798 王聖堂
王宮敷地内にある王聖堂は最も古く由緒ある大聖堂として、かつては王族の婚姻や戴冠式の場だった。
エルグラードが大国になり貴族の数が増えすぎてしまったことから、より多くの者達が列席を可能にする大聖堂が建てられ、王聖堂は儀式の場として利用されなくなる。
しかし、今はかつての権勢と栄光を取り戻すかのように、エルグラード及び周辺国の高位の者達が溢れかえっていた。
古い時代の建築様式は歴史的な重厚さを感じさせるが、大きなバラ窓や採光用の窓から差し込む光によって内部は予想以上に明るい。
エルグラードをあらわすような真っ赤な絨毯がウェディングロードに敷き詰められ、その周囲には神々の祝福と守護をあらわす黄金の燭台がいくつも並べられていた。
エルグラード王太子の婚姻は大聖堂で行われるべきであるものの、側妃との私的な結婚式を挙げることはできない。そこで王聖堂が選ばれたというのは周知の事実だ。
とはいえ、招待客達は荘厳かつ圧倒的な佇まいを見せる王聖堂と美しく飾り付けられた式場の様子を見て、まさにこの場所こそがエルグラードという国と王家を見守り続けてきた聖域であることを実感した。
「古臭い聖堂だろうと思っていたが、これほど威厳に満ちた場所だとは思わなかった」
初めて王聖堂を訪れたリカルドはアイギスと歓談していた。
「王宮大聖堂の豪華絢爛さとは違い、歴史を感じさせるたたずまいだ」
「古の時代を彷彿とさせる。まさに歴代の王が受け継いできた聖域だ」
「クオンのおかげでエルグラードの真の聖域を見ることができた」
「その意味でも貴重な体験になる」
そこへゴルドーラン王国の王太子リアムも加わった。
「いつまで待たされるんだ?」
馬車の数や警護等の理由から、弟王子以外の花婿の付添人達は先に王聖堂に来て待つことになっていた。
「気持ちはわかる。だが、来ない以上待つしかない」
「一般招待客の方がずっと長く待たされている」
リカルドとアイギスはなだめるように言ったが、リアムの気分は全く改善されなかった。
「俺はクオンの婚姻日を待ちに待ってようやくエルグラードに来た。王都についてからも、待ち遠しさは募るばかりだった」
「それは皆同じではないか?」
「楽しいパーティーもあっただろう? じゃんけんに負けて喜んでいたではないか」
リアムの気分は全く晴れない。
すでにそれは過去のことになっていた。
「俺は相当前から準備をして、何日も馬を激走させてエルグラードへ来た!」
エルグラードは大国だ。国土が広い。国境を越えても王都までたどり着くには何日もかかる。
ゴルドーラン王国内の交通事情が悪いこともあり、リアムは余計に早く国を出立してエルグラードに向かわなければならなかった。
「もう我慢できない! 俺も高速馬車路を作る!」
「すでにあるだろう?」
「最短の高速馬車路だ!」
ゴルドーラン王国内の高速馬車路は最短距離を考慮して作られていなかった。
道幅はあるため、多くの馬や馬車を並走させることや、速度を上げることには向いている。
しかし、いくら馬車の速度を上げても、地形的な条件によって大回りをすれば移動の負担は少なくなりにくい。
王族のリアムでさえ多くの移動日数がかかるということは、身分が下になるほど余計に日数がかかるということになる。
今の高速馬車路では他国との通商取引がしにくく、物流や情報伝達のやり取りが遅れてしまうとリアムは感じた。
「山をぶち抜き川に橋をかけ、一切迂回しない高速馬車路を作る。そうすればもっと早くエルグラードとの行き来ができる!」
「確かにゴルドーランの高速馬車路は迂回し過ぎで褒められたものではない。作るのであればフローレン式にすべきだ」
フローレン王国の高速馬車路は最短距離を重視して作られていた。
但し、フローレンの馬車の規格が小さいことから道幅が狭く、エルグラードや国際取引に活用されるような大型馬車が通りにくいという問題があった。
エルグラードに留学することでリカルドは自国のフローレンの馬車の規格や道幅がエルグラードの馬車の規格や道幅に適していないことを痛感し、全面的に見直し、エルグラードと同じ規格に合わせて変更したり、少なかった車線を大幅に増やすことにした。
おかげでエルグラードとの取引が一気に増え、莫大な外貨を稼ぐことができるようになる。
その利益を使って国内の高速馬車を整備し、国際的にも移動や交易の中継地点として重視されるようになった。
現在は観光業に力を入れながら国際的な認知度を向上させ、エルグラードに次ぐ強国としての地位をより確固たるものにしている。
「私もデーウェンとエルグラードを結ぶ経路については改善させる。移動時間をより短縮し、生鮮食品のやり取りを増やしたいからな」
「キウイだろう?」
「他にもある。ブドウ、モモ、ナシ」
