836 突然の夕食会(一)
結婚したばかりの夫婦であれば、相手と一緒に過ごしたいと思うのが自然だ。
一年を通じてほぼ休みがないといっても過言でない王太子であれば尚更のこと。
貴重な休日というだけでなく婚姻日の翌日、人生において一度しか訪れない新婚初日を愛する妻と二人きりで過ごしたいと思う。
しかし、クオンは夕食に三人の弟達を誘った。
これは弟達が敬愛する兄の婚姻を嬉しくもどこか寂しくも感じているのではないかということへの配慮かといえばそうではない。
完全に妻のための行動だった。
「突然の誘いで悪かった。だが、どうしてもお前達に話しておきたいことができたため、夕食を取りながらどうかと思った」
何らかの話あるいは用件があると思っていた弟達は予想通りだと思った。
だが、エルグラードにおいて天才あるいは極めて優秀と言われる王子であっても、王太子の思考を読める者はいないということを次の瞬間に思い知らされることになる。
「リーナの公務の話だ」
弟達は何も言わなかったが、内心ではありえないと叫んでいた。
そして、なぜそうなってしまったのか問い詰めたい気持ちを視線に込めて兄を見つめた。
「今日はリーナと二人だけでゆっくりしようと思ったのだが、体調が外出に向いていなかった。そこで部屋で過ごすことになったのだが、リーナが公務について話があると言い出した」
新婚初日、夫婦の時間を楽しむ会話の話題が公務。
しかも、言い出したのは執務中毒だと言われる夫ではなく妻の方。
弟達の視線は兄からリーナに向けられた。
だが、リーナは笑顔を浮かべたまま話し手であるクオンを見つめていたため、問い詰めるような視線に気付いてはいなかった。
「最初は王立学校の視察の話だった」
昨夜、リーナが自室に戻る際、廊下に並ぶ者達の中に王立学校中等部の生徒達がいた。
代表者であるホールランドとキーシュ公爵家の跡継ぎにリーナが声をかけると、ヴェリオール大公妃の公務の一環として視察を進言されたということをクオンは説明した。
「リーナはホールランドとキーシュの跡継ぎに世話になったようだ。その話も聞いた」
「どのような話だったのでしょうか?」
「リーナ、もう一度説明してくれるか?」
「はい」
王立学校で試験を受けた際の休憩中に話しかけられた。おかげで勘違いを訂正できた。
消しゴムを落としてしまった際に誤った行動を取らずに済み、試験を無事受けることができた。
混雑した廊下で守って貰ったこともリーナは説明した。
「私はちゃんとした学校に行ったことがないので、学校を視察してみたいです。ディランとアーヴィンによると中等部の生徒達はヴェリオール大公妃を支持してくれていて、視察を待っているということでした。授業の様子や学校行事についても見学できるというので、ぜひ行ってみたいと思って」
リーナは王立学校の視察に大いに興味を持ち、視察したいと思っていることがありありとわかる様子だった。
だが、クオンを始めとした王子達の興味は視察ではなく、リーナと接触したホールランド公爵家とキーシュ公爵家の跡継ぎ達に向けられていた。
「公務は来年からだ。リーナは今の生徒達が在籍している間に視察に行きたいらしい。試験等で辛い時期だけに励ましたいと」
「試験前ですと一月に入ってすぐということになってしまいます」
「急な話だ」
エゼルバードとレイフィールは感想を述べたが、セイフリードは黙ったままだった。
「学校を視察すること自体は悪くない。だが、公務についてはじっくりと検討してからにしたいのもある。この件は王族会議の方でも話すが来年の話だ。それぞれ必要に思うことを詳細に調べておいて欲しい」
これは単に学校の視察を公務にすることに対しての意見を出すだけでなく、気になる点についても詳しく調べておけということだ。
はっきりとは口にしないものの、身分主義者達との関連性やリーナの外出に関連した特別な計画等がないかを調べ、政治的な思惑や安全性等の確認を取ることだと思われた。
「わかりました」
「わかった」
「では次の話だ。これも公務のことなのだが」
また公務かと弟達が思ったのは言うまでもない。
「リーナは慈善活動をしたいらしい。とても素晴らしいことだと思っているのだが」
クオンはリーナを見つめた。
嬉しそうな表情を浮かべたままのリーナが口を開く。
「私の方から説明した方がいいですか?」
「そうだな」
「実は炊き出しをしたいのです! 十二月後半に!」
炊き出し?
