84 アルフとペン
二日後の午前中。
リーナはアルフという者が玄関口に来たと知らされた。
「話を聞いているな? 目印のペンを貸せ」
リーナは第二王子から貰ったペンをポケットから取り出した。
「こちらのペンでしょうか?」
「それだ」
アルフは持っていた紙に必要事項を記入した。
「お前もサインしろ。ここだ」
リーナはアルフに言われた場所にサインをした。
「字が綺麗だな」
「ありがとうございます」
アルフは書類を提出してリーナが後宮を出る手続きを済ませた。
「行くぞ」
リーナとアルフを乗せた馬車は後宮を出発した。
リーナは窓から見える外の景色を見ていた。
約三年ぶりになる外の景色はあまりにも新鮮だった。
「これからエーメル男爵家に行く」
リーナはふと思いついた。
「もしかして、リリーの家ですか?」
「リリー?」
「孤児院で一緒だった同じ名前の女性です。お互いにリリーナという名前だったので私はリーナ、もう一人はリリーと呼ばれていました。リリーの家名がエーメルみたいな感じだったと思います」
アルフは表情を曇らせた。
リーナの言っていることが本当であれば、非常に不味いのではないかと思わずにはいられない。
「リリーは今どうしている?」
「知りません。同じ年齢なので孤児院にいるわけがないですし……というか、リリーの家に行くのであれば、そこにいるということではないのでしょうか?」
リーナはさらに思いついた。
「もしかして、リリーのことをご家族が探しているのでしょうか? それで私が呼ばれたとか?」
アルフは頭痛がしてきた。
すでに指示を受けている。何があってもその通りにするということだった。
「よく聞け。エーメル男爵はお前の祖父だ」
「私の祖父?」
「そうだ。お前の本当の名前はリリーナ・エーメルだ」
リーナは驚いた。
「それは違うような」
「何も言うな! 聞け!」
アルフは威圧するようにリーナを睨んだ。
「お前はリリーナだ! 家名はエーメルだ! それが正しい。これから簡単に経緯を説明する」
エーメル男爵には二人の息子がいたが、長男は平民の女性との結婚を望んだ。
跡継ぎのせいで反対されたため、長男は駆け落ちして平民の女性と結婚した。
エーメル男爵は怒り、長男を勘当して次男を跡継ぎにした。
長男夫婦の間には一人娘のリリーナがいた。
地方に住んでいたが、強盗団に襲われて長男夫婦は死亡。リリーナは行方不明になってしまった。
「リリーナは死んだと思われていた。だが、調査で生きていると判明した。それがお前だ」
「リリーでは?」
「お前だ!」
そうでないと困ると思いながらアルフは叫んだ。
「父親である長男は勘当されているが、貴族出自のままだ。つまり、お前は貴族だ!」
「貴族? 私が?」
「エーメル男爵家はお前を引き取る気がない。こちらで話をつけた。男爵家とは縁を切り、一切の迷惑をかけずに生きていくことになった」
誘拐された孫娘のリリーナは死んだと思い、エーメル男爵は死亡手続きをしていた。
だが、生きていることがわかって保護したが、死亡手続きを撤回するのを忘れていた。
今更ではあるが間違いを正し、リリーナが生存しているという手続きをすることにした。
リリーナは成人を迎えたため、いつまでも祖父の世話になるわけにはいかないと思い、自立するために家を出ることにした。
それがエーメル男爵家との話し合いで決まった筋書きであることをアルフは説明した。
「もう一度言う。お前はリリーナ・エーメルだ。書類に名前を書くだけでいい。余計なことは何も言うな! わかったな?」
「……はい」
「何か質問はあるか?」
「先ほど、自立するため家を出ると言いましたが、どこに住むのでしょうか?」
「あとで説明する。ところで、お前の名前は?」
「リーナです」
言うと思った……。
アルフは盛大にため息をついた。
「違う! リリーナ・エーメルだ!」
「そうでした」
「頭の中でずっと名前を繰り返しておけ。お前はリリーナ・エーメルだ。次は絶対に間違えるなよ?」
「……はい」
エーメル男爵家でリーナは死亡届を撤回するための書類にサインをした。
手続きを終えたあとは再び馬車に乗って移動する。
「これでお前は正式にリリーナ・エーメルの名前を取り戻した」
リーナにはその実感がなかった。
突然リリーナ・エーメルだと言われても、信じられない気分だった。
「リーナ・セオドアルイーズのことは忘れろ。貴族の令嬢が孤児院で育ったと知られたら大醜聞だ。エーメル男爵家の顔に泥を塗るだけでなく、お前の人生も終わりだと思え」
そうなのかとリーナは思うしかない。
「どこかでお前が知っている者に会っても、孤児院にいたリーナだと知られてはいけない。なぜかわかるか?」
「なぜですか?」
リーナにはさっぱりわからなかった。
「リリーナ・エーメルだからだ。孤児院で育ってはいない。エーメル男爵家で育ったことにすると説明したはずだ」
「そうでした」
「他人の空似だと言え」
「でも、いきなり貴族だと言われても困ります。私は貴族について何も知りません」
「お前は誘拐されたショックで、過去のことをよく覚えていない。思い出そうとすると苦しくなる。その影響で勉強がしにくかったと言い訳しろ」
リーナが覚える設定が追加された。
「短期間だけだが、貴族の令嬢として最低限必要なことを教える。しっかり勉強すれば、下手な言い訳をする必要はなくなるだろう」
「勉強ができるのですか?」
「読み書き計算はできるか?」
「できます!」
「ならば、礼儀作法とテーブルマナー、身の回りのことも一通りだ。再就職先は貴族出自の者だけが対象になる。しっかり勉強しておけ。働いて借金を返せばいい」
「はい!」
馬車が止まった。
降りたリーナは驚きのあまり目を見開いた。
想像を絶する豪邸がそびえ立っていた。





