790 ノエル
部屋に戻ったセイフリードはノエルを呼び出した。
「お呼びとか」
ノエルはパスカルが選んだセイフリード付きの側近候補だ。
元財務相の官僚で、現在は王子府の配属になっている。
記念硬貨については財務省が管轄する造幣局との折衝があるため、パスカルではなくノエルの担当になっていた。
「エゼルバードから追加注文が来た」
話し合いにより、週明けにはエゼルバードの方から注文者へ記念硬貨を先渡しすることになった。
それで金貨はほぼ完売だ。
残留分はセイフリードとエゼルバードで個人的に買い取り、その後の注文に対しては個人的な保有分を放出するかどうかを各自で決めることにした。
「ほぼ完売ですか? さすが第二王子、コネがお強い」
ノエルは発売から一週間しないうちに全ての金貨が売り切れるとは思ってもみなかった。
これほど早くさばけるのであれば、上限枚数をより多く設定すればよかったのではないかと思わざるを得ない。
「合金製を追加する」
「宰相の許可がまだでは?」
「エゼルバードが宰相を説得する。確実にな」
「第二王子が?」
ノエルは更に驚いた。
「但し、条件が付いた」
エゼルバードは配下を使い、幅広く成婚記念硬貨の注文を受け付け、販売を促している。
それについては手数料を取っているため、セイフリードと山分けだとしても利益が生じる。
しかし、自分や配下を通さない販売についての利益はない。
エゼルバードへの注文の中には大量の合金製の記念硬貨も含まれているが、元の価格が安いだけに手数料も安く、利益が高いとはいえない。
合金製の記念硬貨が増産されても、エゼルバードに旨味はない。
そこで、エゼルバードが合金硬貨の追加発行についての許可を宰相に了承させることについては別の対価を要求された。
「別の対価とはどのようなものでしょうか?」
「次回以降の記念硬貨の利権だ。手を組みたいと言われた」
「それは……」
ノエルは面白いとばかりの表情になった。
「確実に益があることを見抜かれましたか」
記念硬貨は単純に通貨を増産するのと同じだ。作った分だけ通貨が手に入る。
通常、国庫を潤すために自国の通貨を乱発することはしない。通貨価値が下がり、相対的に物価が上がるインフレーションの発生を防ぐためだ。
しかし、臨時で発行される記念硬貨はインフレーションの心配がない。
流通する通貨に対する割合から見ると少額でしかない。経済に多大なる影響を与えないように上限も設定している。
逆に発行量を多くする場合は、その分だけ流通している通常通貨を回収して処分すればいい。調整できる。
また、記念硬貨は通貨であるものの、実際には保有者が使用しないまま保存してしまうことが多いため、一般市場に流通しにくい。
投資等においての活用にしても、絶対量が少ないこと、金あるいは希少品としての価値による取引になることから、通常通貨の取引とは別物になる。
様々に好条件が揃っているのだ。
「白金貨の件は?」
「断られた」
セイフリードはエゼルバードが何かしらの理由をつけてゴネた場合に備え、白金貨の記念硬貨を発行するための準備も整えていた。
しかし、エゼルバードは一度限りの利権ではなく、継続的な利権を要求した。
セイフリードは今回の件については任されているものの、次回以降は担当になるかわからないと言って難色を示したが、エゼルバードは退かなかった。
それどころか、意地の悪い笑みを浮かべて言ったのだ。
「次回以降も担当していくつもりなのはわかっています。記念硬貨は財務省や造幣局と連携しますからね。将来的に財務を担当したいと思っているのであれば、率先して担当すべき雑事でしょう」
一見すると記念硬貨の発行は王太子の婚姻が行われることによる突発的なものでしかないように見える。
つまりは今回限り。臨時歳入を得るための単純な金稼ぎ。他の重要な案件に比べれば雑事といっても過言ではない。
しかし、記念硬貨が発行されるのは今回限りではない。
現王太子の婚姻の記念硬貨は最初で最後だとしても、新国王として即位した際や現王太子の跡を継ぐ第一王子が誕生した際などの記念発行が予想され、戦争や災害時、経済難等に充てる資金を補充するための臨時発行もあり得る。
セイフリードは王太子の内政を補佐するような役回りを求められていることから、一度担当した記念硬貨については今後も任される可能性が非常に高くなる。
その度にセイフリードは記念硬貨という財務に関わる実績を積み重ねることができる。
やがてはそれを足掛かりにして、より重要な財務の関わる案件を担当し、最終的には新国王の統治下において財務統括になり、強い権力と立場を手に入れることも夢ではない。
「では、殿下が将来的に財務を担当することについて、第二王子は反対しないと?」
「そうではない。雑事を担うのは構わないというだけだ。僕を警戒しているからこそ、継続的に関わることで見張るつもりだ」
「なるほど。利権も得られ、監視もできる。一石二鳥というわけですか」
「別の目的については気づいていないだろうがな」
セイフリードはエルグラードの通貨を新紙幣と新硬貨のみにし、できるだけ早く旧紙幣と旧硬貨を完全に廃止することを考えていた。
古い時代に発行された通貨はギニー紙幣だけに絞ってもなかなか回収が進まない。発行された種類が多くて複雑なこともあり、偽造紙幣の割合も多い。
