80 そのままでいて欲しい
「優しいのね。でも、いつからそんなに優しくなったの?」
「まるで私には優しさが欠如しているとでもいいたげだな?」
「王太子としての責務が最優先でしょう? 女性を保護するということは、特別な配慮をすることになるのよ? ただの召使いなのにおかしいわ」
「エゼルバードに自分の行動を見直してほしいのもある。無責任なのはよくない。いつまでも甘くはできない」
「変わったのね」
アリシアは嬉しそうに微笑んだ。
「最近はお菓子をあまり食べていないと聞いたわ。運動までしているとか。良い変化だわ。何かあったの?」
リーナのおかげで見逃していたこと、忘れていたことに気づくことができた。
正直にそう話せば、アリシアも勘違いしそうだとクオンは思った。
「眠りにくいのは不健康なせいだと思った。改善しなければと思い、できそうな部分から見直すことにした」
「その召使いのことも、見直すことの一つなのかしら?」
「見直す?」
「女性として好意を感じているのではなくて?」
「勘違いするな」
「保護したいのでしょう? 善良というだけでは保護しないわよね?」
「エゼルバードに目をつけられている」
「王族の目に留まって良かったと思わないの?」
クオンが考えてもみないことだった。
リーナは……喜ぶのだろうか?
だが、すぐにクオンの中に否定する感情が沸き上がった。
「迷惑なだけだ。エゼルバードにもてあそばれるだけだろう」
「そうかもね。取りあえず、名前は?」
「リーナ・セオドアルイーズ」
「変わった家名ね」
「孤児院がつけた家名らしい」
「孤児なの?」
「孤児だ」
アリシアはがっかりした。
召使いと言われた時点で平民だとわかっていたが、孤児では余計に出自がよくない。
王太子が気にする相手というだけで、問題になりそうだった。
「所属部は?」
「掃除部だ」
「年齢と特徴」
「十八歳。特徴は……灰色の瞳だ」
「髪の色は?」
「一応は金髪だが、くすんでいる」
「体型は?」
「小柄だ。以前はかなり痩せていたが、今は普通かもしれない」
「他には?」
「勤勉で誠実だ」
「美人?」
「……人によって嗜好は異なるだろうが、可愛い方ではないか? 化粧をすれば印象が変わる可能性はある」
「化粧をすればというのは、薄化粧ってことかしら?」
「全くしていない。口紅さえつけてない」
「十八歳なのに? ありえないわ!」
年頃の女性が何の化粧もしていないのはおかしい。
身だしなみを整えるためにも必須というのがアリシアの考えだった。
「会いに行くわ」
そして、化粧をするよう注意しようとアリシアは思った。
「少しだけ話をしてみるつもりだけど、貴方の素性は知っているの?」
「最初はクオンと名乗った。だが、エゼルバードのせいで王太子だとわかってしまった」
「王太子であることを教える気はなかったのね?」
「不必要な情報だ。教えて何になる? 話せなくなるだけだ」
「話したいの?」
話したいのであれば興味を持つのと同じ。
好意の自覚がないだけかもしれないわね?
アリシアは密かに期待した。
「後宮のことを聞きたかっただけだ。事情を知っておかなければ、非がないにもかかわらずリーナが処罰されてしまうかもしれなかった」
「貴方のせいでリーナは処罰されたの? それで同情しているの?」
「処罰されないように手を回した。同情はしていない。だが、反省すべき点はある」
「何を反省するの? 話したこと? 手を回したこと?」
「エゼルバードに聞いたが、リーナのいた孤児院は不正を働いていたようだ。そのせいで孤児への待遇は最低で、劣悪な環境だったらしい。そのことについて気づけなかった」
「なんて酷い孤児院なの!」
アリシアは怒りをあらわにして叫んだ。
「全ての国民を幸せにするのは難しい。私はこれまで以上に執務に励まなければならないと感じた」
クオンは公正でありたいが、それは平等とは違う。
国を、社会を、全体を直そうとしても、必ずどこかにしわ寄せが出る。歪んでしまう。
身分の差だけではない。貧富の格差もある。人々の違いが差別を生み出す。
何もかもうまくいくわけではない。
全ての国民を幸せな方へ導いているとは言えない。
それがクオンの感じる途方もない壁であり、現実だった。
「王太子としてできる限りのことをしたい。リーナについても同じだ。勤勉で誠実、善良なままでいてほしい」
それがクオンの本心。
「困難に負けずに頑張っている者を応援したい。それを邪魔するような者は近寄らせたくない。都合よく利用しようとする者も同じだ。エゼルバードだけではない。ヘンデルも同じだ。だからこそ、お前を呼んだ」
ヘンデルもその召使いを利用しようとしているのね……。
アリシアは留意すべき点だと思った。
それはつまるところ、王太子側にとって都合がよければいいということではなかった。
「なんとなくわかったわ。ようするに、真面目な召使いを応援したいのね?」
「そうだ」
「そのために余計な者は近寄らせたくないってことよね?」
「そうだ」
「遠くから見守りたいのね?」
「そのようなものだ」
アリシアは首を傾げた。
「そのようなもの? 少し違うということ?」
「深くは考えていない。ただ普通に生活することができればいいと思っている」
「普通ねえ」
内密だとしても、王太子が干渉するのは普通ではない。
むしろ、普通の生活ができなくなるのではないかとアリシアは懸念した。
「取りあえず、会ってくるわ。退職してしまったけど、私は後宮に入れるのかしら?」
「リストから外してはいないが、侍女から女官に変更した。また働きたいと言い出したら、女官として採用するつもりだった」
アリシアは女官という部分にクオンの優しさを感じた。
侍女は王宮に住み込み。家族と離れて暮らし、休日だけ帰ることになる。
女官であれば通勤。家族と一緒に暮らせる。
「侍女長にはなれなかったけど、女官長を目指すのもいいわね!」
「女官長にはしない。一生ただの女官止まりだ。仕事に夢中になり、ジェフリーに妻を返せと泣きつかれたくない。必ず子どもも連れてきて、母親が必要だとアピールするに決まっている」
「後で報告するわ」
夫の名前が出た瞬間、アリシアは即時撤退を決めた。





