783 移動作戦
「こんにちは」
挨拶には挨拶を。
そう思うからこそリーナは挨拶を返した。自分が挨拶されたと思ったのだ。
しかし、その言葉にかぶせるようにラブが大きな声を出した。
「ちょっとーっ!」
ラブはすぐに少女に駆け寄った。
本来であれば移動する必要はなくその場で返せばいい。だが、リーナの姿を隠すため、あえて少女達の目の前へ移動した。
そうすればラブを避けるようにしてリーナと会話をするのは失礼な行為になる。
ラブがウェストランドのゼファード侯爵令嬢であることをわかっているのであれば、絶対にそのようなことはしない。
「こんなところにいるなんて! 特別展を観に来たの?」
「はい。ゼファード侯爵令嬢は二階にいらしたようですが、どのような集まりなのですか?」
少女は場所からいってラブ達がレストランから出て来たのだろうと推測した。
バラの花束を持っている騎士がいることを考えれば、お祝い等の催しだろうとも。
「社交グループの集まりよ」
ラブは無難な返事を返した。
「終わったのですか?」
「まあ、そんなところ」
「でしたら、レストランを休憩室として開放して貰えるよう責任者の方に伝えて欲しいのですが。あまりにも混雑しているので、疲れてしまいました。私達だけでなく多くの者達が同じように思っているはず。身分の高い者ほど不機嫌で、どこのグループが貸し切りにしたのかも知りたがっていました。あまりいい雰囲気ではありません」
「誰?」
「メルジェリーナ様、シュシュリーゼ様、マッケル公爵夫人、ペンケーラ公爵夫人……」
少女は次々と名前を挙げていく。
名前だけの者はともかく、爵位名はどれも公爵令嬢や夫人ばかりだった。
「何それ?! どうして今日に来るのよ!」
ラブは高位の女性達がこぞってこの日に来場していることを知り、苛立った。
「女性だけの日ですし、日にち指定の前売券を持つ者だけだからに決まっています。高位の貴族女性の日だと皆思っていますが?」
全然違う。
しかし、表向きには王太子の結婚式や披露の舞踏会に参加する貴族達の事前勉強を推奨するための優先日という理由で隠されている。
王太子の結婚式や披露の舞踏会に参加できるのは高位の者が多い。女性だけが特別展に入場できることを考えれば、高位の貴族女性のための日と思われても仕方がない。
「王立美術館は本当にわかってないわね! 前売券をもっと少なくすればいいのに!」
「それについても話していました。まさかこれほど混雑しているとは思いも寄りませんでした。レストランが貸し切りということもこちらで知りました」
「告知はしていたはずよ」
「ポスターの細かい部分など見ません。結局、来た者にしかわかりません。もうすぐ王太子殿下の結婚式なので大きな催しはありませんし、情報が伝わりにくかったのでは? とにかく、グループの評判のためにもレストランを開放した方がいいと思います」
少女はリーナが遠目にサッシュをつけていることを確認しており、グループの責任者だと思った。
思いもかけない人物でもあった。
「お久しぶりです。リースティティアさん」
リースティティア?
突然、正義の女神の名前が出て来たことに、ラブ達は驚いた。
リーナもまた同じく。
その言葉によって、少女が誰なのかをはっきりと思い出したのだ。
「公爵令嬢の……」
名前が出てこない。
「えっ?! ティファニーと知り合いなの?!」
王立学校へ行った時、公爵令嬢で沢山のお友達に囲まれていたティファニーさんだわ! 確か序列十八位の公爵家で……。
名称は思い出せなかった。
「こんにちは。序列十八位の公爵家令嬢のティファニーさんですよね?」
「オルゲーリントです」
ティファニーはにこりともせずラブを見た。
「ゼファード侯爵令嬢、この方は? 以前お会いした時は正式な名前を伺えなくて」
「なんでリースティティアなのよ?」
「ちょっとした問題が起きた際、誰もが納得する公平な判断で場を収められ、デーウェン大公女が正義の女神の名前を出しました」
「デーウェン大公女ねえ」
ラブは思いっきり顔をしかめた。
「名前を知らないままでは失礼になりかねません。改めてお伺いしても?」
ティファニーはラブにうまくはぐらかされたと感じ、理由をつけて再度尋ねた。
「秘密」
「公爵令嬢である私に秘密にしなければならないような方だと?」
うざっ!
