823 特別なアピール
廊下に出たリーナは大勢の者達がずらりと並んでいる光景を目にした。
第一会場から第二会場へ移動した時も同じような光景だった。
その時はクオンが隣にいてくれたせいで不安のようなものはなかったが、今クオンはいない。
リーナの表情はすぐに緊張したものになった。
側にいたラインハルトはそのことを見逃さなかった。
「廊下にいる者達は全員カボチャのようなものです。お気にされることはありません」
カボチャ……逆に気になります! 美味しいですし!
とはいえ、ラインハルトが安心させるように言葉をかけてくれたことが嬉しくも頼もしい。
クオン様はいないけれど、護衛騎士がいるから大丈夫。
視界を確保するため、リーナからは前方はよく見える。
しかし、廊下に並ぶ者達の視界は同じではない。
ようやくリーナが近づいたと思っても、視界のほとんどを独占するのは護衛騎士になってしまうと思われた。
私がすべきことは転ばないように歩くこと!
心の中で基本中の基本だと思いながらリーナは歩き出した。
王太子が未成年の頃から騎士をしているラインハルトであっても、そのようなことをリーナが考えているとはさすがに気づけなかった。
大勢の者達が壁際に並んでいるものの、廊下を進んで自室に戻るだけではある。
身分の下の者から上の者に軽々しく声をかけてはいけないというルールがあるため、リーナに声をかける者はいない。
リーナが声をかけるために立ち止らない限り、単純な移動でしかない。
第一会場から第二会場に移動した時のようにリーナが近づくと廊下に並んだ者達が頭を下げ始めた。
クオンと一緒に移動した時と同じような感じだと思ったリーナは心の中で安堵の息をついたが、少しだけ離れた場所まで来ると若い者達が圧倒的に多くなった。
会場付近を個人的なグループ等で占有するのは好ましく思われないため、若い者ほど少し離れた場所で社交をしながら場所取りをしていた。
その者達はクロークから早めに引き取った外套やマント等を身に着けて色を揃え、手にしたハンカチを広げて見せるようにしていた。
これは……?
リーナは廊下にいる者達の様子が違うことに驚かずにはいられない。
誰かに聞きたいものの、側にいるのはラインハルトを始めとした護衛騎士ばかり。聞きにくい。
リーナはゆっくり歩き、一体何をしているのかと思いながらハンカチにある刺しゅうを覗き込むように確認し始めた。
王道会? 美しき花の会? グループの名称?
同じ色合いの外套やマント、女性はケープやショールをつけることで一つのグループであることを示しながら、ハンカチにある言葉をアピールしようとしていることはわかる。
趣味や社交のグループだろうと予想したものの、詳細は一切不明だ。
とにかくそういう名称の集まりがあるようだということしかわからない。
月明会はわかるが、護衛騎士の後ろから追従している。
ブライダルシャワーに来た者達も同じく。
青玉会、白蝶会、黒蝶会ならわかるけれど……もしかしてどこかにいるかも?
自分の知っているグループの者達がいるかもしれないと思いながらリーナは廊下を進んだ。
すると、前方に赤い集団がいるのが見えてくる。
少年少女ばかり。お揃いの真っ赤なマントコートを着用している。
左側にいるのは少年ばかり。騎士のように片膝をついている。右側にいるのは少女ばかりで、両膝を落とした姿勢だ。
全員が左胸の上にあるワッペン部分に手を当て、敬礼式の挨拶をしていた。
その様子はこれまで廊下にいた者達とは全く異なっている。ハンカチを掲げている者もいない。
しかも、数が圧倒的に多い。
未成年のグループ? 凄い数だわ。有名なグループなのかも?
そして角を曲がる。
そこにも赤いマントコートを着用したグループの者達が大勢いた。
その中に二人の少年が並んで立っている。
代表者?
