90 王立歌劇場
オペラは貴族や裕福な者に好まれ、歌劇場は重要な社交場の一つとして認識されている。
王都には複数の歌劇場があるが、最も格式が高いのが王立歌劇場だった。
元々はオペラが好きな国王がおり、王宮地区に国王専用の歌劇場を作った。
国王専用の歌劇場は王宮歌劇場と呼ばれていたが、国王が主催するオペラの時だけ使用されるにはあまりにも贅沢過ぎる施設で、維持費も多かった。
そこで王宮の中で行われていた行事の一部を王宮歌劇場で開催し、維持費の支出を無駄にしないための工夫が行われた。
時代が移り変わり、王宮が増改築されたことで多くの行事が王宮の方で開催されるようになった。
だが、老朽化が進む王宮歌劇場を守るため、予算を削減できない。
ついに、活用度が低い施設に莫大な予算を注ぎ込むことが問題視され、王宮歌劇場を取り壊す案が浮上した。
すると、第二王子のエゼルバードが、執務としてこの問題を手掛けたいと言い出した。
歴史的かつ芸術的な価値が高い王宮歌劇場を守るため、自分が手掛けることで予算を削りつつも運営が継続できるようにするということだった。
国王が許可すると、第二王子は王宮歌劇場を王立歌劇場に変更して有料化した。
チケットを購入できるのは王族と貴族だけ。
全て年間指定席。ボックスを占有できるボックス席と、土間部分に設置されたペア席の二種類のみ。
歴史的かつ芸術的な価値がある場所を守るための寄付を含めた高価格だったが、王家への忠誠心、新しい特権、社会的貢献を証明したい貴族が席の購入を希望した。
あまりの人気ぶりに販売価格を引き上げることで希望者を減らすことにしたが、それでも席数以上の購入希望者がいたため、最終的には抽選で当選した者から順番にどの席を購入するかを選べることになった。
席の権利は一年間。
購入希望者が多いことから年々価格が上がっているが、最初に手に入れた者が優先して継続購入するかどうかを決めることができるため、ほとんどの者が手放さない。
但し、全ての公演を見に行く者ばかりではないため、席の権利者が知り合いを招待するという名目で保持する席の転売。高額な席の権利を継続して保持するための費用の一部に回すようになった。
第二王子側としては王立歌劇場の運営費や老朽化対策のための費用が捻出できればいい。
現在の権利保有者が値上げしても必ず購入してくれるのは嬉しいため、高額な権利の費用負担を軽減する方法として、転売を認めていた。
「そのせいで席が手に入りにくいのよ」
馬車の中でリーナに説明をしていたヴィクトリアはため息をついた。
だが、リーナは首を傾げた。
「転売が可能なら、むしろ手に入りやすくなるのでは? 元々席を買った人でなくても、知り合いに頼めばチケットを手に入れることができるわけですし」
「席を保持していない貴族にとってはそうでしょうね。でも、私は違うわ」
ノースランド公爵家はボックス席――小さく区切られたスペースにある六席を占有する権利を持っている。
本来であれば、ノースランド公爵家の直系孫であるヴィクトリアは大好きなオペラ三昧の日々を楽しめるはずだが、祖父のノースランド公爵はオペラに興味がない。
席を購入したのは、跡継ぎ孫のロジャーが王立歌劇場を管轄する第二王子の友人兼側近だからであり、四大公爵家の一つとしての名誉がかかっているからだった。
年々上がる権利代については嬉しく思っておらず、少しでも回収するため、ほとんどの日程で席を転売していた。
そのせいでヴィクトリアはノースランドのボックス席を使用できず、友人やコネによって他の席を確保するしかないことを説明した。
「立ち見席もあるのだけど、価格が安いせいで余計に手に入りにくいのよ」
「ヴィクトリア様は公爵家の御令嬢なのに、苦労されているのですね」
リーナのイメージとしては、貴族は金持ちで贅沢な生活を送っていると思っていた。
実際、ノースランド公爵邸はどう見ても金持ち。客であるリーナ自身も贅沢な生活を送っていると感じていただけに、ヴィクトリアがオペラの席を確保するために苦労しているというのは意外だった。
「しかも、働かれているなんて」
ヴィクトリアは芸術専門の非常勤講師として複数の学校で働き、給与をオペラのチケット代につぎ込んでいた。
「そうよ。大貴族だって名門貴族だって苦労することがあるの。今回は私の友人アデルのご両親が親しくしているリンドバーグ伯爵の父親、リンドバーグ公爵が所有するボックスよ」
アデルは体調不良で一緒に行けなくなってしまったが、自分の家よりも格上の貴族が保有するボックス席だけに、空席にすることだけはできない。
代わりに誰かを連れていってほしいとヴィクトリアに手紙で連絡して来た。
「絶対に問題を起こさないようにね。リンドバーグ公爵夫妻とリンドバーク伯爵夫妻と同席になるから」
ボックス席は六つ。その内の四つがリンドバーク公爵家の者で、残りの二つがヴィクトリアとリーナの席だった。
「私の言うことは絶対に聞くこと。余計なことは口にしないこと。黙ってオペラを鑑賞して帰るだけ。わかった?」
「はい」
「ああ、そうだわ」
ヴィクトリアは思い出した。
「リリーナを紹介しないといけないわ。エーメルの爵位は?」
貴族の数は多い。有名でなければ家名を聞いても爵位がわからないというのは普通のことだった。
「男爵です」
ヴィクトリアの表情が固まった。
「男爵?」
ヴィクトリアにとって予想外だった。
なぜなら、ノースランド公爵家は行儀見習い先として非常に人気が高い。
書類審査に受かるのは、爵位が高い家の者ばかりだった。
「ああ、わかったわ! 従属爵位よね? 祖父は伯爵? それとも公爵か侯爵かしら?」
「いいえ。祖父が男爵です」
「信じられないわ! ノースランドで行儀見習いをするのに男爵家なんて!」
最初に確かめるべきだったとヴィクトリアは後悔した。
「最悪だわ! 空席にはできないのに!」
「男爵家ではダメなのでしょうか?」
「一番下だもの! 公爵家のボックスなのよ? 最低でも上級貴族かその縁者じゃないと!」
ヴィクトリアは気づいた。
「そうだわ! 母親は? 貴族よね? 上級貴族の出身?」
「母親は平民です」
余計に条件が悪くなったと思いながらヴィクトリアは肩を落とした。
やがて、馬車が王立歌劇場に到着した。
この日は第二王子のエゼルバードがオペラ鑑賞に来場する予定であることが公表されていた。
そのせいで来場者の多くは本来の席の保有者で、転売相手についても身分の高い者や極めて裕福な者の割合が多かった。
そのような状況で問題を起こしたくはない。醜聞は避けなければならない。
ヴィクトリアは泣きそうな気分だったが、警備の者に待つよう言われ、走って来る近衛騎士姿のアルフを見て希望を感じた。
「アルフ! 助けて!」
「そう言うと思った」
アルフはヴィクトリアの席が身分主義者であるリンドバーグ公爵家の席だと知り、男爵家の出自で跡継ぎでも直系でもない者を、付き添いとはいえ連れて行くのは問題になると思っていた。
「ロジャーが呼んでいる。到着したらすぐに連れてこいと言われた」
「ロジャーが助けてくれるかも!」
ヴィクトリアはより強い希望を感じた。
「急ぐ」
「わかったわ!」
アレフの先導で、ヴィクトリアとリーナは王族席の間へ向かうことになった。