778 階下の混雑
やがて、昼食時間になる。
これまでは午前中のお茶の時間に合わせてケーキや菓子ばかりだったが、昼食用の軽食が次々と運ばれて来た。
「リーナ様、よろしければあちらの軽食もお召し上がりください」
ヴィクトリアが声をかけるが、リーナはすでに六種類のケーキと小皿に山盛りにした菓子を食べている。全くお腹が空いていなかった。
「ありがとうございます。でも、ケーキやお菓子を食べたのでお腹がいっぱいで……他の方達で召し上がって下さい」
「わかりました」
ヴィクトリアはパーティーに参加している者達にも遠慮なく軽食を取るように勧めるが、軽食の所へいく者は少ない。
移動してもどのようなものが用意されているのかを見るだけで、実際に小皿に取ろうとする者はほとんどいなかった。
「全然人気ないわね」
「ケーキを食べたからでしょう」
「私も全然お腹が空いていないわ……」
運動が好きなだけに食事は常にしっかりとる方であるベルも、ケーキを何種類も食べていたせいで食欲がなかった。
パーティーに参加する者達は昼食時間に合わせて軽食が用意されることは知っていたものの、特別に用意されたケーキを見れば食べてみたいと思うに決まっていた。
軽食はサンドイッチやカナッペなど立食式のパーティーでよく饗されるものだろうと推測していたのもあり、特別なケーキや美味しそうな菓子を優先して食べていた。
「余ってしまいそうですね」
「そうねえ。でも、時間が経てば食べる気になる者もちょっとはいそう」
リーナは腕時計を確認した。
「こちらのパーティーは何時までの予定ですか?」
「えっ? もしかして、もう帰りたいの?」
ラブの質問にリーナは慌てて首を横に振った。
「違います! ただちょっと……」
「ちょっと?」
「そろそろ化粧室に……」
月明会のメンバー達は納得するように頷いたり微笑んだりした。
「そういうことはどんどん言ってくれないと!」
「遠慮しないで下さい」
「その通りです」
「リーナ様は真面目だから」
食事や会話を楽しんでいる最中に、突然化粧室に行きたいというのは周囲への配慮が足りず、マナー違反だと思われてしまう。
タイミングを見計らい、食事や会話を楽しむ者達の邪魔やその場の雰囲気を壊さないようにするのがマナーになるとリーナは教えられていた。
しかし、自分が主役だけに場を離れにくく、適度な間隔で話しかけられてしまうため、なかなか化粧室に行きたいと言い出せなかった。
「一緒に行くわ!」
「では、お供致します」
「私も行くわ」
ラブ、カミーラ、ベルの三人が同行を申し出た。
「化粧室は外なのよね」
レストランの中に化粧室はない。化粧室は二階の展示室とレストランで兼用になっており、レストランの利用者は一旦廊下に出て化粧室に行く必要があった。
「今は特別展示のせいで二階の展示は中止しているのよ。一般客に開放されているのは一階だけだから、二階の化粧室は空いていると思うわ」
リーナ達は化粧室に移動する。
確かに二階の化粧室は空いている――というよりも、全く人がいなかった。
レストランと同じく貸し切り状態であるため、すぐに利用することができた。
「戻りましょう」
全員が揃って廊下に出ると、アリシアとパーティーに参加している者達が廊下にいた。
「どうしたの?」
ベルが声をかけた。
ラブとカミーラはリーナが利用中であるための配慮だろうと推測したが、理由はそれだけではなかった。
「下の様子が気になっていただけです。化粧室へどうぞ」
アリシアに促された者達が化粧室へと入っていく。
吹き抜けになっている部分から階下を確認するとかなりの混雑ぶりがわかる。
また、二階へ続く階段を封鎖している警備の前に女性達が多く集まっているのが見えた。
何かを抗議しているように見える。雰囲気は良くない。
「トラブルっぽいわね?」
「確認してくるわ」
素早くベルが階段を降りていく。
「レストランに戻りましょう」
カミーラにそう促されるものの、リーナは自分のパーティーが二階で行われているせいで問題になっているのではないかと心配になり、ベルが戻って来るのを待つことにした。
「どうだった?」
「一階が混雑しているから、二階の化粧室を利用できるようにして欲しいみたい」
この日は女性だけが特別展に入場できるということもあって、女性客が圧倒的に多い。
女性は化粧直しや友人同士での会話を楽しむこともあって化粧室の利用時間が長くなりやすい上に、二階の化粧室も利用不可になっている。
いくつもの理由が重なり、利用を希望する者の列は見るだけでため息がでそうなほど長くなっていた。
そのことを不満に思った者達が階段を上がってすぐ側にある二階の化粧室だけでも利用できないかと警備の者達に尋ねたものの、レストランを貸し切りにしている者達が利用することになっているため、許可されることはなかった。
