767 ヘンデルの告白(二)
リーナは孤児だが、生まれつきではない。七歳までは両親と住んでいた。しかし、両親が突然死んでしまったせいで孤児院に入ることになった。
おかしくない。そういうこともあるだろうと思われた。
だが、第四王子は警戒心が強い。頭が良く、細かい性格だ。
リーナの素性と経歴等をよりはっきりさせるため、様々な質問をした。
それにより、これまではほとんど注目されることがなかった部分が明らかになった。
まず、孤児院に入る経緯に不審な点がいくつもあった。
リーナは知らない者から両親は死んだと聞かされただけで、実際に自分の目で両親の死を確認したわけではない。
いつも通り就寝し、目を覚ましたら知らない場所にいた。両親が死んだため、孤児院に入ることになったと説明されただけだった。
そもそも、リーナという名前は愛称で本名ではなかった。国民登録証にある家名も、孤児院が勝手につけたものだった。
赤子など身元不明の孤児の場合、孤児院が名前をつけて国民登録をすることになっている。
孤児院はそのルールを応用した。孤児達の名前が同じものばかりで判別しにくくなるのを防ぐため、本名ではなく都合のいい名前に変えて国民登録証を作っていたのだ。
様々に検討した結果、リーナは何らかの事情によって両親から引き離されたと考えられた。誘拐され、騙されて孤児院に入ったという結論が出た。
調査は意外な展開になりつつも急激に進み始めた。
そして、七歳の時に誘拐され、行方不明になってしまった高貴な身分の子供だった可能性が浮上した。
しかし、今はすでに二十歳。外見からは証明できない。記憶や証言だけでは確固たる証拠になりにくい。物的証拠の有効性も確実とは言えなかった。
結局、行方不明者本人としての確定には至らなかった。
リーナは落胆した。
しかし、都合が良かった部分もある。
素性に不明な点があるのはよくないが、逆にはっきりすることによって問題が生じてしまう方が困る。
特に、実の両親や親族等が正当な権利だと言って口を出してくると面倒だ。
孤児であればそれがない。
「リーナちゃんの調査は終了。レーベルオード伯爵家の養女としての立場が確定した」
そして、クオンがついにリーナへの好意が特別なものであることを認めた。
善良で心優しいリーナをつかず離れずの立場で見守り続け、ミレニアス訪問中に一緒の時間を過ごしたことが、勤勉で良心的な人間への好意を特別な女性としての好意に変えていったのではないかとヘンデルは感じた。
だが、変化したのはクオンの気持ちだけではない。リーナもまた同じく。
自分よりもはるか上の存在である王太子から絶対的に信頼できる相談相手に。そして、心惹かれる特別な男性になっていた。
また、リーナは何もできない不足だらけの新人召使いでもなくなっていた。懸命な努力を重ねた結果、王族付きに相応しい侍女、どこから見ても立派な淑女へと成長していた。
リーナを養女にしたレーベルオード伯爵家は相応しい教育を施すつもりだったが、礼儀作法はすでに会得していて何の問題もなかった。
様々な職種の仕事をこなし、コツコツと勉強してきたことがリーナの知識と経験を豊富にしていた。
懸念材料がないわけではない。平民時に培われた感覚や知識が貴族のそれになっていない。王族のそれに合わせるのはより難しい。
だが、あえてそういった部分があることを活用することができれば、長所や特別な能力になる。
まさにうまく活用できたのが、夏の大夜会における出来事だった。
リーナの答えは確かに素晴らしいものだった。しかし、それはリーナの優しさによるものだけではない。自身が貧しい環境で育ち、様々な経験をしながら知識を蓄えてきたからこその答えだった。
弱者だったからこそ、弱者を知る者としての言動に説得力がある。
国を統治するのは弱者ではない。弱者を最もよく知る者でもない。その逆だ。
リーナは役に立つ。
一人の女性としてクオンの心を優しく包み込み、安らぐ場を与える。一方で、弱者をよく知る者としての知識と経験を活かし、必要に応じて提供する。
リーナがいる限り、クオンは忘れない。繁栄の光が非常に届きにくい場所にいる者達のことを。
統治者として、エルグラードの選ばれた一部の者達だけではなく、エルグラード全ての者達を輝かしい未来へと連れていく方法を探すだろう。
ヘンデルはまさにリーナこそがクオンの側にいるべき女性だと感じた。
「まあでも、厄介なことがいくつかある」
まず、リーナの実の両親ではないかと思われた者達のことだ。
確定には至らなかったが、行方不明の娘ではないかという可能性が完全に潰えたわけでもない。
もしかしたらと信じ、あるいはこれも何かの縁だと感じて何かをしようとするかもしれない。
それがクオンやリーナにとって好ましくないものにならないように注視する必要がある。
更に。
「レーベルオードはリーナちゃんを本当の家族の一員として認めている。優秀な者達がリーナちゃんを守ってくれることは嬉しいけれど、場合によってはクオンやエルグラード王家からも守ろうとするだろうね。そこはちょっと面倒かも」
リーナは多くの人々から好ましいと思われてきた。味方が多い。
「俺としては、リーナちゃんの味方がクオンの敵や邪魔者にならないように気を付けないといけない」
