780 良策
リーナ達はレストランに戻った。
ヴィクトリアが事情を説明し、パーティーの参加者達に化粧室を早めに利用しておくこと、階段の側にある化粧室を一般客へ開放した後は逆側の廊下を進んだ先にある小さな化粧室を優先的に使用することを伝えた。
「淑女としての寛大さと慈悲深さを示しましょう。これは本日の主役であるリーナ様のご意見でもあります。主役を喜ばすのはこのパーティーの趣旨ですので、ぜひともご協力下さい」
賛同を示す拍手が盛大に響き渡った。
「では、化粧室を利用したい方は左の方へ寄って並んで下さい。一度に全員が向かうと混んでしまうため、大きな方には十人ずつ、小さな方には三人ずつ移動していただきます」
アリシア、クローディアの二人が階段側の化粧室の出入口と、レストランの出入口に待機し、それぞれ合図をすることによって順次利用者の移動を調整する役を務めることになった。
カミーラとベルの方は新しく利用可能になった化粧室の調整を担当する。
リーナの側にはラブとヴィクトリアが残ることになったが、リーナは二人の方ではなくレストランの出入口の方を見つめたままだった。
「まだ気になるの?」
「リーナ様のご要望にお応えしたつもりでしたが、まだ何か?」
リーナは下を見て小さく息を吐いた。
「お二人を信頼しているからこそ、話すということでもいいでしょうか?」
「もちっ! 大歓迎よ!」
ラブは小さな声でありつつも、強い喜びを溢れさせながら頷いた。
「私はお二人とは違った環境で生きてきました。なので、つい勿体ないと思ってしまって」
「何が?」
ラブは尋ねつつも、見当はついていた。
「お食事です」
やっぱり。
ラブとヴィクトリアは心の中で呟いた。
「今はお昼です。きっと沢山の者達が昼食を取りたいと思っているはずです。だからこそ、カフェも混雑しているといったお話が出ました。パーティーの参加者には軽食が用意されていますが、手をつける者がほとんどいません。このままでは余ってしまいますし、パーティーが終わった後は処分されてしまう気がします。でしたら階下にいる者達に配ってはどうかと思ったのですが……駄目でしょうか?」
「さすがに駄目ねえ」
「無理よ」
ラブとヴィクトリアは即答した。
リーナもそう言われるであろうことは予想していた。
ただでさえ、化粧室の件で無理を言った自覚がある。更に食事の件も何とかして欲しいと要求し、ラブ達を困らせるわけにはいかなかった。
「すみません。ちょっと言ってみただけです。これ以上迷惑をかけるつもりはありません」
「迷惑じゃないし、本音を言ってくれて嬉しいわ! でも、化粧室を開放することでどんな状況になるかわからないでしょ? すぐにまた何かを追加するのはよくないかも。現場が混乱しやすくなるわ」
ラブの意見にヴィクトリアも頷く。
「その通りよ。食事が無料だとわかれば、多くの者達が殺到するかもしれないわ。軽食だけでなく、飲み物はないのか、椅子はないのかと次々と注文をつけてくるかもしれないわね。そういったことに全て対応できるわけではないでしょう?」
「欲張り過ぎると失敗するわよ」
「警備も困るはず」
「そうですね。考えが足りませんでした。本当にすみません」
次々と納得のいく理由を説明され、リーナはしゅんとした。
食べ物が勿体ないと思ったことが、複合的に考えるほど単純ではないことを教えられたと思った。
「何事も経験よ。化粧室の対応は凄くいいと思ったわ!」
「そうね。リーナ様らしいわ。それに、未成年への配慮も素晴らしいわね。パーティーの参加者も寛大で慈悲深い対応だと思ったはずよ」
「ありがとうございます。でも、利己的だと思った者もいるかもしれません」
利己的?
