782 サッシュ
リーナはパーティーに参加している者から挨拶と祝福とカードを受け取った。
そして、パーティーの参加者が全員揃ったところで、月明会のメンバーから特注のカードリングが贈呈された。
「こんなに沢山の祝福と贈り物をいただけてとても嬉しいです。心から感謝したいと思います。本当にありがとうございました!」
満面の笑みを浮かべるリーナに改めて盛大な拍手が贈られた。
そして、最後は百本の赤いバラの花束を贈呈。
ブライダルシャワーは祝福ムードに包まれながらお開きになった。
リーナはラブ、カミーラ、ベルの三人に囲まれるようにしてレストランを出た。
この後は王宮に帰るだけになる。
「花束を持ちましょうか? 重いでしょう?」
「では、私が手提げ袋を」
カミーラとベルが花束やカードの入った手提げ袋を持つと申し出たが、リーナは自分で持つと答えた。
リーナは手提げ袋を左腕に通し、大きな花束を抱えながら歩き出した。しかし、すぐに前が見えにくいと感じた。
やはり誰かに持って貰うべきかもしれないと思ったものの、ベルが持っても重いに決まっており、前も見えにくくなる。
自分で持つと言った以上自分で持たないと!
そう思いながら階段の近くまで移動した時だった。
「失礼ですが」
廊下に出た時から同行していたユーウェインが言った。
「前方が見えにくそうです。階段は危険ですので、花束はお預かりします」
ユーウェインはリーナが花束の陰から前を確認する様子を見て、安全のためにも花束を預かることを申し出た。
「わかりました。では、お願い致します。ありがとうございます」
リーナは心の中で盛大に感謝しながら花束をユーウェインに渡した。
だが、ユーウェインはその花束をすぐにアルフへと差し出した。
「これを。私は令嬢を先導します」
花束の担当をしろと?
アルフは不満そうな表情をしたものの、何も言わずに花束を受け取った。
ヴェリオール大公妃になる女性の案内及び護衛担当として選ばれたのはユーウェインとアルフだ。
あくまでも直接話して対応する役で、他の者達も護衛をしていることがわかりにくいように散開して警護にあたっている。
しかし、階段には化粧室の順番待ちをしている女性達がずらりと並んでいた。
未成年だけに開放している状態だが、不審な者や危害を加える目的の者がいないとも限らない。
いざという時はユーウェインやアルフがリーナを守らなくてはならない。だが、アルフはユーウェインがリーナを守ればいいと思っている。実務担当だ。
ユーウェインもそのことはわかっている。だからこそ、花束をアルフに預けた。先導をするとはいったが、実際はリーナの盾役であることを暗に告げたのだ。
これまでに何度も組んできたからこそわかってはいるが、自分が下のような扱いをされたような気持ちになったアルフは階段の手すりに寄り、階下に向かって叫んだ。
「スペン、ハイリック!」
すぐに名前を呼ばれた近衛騎士が階段を一気に駆け上って来た。
「何か?」
「これを持て」
アルフが下位の近衛を呼んだ理由は一つしかない。荷物持ちだ。
一人は花束で、もう一人は手提げ袋要員だった。
「はい!」
スペンがアルフから花束を受け取る。
ユーウェインはにこやかな表情を崩さないまま黙っていたが、心の中では違った。
余計なことを。ただでさえ近衛が同行して注目を浴びるというのに……。
「手提げ袋も持つ。寄越せ」
アルフは不愛想な態度だったが、配慮をしていることはわかる。
ノースランドの者が自ら荷物を持つと言い出すことが普通ではない。
「こちらは大丈夫です。軽いので」
リーナはこれ以上持って貰うのは悪いと感じ断った。
「遠慮するな」
「遠慮じゃないです。近衛の方の手を煩わしたくないので」
すぐに渡した方が煩わしくないと思う者達の方が圧倒的に多かったが、そのことを口にする者は誰一人としていなかった。
「ところで、外套など羽織るものを何かお持ちでしょうか? 階下は混雑しておりますので、先に取りに行かせますが?」
ユーウェインはさりげなくリーナを階段上で並んでいる女性達の視線から庇いながら尋ねた。
「いいえ。ありません」
「そうですか」
ユーウェインはそう答えながら、顔をアルフに向けた。
「アルフ」
「何だ?」
ユーウェインは自らの手をうなじあたりから斜め下に向けて素早く動かし、胸の中央当たりを軽く二回叩いた。
近衛ならではの合図かもしれないとリーナ達は思ったが、アルフも理解できずに眉間に深いしわを作った。
「はっきり言え」
言葉にしにくいからこそ、こうしているというのに。
ユーウェインは心の中で思ったが、にこやかな表情は変わらない。
むしろ、アルフの言葉をそのまま活用すればいいと瞬時に判断した。
「令嬢のサッシュが気になりまして」
全員の視線がリーナへ向けられた。
リーナは非常に大きな花束を持っていたため、主役の証拠として身に着けていたサッシュが隠れた状態になっていた。
サッシュをつけていることはわかる。
