797 集まった者、進む者
まずはリーナ付きの護衛騎士達が姿をあらわす。
「馬車乗り場まで先導致します。ブライズメイドの前方にいる騎士二名の歩調はウェディングロードにおけるものと同様になるため、遅く感じるかもしれません。合わせていただけますと、全体的に揃って行進できると思われます。何かあれば遠慮なく声をお掛けください。但し、花嫁はしきたりがありますので、レーベルオード伯爵にお話かけいただくことになると思われます。では、整列の号令の後、前進致します」
護衛騎士達は前後左右の配置についた。
「整列!」
号令が飛ぶ。
「移動開始!」
護衛騎士達が進み出した。
その後、間隔を空けてウェディングフラワーの担当であるラブとアリアドネが並んで進み、更に間隔を開けた状態でレーベルオード伯爵とリーナが進むことになる。
ウェディングベールの担当は花嫁のベールを持って斜め後ろ横、トレーン担当はウェディングドレスのトレーンの裾を持ち、花嫁の真後ろから付き従う。
全員がそのことを頭の中で確認した時だった。
廊下に歌声が響く。
聖歌だ。
驚くリーナにレーベルオード伯爵が説明した。
「侍女達だ。拍手ではなく聖歌で見送りをしてくれる。それに合わせて移動する」
リーナが真珠の間を出る際、侍女達は廊下に並んで拍手をしながら見送ることになっていた。
レーベルオード伯爵は侍女達がそうすることを見越し、予行練習を兼ねて移動する場合は拍手ではなく聖歌を歌って見送りをして欲しいと話していた。
ただ移動するだけではタイミングが掴みにくい。侍女達が聖歌を歌えば、王聖堂と同じような状況を作り出すことができ、前に進むタイミングや移動速度を合わせやすくなる。
ラブとアリアドネは互いに顔を見合わせて頷き合い、護衛騎士と聖歌に合わせて前に進み始めた。
「行こう」
「はい」
父親のエスコートに合わせ、リーナは前に一歩を踏み出した。
胸がドキドキと大きな音を立てている。
このような見送りになるとは思いもよらなかったことから、嬉しさと感謝の気持ちが次々と溢れ出して混ざり合った。
廊下に出れば、右側の壁際に整列した侍女達がいる。全員が聖歌を歌っていた。
「お父様、侍女達に話しかけるのは平気ですよね?」
「女性は問題ないが、この場に男性がいないわけではない。誰に向けて言っているのかを明確にした方がいい」
「侍女達に伝えます。ありがとう。王聖堂へ行ってきます!」
リーナは侍女達に声をかけ、にっこりと微笑んだ。
その言葉はどこまでも真っすぐに、そして優しさと温かみを伴って侍女達の心の中に染み渡る。
いってらっしゃいませ!
ある者は心の中で叫び、ある者は頬を紅潮させ、ある者は懸命に瞳を潤ませながら聖歌を歌い続ける。
廊下に響き渡る聖歌と共に、花嫁一行はゆっくりと進み始めた。
角を曲がっても侍女達の列は切れることがない。
リーナ付きの侍女達から協力を持ち掛けられた他の部署の侍女だけではなく、後宮にいる多くの者達がリーナを見送るために集まっていた。
一階に降りると、そこには警備をする者達がずらりと並んでいる。
その後ろには侍女や侍従達、そして本来はリーナに顔を合わせることができない階級であるはずの召使いや下働きの者達までもが揃っていた。
多くの召使いや下働きの者達が見送りたい旨を上司に嘆願し、団結し合っていた。
全面禁止にするとその反動で大問題が起きそうなほどの人数と勢いだったため、立ち入りは一階の通路部分のみ、警備と上位の侍女や侍従達の後ろであればいいという制約付きで見送ることが許可されていた。
多くの者達は聖歌を歌うか拍手をしていたが、花嫁の姿が見えると大声で叫ぶ者達が続出する。
「リーナ様!」
「お幸せに!」
「心からの祝福を!」
「お妃として頑張って下さい!」
「応援しています!」
「私達も頑張ります!」
「リーナ様のように一生懸命働きます!」
「いつか幸せになれるって信じていきます!」
「お掃除を隅々までします!」
「洗濯物もピカピカにします!」
「野菜の皮むきを頑張ります!」
「じゃあ、野菜を洗うのを頑張ります!」
後半は祝福の言葉というよりも、自分の仕事を頑張ることをアピールする言葉になっていた。
大声で叫びながら手を振る者達を見たリーナは驚き、目を見開いた。
あれは……カリンさん?! マーサ様もいる!
