817 第二会場休憩室
「随分少ないな」
「家の用事を優先されたのか?」
休憩室に到着したディラン達を見て早速声をかけたのは侯爵家の出自で王立学校高等部の生徒会長を務めるヴィクトールと副会長のアウレリスだった。
ディランとアーヴィンの同行者が予想以上に少ないことに驚きつつも、喜んでいる様子が明らかだ。
「後から来ます」
「そっちはほとんど集まっているのか?」
アーヴィンの質問にアウレリスは肩をすくめた。
「いや。両親に付き合わなければならない者達が大勢いる。会場の方だ」
「後から来る」
未成年の者達は両親の都合や社交を優先しなければならない。
早い時間にできるだけ多くの者達を集めるということは、それだけ自分の影響力が強いことを示すことができる。
しかし、その時点で人数が少なければ負けになるほど単純でもない。
集合場所が第二会場側の部屋だけに、第一会場から移動しなければならない者は必然的に時間がかかってしまうのもある。
事前に話し合って決めた集合時間になるまではわからない。
「俺達も一旦ここを離れる。王太子殿下に挨拶できそうだ」
第二会場に王太子夫妻が来ると、ヴィクトールとアウレリスは家族と共に王太子への挨拶をするための列に並ばなくてはならなかった。
今は家族の者が列に並んでいるため、一時的に休憩室へ様子を見に来ただけだった。
「第二会場の者達の方が挨拶のしやすさでは恵まれている。第一会場は王太子殿下やヴェリオール大公妃から声をかけられる者がかなりいた。そのせいで挨拶できる家の数が減る」
「どの程度だ?」
「さあな。十位は挨拶していた」
「会場の移動があるのも理由です。早めに切り上げられそうでした」
「どうせ同じような挨拶ばかりだからな」
「ヴェリオール大公妃が疲れないように配慮するだろう」
「お前達の派閥は楽でいいな。すぐに挨拶が終わる」
身分主義や血統主義を強く掲げる者ほど、ヴェリオール大公妃の出自に不満と不快さを募らせている。挨拶も祝辞も形式的なものであって本心ではない。
それを知っている王太子は挨拶を受けても特別な言葉をかけることはなく、すぐに下がれと命じるに決まっていた。
冷遇を覚悟で挨拶をしなければならないことを嘲笑する意図が透けて見える言葉だったが、ディラン達はまさにそのような言葉を待っていた。
「ホールランド公爵家はヴェリオール大公妃から言葉をかけられていました」
「キーシュ公爵家もヴェリオール大公妃から言葉をかけられていました」
「正確にはディラン様ですが」
「ホールランド公爵家の時はディラン様が、キーシュ公爵家の時はアーヴィン様が答えられていました」
「ディラン様は偶然お忍びで外出されていたヴェリオール大公妃に会ったことがあるのです」
「その際、淑女として尊重したことを覚えていたようです」
「ヴェリオール大公妃はありがとうという言葉をかけられました」
「アーヴィン様も同じく」
ディランとアーヴィンが説明しなくても、その取り巻きや友人達が挨拶の時の様子を伝えて反論した。
それを聞いたヴィクトールとアウレリス、その一派はすぐに怪訝な表情を浮かべた。
「会ったことがあるのか?」
「いつどこで?」
「秘密です。詳しくは言えません」
ディランは他の者が暴露する前にはっきりとした口調で宣言した。
「正体を隠されて外出されていたことへの配慮をするのは当然のこと。ですが、会ったのは事実です。しかも今夜、わざわざ声をかけていただけるとは思ってもみませんでした」
ヴェリオール大公妃がディランやアーヴィンのことを覚えていたとしても、偶然会っただけに過ぎない。しかも正体を隠しての外出時だ。
わざわざ今夜のような多くの者達が集まる場所で堂々と会ったことを話すのはおかしかった。
普通は何も言わない。知らないふりをする。でなければ、お忍びで外出したことやどこでどのようにして会ったのか、外出の目的などに注目が集まり詮索されてしまう。
何よりも未成年とはいえ自分の婚姻に反対していた勢力の者と面識があることを知られてしまい、会場にいる者達ほぼ全員が間違いなく驚く。
