756 王族妃講義(一)
「ところで、リーナから母上達に聞きたいことはないかな?」
「えっ? 私からですか?」
パスカルから尋ねられたリーナは確認するように言った。
「散歩を続けると食堂から離れる一方だからね。あまり時間もないし、午前中はこのままここで過ごしてはどうかと。聞いていなかった?」
「ごめんなさい。途中までは聞いていたのですが、お菓子の話をフェリックスとしてたので意識が逸れました」
「リーナは本当に食べることが好きなようね」
インヴァネス大公妃が微笑んだ。
「はい。大好きです!」
「私からも何か美味しいものを差し入れしたいところだけれど、ミレニアスのものは駄目ね。エルグラードの方が優れているもの」
「ミレニアスの特産物で有名なものはないのでしょうか?」
「特産物は花なのよ」
「食べることができる花もありますよね?」
「あることはあるが、それ自体が非常に美味なわけではない。食用花は見た目の美しさを演出するものだ」
確かに花が美味しくて仕方がないというイメージは思い浮かばない。
「食べ物の話も悪くはないけれど、王族についての見識を広めるのもいいと思うよ。幸い、母上達はミレニアス王家の者達だ。エルグラード王家に入るリーナの参考になりそうなことを知っているかもしれない」
「さすがお兄様です! 絶好の機会を逃すところでした」
リーナは素晴らしい提案だと思ったが、母親の反応は非常にあっさりしたものだった。
「あら、でもミレニアス王家は大したことないのよ」
「本心かもしれないが、ここだけにしてくれ。王家の者である以上、その威信を揺るがすようなことを堂々と発言すべきではない」
すぐにインヴァネス大公が注意するような口調で言った。
「ごめんなさい。つまり、そういうことよ。どこの王家も統治者としての面目があるでしょう? だから何かと気を遣っているの。発言とか、態度とか。できるだけ偉そうに見栄を張るようにするとか。そうよね?」
「……人によって様々な意見がある。ゆえに、否定はしない」
インヴァネス大公は率直過ぎる妻にため息をついた。
だが、いかにも立派に見える偽りを教えるよりも、本音や真実を教えたい妻の気持ちもよくわかる。
また、エルグラードは大国だけに、貴族であっても周辺国を格下に見たり軽視したりする傾向がある。
そういった意味でも、妻の言動はまさにエルグラード貴族の本音であり、真実だった。
「礼儀作法とか、社交などについてもお聞きしたいです。王家に入ると立場が変わりますので、これまでとは違う礼儀作法になると思います。そういったことで何か苦労されたことがありますでしょうか?」
「ないわ」
インヴァネス大公妃は即答した。
「ミレニアスの礼儀作法はエルグラードの礼儀作法と同じということでしょうか?」
「礼儀作法は基本的にどの国でも大差ないわ」
細かい部分は国によって違うことはあるが、基本的に自分よりも身分が高い者に対して無礼なことや不愉快だと思われるようなことをしないようにすればいい。
「自信がない様子の方がよくないの。間違っていても堂々としている方がよっぽど王族らしいのよ」
「間違っていても、ですか?」
真面目なリーナは眉をひそめた。
「誰だって間違えることはあるわ。間違いを恐れて何もできない方がよくないということよ。勿論、間違っていることに気づいたり注意されたりしたらその都度直せばいいわ。私にはこっそり教えてくれる者がいつも側にいるの。その者が何も言わなければ大丈夫よ」
「父上は母上に甘いので、ほとんど何も言いませんが」
「そうでもない。目立たないところで注意するようにしているだけだ。リーナの場合もクルヴェリオン王太子に教えて貰えばいい。何かあっても王太子にそうするように言われたと説明すれば誰もが納得するだろう」
リーナはなるほどと思いながら両親の助言を頭の中にメモした。
「エルグラードの礼儀作法や言語は国際的な儀礼作法や共用語になっているから周辺国でも十分通じるわ。私はミレニアス語が未だに苦手だけれど、それでも不自由はしていないの。ミレニアスの王族と貴族はいかに流暢なエルグラード語を話せることが重要なのよ。そうよね?」
「その通りだ」
インヴァネス大公が頷く。
「ミレニアスにとってエルグラードは最重要国だ。その言語が話せないようでは話にならない。身分の高い者やよりよい仕事につきたい者ほど熱心にエルグラード語の習得を目指す」
インヴァネス大公の話には続きがあった。
「但し、身分的な配慮もある。フェリシアが王族妃だからこそエルグラード語を使って話しているだけで、普段の会話はミレニアス語である者が多い」
「エルグラード語しか話さない方が王族妃らしくていいと言ったのは貴方よ?」
「フェリシアがエルグラードで生まれ育ったことは知られている。ミレニアス王家で最も支持されている女性であることを考えても、今のままでいいとは思っている」
「最も支持されているのですか? 凄いです! エルグラード出自であっても、ミレニアスの者達に受け入れられているということですね!」
リーナは感嘆の声を上げたが、インヴァネス大公妃はすぐに首を横に振った。
「今でも陰口は言われているわね」
王族妃らしくない。子供ができたからしぶしぶ迎え入れた。大した血筋ではない。所詮他国人だ、などと思っている者達が少なからずいる。
それはフェリシアが跡継ぎを産み、正妃になり、王家で最も支持されている女性になってもいなくなることはない。
「でも、国民の大多数が支持をしてくれているし、親エルグラード派の貴族も何かと擁護をしてくれているわ。そういったこともあって、公の場で私をあらかさまに見下す者はいないわね」
「どうして国民から支持されているのでしょうか?」
何か理由があるはずだとリーナは思った。
「真っ先に思いつくのは、王妃と側妃が張り合うことに夢中で評判が悪いからでしょうね」
ミレニアスにおける女性はいかに高位で条件のいい相手と結婚するかに重きを置いている。人生の全てを結婚に賭けているといっても過言ではない。
「王の寵愛を得ているのは側妃なの。だから王妃は自分や子供達の立場を守ろうとして、何かと自分が上であることを示したがるのよ」
同じ女性としてわからないでもないと思う部分もある。しかし、
「贅沢さや豪華さを競い合ったり、王への影響力を何かと示そうしたりするのはどうかと思うわ。その点、私は贅沢を控えているし、余計な口出しをしないように努めているの」
「フェリシアは健康上の理由から王宮にはよほどのことがない限り行かない。王妃と側妃の争いについては静観し、どちらにも加担しないことで面倒に巻き込まれないようにしている」
「公務をしていることも理由ね。ミレニアス王家の女性でしっかりと公務をしているのは私だけと言っても過言ではないわ」
リーナは違和感を覚えた。
自分の知っている母親は昔から病弱ですぐに体調を崩して熱を出していた。一日中ベッドから出ないこともよくあった。
それを考えると公務をしにくく、ほとんどしていなくてもおかしくはない。
むしろ、母親よりもずっと健康そうな女性の方がしっかりと公務をしていそうな気がした。
「どのような公務をされているのでしょうか? ぜひお聞きしたいです」
リーナは興味しんしんとばかりに尋ねた。
「普通のことよ。私の感覚ではね」
インヴァネス大公妃は答えた。
お読みいただきありがとうございました。
次回は8月17日(土)にアップします。
よろしくお願い致します!