「果物ばかりではないか」
「野菜も豊富だ。アーティチョークの生産量は大陸一だ」
「アーティチョークは嫌いだ」
「ヘーゼルナッツとオリーブもかかせない。保存加工ができる品目だが、新鮮な方がよく売れる」
「食品を売る気満々だな」
「当然だ。上限が増えた以上、売れるだけ売りたい。だが、そのためには品質を落とさずにできるだけ早く運べるようにしなければならない」
「専用の高速馬車路でも作れ」
「新しい水路が欲しい」
デーウェン人らしい考えだった。
海に面する国は船を持つ。陸路を強化するよりも海運をより拡充させる方が効果的だと考える。
「エルグラードとクオンは常に私に様々な考えと可能性があることを示してくれる。そして、今の私には大きなことを成し遂げていくための力がある」
アイギスは高等部からエルグラードに留学している。
エルグラードで学びながらより多くの人脈とコネを作ることが、いずれ外交や経済に大きな影響を与えると考えていた。
おかげで生涯を通じて大切にしたいと思える友人達が増えたものの、一方で強い劣等感と悔しさを感じた時期でもあった。
クオンは十八歳になると様々な執務を担当することになった。
最初の執務は公共事業の見直しだった。
優秀な側近達が支えるとはいえ、学生である王太子に強い権限と責任を与え、いきなり問題が起きては困る。
そこで、すでに実行中の内政計画について客観的に監査する役回りが与えられた。
基本的には現状維持で構わない案件で、緊急事態や重い責任も生じない。内政の知識を増やしながら徐々に慣れていくための執務であることは明らかだった。
だが、クオンは任された執務に対し、真摯かつ容赦ない態度で臨んだ。
まずは全体的な指示として公共事業計画の効果がどの程度見込めるのかを精査させた。
公共事業は大金が動く。あくまでも計画予定に合わせた見積りになってしまうことから、ほとんどの場合が最初の予算だけでは不足してしまうか、逆に予算が多すぎて無駄と思えるような部分につぎ込まれるかのどちらかだった。
クオンは正確性の低い計画と誤差の多い見積もりは役に立たないと感じ、より正確な計画書と予算の見積もりを提出しない場合は中止することにした。
また、技術は進歩する。質を落とさずに予算の削減や工期の短縮が可能かどうかを中間報告時に模索させ、余った予算は王太子府の予算に組み込むことにした。
次に主要街道の整備計画を見直し、環状道路を建設に着手した。
これはあまりにも膨大な予算が必要になることから、その効果が非常に高いことはわかっていながらも却下されてしまった案だった。
それをクオンは公共事業の見直しによって浮いた予算を元手にして計画を進めることにした。
しかし、予算不足で建設が中断されれば、それこそ大きな無駄使いになってしまいかねない。
反対や懸念の声も多かったが、クオンは端から順番に建設する計画ではなく、短距離でも効果の高い区間から建設を進め、最終的にそれをつなげて環状道路にすることを目指した。
これなら何らかの事情で計画が頓挫しても、すでに完成している短距離道路は無駄にならない。万が一の状況に備え、保険をかけたのだ。
更に、環状道路によって恩恵を得られる領主や商人達の協力を積極的に取りつけた。
おかげで交通事情が改善されただけにとどまらず、周辺地域も計画的に発達し、経済活動が活発になることで税収も増えるという非常に大きな功績になった。
水道事業についてもクオンは大幅な見直しをした。
遅れていた下水設備を普及させたばかりか、川の氾濫や日照り等に備えた災害対策にも積極的に取り組んだ。
例年にない大雨が降り続いた時も全く雨が降らない状態が続いた時も甚大な被害が出ることはなく、最悪の事態を未然に防ぐことができた。
自分と同い年の友人が任された執務を見事にこなすばかりか、驚くほどの実績を積み重ねていく。
アイギスも他の友人達も、いかにクオンが優秀であるかと同時にただの学生でしかない自分との差を感じずにはいられなかった。
負けられない。負けたくない。対等であるために。
友人だからこそ、大公子だからこそ、その想いは強かった。
「人工水路は莫大な費用がかからないか?」
「効果的な場所や方法を模索する必要がある」
「わかっている」
道という点では水路も陸路も同じだ。
短距離でも非常に効果が高い場所に作ることを優先する。それはクオンが環状道路を作った際にも実行したことだ。
また、リカルドが既存の高速馬車路の改善によって効果を増強させたように、すでにある川の幅を広げて底を深くし大型船の航路を増やす方法、小型船や中型船の航路を拡張する方法もある。
「エルグラードは川が多いだけに、水上交通の発達はエルグラード国内の流通事情を改善させ、より大きな経済発展と消費を促す可能性が十分にある」
