772 北の展示室
「あんまり見るべきものはなかったわね」
ユーウェインの説明通り、特別企画展は貴重な芸術品を展示するようなものではなく、王家の婚姻についての説明が書かれたパネルを読み、より理解しやすくするための参考展示物を見るという内容だった。
わざわざ混雑のしている会場でじっくり見学をするよりも、カタログを買って帰り自宅でくつろぎながら読んだ方がいいと感じる者もいそうだと思われた。
「貴重なものが見れると思ったのにそうでもないし」
ラブ自身が王家の先祖を持つ由緒正しい家柄だけに、貴重と感じる感覚が普通ではない。
それだけに、参考展示物はどれも物足りない、イマイチとしか思えなかった。
「新聞の記事では王太子の婚姻についての展示もあるとあったのですが、そのようなものはなかったですね」
すぐにユーウェインが応える。
「特別企画展の会場は二つあります。第二会場は王太子殿下の婚姻に関する内容になっております」
「そこも視察できるわよね?」
「ご案内致します」
リーナは一度正面玄関を入った場所にある大ホールに戻った。
メインエントランスは南側。東側にある細長い展示室を北に向かって進んだことになる。
「第二会場は北の展示室になります」
大ホールに戻ってすぐ右にある小部屋に入り、その先にある北の展示室へと向かう。
「あっ」
第二会場の見学ルートの最初には現王家の大まかな家系図とクオンの肖像画があった。
現在よりも若い風貌で、数年前に作成されたものだと思われた。
「超睨んでるし。怖―い!」
ラブはわざとらしく体を震えさせた。
「凄く真剣な表情でカッコいいです!」
「そう思っている人は少数だと思うわ。全然人がいないでしょ?」
確かに第一会場の最初のパネルには多くの者達がいたが、クオンの肖像画の前はがら空きも同然だった。
「どうしてでしょうか? クオ……クルヴェリオン王太子殿下はとても素晴らしい方です。先ほどの展示を見ても、どれだけ国や国民のことを考えられているのかがわかるはずです」
「だから怖いんだって。王太子だし、全体的に色も暗いというか威圧的じゃない?」
リーナはもう一度クオンの肖像画を見た。
真っすぐな強い眼差しは睨んでいるようにも見える。威厳ではなく威圧と感じるかもしれない。
「……もっと明るい色にすれば優しく見えるかもしれません。背景をピンクにするとか。表情も笑顔の方が明るくなります」
「それ、恐怖を煽るだけでしょ!」
ラブは本気でぶるりと震えた。
第二王子ならともかく、王太子にその組み合わせはない。画家も絶対にそう思うはずだとラブは思った。
「もう早く行きましょ! 小言を言われそうで嫌だわ!」
「これは絵なので話さないと思いますが……」
「わかってるわよ。あっちあっち!」
リーナはラブに手を引かれ、次の展示へと向かった。
「えっ?!」
展示されていたのは後宮の召使いの制服だった。その隣に解説パネルがある。
リーナは思わず興味を引かれてパネルを読んだ。
王太子の婚約者であるリーナは元平民の孤児だったが、エルグラード国民として平等に公平に審査された結果、後宮に採用されたという内容だ。
私は下働きの見習いとして採用されたのに、参考展示物のせいで召使いとして採用されたみたい……。
リーナは心の中で呟いた。
「こうやって冷静に見ると、召使いの制服って結構ちゃんとしているのねえ」
じろじろと制服をラブが見つめる。
リーナは小声で答えた。
「これは上級召使いの制服です。新品だと綺麗に見えるかもしれませんが、実際は着用し過ぎて色褪せていきますし、もっとシワシワでくたびれた感じになります」
まさに現状をよく知っている者の解説だとラブは思った。
「……まあ、最下級の者達が着用している使用感満載の制服を展示するわけにはいかないわよね」
「最下級は制服じゃないです。帽子とエプロンだけなので」
「私服ってこと?」
ラブが尋ねた。
「そうです。手持ちのものを着るというか」
「へえー、最下級の方がお洒落をできるのね」
お洒落?!