偽造通貨は犯罪組織や反国家団体の資金源になってしまう。
セイフリードが密かに展開している情報事業においても偽札による取引が横行し、問題になっていた。
「気づいたとしても、国益になります。邪魔するようなことはしないのでは?」
ギール紙幣については偽造されたものが市場を混乱させるほど大量に出回らないように、何度も新規の紙幣を発行し、旧紙幣を回収しては廃止にすることで対応している。
だが、ギニーは対応しにくいのが現状だ。
国際取引で扱う通貨はギールのみを交換しているが、商人や個人の旅行者等を通じてギニーが他国に流出し、大量に保有されている。
地域によっては他国の通貨のみならず、国際通貨としてギールやギニーが一般的に利用されていることもある。
それだけエルグラードの通貨に対する信用が高いということでもあるが、エルグラードとしてはあまり歓迎できない。
なぜなら、国際的な信用の高い通貨ほど偽造されやすくなる。
また、他国で流通するエルグラード通貨についての保有量や流通量はわかりにくく、偽造されたものが混入されても対応ができない。
そして、国際取引を通じて他国で流通する偽造通貨がエルグラードに逆輸入され、エルグラード国内における偽造通貨量を底上げしてしまう恐れがある。
当然、偽造した者達が儲かるだけの話で、エルグラードは偽造された分通貨信用度が下がり、経済的にも損失を被ることになる。
結局、エルグラード通貨の信用性を維持するためには、旧紙幣と旧硬貨を可能な限り順次回収し、偽造通貨の流通量を抑制しつつ、頃合いを見て完全に廃止するのが有効だとセイフリードは考えていた。
通貨の偽造防止対策や流通量の調整という重要案件を担当することで自らの立場と権力を強める。
少なくとも、金策はしやすくなる。個人的な事業にも都合がいい。
だからこそ、セイフリードは自ら王太子の婚姻に合わせた記念硬貨の発行を進言した。
準備もぬかりない。
表だけではなく裏にも手を回した。
配下の者達に指示を出し、記念硬貨の発売に関連してギニー札が高値で売れるという情報を流す。
その一方で、一部の商人達に金を払い、ギニー紙幣を高値で買い取るような商売を開始させる。
王都の情報は早く広がる。金儲けの話であれば余計に。
王都中でギニー紙幣の高額取引が各所で自発的に行われ、ぼったくりが横行するような状況になるまでにさほど時間はかからなかった。
「これからはますます忙しくなる。手駒を増やしたくはあるが難しい」
「それは正規のでしょうか? それとも裏のでしょうか?」
「どちらもだ」
「正規の方はレーベルオード子爵が増やしてくれます。ただ、殿下の望む者を上手く選んでくれるかどうかはわかりません」
「お前がパスカルに信頼されれば、人事に口を出しやすくなる。もっと働け」
「そうですね。レーベルオード子爵には従順かつ有能さを懸命にアピールしておかなければ。殿下が与えてくれたチャンスを無駄にはできません」
ノエルを財務省から引き抜いたのはパスカルだが、そもそも財務省の官僚を引き抜くこと自体はセイフリードが指定していた。
そして、引き抜きやすい者――役職にはないもので、財務省でそこそこの職務をこなしつつも出世する見込みが薄く、現状に不満を持ち異動を喜んで受ける者、できることなら一般的には性格的に難ありの兆候が見られる者がいいなどと細かい注文を付けた。
その結果、何人かの候補が選ばれ、セイフリードの目に留まったノエルが選ばれた。
だが、それはあくまでも表向きの話で、実際はセイフリードがノエルを財務省から王子府に異動させるため、あえてパスカルに選ばれるように仕向けてからセイフリードが拾うという面倒な手順を踏んだだけの話でもあった。
ゆえに、パスカルはセイフリードとノエルが以前からの知り合いであるとは露ほどにも思っていない……はずだ。
「殿下にご相談したいことがあります」
「相談?」
「アスールの冷たさが異常です。殿下の側に堂々と私がいることに嫉妬しているだけとは思いますが、一言言っていただけませんか? このままでは胃に穴が開きそうです」
「お前の胃は微塵も傷ついていない」
「殿下の前では猫かぶりですが、他の者達に対しては容赦がないのをご存知のはずです。このままでは余計な確執を広げるだけかと」
「同じ穴の貉だろう」
「せめて、五十歩百歩にしていただけると」
「結局は同じという意味を知っているのか?」
「目くそ鼻くそよりはましです。ネグロなら間違いなくそう言います」
その場合はどちらも自分とは認めない。自分は優秀だ。少なくともどんぐり程度には。
心の中でノエルは付け足した。
「余計な話はするな。誰かに聞かれたらどうする?」
「聞いているのはベルデだけかと」
ノエル=クルージェ。
仲間内においてベルデと呼ばれる男は笑みを浮かべた。
「下がれ。ギニーを回収して来い」
セイフリードの態度は冷たかった。
ノエルが相談といいつつ余計なことを話したのが気に食わないのは明らかだった。
「では、失礼致します」
ノエルは深々と頭を下げると部屋を退出した。
殿下に冷たくされたと話したら、アスールが喜びそうだ。もしかすると、殿下はそのためにわざと私を冷たくあしらったのだろうか?
ノエルはこの後の対応を考えながら廊下を歩き出した。