一般客の女性達は二階のレストランでどのような催しが開かれているのか、どのような者達が出席しているのかを知らない。
一階の混雑ぶりが尋常ではないことから、レストランが貸し切りだとしてもトイレまで貸し切りにする必要はないと感じる者達が多く、警備達になんとかして欲しいと詰め寄ったり、猛抗議したりする者達が続出しているようだった。
「リーナ様はしばらく化粧室に行かないでしょうし、時間を制限して開放したらどう?」
「賢明ではありません」
ベルの提案をカミーラは却下した。
「二階の化粧室も利用できるとわかれば、大勢の者達が流れて来ます。すぐに利用者がいなくなるわけがなく、長蛇の列になるでしょう。そうなれば私達が利用したくてもできないような状況になってしまいます」
「そうかもね……でも、可哀そうだわ。カフェも相当混んでいるみたいだから、余計に不満が溜まっていそう」
通常は二階にあるレストランと一階にあるカフェを利用することができる。
しかし、今回はブライダルシャワーによってレストランが貸し切りになってしまい、昼食や休憩を求める女性達がカフェへと集中し、それもまた長い行列ができていた。
「前々から問題にはなっていたのよね。王立美術館のレストランが貸し切りになると、絶対にカフェや化粧室が混むもの」
「別に貸し切りじゃなくても来場者が多い時は混雑するわ。関係ないわよ」
ラブが反論した。
レストランを貸し切りにした催しだけが問題の発生源ではない。
王立美術館への来館者数が多いか少ないかで決まるようなものだ。
「あまりにも不満が溜まってしまうのはよくありません。警備の者達に相談した方がいいかもしれません」
「アルフに聞いてみればいいかも?」
ラブの提案に一同は頷いた。
「じゃあ、私が探してくるわ」
すぐにベルがまた階段を引き返そうとした。
「レストランに連れてきて!」
「わかったわ!」
ベルは元気よく返事したものの、階段を降りようとしてすぐに止まった。
ベルが階段を降りたり昇ったりしているのを見たアルフレッドとユーウェインが階段を上がって来たのだ。
「何かありましたでしょうか?」
ユーウェインはリーナが廊下にいることにやや驚きながらも素早く側に寄った。
「化粧室が混雑していると聞いて……」
化粧室というのは一階のことで、二階のことではない。
だが、リーナの言葉を聞いたユーウェインは二階の化粧室が混雑しているのだと勘違いをした。
「では、逆側の化粧室も利用できるようにします」
「えっ?」
「逆側?」
リーナとベルは怪訝な表情をしたが、すぐにカミーラは勘違いをしていることを悟った。
「一階の化粧室のことです」
「それは失礼しました。二階の化粧室が混んでいるのかと」
「二階はここ以外も使用できるの?」
ラブが尋ねた。
「ここが混雑しているのであれば、逆側の廊下を進んだ先にある化粧室も利用できるように手配できる。ヴィクトリアから聞いていないのか?」
アルフレッドは二階の状況に応じて利用できる化粧室を増やすことを伝えていたが、ヴィクトリアはそのことをクローディアにしか伝えてはいなかった。
何かあれば会長であるヴィクトリアに報告が届き、指示を出すことにもなっている。
自分とクローディアが知っていれば大丈夫だと思っていたのだ。
しかし、ここにヴィクトリアとクローディアはいない。その場にいる者達は臨時の対応については知らなかった。
「聞いてないわ」
「二階は大丈夫か? 混雑しそうであれば、警備を増やして解放するが」
リーナがレストランから一時的にいなくなったため、次から次へとレストランから化粧室へ行く女性達が廊下を通るようになっていた。
「このままだと混雑してきそうですね」
「ならば、逆側にある化粧室も使用できるようにする。月明会の誰か一人でいい。化粧室内の安全確認をするために来て欲しいのだが」
女性用の化粧室であるため、内部は女性に確認して欲しいというのはわかる。
しかし、ここにいるのは騎士でもなければ警備の者達でもない。
「通常は王立美術館の者が確認するのでは?」
「王立美術館の者達が確認する様子を、月明会の者が監査するだけだ。騎士が化粧室内に入ってもいいのであれば、こちらで対応する」
細かい安全確認をするのは王立美術館の者だが、それに同行して様子を見届け、問題がないことを確認する者が欲しいということだった。
「私が行くわ。混雑する前に行きましょう」
「わかった」
名乗り出たベルとアルフレッドはすぐに逆側の化粧室の安全性を確認するために向かった。
「他のことで何か問題は?」
「大ありよ」
ラブが不機嫌そうに言った。
