863 ブレッド
リーナは後宮へ向かった。
不正疑惑の件を含めた急ぎの仕事が多くあるため、側近はいない。
代わりに側近補佐のカミーラとクローディア、そして炊き出し担当に任命された官僚一名、荷物を運ぶこともあって多くの騎士達が同行していた。
まずは真珠の間へ移動する。
「これをお願いします」
リーナは到着早々自分で持っていた封筒の中から書類を取り出し、ヘンリエッタに渡した。
「拝見させていただきます」
書類の内容は年末に貧民街で催す炊き出しに協力してくれるボランティアの募集ポスターの作成だった。
貧民街!
ヘンリエッタは思わずよろめきそうなショックを受けた。
だが、リーナが孤児だったことを思い出す。
きっと孤児院があった場所ということだわ……。
そう思うことでなんとか堪える。
「自分で作ろうと思ったのですが、うまく絵が描けなくて」
書類にはポスターに書かれている注意点が記載されている。
後宮で働く者であれば応募できるが、通常の仕事は免除にならない。
開催日やその準備期間にある自身の休日を使って何かしらの手伝いを無償でしてくれる者を募るというものだ。
どんな感じのポスターにするのかを大まかに書いた絵まである。
四角形の上に三本線。
コップと湯気?
絵から判断したというよりは、炊き出しというヒントからの推測だ。
正解かどうかはともかく、お世辞にも絵心があるとは言えないとヘンリエッタは思った。
「……シンプルですが、じわじわと伝わってくるような気が致します。温かい物が出るということでは?」
「そうです。カップからスープの湯気が出ている絵にしてみました」
カップだったのかとヘンリエッタは思った。
「リーナ様、これはカップではなくコップです。持ち手がありません」
「あっ、そうですね。ちゃんと描ける者に修正して貰って下さい。でも、豪勢なスープではないので、具沢山な感じの絵は困ります。実際と違うものを書いてしまうと期待を裏切ってしまいますし、信用を損ねてしまいます。カップでグイっと飲む感じの絵でもいいのですが、人物を描くのは難しいですよね?」
「絵心のある者を探してみます」
「できるだけ簡単なポスターにして下さい。十枚は同じものが欲しいです。下働きでも応募しやすいようなものというか、誰でも簡単に参加できそうな感じがいいです」
「わかりました」
「では、ちょっと調理場の方へ行って来ます!」
「その件ですが」
午後にリーナが調理場から出る食品廃棄物の視察に行くことはすでに真珠の間にも通達されており、ヘンリエッタ達も知っていた。
「調理場では夕食の準備作業がありますので、午前中に出た食品廃棄物は別の場所に移動したそうです」
「どの部屋ですか?」
「匂いの問題もありますので中庭になりました。警備の者達が案内致します」
「わかりました」
リーナは早速食品廃棄物がある中庭に向かった。
食品廃棄物は調理場に最も近い場所にある階段から上がって一番近い場所だった。
中庭といっても石張りになっている。
後宮には複数の中庭があるが、このような石張りにされている場所は何らかの使用目的がある場所であるため、関係者以外はあまり利用しない。
「……意外と少ないですね」
リーナは袋や容器に入った食材が山積みにされていると思っていたが、実際は予想よりもかなり少なかった。
早速どのような食材が出ているのかを確かめるため、箱の蓋を開ける。
「これはパンですね。綺麗に見えますけれど……」
「リーナ様、できれば蓋等は開けるように命じて下さい。また、廃棄物に触れることも避けていただきたいのですが」
中庭には警備が配置されており、食品廃棄物を運ぶ様子や袋や容器の中身も確認されていた。
しかし、護衛騎士としてはリーナが自ら開けたり触れたりするのは避けて欲しいというのが本音だ。
「では、すぐに見ることができるように蓋とかを開けて置いて下さい」
「全ての袋と容器を開けろ!」
護衛騎士が叫ぶと、中庭の端に控えていた者達が素早く移動して作業を開始する。
その間、リーナは周囲をキョロキョロと見まわした。
古い知り合いの姿が目に留まる。
「ブレッドさん!」
名前を呼ばれた者が振り向く。
いかにも柄の悪そうな目つきの男性だったため、護衛騎士は咄嗟に警戒を強めた。
「お久しぶりです!」
リーナはすぐにブレッドの所で行った。
「まさかこんなところでお会いできるとは思っても見ませんでした!」
ブレッドはいつもリーナがゴミを捨てに行く際に会った廃棄部の召使だった。
「でも、ブレッドさんはゴミ捨て場の受付ですよね? もしかして担当が変わったのですか?」
ブレッドは周囲に視線を向けた。
護衛騎士達が睨んでいる。作業をしている者達もちらちらと見ている。
なぜ自分に話しかけたのかと思うしかない。
「俺は言葉遣いが良くないんで、質問は他の者にしてくれませんかね?」
「ブレッドさんのことはブレッドさんに聞くのがいいと思います。それに知らない人よりもブレッドさんの方が話しやすいですし、安心できます」
安心できるのか?
