855 緊急招集(一)
二十一時になった。
平日における王太子の執務時間は二十二時をもって終了することになった。
王太子を執務室から王太子の間まで送り届ければ、朝まで出て来ない。
突然眠れないといって執務室に戻ったり、寝る場所を変えるために後宮にある無人の部屋に行ったりすることもないはずだ。
護衛騎士や警備の負担が減る。
ヴェリオール大公妃様様だ。
後一時間。
第一王子騎士団の者達の多くがそう思ったが、突如として緊急招集がかかった。
ユーウェインはすでに勤務時間を終えて寮に戻り、夕食も入浴も済ませ、引っ越しの荷物を整理しているところだった。
緊急招集を知らせるベルが鳴り響くと、寮にいる騎士達もすぐに着替えて正面ホールに集まらなければならない。
これはどの騎士団でも同じだ。
ユーウェインは素早く制服を身に着け、上着のボタンを止めながら廊下を走った。
正面ホールには護衛騎士の制服を着用した者が指示を出していた。
基本的にはそれぞれが所属する隊や班ごとに集まり、それぞれに与えられた任務をこなすための細かい指示出しが上官から通達される。
だが、ユーウェインは出向の初日。隊にも班にも属していなかった。
「集合場所は王宮でしょうか?」
「所属は?」
勿論、第一王子騎士団の中における所属だ。
「団長直属です」
「団長室へ行け。団長直属だと言えば、馬も馬車も優先になる」
ユーウェインはすぐに走った。
正面出入口に留められている複数の箱馬車はどれも満員だ。
馬は……駄目だ。
騎士団が所有している馬に乗って王宮に向かうこともできるが、同じような者達が大勢いる。
護衛騎士の使用が最優先。通常の騎士はまず乗れない。だからこそ、団長直属であることを言わなければならない。
単騎用として使用できる全ての馬が出払っていた場合は馬車しかない。正面出入口に戻ることになった場合のロスは大きい。
先頭の馬車は間もなく発進するだろうと考え、ユーウェインは二台目の馬車に乗るのが最も無駄が少なく時間のロスも少ないと判断した。
だが、
「満員だ! 三台目に乗れ!」
中はぎゅうぎゅう詰め。通常は荷物を載せる天井部分にも多くの騎士達が載っている。
車体の両脇にあるでっぱりに足をかけ、へばりついているような者もいる。
だが、しっかりと掴まる場所がなければ、途中で振り落とされてしまう。階段部分の足場も取り合い状態だ。
ユーウェインは前方に向かった。
先頭の馬車が動き出す。乗れない。
だが、ユーウェインが乗りたかったのは先頭の馬車ではなかった。
「後ろに乗れ!」
御者を務める騎士が声をかけたが、ユーウェインは止まらない。
それどころか馬車につないでいる綱を利用して馬の背に飛び乗った。
「鞍がないと危ない! かなり飛ばす!」
「団長室に急ぐ必要があります。飛ばして構いません」
「お前……あいつか!」
御者役を務める騎士は第一王子騎士団の訓練場で行われた審査を見物していた。
近衛騎士団長推薦の出向。辺境出身。雑用専門係。
注目すべき点は多くある。だが、第一王子騎士団の者達が最も注目したのは、その剣技にレーベルオード子爵パスカルが目をつけたことだった。
良くも悪くもパスカルから手合せを望むことは極めて少ない。
馬術に自信がありそうだ。でなければ、あんなことをするわけがない!
御者を務める騎士はそう判断した。
「しっかりとしがみついていろよ!」
「お気にせず」
やがて、馬車が動き始める。ぐんぐん速度が上がった。
御者を務める騎士は馬車を引く馬に乗るユーウェインの様子を確認した。
もっと急ぎたい。だが、振り落とすわけにはいかない。
馬車を引くための馬であるため、騎乗用の馬具がない。鞍がない状態では滑り落ちやすくて危険だ。
しかし、
……余裕そうだな。
騎士として馬に乗り慣れているからこそわかる。
ユーウェインは低姿勢を保っているが、馬にへばりついているわけではない。
体を少しだけ浮かしつつも、馬の動きに合わせて柔軟に態勢を調整し、バランスを取っている。鞍がないのに鞍があるのと同じく安定しているように見えた。
鞭がなくても馬に乗れそうだ。
次の瞬間、速度が上がった。
御者を務める騎士が指示を与えたわけでもないというのに、馬達がぐんぐん速度を上げていく。
誰が馬に指示を出しているのかは明白だ。
御者につながる手綱をいつのまにかユーウェインが握っていた。
その様子を見ているのは御者を務める騎士だけではない。馬車に乗る多くの騎士達の視線がユーウェインへと注がれていた。
「失礼します」
ユーウェインは団長室に入った。
そこに団長の姿はない。だが、団長補佐のタイラーがいた。
「遅かったな」
「申し訳ありません」
「団長は王太子殿下の執務室だ。団長の指示に従え」
「はっ!」
ユーウェインは団長室を出た。
王太子の執務室に行ったことはないが、辿り着く自信はあった。
王太子の管轄するエリアへと向かいながらすれ違う騎士達の来た方角を確認する。
やがて、王太子騎士団の制服を着用した者達が立つ扉が見えた。
「団長は?」
「中だ」
王太子騎士団の騎士が扉を開ける。
そこには第一王子騎士団の制服を着た騎士達が何人も待機していたが、ラインハルトの姿はなかった。
「団長補佐の命令で来ました。団長の指示に従うよう言われています」
「ユーウェイン」
ユーウェインに声をかけたのは王太子の筆頭護衛騎士を務めるクロイゼルだった。
初顔合わせだというのに、すでに名前が知られている。
「団長付きは仕事だけでなく精神的にもハードだ。私も団長付きの時にしごかれた。だが、団長直々に判断して貰えるのはチャンスだ。評価次第では護衛騎士への道が開かれる」
ユーウェインは護衛騎士を目指しているわけではない。だが、王族付きの騎士団で口にすべきことでもない。
通常、護衛騎士を目指さない者は王族付きの騎士団には入団できない。
近衛からの出向だからといって本音を伝えれば、第一王子騎士団全員の反感を買うに決まっていた。
「私はアンフェル。クロイゼルの面倒を見ている」
軽口を叩けるのは相棒ならではの特権だ。
クロイゼルはただの護衛騎士ではない。筆頭。しかも、側近扱いだ。
同じ護衛騎士でもクロイゼルは最低でも数段上の扱い。もう一人の団長といっていい。
年齢制限で護衛騎士を外れれば、間違いなく上位の役職付きにもなる。
「私も団長付きを経験した。総合評価はクロイゼルよりも上だったが、目つきの悪さで負けた」
「眼力と言え。確かに団長はお前の髪をいつも気にしているな」
「前髪が長すぎるからな」
「切れと思っているに違いない」
「前髪のせいで眼力が半減している」
「前髪の合間から見えるのを不気味に思う者もいるかもしれない」
「クロイゼルとは違う威圧方法だ」
クロイゼルも他の騎士達も笑みを浮かべた。
緊急であるにもかかわらず浮かれているということではない。冷静かつ余裕がある証拠だ。
「丁度いい。ここにいる者達を紹介する」
アンフェルは控えの間で待機する護衛騎士達をユーウェインに紹介した。