リーナの予想は当たりだった。
しかもその二人はリーナの知っている者、ディランとアーヴィンだった。
「止まります」
リーナはどうしても二人に尋ねたくて足を止めることにした。
「ディラン、アーヴィン、また会えましたね。凄い人数ですが、有名な未成年のグループですか?」
「お答え申し上げます。全員、王立学校中等部の生徒です」
ディランは複数のグループをまとめている。
非常に親しい友人だけのグループもあれば、身分・血統主義を掲げる貴族の未成年グループ、中立派の社交グループなど様々だ。
だが、今夜はあえて第一と第二会場を指定されている王立学校中等部の生徒を集め、廊下に並ぶことにした。
未成年ばかりであっても非常に多くの者達が集まれば目立つ。王立学校の重要な行事で着用する赤いマントコートを着用すれば尚更だ。
色目を揃えること以外の工夫も忘れない。
全員を騎士のように跪かせることで周囲との違いをはっきりと示す。
同じ様な赤い色合いのグループがいたとしても、立っている者と跪いている者では高低差が出る。全員が跪いている一団は珍しいと感じて視線が向く。
廊下の角を使って二カ所に分けるのも計算した上での行動だ。
一つのグループが一つの場所を広範囲にわたって占有することへの不満を抑えながら、角を曲がっても同じグループだと驚かせてより強い興味を引き出す。
そして、跪いた者達の中に二人だけ立つ演出。代表者だと思うに決まっていた。
ハンカチなどによってグループ名をアピールしていないため、これほど人数の多い未成年のグループはどんな名称なのかなどと興味を持ち、代表者に声をかけるかもしれない。
計算された効果も予想も全てが的中した。
「王立学校中等部の生徒は王太子殿下の婚姻を心から祝福し、ヴェリオール大公妃を王家の一員として支持しております。ご公務の一環として、ぜひとも王立学校中等部をご視察下さいますようお願い申し上げます」
「施設だけでなく授業の様子や学校行事等の見学もできます。ご興味を持っていただけることが数多くあるかと」
「生徒一同、心よりお待ち申し上げています」
ディランとアーヴィンは王立学校中等部生徒の総意として進言した。
教育施設の視察は公務に相応しい。
王立学校であれば場所としても適切で、普段から警備体制が厳しい場所であることから視察時の負担も大きくない。
現実的な良案として検討して貰える可能性が高い。
正式に決定すれば王立学校の名声はより高まり、ヴェリオール大公妃の視察を進言したディランとアーヴィン、協力した生徒達の評価も上がる。
何よりも、視察の際にディラン達が案内役を務めることによってヴェリオール大公妃と話す機会が得られる。
王太子や王太子派の貴族の目が届きにくい王宮外で。
「とても嬉しいです! 相談してみます!」
誰に相談するのかは決まっている。王太子だ。
母校の視察を悪く思うわけがない。お忍びとはいえすでに行ったことがある場所だ。外出先としての許可が出ている場所ともいえる。
ヴェリオール大公妃は公の場でディラン達に話しかけている。その場にいた者だけでなく王立学校中に知れ渡るのも時間の問題だ。隠す意味はない。
ヴェリオール大公妃は学校に通っていない。それだけに、学校がどのようなものかを知りたい気持ちもあるはずだ。
結果的に、視察について直接ヴェリオール大公妃に進言することができれば、実現する可能性が高くなるとディラン達は考えた。
「リーナ様、部屋への到着が遅れると何かあったのではないかと懸念されてしまいます」
ラインハルトが口を挟んだ。
「わかりました」
リーナはすぐに頷いた。
だが、その場を立ち去る前にもう一度ディラン達を見た。そして、生徒達のことも。
「本当にありがとう。支持してくれて嬉しいです。皆と同じように私も一生懸命勉強して、立派なヴェリオール大公妃になれるよう頑張ります!」
同じように?