外し忘れたというか、外せなかったというべきか。とにかく、それは仕方がない。
花束を持っていた時は、サッシュの文字が見えていなかった。パーティーの主役であることはわかるが、どのようなパーティーかはわからない。
しかし、花束を渡してしまったことによって、ハッピーブライドの文字がしっかりと見えるようになってしまった。
もう一つ言えば、リーナが手に持っている紙袋にも同じく。ハッピーブライドの文字がある。
その二つのアイテムから、レストランの集まりがブライダルシャワーなどの結婚関連であり、主役はリーナだということがわかってしまう。
誰か一人でもリーナという名前を呼べば、それだけで王太子の婚約者が来ていることが知られてしまう危険が高い。
この美術館に来館している客は全員が王太子の婚姻に興味を持っている女性ばかりだ。リーナ=レーベルオードの名前を知らないわけがない。
リーナという名前だけで、リーナ=レーベルオードに結びつけてしまうと思われた。
「そういうことか」
アルフはすぐに状況を察した。
ユーウェインが細やかな配慮を見せたことにより、リーナが身に着けているサッシュに問題があることがわかった。
すぐに外して欲しいところだが、サッシュであっても衣装の一部になる。
大勢の者達がいる廊下でサッシュを外すように言うのは、公の場で未婚の女性に対して衣装を脱ぐことを要求したのと同じことになる。
近衛騎士は特別な騎士だ。貴族に安全や警備に関わることを要求する権限がある。
ただの貴族の女性であれば小さな声で伝えるだけでいい。
より細かく配慮するのであれば、他の者達から外すのが見えないように騎士達が並んで壁を作ることもできる。
だが、王太子の婚約者に対しては言えない。絶対に。
そこで手っ取り早く隠すものを羽織る方法を考えたが、リーナは持っていないと答えた。
花束を再度持つように言うわけにもいかない。レストランに戻るように促すのも不自然だ。
ユーウェインは非常に困った状況になったことをアルフに伝えるため、サッシュを示すような動きの後、胸のところに問題があるという意味で自分の胸を軽く叩いたのだった。
珍しく失敗したな。笑える。
他人事であればその程度だが、ユーウェインと組んでいるのはアルフだ。
そして、ユーウェインがアルフに状況を知らせた理由もわかる。
ノースランドの力を使えということだ。
リーナは王太子の婚約者だが、まだ婚姻していない。正確には貴族だ。アルフほどの者であれば、強引な対処もできる。よほどのことがなければ、注意も始末書もない。
「ラブ、外套かケープがあるなら持ってこい。ひざ掛けでもいい」
アルフはラブに何か用意させればいいと思った。しかし、
「何もないわ。すぐに馬車に乗るからいらないと思って」
使えないやつだとアルフが思ったのは言うまでもない。
「誰か持っていないのか?」
「ちょっと待ってて!」
ベルはそう言った後、急ぐようにしてレストランへ向かった。
しかし、カミーラはベルが外套を持って来ていないことを知っていた。
そしてまた、カミーラ自身も外套を持って来ていない。
馬車の乗り降りは短時間であり、一般客のように並ぶことも待たされることもない。
クロークに預けるのは手間も時間もかかってしまうため、あえて持って来なかったのだ。
馬車の中にひざ掛けはあるが、持って来るためには時間がかかる。
恐らくはレストランに戻り、誰かに何か貸して欲しいと頼む気だと推測した。
「少しお待ちを」
カミーラはベルの後を追うようにしてレストランへと向かった。
「ちょっと待っててね」
階段の近くとはいえ、まだ二階だ。
付近にいるのはラブ達や護衛、階段上にいる若い女性達だけだった。
ユーウェインがすぐに視線をさえぎるように移動したのもあって、サッシュの文字を目にした者は極めて少ないと思われた。
「サッシュを外せば解決しますよね?」
リーナがサッシュを取ろうと手を伸ばすのを、ラブがすぐに止めた。
「絶対に駄目! マナー違反よ!」
リーナはアクセサリーなどの小物であっても衣装の一部とみなされるため、人前で軽率に脱着してはいけないというルールを思い出した。
「あっ、うっかりしていました。すみません」
「私も。レストランで気づけばよかったわ」
レストランにいたのはほぼ女性だけ。パーティー用の特殊なアイテムだけに、パーティーが終わったことを理由に外しても問題なかった。
「花束で見えにくくなっていたから」
大きな花束をリーナ自身が抱え続けていたことで、サッシュのことに気づけなかった。
「私も気づけませんでした。自分のことなのに……ごめんなさい」
「大丈夫。カミーラ達が用意してくれればいいだけだし」
その時だった。
「あっ!」
大きな声があがった。
リーナやラブ達の視線が向く。
廊下には二階の化粧室から出て来た若い女性達の一団がいた。
「あの人……よね」
「そうだと思うけど」
「こんにちは」
一団の中央にいた少女が挨拶の言葉を発した。
誰に向けられたものなのか。
ラブや護衛達に嫌な予感が走った。