護衛騎士達はすぐ様そう思った。
見た目はいかにも柄の悪そうな召使に見える。
だが、リーナが知っている人物ではある。
リーナの性格からいっても、柄の悪い男性と親しくしているとは思えない。安心できるという以上、それに見合うだけの何かがあるはずだと感じた。
「普通に話してくれて構わないので、説明して貰えませんか?」
ブレッドは大きくため息をついた。
「このゴミは通達があって残しておくように言われた。当番はここへ運んで終わりだ。ここからまた運ぶ当番の者はいない。臨時対応だからな。そこで、当番以外の者が臨時対応をすることになって呼び出された」
「すみません。余計なお仕事を増やしてしまって」
「仕方ない。さっさと検分してくれ。集積場にゴミを運べば仕事が終わる」
「わかりました!」
リーナは頷き、すぐにブレッドが開けたゴミ袋の中身を見た。
ニンジンが入っている。型抜き後のものだ。
「勿体ないですね……十分使えそうです。そう思いませんか?」
「ゴミはゴミだろ」
「ブレッドさん、ちょっと聞いていいですか?」
「わかることならな」
「朝食と昼食の準備後に出たゴミだと思うのですが、いつもこの位のゴミなのでしょうか?」
「少ない。これは午前中に出たゴミというのが適切だ」
「……そうですか。でも、午前中に出るのは朝食と昼食を準備した後のゴミですよね?」
「午前中に出るゴミは朝食の食べ残しか昼食を準備した時のゴミだ。朝食を準備した時に出るゴミはほとんどない」
「どうしてですか?」
「前日の内に片付けられているからだよ」
朝食の準備は前日にしておくことが多い。そのため、朝食を作る際に出るゴミの多くは前日に出てしまい、夜のうちに片付けられてしまう。
午前中に出るのは朝食の残りや昼食の準備によって出た廃棄物だ。
「知りませんでした……この時間に来れば今日出るゴミの半分位は見ることができると思っていたわけですが、もっと後に来ないと駄目そうですね」
「午後の方が多いな。色物と箱物がないせいで少ないのもある」
「色物と箱物? それはなんでしょうか?」
「色つきの紐や袋のゴミだ。箱物は箱に入ったゴミだ」
「……包装紙とか木箱のことですか?」
「ゴミを入れるやつに決まっているだろーが」
後宮から出るゴミは大まかに分けると袋か箱に詰められる。
どのゴミをどの袋や箱に入れるのかは種類や状態等によって細かく分けられている。
廃棄部はゴミを運ぶだけと思っている者もいるが、実際は後宮中から集まったゴミを分別する作業もする。
「燃やしちまうゴミは大まかでいいが、燃えないゴミと燃えにくいゴミ、業者に渡すものは指定された袋か箱に入れることになっているんだよ」
「では、一部のゴミがないということでしょうか?」
「業者に渡すゴミはないな。ここにあるのは全部集積場に持って行くやつだ。その後は焼却場に行く」
「業者に渡すゴミはどこにあるのでしょうか?」
「調理部の一時保管室にある」
調理部から出るゴミで業者に渡すものは調理部の方でためておき、業者が来るスケジュールに合わせて調理部がゴミを出す。
「一時保管庫も見てみたいです」
「調理部に言ってくれ」
「細かいゴミの仕分け方について知りたいです。廃棄部長に仕分け方を書いたものをくれるように伝えて貰えませんか? どのゴミは業者に渡したり集積場に持って行くのかもわかりやすく書いておいて下さい。炊き出し用に使えそうなものがあれば欲しいので」
面倒臭い。
ブレッドはそう思ったが、リーナのすぐ側にいる護衛騎士達が睨んでいる。
さっきよりも視線が鋭いだけでなく、沸々と湧きあがる怒りのオーラが感じられた。
ブレッドの口調も態度も良くない。それはブレッド自身が一番よくわかっている。
ヴェリオール大公妃自身が許可したからこそ許されているだけで、本来なら処罰ものであるのは言うまでもない。
俺だって別に好きで答えているわけじゃない。気に入らないなら別のやつに聞けよ!
それを言葉にするほど無知ではない。あくまでもブレッドの心の中の叫びだ。
「……伝えてはおく。だが、環境部に言った方がいいんじゃないか?」
「環境部というのは廃棄部の上位ですよね?」
「そうだ」
「じゃあ、廃棄部長の方から環境部長に伝えておいて下さい」
結局、廃棄部長に伝えなければならない。
しかも、環境部長に伝えるという余計な仕事を任されそうでもある。
言わなきゃ良かったぜ……。
ブレッドは思わず天を仰いだ。





