771 特別展
馬車が向かったのは王立美術館だった。
リーナは馬車の中でこれから王立美術館に向かうこと、王太子の婚姻を祝うための特別企画展『王家の婚姻』を極秘で視察するという説明をラブから受けた。
「なんだかドキドキします」
新聞の記事を読んだリーナはどんな展示が行われているのか気になっていただけに、とても喜んでいた。
「混雑していますね……でも、女性ばかりです」
美術館の正面玄関をくぐって大ホールに入ると、中にはチケットを買い求める者達と入場を待つ者達による長い行列ができていた。
「今日は女性だけが見学できる日なのよ。昨日は男性だけ」
「そのような決まりがあるのですね」
王立美術館の特別企画展が混雑するのはわかりきったことだった。
そこで曜日ごとに特定の条件を満たす者達だけを入場させることで対応していた。
「じゃーん!」
ラブが取り出したのは結婚式の招待状に付随する特別な身分証だった。
「これを見せると最優先で入場できるわ! しかも、特別な案内役がつくの!」
「ラブのおかげですね」
「これを持っていそうで持っていない者もいるしね。王太子殿下とかその婚約者とか?」
リーナは苦笑した。
「持っていないですね、きっと」
「じゃあ、早速予約のカウンターに」
予約客のカウンターに並んでいる者は数名で、すぐにリーナ達の順番になった。
「これでお願い」
ラブは特別な身分証を見せた。
「かしこまりました。特別な見学者様には案内人がつきます。何名様になりますでしょうか?」
リーナの護衛騎士は男性であるため、展示室へ入ることはできない。ホールなどで待つ必要がある。
しかし、ラブの護衛は男性と女性がいるため、女性だけは同行することができた。
「特別な見学者が二名と同行する侍女が二名よ!」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
すぐに赤い騎士服を着用した男性が二人、カウンターの所へとやって来た。
「お待ちしておりました」
にこやかな笑みを浮かべながら男性が話しかけて来る。
すぐ隣にいる男性はなんとなくではあるものの、見覚えがある顔だとリーナは思った。
でも、この制服は近衛騎士だったような?
リーナの護衛騎士は第一王子騎士団が務めているが、後宮に勤めていた経験があるだけに、王宮敷地内で働く者達の制服についてもある程度は知っている。
近衛騎士は王家の者達の護衛や王族の使用する重要度の高いエリアの警備を務めている。
王立美術館は管轄外になるため、ここにいるのはおかしいと感じた。
「まずはご挨拶を。私は近衛騎士団に所属しておりますユーウェイン=ルウォリスと申します。どうかお見知りおきを」
やはり近衛騎士だったと思いながら、リーナはその隣にいる男性に視線を向けた。
しばしの沈黙。
「挨拶を」
拒否を許さないといった口調でユーウェインが言うと、男性はしぶしぶといった表情で挨拶の言葉を発した。
「同じく近衛に所属するアルフレッド=ノースランドだ。アルフと呼ばれている」
ロジャー様の弟だわ!
リーナは思い出した。
「婚姻までの期間、美術館内の警備につきましては近衛騎士団も協力しております」
通常は王立美術館の警備員や王都警備隊が担当する。しかし、王都警備隊は王都全体の警備を強化しなければならないことから、王立美術館の警備に対する人員が削減されてしまう。
王立美術館は王太子の独身さよならパーティーの会場になっていたこともあって重要度が高い。
国軍や他の騎士団等が重要施設への警備支援について話し合った結果、近衛騎士団が王立美術館を担当することになった。
「何かありましたら遠慮なく私の方に声をおかけください。私がいない場合はアルフでも構いません」
「さっさと入場させてよ」
遠慮なくそう言ったのはラブだった。
「こちらです」
リーナ達はユーウェインに続き、ホールから右側の大部屋に移動した。
「美術館に入って右側が特別企画展の会場になります。通常はこちらの部屋で係員にチケットと身分証を見せ、確認した後先に進みます。案内役が付く場合はそのままお通りいただけます」
続く部屋は非常に細長く広い廊下のような展示室だった。
「こちらが第一会場です。展示物の説明はパネルをお読みください。私共は学芸員ではありませんので、展示物の説明等は行いません。見学順序はあちらからですが、どこからでも自由にご見学下さい」
もしかして、案内役って会場まで案内するだけ?
展示物の詳しい説明をしてくれるわけではないことに、リーナは少しだけがっかりした。
しかし、入場待ちをしている長い列を見れば、すぐに展示室へ入ることができただけでも十分恵まれていると思い直す。
「滞在時間の都合もあるし、あまりにもゆっくり過ぎるのは困るかも。できるだけ早めに見学して」
「わかりました」
リーナは早速見学ルートが始まる場所へと向かった。
大きなパネルが壁にかかっており、今回の企画に関する挨拶や趣旨などが書かれている。
当然、多くの見学者がおり、読む時間がかかるためか、その場を移動しようとする者が少ない。
「字が小さいですね。もっと近寄らないと読みにくいです」
「ほんとね。もっと大きな字にすればよかったのに」
すると、ユーウェインが断固たる口調で叫んだ。
「私よりも前にいる者達は速やかに移動して下さい。ここは簡単な挨拶と趣旨等の説明だけですので、重要な展示物ではありません。他の展示物を先に見学するように」
見学者達は振り返り、声の主を確認した途端移動し始めた。
近衛騎士に逆らう者などいない。
あっという間にリーナ達の前には誰もいなくなった。
「どうぞ。前でゆっくりご覧下さい」
通常の案内役は美術館に所属する学芸員で、展示物についての説明を行いながら会場を案内する。他の見学者達を移動させるようなことはしない。
しかし、リーナ達の案内役は近衛騎士。任務内容は特別な見学者の警護だ。
学芸員のような解説はしないが、必要に応じて展示物を見学しやすいように他の見学者達を移動させ、同時に周囲の安全を確保する。
「ご配慮をありがとうございます。でも、他の方々に悪いので……少し待てば見えると思いますし」
「普通に見学したいのはわかるけど、安全面もあるから。私達の身分を考えると、当然の配慮でしょ?」
本来であれば王太子の婚約者であるリーナの立場を考えればと言いたいところだが、そのことを堂々と言うわけにもいかない。
「特別な見学者はみんなこうしているんだから大丈夫よ。そうよね?」
「その通りです。ご遠慮いただく必要はありません」
「でも、学芸員の案内役はつけてくれないの? いちいちパネルを読むのは面倒なんだけど?」
ラブは不満そうに尋ねた。
「こちらの特別企画展は貴重な芸術品を展示することが趣旨ではありません。王家の婚姻についての知識を深め、確認するようなものです。王太子殿下の婚姻に備えての自習と思って下さい」
ラブはため息をついた。
「自習じゃ仕方ないわね。次に行きましょ……」
「そうですね」
「全てのパネルをしっかりと読む必要はない」
アルフレッドが言った。
「企画展のカタログにはパネルと同じかそれ以上の解説が掲載されている。カタログを購入し、帰ってから読めばいい。それでも自習ができる」
「あー、じゃあパネルはとばして参考展示物を見ましょ! その方が時間を節約できるわ」
「そうですね」
リーナとラブはユーウェインとアルフレッドを伴いながら、ガラスケース内に陳列された展示物だけを見ることにした。