ラブは心の中で悪態をついた。
「お待たせしました」
そこにカミーラが戻って来た。ヴィクトリアも一緒だが、外套のようなものは何も持っていなかった。
「何もなかったのか?」
アルフが確認するように声をかけた。
ヴィクトリアはアルフを無視し、直接リーナに話しかけた。
「忘れていることがあると聞きました。申し訳ないのですが、一旦レストランにお戻りください」
カミーラ達はすぐには羽織るものがないのか相談しにいったが、レストランの方にも何もなく、あったとしてもクロークに預けるか自家用馬車に置いてきてしまっていることが判明した。
そこで、とある作戦を思いついた。
忘れものをしたという理由で一旦リーナに戻って貰い、気を反らすために数十人の者達をわざと階下に行かせて人々の視線をリーナからそらすというものだ。
「行くわよ!」
ベルを先頭に次々とパーティーの参加者達が出て来た。
リーナ達は壁側の方に寄り、階下の視線が届きやすい階段や手すりから離れる。
そして、通り過ぎていく女性達が気を反らしている間にもう一度素早くレストランの方へと移動した。
レストランにつくとアリシアとクローディアが素早く駆け寄って壁を作り、その隙にラブがサッシュを取り外した。手提げ袋も受け取る。
これでリーナは一見しただけでは貴族の令嬢というだけで、取り立てて何か目立つようなことはなくなった。
「これでいいわ。他の者達の馬車も用意させるから、それに紛れて降りましょう」
パーティーの主役で最上位であるリーナの帰宅を優先するのは当たり前のことだが、階下の者達の視線や混雑による不満がリーナに集中しては困る。
そこで、パーティーの参加者達をゆっくり流れ解散にするのではなく、計画的に帰宅させることにした。
まずは公爵家の者達を数人、馬車乗り場へ移動させる。それに合わせてバラの花束、アピールカードとカードリングが入っている紙袋も運ぶ。
公爵家の者達の中の誰かが主役だと思わせるような誘導を仕掛け、囮になって貰う。
その後も上級貴族だけを組み合わせ、馬車の用意ができたところで降りて貰う。
身分の高い者達から順次帰宅しているのだろうと思わせるためだ。
頃合いを見て、下級貴族だけを組み合わせて降りて貰う。
残っているのは身分の低い者だけだと思わせ、階下の者達の興味を失わせる。
その後、リーナはラブと共に下級貴族の女性の中に紛れながら降り、すでに用意されている馬車に乗り込むことになった。
「少し時間がかかると思いますので、レストラン内でお待ち下さい」
「手間をかけさせてしまってすみません。ご配慮に感謝します」
「いいえ。こちらこそ色々と気づかずに申し訳ありませんでした」
待つ間、リーナは椅子へ座ることになった。
「レストランを休憩室として開放する準備をします。人を出入りさせますのでご了承下さい」
レストランは終日貸し切りで営業することはないが、階段に近い化粧室だけは一階の混雑状況を見て一般客に開放する予定だった。
しかし、階下の女性達があまりの混雑ぶりに疲れてしまい、レストランが使えないことだけでなく、貸し切りにした者達への不満もかなり溜まっているようにみえる。
そこで帰宅を早めに促し、余った貸し切り時間を休憩室として開放することにした。
「お掃除ですか?」
「飲食物を片付け、椅子とテーブルを移動します」
「軽食は残しておいてくれませんか? 休憩室を利用する者達が自由に食べれるようにしておいて欲しいです。早い者勝ちになってしまいますけれど、処分されてしまうよりは絶対にいいはずです」
「ですが、飲み物がないので……」
「費用は私が負担しますので、水を用意して下さい」
水?!
水……。
リーナの言葉に周囲の者達は一瞬固まった。
費用を節約するつもりではないかとも感じた。
しかし、水にした理由は別だった。
「あくまでも無料のサービスなので、様々な飲み物を自由に取れるようにはしません。内容が良いほど、利用できない者が不公平になってしまいます。でも、水だけなら不公平だと思う者が少ないはずです」
「飲み物代は私が出すわ」
ラブが申し出た。
「主役に費用を負担させるわけにはいかないわ。絶対に!」
「いいんです。もうパーティーは終わりです。それに、私も何かしたいのです。パーティーを開いてくれた方々や、階下の方々のために。凄いことはできませんけれど、水を提供すること位は許してください」
リーナは立ち上がった。
「それとやっぱり……私は駄目です」
周囲にいた者達は困惑の表情になった。