リーナの言葉を聞いた生徒達は驚くしかない。
王家の一員であるリーナは貴族と圧倒的な差がある。
同じではない。同じようにというべきでもない。
婚姻したばかりで身分に相応しい言動ができていないともいえる。
だが、いかにも自分の身分が上だと示すような者ではないことがわかる。
貴族であっても未成年であっても人として同等に扱い、自ら寄り添うような言葉をかけることができる女性だとも。
王太子が妻に求めた条件は優しさだった。
王太子と同じくエルグラード全ての国民を大切にし、優しさで包み込んでくれる女性を選んだ。
確かに優しい。
王太子が重視しないような身分・血統主義者、大人から半人前あるいはそれ以下だと思われる未成年でさえもエルグラードの国民として大切にし、温かく包み込んでくれるような優しさを感じさせる女性だった。
「ヴェリオール大公妃に祝福と栄光あれ!」
叫んだのはアーヴィンだった。
「ヴェリオール大公妃を心から支持します!」
「ご結婚おめでとうございます!」
「心から応援しています!」
次々と声が上がり、盛大というよりも熱狂的な拍手が廊下に響き渡った。
さすがの護衛騎士達も雰囲気が一変したことに驚きを隠せない。
だが、ヴェリオール大公妃を支持することをあらわすためであるため、止めるようにも言えない。
リーナもまさか拍手で応えてくれるとは思っていなかっただけに、驚きの表情になった。
「すみません。気を遣っていただいて……」
またもやヴェリオール大公妃らしくない言動だった。
名門貴族の令嬢らしくさえない。
王立学校へ試験を受けに来た時もそうだった。
王家の一員でありながら、王族ではない。
もっと身近で近寄りやすい存在。
未成年である自分達の言葉に耳を傾け、優しく丁寧に接してくれる女性だ。
だというのに、間違いなくその女性は側妃の頂点ヴェリオール大公妃だった。
「予定があるのでもう行きます。皆も気を付けて帰って下さいね!」
リーナは別れの言葉を伝え、にこやかに小さく手を振った。
またもや王家の者らしくない。
王家の女性が未成年を気遣う声をかけるなどありえない。手を振ることも。
だが、ヴェリオール大公妃は違った。
手を振り返すことはできない。無作法になる。
生徒達はそれをわかっているため、別れの挨拶に応えるかのように力の限り拍手をした。
廊下中に響き渡る盛大な拍手に見送られ、リーナは幸せそうな笑顔を浮かべて進んでいく。
ラインハルトや護衛騎士達は問題ないと判断した。
後から同行していた月明会を始めとする女性達の一団もディラン達を牽制するような視線を投げたものの、無言のままついていくだけだ。
やがて、リーナ達の姿が見えなくなった。
それでも生徒達による拍手は消えるどころか衰えることさえない。
まだ、この拍手がヴェリオール大公妃に聞こえているかもしれない。
生徒達はそう思いながら拍手を続け、ディランからの指示を待った。
「静かに」
ようやくディランが言葉を発した。
たった一言。それだけで廊下に響き渡っていた拍手はすぐに収まった。
だが、冷めない興奮と熱気が漂い続けている。
生徒達の表情にはヴェリオール大公妃から直接声をかけられる名誉を得た喜びが溢れていた。
「皆、ご苦労でした。ヴェリオール大公妃は満足しただけでなく、僕達のことを覚えてくれたことでしょう。解散にします」
「速やかに会場に戻るか帰宅しろ!」
アーヴィンがそう言うと、生徒会の者達が口々に注意の言葉を発した。
「ここは王宮だ! 勝手なことは許されない!」
「ひと気のない場所へ行かないように!」
「できるだけ団体で行動して下さい!」
赤い一団は一斉に第一あるいは第二会場方面へと動き出した。
ディランとアーヴィンもすぐに歩き出す。
「うまくいった」
「そうですね」
読み通りにヴェリオール大公妃は足を止め、言葉をかけてくれた。
だが、それ以上のものを得た。
「声を上げるとは思いませんでした」
最後にアーヴィンが叫んだのは予定外の行動だった。
すぐにアーヴィンを強く支持する者達が倣って声を上げ、生徒達も拍手をして同調した。
強い統率力と組織力を持つのはディランだけではない。
アーヴィンもまた同じく。
「嬉しそうですね」
「お前も嬉しそうだ」
「成功したことを喜ぶのは当然では?」
「俺も同じだ」
確かに同じだった。
だが、それは計画が成功したことだけではない。
胸に込み上げる期待もまた。
ディランとアーヴィンは両親や派閥が掲げる思想から離れ、自分自身で選んだ道を進むことを密かに望んでいる。
それは決して簡単なことではない。
誰もが二人のことを両親や派閥と同じだと決めつける。いくら違うといっても通用しない。
親や派閥の庇護がなければ生きづらいのも事実だ。
それでも。
能力を駆使し、力を合わせて乗り越えて行くことを二人は誓い合った。
古い時代は刻々と過ぎ去り、新しい時代へと移り変わっていく。
身分・血統主義は旧時代の遺物になるばかり。両親や派閥に従ったところで、二人の未来は決して明るくはない。
王太子、ゆくゆくは新王の統治下ではどれほどの能力があっても身分・血統主義の貴族であることは足枷になる。
冷遇に耐えながら肩身の狭い窮屈な人生をむざむざと受け入れたくはない。
二人は人生を賭けて動き出した。
ヴェリオール大公妃に近づけば、自分達の目指す未来に近づけると信じて。
「楽しみです」
「忙しくもなる」
今年の冬は二人にとって非常に重要で特別な季節になる予感がした。