ラブとヴィクトリアは眉をひそめた。
「ラブが」
「えっ、私?!」
ラブは自分が何かしてしまったようだと感じて焦った。
「二階のレストランを貸し切りにした者達のせいだといって悪口を言う者達が出ると」
確かにラブはそう言った。
混雑していることへの不満が王立美術館ではなく、レストランを貸し切りにしている自分達に向かうのではないかと懸念した。
「こんなに素敵なパーティーを開いてくれたのに、悪く思われてしまうのは悲しいですし皆に申し訳ないです。何とかしたいと思って……」
リーナが気にしていたのはあまりの混雑ぶりに対して不満が高まっている一般客のことだけではなかった。
不満の矛先として悪く言われてしまうかもしれない者達についても考えていた。
「最初はもう一つ利用できる化粧室があることを知りませんでした。でも、二つ利用できることがわかりました」
占有している化粧室を一般客に開放するのは損になる。不便だと考えて反対する者もいるはずだ。
しかし、二つあるのであれば、片方だけという条件をつけることによって同意を得られるかもしれない。
「化粧室を開放するのは二階にいる者達にとって不便に思えますが、工夫すればそれほど困らないと思いました。こちらが配慮すれば、階下の者達が二階にいる者達を悪く思わないかもしれません」
「じゃあ、私達のために……」
ラブは驚いた。
そこまでは考えていなかった。単純にリーナは階下にいる者達が困っていると感じ、助けようとしただけだと思っていた。
「リーナ様に配慮したつもりだったけれど、配慮されていたのは私達の方だったみたいね」
ヴィクトリアは苦笑した。
「皆が他者を思いやり、提案に賛同してくれて良かったです。本当にありがとうございます。警備に負担がかかってしまうかもしれませんが、階段の下で対応している警備も大変だったはずです。二階の化粧室が一つだけでも開放されれば、警備にとっても状況が改善される部分もあります」
「そうね。よくよく考えれば皆にちょっとずついいことがあるわ」
誰かが一方的に大きな犠牲や我慢を強いられるわけではない。
無理することなく実行できる配慮が多くの者達の不満を和らげることにつながり、混雑の解消や警備の負担減にもつながる。
結果として二階にいる者達も一階にいる者達も警備さえも得をする。大きなものではないかもしれないが、無意味ではない。
冷静になればなるほど、実行すべき良策だと思えた。
「リーナ様の優しさがこの絶妙な解決策を生み出したわけね!」
「きっとうまくいくわ。でなければユーウェインも反対するでしょうから」
「まあね。あいつが担当で良かったかも?」
「そうかもね」
ラブとヴィクトリアはにこやかな笑みを浮かべる近衛騎士がかなりの野心家であることを知っていた。
「もしかして、あの近衛騎士はお知り合いですか?」
「全然! 赤の他人よ! ある程度の情報は知っているけれど」
近衛の担当が誰になるかを教えてくれたのはアルフだった。
「ただの上級騎士だけど、仕事はしてくれるわ。アルフとは違ってね」
アルフは将来的に当主になる兄とノースランド公爵家を支えなくてはならないため、近衛騎士として長く居座る気がなく、出世する気どころか仕事をする気もあまりない。
普段は仲がいい友人やアルフを護衛するために近衛になった者と一緒に仕事をしているが、危険度の低い仕事では査定が上がらない。
そこで査定を底上げするための特別な任務を与えられ、必ず有能なユーウェインと組まされる。
実務についてはほぼユーウェインがそつなくこなす。
アルフはノースランド公爵家の者で兄が第二王子の側近という牽制力抜群の立場を活かし、ユーウェインに従わない者や邪魔をしようとする者が出ないように威圧する。
結果、アルフは楽に仕事ができ、査定も上がってノースランドの者としての体裁を整えることができる。
ユーウェインもまた実績を着々と重ね、点数稼ぎができる。
互いに持ちつ持たれつの関係なのだ。
「優秀な近衛騎士なのですね」
「優秀は優秀。でも、あのニコニコ顔に騙されちゃ駄目よ。所詮は出世するために愛想がいいだけだから!」
「ユーウェインは下級貴族の出自なのよ。近衛ではやりにくいでしょうね」
近衛騎士団は圧倒的に貴族出自が多い。そのせいで貴族としての上下、家柄の優劣、コネのあるなし等が如実に影響する。
「人望がないらしいわ。でも、仕事に対する信頼度は高くて、近衛が抱える面倒事を押し付けられているんですって」
アルフの面倒を見ることも含めてね。
ヴィクトリアは心の中でこっそりとつけたした。
「結局いいように使われているのよ。騎士団長にね」
「ディーグレイブ伯爵は優秀よ。適材適所でしょう」
「お話を聞くほどお二人がいかに様々なことを知っているかを実感します」
「そんなことないわよ。ところでヴィクトリア、この機会にアレを渡しちゃいましょうよ」
ラブの提案にヴィクトリアは眉をひそめた。
「全員いる場で発表してからでしょう?」
「普通はね。でも、それだと渡すための列ができて最後の方はかなり待たされるわ。今なら化粧室に行く者もいるし、待ち時間が短縮できるでしょ?」
「そうだけど、クローディア達もいないわ」
「私達は最後に渡せばいいわ。それこそ全員が揃っている時にね」
「それもそうね」
ヴィクトリアが納得したため、リーナへのプレゼントタイムへ移行することになった。