二人だけではない。掃除部の者もいれば別の部署の者もいる。名前を知っている者もいれば、顔に見覚えがある者もいた。
後宮は何度も人員を整理し、多くの者達を解雇した。
リーナと同じように下働きとして、召使いとして、侍女として働いていた者達の中には解雇を通告され、後宮を去った者もいる。
しかし、全員ではない。今も後宮に残り、働き続けている者もいる。
その者達は知っていた。
リーナが一人だけの仕事でも怠けることなく真面目に努力しながら一生懸命働いていたことを。
召使いだったリーナが辞めたのは、後宮の縮小化に伴う人員整理で、解雇対象者になったからだった。
解雇対象者になったのも下働きから昇格したせいで、召使いとしての勤続年数が少ないという単純な理由からだった。
リーナが辞めた後は、別の者が同じ仕事を担当することになった。
リーナの休日は基本的に掃除の必要がないと思われる日が割り当てられ、巡回の仕事だけは清掃部の侍女見習いが行っていた。
そこでリーナの代わりに召使いを一人補充することになった。
ところが、問題が発生した。
後任者が無理だ、一人でこなせる仕事量ではないと主張したのだ。
清掃部の者も掃除部の者もそんなはずはないと思った。
ずっとリーナは一人で担当していた。真面目に勤務し、サボったり手を抜いたりしているようにも思えなかった。報告書もしっかりと提出していた。
後任者は仕事を始めたばかりということもあり、慣れれば問題ないだろうと判断された。
しかし、後任者はいつまで経っても仕事をこなせなかった。
後任者はリーナと同じく掃除部の召使いで、リーナが着任した時と同じく上司である清掃部の者に教えられた通りに仕事をしていた。
掃除についてはしっかりとこなしていたものの、控えの間や応接室の掃除時間に合わせて順番に後宮内を移動することにも苦労していた。
全ての作業は一人でこなさなければならない。掃除部や清掃部へ行き来するだけでも時間が取られてしまう。イレギュラーなことがあればそれこそ時間が足りない。巡回業務に行く余裕は全くなかった。
また、巡回業務のサポートをするはずの侍女見習が仕事をサボって召使いに押し付け、召使いの休日も巡回をしないで適当な予想を記入していただけであることもわかった。
清掃部の者が知る通常通りの手順では、定時内に終えるのは完全に不可能。一人でこなせる仕事量でもない。イレギュラーや休日等を考慮すると三人は必要だと思われた。
それはつまり、これまではリーナが一人で黙々と三人分の仕事をこなしていたということだった。
リーナは毎日朝早くから夜遅くまで、時には食事や入浴をする暇もなければ睡眠時間を削ってまで働き続け、過労で倒れたこともあるほど頑張っていた。
また、清掃部の上司のみならず侍従長の元まで行って許可を貰い、掃除する順番を変えたり郵送で報告書を送ったりすることも含めて様々に工夫して対処をしていた。
リーナという地味で目立たない女性は、熱意と創意工夫に溢れた努力家だった。そして、掃除部や清掃部にとって非常に頼もしい優秀な者だったのだ。
にもかかわらず、勤続年数が短いという理由だけで解雇対象になり、後宮を去るしかなかった。
そのことを多くの者達が知り、心から悔やんだ。
リーナがどうなったのかを詳しく知る者はいなかった。
後宮で働いていた時と同じく、どこかで懸命にコツコツ努力をしながら真面目に働いているに違いない。誰もがそう思っていた。
そして月日が経ち、リーナが後宮に戻って来た。