炊き出し!
炊き出し……。
自分に注がれる視線を気にすることなく、リーナはいかに寒い季節における炊き出しが貧しい者達にとって素晴らしい支援になるか、なぜ十二月後半にしたいのかを説明した。
「公務が来年からだという話は聞きました。でも、私は自身の経験から一番支援が欲しいと思う時期を知っています。勿論、その時期でなければ支援にならないわけではありません。でも、支援するのであれば、一番辛い時期に支援したいと思うのです!」
リーナはクオンを見つめた。
「クオン様も慈善活動をするのはとてもいいことだと思って下さり、公務として主催できない場合は個人的に主催できるようにして下さると言ってくれました」
クオンは力強く頷いた。
「その通りだ。リーナは多くの者達を助けようとしている。協力をするのは夫として当然のことであり、国民を想う王太子としても同じ思いだ」
しかし、公務としてこのような活動をした前例があるかどうかを調べなければならない。
前例がない場合は国王の承認を受けなければ公務にできない。
「この件も月曜日の王族会議で話し合うつもりだが、準備等を考えると時間がない。そこで事前にお前達に話し、協力を要請したい」
兄がなぜ自分達を夕食に呼んだのか、弟達は理解した。
月曜日の午前中に行われる婚姻後初の王族会議のための根回しだった。
つまり、公務としての炊き出し主催に賛成しろということだ。
「公務としてはわからないが、個人的に催す分には問題ないはずだ。主催者として王家やヴェリオール大公妃の名を出す必要もないということでリーナは了承している。今後の公務や慈善活動を見据え、試験的に催して経験を積むにも丁度いい。勉強になることを踏まえ、私も個人的に支援をすることにした」
クオンは優しくも甘い視線をリーナに向けた。
「私は執務で多忙だが、これからは私の分もリーナが慈善活動を頑張ってくれるだろう」
「はい! 頑張ります!」
クオンは満足そうに頷いた。
「リーナはやる気に満ちている。季節も冬だ。開催するには丁度いい。インヴァネス大公妃も公務として慈善活動をしているようだ。婚姻前に王族としての公務について話題になり、自分が行っている公務がどのようなものかをリーナに教えたそうだ」
「とても素晴らしいお話でした!」
リーナはインヴァネス大公妃が行っている公務について説明を始めた。
インヴァネス大公妃が行っているのは冬の慈善バザーと炊き出し。早春の園遊会だ。
ミレニアスにおける慈善活動は慈善活動団体への寄付が多い。
インヴァネス大公妃はミレニアス王に反対されたものの、夫であるインヴァネス大公や親エルグラード派の貴族と共にエルグラードの冬の風物詩を紹介するという形で慈善バザーと炊き出しを主催し、大成功を収めた。
また、春の園遊会は王族と貴族が交流する催しとしてだけでなく、駐在大使等を含めた諸外国の者を招待することで交流を図りつつ、ミレニアスの特産物である花をアピールする場にもした。
おかげで春の園遊会で紹介された花は必ず売れ行きが好調になり、ミレニアス経済の一端を支える活動にもなった。
インヴァネス大公妃はエルグラード出自であることを活かし、ミレニアス王家の女性が行ってこなかった活動を公務にすることで知名度を高め、国民に支持されるようになった。
「インヴァネス大公妃は他国の王族妃かもしれませんが、エルグラード出自だからこその考え方を公務に取り入れて成功させました。私もそれを見習い、自身の価値観や経験を公務に取り入れ、活用したいと思っています」
リーナの表情は喜びと誇らしさに溢れていた。
自分の母親が立派な活動をしている娘としてのものであるのはいうまでもない。
リーナは犯罪者に誘拐された後、十年以上両親とは離れてしまっていた。
それでも親子のつながり、強い愛情が失われてはいないことがわかる。
ミレニアスがよほどのことをしでかさない限り、エルグラードとの戦争はない。王太子が反対する。妻のために。
そのことがより広く強く知れ渡れば、ミレニアスの通貨価値が一定の水準まで戻って来る。
弟王子三人は兄夫婦の話に耳を傾けながら、たたき売り状態だったミレニアス外貨の保有量を今のうちに増やしておくことを密かに決めた。