全く考えもつかなかったことだけに、リーナは飛び上がりたいほど驚いた。
私服であれば自分の持っている洋服を取り換えることで色や柄を変更できる。常に同じ制服を着用しなければならないわけではないため、お洒落しようと思えばできなくもない。
だが、下働き見習いの者達が着用するのは着古した普段着だ。お洒落のおの字も感じられない。
曜日ごとに服を決めているのは着回すためでもあるけど、お洒落のためだと言えなくもないのかしら?
リーナは考えながらもラブに手を引かれ、次の参考展示物の所へと連れていかれた。
「こっちは侍女の衣装ね。制服にしてはお洒落じゃない?」
「これは側妃候補付きの侍女の制服です」
侍女の制服は一種類ではない。何種類もある。
側妃候補付きの侍女が着用するのは特別な制服で高価だ。それだけにデザインも通常の侍女服よりも少し派手で露出部分も多い。
お洒落という評価は間違いではない。むしろ、正しい。
「こちらはウェストが細くなっています。胸元も開いているので、礼をする時やかがむ時は気を付けないといけません。それから濃い化粧を合わせるのは駄目です。侍女らしいほどほどの装いになるよう調整しなければなりません」
「えー?! せっかくお洒落な制服なのにほどほどの装いをしないと駄目だなんて酷いわね!」
酷い?!
またもやリーナは驚いた。
「でもこれは私服ではありません。お仕事をするための制服なので、お洒落をする必要はない気がします」
「そんなことはないわ。女性にとってお洒落はとっても大事なの。普段からお洒落をすることで女子力を磨くのよ!」
「女子力……」
「お化粧だってするでしょ? それだってお洒落の一つだわ。身だしなみをしっかりと整えることにもなるじゃない」
普段からお洒落をすることで知識を高め、能力を磨くべきだというのはわかる。
女性らしい魅力に溢れるようになりたいのもわかる。
化粧をし過ぎると良くないと思われてしまうこともあるが、状況に応じた化粧をするのは身だしなみを整えることにもなる。
「そうですね……」
リーナはラブに同意しながら、召使いや侍女だった頃に学んだことだけが全てではなく、また唯一の正解でもないのだと感じた。
「衣装の展示物は気分が上がるわ!」
その次の参考展示物もまた後宮の侍女の衣装だった。
しかし、それは制服ではない。第四王子付侍女だった頃にリーナが着用していた私服だった。
「当たり前だけど、さっきの制服とは全然違うわね。さすが王族付きって感じだわ」
ラブは最前列に陣取り、ガラスケースの中に収められた衣裳をじっくり検分した。
「でもこのドレス、侍女には高価過ぎるわよね」
「えっ?!」
リーナは驚いてばかりだった。
「王族付きの給料は高そうだけど、さすがにこのドレスじゃねえ」
貴族の女性達にとってドレスは非常に重要かつ興味のある対象だ。
それだけに自分がどのようなドレスを着用するかだけでなく、他の者がどのようなドレスを着用しているか、流行のものか、高価なものかなどと様々な部分を細かく厳しく注視する。
「……このドレスはいくらぐらいなのでしょうか?」
リーナは周囲を気にしながら小声で尋ねた。
「知らないの? 贈り物?」
てっきりラブは知っていると思っていた。
「用意されたものなので知りません。というか、どうして高価だとわかるのですか? どこかにこれと同じデザインのドレスが売っているとか?」
ラブはリーナがお洒落やドレスについてまだまだ勉強不足であり、貴族の女性であれば当たり前に知っているようなことも知らないということを改めて実感した。
「……凄くわかりやすい部分だとスカートね。プリーツがたっぷりでふっくらしているでしょう? あーいうのは生地が多く使われているから、その分高くなるわよね? 肩のところが膨らんでいたり、フリルがついていたりするのも同じで布が多くなるわ」
「なるほど」
「刺繍も多いほど高くなるわ。大抵はケチって首元とか上半身の目立つ場所だけにするのよ。でもこのドレスは腰の切り替え部分とスカートの裾部分にも刺繍があるでしょ? つまり、ケチってないってこと」
わかりやすい説明だとリーナは感じた。
「しかも、多色使い。柄も細かいわよね? 手間がかかるほど値段も上がるわけ」
刺繍する場所が多くて柄も細かいと、一人の刺繍職人では時間がかかり過ぎてしまう。複数人の刺繍職人が手分けをして刺繍をしなければならない。当然、値段は高くなる。
「わかる?」
「はい」
「レースもあしらわれているし、ボタンもお洒落だし、見れば見るほどお金をかけているドレスってこと。そして、こういうドレスは特注品とかセミオーダーのオプション付きね。どの仕立屋に頼むのかでも値段がかなり変わるわ」
「実は物凄く贅沢なドレスなのですね……」
リーナはため息をついた。
ドレス自体は派手なデザインではない。どちらかといえばよくありそうなデザインであり、地味になり過ぎないように刺繍が所々にあるのだろうと思っていた。
しかし、それはリーナがわかっていないだけだった。
ドレスを知る者から見れば、高価であることがすぐにわかるようなドレスだったのだ。
「価格を予想するのは難しいけれど、一万以上はするわよねえ」
「百万ギニー以上ということですよね?」
「あえてギニーで言うならそうね」
リーナ・セオドアルイーズが正式に第四王子付侍女になった際の給料は三十万ギニー。つまり、三千ギールだ。
ラブの予想した金額が正しいかどうかはわからないものの、給料三カ月分以上のドレスを着用していたことになる。
そういえば!