リーナの勤勉さと優秀さを知る者により、第四王子付きとして臨時に雇用された。
仕事を認められて正規採用になり、王族の信用を得るようになった。
第四王子の側近の実家の養女になり、重要な外交訪問の随行者に選ばれた。
王太子の寵愛を得て側妃候補になり、夏の終わりには正式に婚約して側妃になることが決まった。
リーナの人生はまさに夢物語のようになった。
だが、それはただ運が良かったからではない。どれほど辛くても苦しい状況でも頑張り続けたからだ。
その姿は見られていた。努力も伝わっていた。
神だけではない。
王太子に。その周囲にいる者達に。上司に。同僚達に。
リーナに関わった多くの人々に。
だからこそ納得できる。祝福できる。リーナの幸せは努力の賜物だ。自らの力で掴んだものだった。
そして、人々は信じている。信じたいのだ。
この世界には夢も希望もある。努力をすれば必ず報われる。いつかきっといいことがある。幸せになれるのだと。
王太子の花嫁になるリーナが証明してくれる。
無限の可能性と未来があることもまた同じく。
その想いが多くの者達を動かした。
王太子との結婚式に向かうリーナを見送るために集まったのだ。
絶対に駄目……泣かないって決めたから……!
頭ではわかっていても、心の中の想いは一気に溢れ出した。
リーナの瞳が一気に潤む。
「声をかけないように!」
「しきたりがあることを忘れるな!」
「拍手か聖歌にするのだ!」
興奮した者達に警備の者達が怒りと必死さがありありとわかる形相で叫んだ。
王家の婚姻における花嫁にはしきたりがある。
王聖堂へ到着するまで、可能な限り男性との接触を控えなければならない。集まった者達に話しかけたり手を振ったりするようなことも一切しないことになっている。
「大丈夫か?」
必死に涙を堪えようとするリーナを気遣うようにレーベルオード伯爵が声をかけた。
「あそこにいるのは私が働いていた時に知り合った者達です。どうしても一言お礼を言いたいのですが、駄目でしょうか?」
「男性もいる場所だけに無理だ。ここは私に任せてくれるか?」
お父様に?
そう思いつつもリーナの答えは決まっていた。
「お任せします」
「止まる」
ゆっくりと進んでいたレーベルオード伯爵は立ち止まった。
リーナも止まり、後ろにいたブライズメイド達や護衛騎士達も止まる。
「私はパトリック・レーベルオード。リーナの父親だ。婚姻のしきたりによって娘は応えられない。そこで、私が応えたい。見送りのために集まってくれた後宮の者達に心から感謝する! 皆に神の祝福があらんことを!」
レーベルオード伯爵は花嫁のしきたりを考慮し、代理として自分が集まった者達に声をかけることにした。
しきたりとして集まった者達に対して話しかけたり手を振ったりできないのは花嫁であり、花嫁の父親ではない。
レーベルオード伯爵の言葉を聞いた後宮の者達は驚嘆しながらも歓声を上げ、割れんばかりの拍手を送った。
喜びと感謝と祝福が溢れ、その場を満たしていた。
「行こう」
父親の言葉に娘は頷いた。
「ありがとうございます、お父様」
「ここは後宮のウェディングロードだ。お前の人生と関わり合った者達が集まり、祝福してくれている」
「とても嬉しいです。こんな風に多くの方々が集まってくれるなんて……」
「素晴らしい見送りだ。皆の気持ちに応えるためにも、遅延することなく王聖堂に到着し、無事に式を挙げなくてはならない」
「はい」
レーベルオード伯爵にエスコートされたリーナは晴れやかな表情で後宮のウェディングロードを進み続けた。