常識的に考えれば、ヴェリオール大公妃のしたことは間違いであり、愚かなことだった。
自分の敵対勢力の者達にわざわざ媚を売るかのように思われる言葉をかけ、夫の味方をする者達の不興を買う恐れがある危険を冒してしまった。そう捉えることもできる。
元平民の孤児だけに何もわかっていない。無知を露呈したと考える者達も多くいるはずだ。
しかし。
「ヴェリオール大公妃は本当に慈悲深い。そして、潔くも高潔です。正体がわかってしまったとはいえ、多くの者達がいる前で感謝の言葉を口にするなど、普通ではありません」
ヴィクトール達は皮肉だと判断した。
「何もわかっていなかっただけだ」
「今は王家の一員とはいえ、元の出自は貴族でさえない。何も知らなくても仕方がない」
「生まれついた時から勉強している者との差は歴然だ。これから徐々に勉強していくしかない」
「王太子殿下はさぞ驚いただろう」
「確かに」
「後で注意されてしまうかもしれないな」
「可能性は高い」
様々な意見が上がる。
ディラン達はそれらの意見を全て間違いだとは思わない。むしろ自然な反応だと感じた。
だとしても、このまま静観するつもりも同意するつもりもなかった。
ディランが口にしたのは皮肉でも嘲笑でもない。それを説明しようと思った時、すぐ隣から強い声が発せられた。
「ヴェリオール大公妃への無礼は許されない!」
アーヴィンだった。
「政治的なことや貴族の世界について知らないことがまだ多くあるかもしれない。だが、相手の好意に対して礼を述べるのは極めて自然なことであり、礼儀でもある。ヴェリオール大公妃の誠実さが示されただけだ!」
アーヴィンの両親もまた生粋の身分・血統主義者だ。
キーシュ公爵夫妻は派閥の者達と同じく王太子が出自の悪い女性と婚姻することに強い懸念を示していた。
跡継ぎであるアーヴィンは両親や家の方針に倣う必要がある。だというのに、ヴェリオール大公妃を庇う発言をした。
それは部屋にいる者達を驚かせるには十分なことだった。
そして、
「その通りです」
すぐにディランが同調する。
「ヴェリオール大公妃にとって僕が公爵家の跡継ぎであることや両親が身分・血統主義者であることは関係がないのでしょう。ただ、以前会ったことのある者と再会したため、知らぬふりをするのではなく声をかけ、正式に顔合わせをすることにしたのです。さすが王太子殿下が見初められた方です。偏見に惑わされることなく誠意に溢れた行動を示されました。好ましく感じないわけがありません。アーヴィンはどう思いましたか?」
「両親の派閥や思想に関係なく、俺自身がどうだったのかで判断してくれたのは嬉しかった。まさにその対応こそが王家の一員として相応しいように思った」
ディランは強く頷いた。
「夏の大夜会において、王太子殿下は自分から最も遠く、わかりにくい者達のことを知っているのがヴェリオール大公妃だと言われたとか」
ディラン達のように若い者達は夏の大夜会に参加できない。
しかし、夏の大夜会で起きたこと、王太子がどのような発言をしたのかについては情報を得ていた。
元平民の孤児だったヴェリオール大公妃であれば、王太子が知らない国民の姿、平民達の生活、弱者達の境遇、その想いを王太子に教えることができ、王太子はそれを踏まえて自らの目指すエルグラードを考え、築いていくという内容だった。
「王太子殿下から最も遠くわかりにくい者達、それは平民や社会的弱者だけではありません。別の派閥の者、少数派の者、違う思想を掲げる者も同じく。勿論、身分主義や血統主義を掲げる者にもあてはまります。ヴェリオール大公妃であればそのような者達の声にも耳を傾け、王太子殿下に伝えてくれるかもしれません」
「それは都合の良すぎる解釈だ。普通は王太子殿下と足並みを揃える」
「そもそも王太子殿下が身分主義や血統主義を掲げる者達と交流するのを許すわけがない」
ヴィクトールとアウレリスは即座にディランの意見を否定した。
しかし、それをまたアーヴィンが否定する。