アイギスは自信満々だったが、リカルドとリアムは苦笑した。
「絶対にお前一人で考えた案ではないな。クオンと話し合ったのだろう?」
「デーウェン国内ではなくエルグラード国内を改善させる計画だからな」
デーウェン国内のことであれば、計画に必要な予算は全てデーウェンで賄わなければならない。
しかし、エルグラード国内における計画であれば、デーウェンが全てを賄う必要はない。
エルグラードに話を持ち掛けて賛同を得られれれば、勝手にデーウェンにとって都合のいい事業や整備を推し進めてくれる。
資金等を負担することになっても一部で済む。相当な軽減になる。
そして、将来的にはデーウェンに莫大な益が転がり込んでくる。
「それにしてもクオンの結婚は非常に喜ばしい。真珠を大量に購入してくれた」
否定はせずに、新たな話題を出すアイギスに二人は即座にツッコミを入れる。
「お前は大公子というより商人のようだ」
「口だけは達者だからな」
話はそこまでになった。
花婿が王聖堂に到着したのだ。
婚姻を祝福するために集まった者達からの大歓声を受けながら、豪奢な白い礼装に身を包んだクオンが馬車から降りる。弟王子達も一緒だ。
先に到着していた付添人達は王聖堂の中に入った花婿を出迎えた。
「付添人は担当の持ち物を確認して持ち、所定の場所に並ぶように」
付添人の代表者は最年長の弟王子であるエゼルバードで、結婚指輪を持ち運ぶ役目を担う。
レイフィールは婚姻誓約書、セイフリードは聖書の担当だ。
「リカルドは清めの花を持って一番前。キルヒウスの左ね」
聖具の受け渡しについてはヘンデルが指示を出すことになっていた。
清めの花は花婿や花嫁が歩くヴァージンロードの穢れを祓う力が込められた特別なバラのブーケだ。
全てプラチナと純金でできているため、相応に重量がある。
「聖なる剣が良かった」
「持つ手が違うよ」
清めの花を持つ手は付添人の位置で決まる。
リカルドは左側になるため、外側になる左手で清めの花を持ち、胸の前あたりに掲げ続けなければならなかった。
「これから持ち替えるところだった」
「松明じゃない。胸の前ね」
「わかっている」
「アイギスも同じ、聖なる剣は左ね。悪しきものは外側から来る。外側から見えるようにしないと意味がない」
「リカルドの呪いはこれで完全に無効化された」
聖なる剣は、花婿を悪しきものから守るために付添人が持つ特別な剣だ。
これもプラチナと純金製だ。鞘に収まっているように見えるが、実際に抜くことはできない。刃もない。
「リアムは……大丈夫か」
「意外と重い」
リアムは盾の担当だ。
やはりプラチナと金でできているために重量がある。
多くの国や地域では銀製品が聖なる力や魔除けの力があると思われているが、エルグラード王家の婚姻の際に使用される儀礼用の聖具は全てプラチナや純金で作られていた。
「ウェディングロードを歩く時だけ持てばいい。待機中は聖職者が預かるから」
「セイフリードも重いだろう。辛いようであれば代わるぞ」
レイフィールが声をかけた。
セイフリードの持つ黄金色の聖書はかなり分厚い。表紙だけが純金製とはいえ、お世辞にも軽いとは言えなかった。
「これ位は持てる。馬鹿にするな!」
「聖壇まで運ぶだけだが、落とすなよ?」
「指輪や婚姻誓約書を持つ者こそ要注意だ。軽いとあなどって落としたら不吉極まりない」
「それもそうだな。エゼルバードも気をつけろよ。お前は二つ持っている」
「私が大切な指輪を落とすわけがありません。そのようなことを神が望まれるわけもありません」
華やかな衣装に身を包んだエゼルバードは微笑んでいなかった。
「付添人の代表として厳命します。全てを完璧に。いいですね?」
「聖騎士として花婿に尽くす」
「全てを花婿のために」
レイフィールとセイフリードがそう言うと、付添人達はそれぞれ誓約するかのように同じ言葉を繰り返した。
「兄上、準備はよろしいでしょうか?」
「問題ないが、エゼルバードこそ大丈夫か?」
クオンはいつもとは違って微笑みを浮かべていないエゼルバードのことを気遣った。
「ここにいるのはしっかりと務めを果たすことができる者達ばかりだ。もっと力を抜けばいい」
「わかっています。どうかお気遣いなく」
「私を信じろ」
力強い言葉だった。
エゼルバードは一息つくと微笑んだ。
「信じています。誰よりも強く」
「私も同じだ。エゼルバードを信じている。そして、ここに集ってくれた者達のことも。共に行こう」
「入場します」
全員の準備が整い、いよいよ花婿が入場することになった。
ファンファーレが鳴り響いた後、身廊へ続く大扉が開かれる。
先頭の護衛騎士達に続き、花婿と付添人達は聖壇を目指して進み始めた。