「今日は二階が貸し切りになるから、大ホールが混雑しやすくなるのはわかっていたわよね? 化粧室もカフェも同じく。でも、凄い行列だわ。これじゃ、二階のレストランを貸し切りにした者達のせいだといって悪口を言う者達が出るじゃない。私達のことは絶対にわからないようにしてよね!」
「当然です」
ユーウェインはにこやかに答えた。
「二階を貸し切りにしている者達のことは個人情報に関わるために教えていません」
「何か対策をした方がいいのでは? 入場制限をかけるなどをしないと、いつまで経っても混雑が解消されず、不満が高まるだけではないかと」
「すでに対応はしています」
特別展示の開催告知において、本来定休日であるはずの水曜日は特別券を持つ男性のみ、木曜日は特別券か日付指定の前売券を持つ女性だけが入場できることになっていた。
これは水曜日に王太子の独身さよならパーティー、木曜日にブライダルシャワーが開かれるための特別な配慮だったが、結婚式や披露の舞踏会に参加する貴族達の事前勉強を推奨するための優先日という理由で隠されていた。
水曜日については独身さよならパーティーあるいは結婚式に参列する者達しか入場できないこともあり、かなりの人数が来訪したものの、一般客が皆無であることから特に大きな問題が起きることはなかった。
しかし、木曜日は前売券を持つ女性達も入場できることから入場者が多くなってしまった。
また、化粧室やカフェを利用したいと思う者達が多いだけでなく長居することから余計に後続が詰まってしまうような状況に陥っていた。
「時間的にもカフェで昼食を取りたい者達が多くいるせいで混雑しているのだと思われます」
昼食時間やお茶の時間に合わせてカフェが混むのは特別なことではない。極めて普通だ。
美術館内に留まる者が一時的に多くなっているが、展示室の方は空いている。
展示室・カフェ・化粧室等に通じる場所として大ホールに人が集中してしまうのは構造上仕方がないことだった。
天気がいいことから、カフェの方は中庭にも席を増設している。
時間が経つことによって自然に混雑は緩和されていくと思われた。
「混雑状況を察し、展示を見た後は速やかに帰宅するか別の飲食店等に移動して欲しいところですが、さすがにそのような通達をするわけにはいきません」
但し、入場する前の段階で美術館内がかなりの混雑だということはしっかりと伝え、希望者は別の日付指定の券に変更する臨時対応をしている。
また、カフェ利用の待ち時間は一時間以上になると伝えていた。
それにもかかわらず、取りあえず入る、並ぶ、大ホールに留まるという者達が多くいるせいで長蛇の列が増える一方になっていた。
「初日と翌日に比べればかなりましかと。週末だったせいもあり、身動きが取れないほどの混雑ぶりでした」
「それ、警備としては失態じゃないの?」
「あまりにも多くの者達が集中して来館すれば混雑するに決まっています。日付指定の前売券を大量に販売した王立美術館の責任かと」
水曜日と木曜日においてはすでに重要な催しがあることが決定しており、それを邪魔しないようにするための配慮を考えるべきだった。
近衛騎士団が警備に協力するとはいっても、大勢の人々が来館すれば対応に追われ、問題が起きやすくなるのは必至だ。
そういったことから、水曜と木曜日に関してはできるだけ入場者数を抑える方向で調整すべきだった。
水曜日は特別券を持つ男性に限定したせいで問題になるような状況にはならなかった。
木曜日も同じようにすればいいものの、ブライダルシャワーの出席者は王太子のパーティーに比べると圧倒的に少なく時間も短い。
会場として利用するのも二階にあるレストランだけになることから、一階は通常利用できると考え、日付指定の前売券を大量に販売した王立美術館側の責任ということだ。
「仕方がないわ」
化粧室の利用状況を確認したアリシアが戻って来た。
「王立美術館が販売するのは展示会の券で、カフェや化粧室の利用券ではないのだから」
「でも、来館したら普通使わない?」
「混雑しやすいのはわかっていることだわ。別の場所に移動したり、事前に食事などを済ませてから来ることもできるはず。王立美術館に来るのは展示を鑑賞するためであって、飲食物を取ったり化粧室を利用するのが主目的ではないのよ。カフェや化粧室の混雑状況を推測して展示会の券を販売するわけがないわ」
「近衛が警備に協力しているとはいえ、安全上ここに留まるのは避けるべきかと。そろそろレストランへお戻りください」
カミーラはいつまでもリーナが廊下に居続けるべきではないと考え、レストランに戻るように促した。
リーナはすぐに了承するだろうと思われたが、その予想はあっさりと覆された。