「だが、ヴェリオール大公妃がホールランドやキーシュに声をかけてもいいかと尋ねた際、王太子殿下は許可を与えた」
自分の婚姻に反対した者達に声をかける必要はないと判断し、許可を与えないことで冷遇を示す。
それが普通だと誰もが思う。だというのに、王太子はそうしなかった。
妻であるヴェリオール大公妃の意志を尊重したのだ。
「結果的に王太子殿下は身分主義や血統主義を掲げる者達のために時間を割いた。これもまた普通の対応ではない。変化したのはヴェリオール大公妃のおかげだ」
「ヴェリオール大公妃は新しい風です。新鮮な気持ちを感じさせてくれます」
ディランは部屋にいる者達全員を見渡すように視線を動かした。
「エルグラードには多くの優秀な者達がいます。ですが、その者達全員の声が王太子殿下に届くわけではありません。ごく一部の者の声だけでしか届かないというのが現実です。身分や階級、個人的な主義主張など様々なことが原因になりますが、子供や未成年というだけで軽視され、意見が黙殺されてしまうこともあります。僕やアーヴィンのように個人的にどのような主義や嗜好があるのかを尋ねられることなく、一方的に両親や家の方針と同じだと決めつけられ、疎んじられることもあります」
部屋中にいる者達が黙り込んだ。
ディランの言葉は紛れもない事実だ。
自分達が子供や未成年だからこそ、大人や成人から軽視され、意見が黙殺される。
大人や成人、他の派閥の者達から個人的にどのような主義や嗜好があるのかは尋ねられることはほとんどない。
尋ねなくてもわかっている。両親や家の方針と同じだと決めつけられる。その結果、派閥の違う者からは疎んじられる。それが普通だった。
「大人から見れば僕達は確かに子供です。エルグラードの法律における成人は十八歳。ですが、十七歳以下の者達の能力が一概に低いと決めつけるべきではありません」
第四王子は十五歳で大学に入学した。
王太子府の伝令部に所属するウェズロー子爵は中等部を卒業後、十五歳で官僚になった。
第二王子の側近ディーバレン子爵は高等部時代に独自のビジネスを本格的に立ち上げ、大成功を収めた。
全て未成年の時のことだ。
常識的にはまだまだ子供だと思われ軽視される年齢だが、成人顔負けの知能を誇り、能力によって成功を収め、莫大な財産を築き上げる者もいる。
優秀な者や成功者はごく一部だと思うかもしれない。だが、いないわけではない。
まさに未成年という大多数の中に埋もれて見えない者達だ。才能があってもそれを開花する場を狭められ、強制的に未成年という枠の中に収められてしまう。
中には成人後までも学生であることや経験不足、経済的な独立をしていないことなどの理由をつけられ、両親や家の意向や都合を強制され続ける者もいる。
その数は決して少なくはない。
「大人の意見が子供の意見よりも常に正しいとも限りません。時に子供の方が多くの欲望や穢れに左右されることなく、物事の真理をつくこともあります。僕達が力を合わせれば、若い声を新しい風に乗せて雲の上にいる太陽まで届けることができます」
「お前はヴェリオール大公妃を通じて王太子殿下に声を届けようと思っているのか?」
「政治的な利用は王太子殿下が許すわけがない」
ヴィクトール達の指摘は正しい。だが、ディランの笑みは失われない。
「僕とアーヴィンは新規のグループを作ります。両親や家の意向や派閥に関係なく未成年あるいは学生の立場にある者が個人的に集まり、ヴェリオール大公妃を支えるような活動に従事することを目的にしています。政治活動ではないので、政治的な利用でもありません」
「ホールランド公爵が許さないだろう」
「キーシュ公爵も同じだ」
「中立的なものであれば問題ありません。興味があるようであれば参加して下さい。すでに他の手も打っています」
「どんな手だ?」
教えないだろうと思いつつ、ヴィクトールはあえて尋ねた。
「今夜わかります。時間になれば来るはずですので」
「なるほど。誰か呼んでいるのか」
「楽しみだ」
そう思ったのはヴィクトールとアウレリスだけではない。
部屋にいる多くの者達が同じだった。