基本的にはクオンの味方だからこそリーナの味方でもある。
しかし、何かをきっかけにして変化が生じ、クオンよりもリーナの方が優先されてしまう可能性は十分にある。それだけリーナに対する好感度が高い。
良心的で弱い者だからこそ、赤子と同じように守ろうとする人としての心理が働くのかもしれない。
だが、最優先されるべきはクオンだ。
クオンがどのような判断をしても最後まで信じ、支持し続ける。
友人としても側近としても一蓮托生の覚悟、命をかけて側にいる。
「だから、みんなもクオンを守るために協力して欲しい。そして、クオンとリーナちゃんが幸せになれるように友人として支え、見守って欲しいんだ。俺も頑張るからさ」
「わかった」
一番先に答えたのはリカルドだった。
「私はフローレンの王太子だが、クオンの親友でもある。だからこそ、こうしてクオンの結婚を祝うためにかけつけた。幸せになって欲しいと心から願っている。ヘンデルに言われなくても、クオンが幸せになれるようにできることをするつもりだ」
「俺もリカルドと同じだ!」
リアムが叫んだ。
「俺もゴルドーラン王国の王太子、ゆくゆくは王になる。クオンとの友情は永遠だ! 大親友だからな! クオンのために一肌でも二肌でも脱いでやるぜ!」
「よっ! 脱ぎたがり!」
「熱過ぎる男!」
「リアムらしい言葉だな!」
「三肌でも四肌でもいいぞ!」
「頼むぜ!」
「私も負けてはいられないな。大親友の中の大親友として」
アイギスは張り合うように声を上げた。
「エルグラードにいない者達は何かと不利だ。だが、自国とエルグラードとの関係によって存在感を示すことができる」
個人的な友情と交流が国同士をつなぎ、より強い関係と多くの協力者を得ることにつなげることができる。その功労は高く評価されるはずだ。
「デーウェンは私の管轄だ。任せて欲しい。クオンとリーナの婚姻を心から祝福し、末永く幸せであるよう力添えしたい。すでにデーウェンでもクオンの婚姻については知れ渡り、おとぎ話のようだと盛り上がっている。オペラの題材になるかもしれないな?」
アイギスの冗談に友人達は大笑いした。
「周辺国の反応は重要だからな!」
「デーウェン、フローレン、ゴルドーランの支持は確約だ!」
「王族でなくてもそれなりに自国への影響力はあるのだが……」
「貴族出自でも舐めるなよ! 権力も重要だが、コネも重要だ!」
「外交官も十分役立つ。仕事柄、勝手に情報が集まるからな」
他国出自の者達が騒ぎ出す。
「ローワガルンも問題ないだろう」
「第二王子がいるからな。交流関係が広いのは使える」
「ミレニアスは微妙だ」
「王太子に実権がないからな。あてにできない」
「だが、インヴァネス大公が親エルグラード派をまとめているらしいじゃないか」
「領地がエルグラードとの国境付近だからだろう」
「レーベルオード伯爵家とのつながりもある」
「確かに。父親違いの兄弟だからな」
「兄弟仲はいいようだしな」
「気になっていることがある」
アイギスが口を挟んだ。
「リーナはミレニアス王家の縁者ではないのか?」
一瞬にして緊張感が高まり、場が静まった。
「途中で席を立った際、耳にした話がある」
ミレニアスの不良王太子ことフレデリックは二次会で酒を大量に飲んでいた。そして、酔いに任せて愚痴っていた。
その内容はミレニアスとエルグラードの関係が悪いせいで自分の扱いが雑になり、立場が悪くなっている気がするというものだった。
元々ミレニアス王太子という身分ではあるものの、父親によって政治の場からは完全に切り離され、実権を奪われている。
それでも、エゼルバードを始めとした友人達や民間レベルの交流に身を投じることで、なんとかそれなりの立場と評価を得てきた。
だが、あくまでもそれはフレデリック個人の評価であり、ミレニアス王太子としての評価ではない。
傀儡、お飾り、不良などと前置きされる王太子であることに甘んじるにも限界がある。
いとこが見初められるという大幸運を手にしたというのに、父親であるミレニアス王は実益よりも名誉を選んだ。おかげで自分も国民も大迷惑だとフレデリックは非難していた。
いとこの個人名は出していない。アルヴァレスト大公家、あるいはインヴァネス大公子という可能性もある。
だが、リーナはレーベルオード伯爵令嬢だ。インヴァネス大公子は姉と慕っており、半分だけ血のつながった兄パスカルの義妹でもある。
それを考えれば、フレデリックにとってもいとこの姉のような女性ということで、いとこという言葉で表現することも不可能ではない。
酔っていたため、必ずしも精度が高い内容とはいえないが、本音がこぼれた可能性もある。
フレデリックの話を聞いた者達はより詳しい情報提供者がいないかどうかを探し、情報通のアイギスへと話が伝えられた。
「私の知る情報では、インヴァネス大公夫妻は婚姻前にリリーナという娘をもうけていた。八歳で死亡したらしい。だが、リーナという名前は愛称で本名ではなかったのだろう? リーナの本名はリリーナだったのではないか?」
友人達の視線がクオンに注がれた。
ここには固い信頼と友情で結ばれた者達だけしかいない。真実を話して欲しいと訴えかけているのは明白だった。
だが、ミレニアス王家が抱える秘密に関わることかもしれない。
クオンの答えを誰もが待った。