リーナは唐突に思い出した。
ウォータール・ハウスで帳簿を見ていた際、リーナはギニーだと思っていたが、実は全てギール単位であることが判明した。
レーベルオード伯爵はドレスについても話した。
シンプルなものでも三千程度、ミレニアスに行くのに備えて用意されたドレスの中には十万以上するものもあったと聞いている。
リーナはようやく気づいた。
シンプルなもの、つまり一番下と思われるドレスで三千ギール。リーナの給料一カ月分のドレスだったのだ。十万以上のドレスという部分だけに着目していたため、重要なことを見逃していた。
しかも、侍女の時のドレスは自分で選んで購入したわけではない。アリシア達が用意したものだった。だからこそ値段を知ることもなく、高額なドレスであることも知らないままだった。
アリシアさん達に任せておけば、王族付きとして相応しい装いができると思っていたけれど、お給料から考えればとんでもなく高額なドレスを着用していたんだわ。もっとちゃんと聞いて、確かめておけば良かったのに……。
リーナはうなだれた。
その様子を見れば、高価なドレスを着用していたことへの反省だろうとすぐに考え付く。
ラブはすぐに励ますような言葉をかけた。
「名門伯爵家の出自ならこれ位のドレスを着用しないとね。安っぽいドレスを着用して王族の前に出られるわけがないわ!」
レーベルオード伯爵家の令嬢に相応しいドレスを考えれば、安価なドレスを着用するわけにはいかない。恥になってしまう。
王族に会うのであれば、それこそ最高の一着を着用すべきでもある。それが礼儀だ。
わかる。でも、高価だ。
リーナは今まさに着ているドレスを見た。
これもレーベルオード伯爵家が用意した外出着だわ。派手な装飾はないし、控えめな方だと思うけれど……。
しかし、地味ではない。首回りにはフリルの襟、飾りボタンがある。
上半身には刺繍がない。スッキリして見えるが、その分スカートの裾に太めのラインの刺繍があしらわれていた。
スカートのボリュームを考えれば、裾の刺繍を一周するだけでもかなりの手間がかかる。つまり、これも高価なドレスのポイントを抑えている。
間違いなくこの外出着も高価なドレスだわ!
自分の気づかないところで贅沢をしているということをリーナは改めて実感するしかなかった。
ミレニアスの王族と婚姻した母親は自らの贅沢を控え、国や国民のためになるようなことにお金をかけている。
それを知って見習いたいと思っていただけに、余計に罪悪感が募った。
「言っとくけど、お金持ちはお金を使うのが務めでもあるのよ。そうすることで商売や生活に必要な収入を得ることができる人が沢山いるわ。世の中のために役立っているのよ」
聞いたことがある内容だとリーナは思った。
そして、それは間違っていない。数多くある考え方の一つだ。
「次に行きましょ!」
ラブはリーナの手を引いた。
しかし、次の参考展示物もドレスだ。より豪華なドレスだということは近寄らなくてもわかる。
進路変更!
ラブは強引に曲がり、巨大なパネル展示の方へと向かった。





