものであり、確率的にはローリスクハイリターンなのだ。
「秘匿性の高い後宮は不正の宝庫。調べれば調べるほど埃が出て来るはずです。この私が本気を出せば、この程度の成果はすぐに上がると確信していました」
「メリーネは警備隊に入った方が良かったのでは?」
「女性は警備隊に入れません。不正を発見しても評価されるどころか、上層部に睨まれるかクビでしょう。後宮警備隊は腐っていますから」
リーナは驚いた。
「それは犯罪行為に加担しているということですか?」
「清掃部から報告した不審者の報告を全て握りつぶされています。掃除部長のマーサも知っています。ですので、清掃業務は基本的に団体行動を徹底させていました」
「私は一人でしたけれど」
「リーナ様が担当したのは二階です。不審者の目撃情報が多いのは一階と地下です」
但し、本当に不審者だったのかどうかはわからない。
男性の目撃情報が多かったため、後宮内で密かに逢引きを行っていた者である可能性もあった。
「後宮内のひと気がない場所をよく知っているのは警備です。警備の者が交際相手の女性と会うためにうろうろしていた可能性もあります。もしそうなら、身内の恥です。絶対に言いません。握りつぶすでしょう」
「なるほど」
昔、リーナも密かにそのような感じのする者達を目撃したことがあった。
「リーナ様に見ていただきたい書類は多くありますが、時間も限られているかと思います。あちらの箱に入っていますので、時間がある時にお願い致します。確認されなくても私の方で万事順調に進めていますのでご安心下さい」
メリーネが指さした箱にはすでに収まりきらないほどの書類が積まれていた。
「多いですね……」
「じっくり読むことも大切ですが、スピード感は非常に重要です。人間誰しも一日は二十四時間。勤務時間内に仕事を終わらせれば残業は必要なし。夜は美容のためにたっぷり睡眠を取る。これが正解です」
なんとなく、リーナは過去のことを思い出した。
「すみません。あの時は突然呼び出してしまって」
「怒ると皺が増えます。ですので、私を怒らせるようなことは避けていただけると助かります」
「そうですね。覚えています」
メリーネが睡眠と美容に気を遣っていることは知っている。召使の頃から。
「メリーネ様!」
秘書室に飛び込んで来たのは副室長のネッタだった。
「調整できました! 数も時間も大丈夫です!」
メリーネがさっと手を出すと、書類が渡される。
素早く目を通すのにかかった時間は数秒。
「外出に同行する者を確定できました。明日の朝九時、休憩室に集合です」
「ありがとうございます!」
リーナは満面の笑みで答えた。
次は王宮敷地内ではありますが、外出のお話です。
またよろしくお願い致します!





