754 一緒の日
パチリ。
目を開けたリーナはまだ自分は寝ている、これは夢だと思った。
その理由は、真っ先に目にしたものが隣に寝転びながら微笑む兄の姿だったからだ。
リーナはもう一度目を閉じた。
が。
もう一度目を開けて確認する。兄の姿は消えていなかった。
見間違いでも夢でもない!
リーナは一瞬にして目が冴えた。
「おはよう」
甘さたっぷりの表情でパスカルがそう言った。
「よく眠れたかな?」
「……なぜ、お兄様がここにいるのでしょうか?」
リーナは朝の挨拶を返すよりも、パスカルがいる理由を聞くことを優先した。
「リーナのことが気になったからかな。邪魔者が安眠妨害をするかもしれない」
リーナはすぐに理解した。
「大丈夫です。邪魔者だなんて思っていません」
「歳の離れた弟というのはとても役得だね」
パスカルはそう言いながらリーナの側に寄り、頬に口づけた。
「潰してしまいそうだ」
「可哀想です。潰さないでください」
リーナとパスカルの間にはフェリックスがいた。
その瞳はまだ閉じられているが、甘えるようにパスカルに寄り添っている。
昨夜、リーナが就寝してしばらくした頃、フェリックスが部屋に来た。
緊張で眠れないというフェリックスに付き合い、ベッドに座って二人で話をすることにした。
だんだんと安心したフェリックスはベッドに寝転んでくつろぎだし、リーナが子供の頃に読んだ絵本の話をしていると、いつの間にか眠ってしまっていた。
ようやく眠ることができた弟を起こすのは忍びないと思い、リーナはフェリックスと一緒に眠ることにしたのだった。
「こうしていると、僕の子供のようだ」
だとすれば随分若い父親だとリーナは思った。
「僕達三人で歩いていたら、夫婦と子供に見えるかな?」
「さすがにそれは無理があります。私との年齢差はお兄様ほどにはありませんし」
「フェリックスの婚約者候補を覚えている?」
「はい。ミレニアスでお会いした女官の方々ですよね?」
「あの者達はリーナと同じ位の年齢だった。つまり、子供と大人という認識だけではなく、異性の男女としての認識も成り立つということになる。夜遅い時間に会うべきじゃない。これからは禁止だ。いいね?」
パスカルはフェリックスに言い聞かせるように覗き込んだ。
「まだ寝てますけれど」
「起きているよ。寝たふりをしているだけだ」
すぐにフェリックスが目を開け、天使のような笑みを浮かべた。
「おはようございます。お父様、お母様」
フェリックスはそう言った後、すぐパスカルに抱き着いた。
「えっ?!」
まだ寝ぼけているのかもしれないとリーナは思ったが、そうではなかった。
「もっと幼い頃に、こんな風にしてみたいと思っていました。僕は両親と一緒のベッドで眠ったことがありませんので。改めておはようございます。兄上と姉上」
「おはよう、フェリックス」
「おはよう。早速希望が叶ったね」
パスカルはフェリックスを抱きしめながら、優しく微笑み返した。
「そうですね。ですが、兄上が来たので、姉上の寝顔をゆっくりと堪能できませんでした」
「邪魔者は僕の方か」
「いいえ、全然。兄上とこうしていられるのも最高に嬉しいです」
「それなら良かった」
しかし、リーナとしては気になることがあった。
「……だらしない顔をしていませんでしたか? よだれとかいびきとか寝言とか」
「心配は無用です。僕が知る限り何もありませんでした。何もね」
リーナが寝ている間にフェリックスが起きていたことをあらわすような言葉だけに、パスカルはフェリックスの鼻をつまんで戒めた。
「苦しいです」
「おしゃべりをやめて口で息をすればいい。さて、そろそろ起きようか。全員で朝食を取る予定になっているからね」
「わかりました」
リーナはすぐに身を起こした。
「僕達は退場だ。子供であっても女性の着替えを見ることは許されない」
パスカルも身を起こしたが、フェリックスは毛布にしがみついた。
「もう少しこのままでいたいです。このベッドから離れるのが名残惜しくて」
「却下だ」
パスカルは素早く毛布でフェリックスをくるんでしまった。
こうすればフェリックスを毛布から引き剥がす必要がない。手足を動かすような抵抗を抑止することもできる。
「まさかこんな手段を取るとは……」
あっという間に毛布にしがみついたことを無効化されたフェリックスはぼやいた。
「このままだと簡単に捕まって誘拐されそうで心配だ。留学中はレーベルオードの講師から護身術を習うように」
レーベルオードの講師?!
かなりのスパルタになると思われるだけに、フェリックスは動揺した。
「レーベルオードの手を煩わせるつもりはありません。別の者に習いますのでご心配なく」
「遠慮しなくていい。大事な弟だからこそ、しっかりと鍛えておかないとね」
パスカルは毛布で巻かれた状態のフェリックスを軽々と肩に乗せると、すぐに寝室から退出した。
それと交代するようにしてスズリが姿をあらわす。
「おはようございます!」
「おはよう。スズリの挨拶を聞くと元気が出ます」
「本当にリーナ様は褒め上手です! 着替えを用意する間にお茶をどうぞ!」
王宮や後宮には大勢の侍女達がいる。
リーナが起きるとそれぞれの侍女がお茶を運んだり、淹れたり、カップを手渡したり、ドレスを運んで見せたりと作業を分担する。
一見すると効率が良さそうに見えるが、ウォータール・ハウスではスズリと当番になっている部屋付きの侍女がこなしている。
二人がテキパキと動くせいか、その仕事ぶりを遅いと思うことも不足と感じることもない。
私付きの侍女達を辞めさせたくはないけれど、王宮や後宮の世話役が多すぎる気がするわ……。
リーナは心の中でそう思いながら、温かい紅茶をゆっくりと飲んだ。
朝食は通常通り長方形のダイニングテーブルで、当主席はレーベルオード伯爵、右側にパスカルとリーナ、左側にインヴァネス大公、フェリックス、インヴァネス大公妃が並ぶ座席になっていた。
「おはようございます」
フェリックス以外は全員揃っていることを確認しながらリーナは着席した。
「おはよう」
「おはよう。よく眠れたか?」
「おはよう、リーナ。最後はフェリックスだったわね。外れてしまったわ」
先に食堂に来た者達は誰が最後に来るかを予想し合っていた。
「お母様の体調は大丈夫でしょうか?」
「ええ。リーナと話ができて安心したせいか、ぐっすり眠れたわ。おかげで早く目覚めたの」
リーナの朝食が用意されていく。
レーベルオード伯爵家では基本的な食事時間が決められており、その時間内の食事は食堂で取るのが原則だった。
朝食は通勤時間の都合等もあり、全員が揃うのを待たず、食堂へ来た者から順次食事を始めることになっている。
リーナよりもかなり前に来たのか、レーベルオード伯爵とインヴァネス大公にはすでに食後の紅茶が用意されていた。
「リーナに注意がある。フェリックスを子供だと思って甘やかしてはいけない。異性であることを忘れるな。私が言いたいことがわかるな?」
フェリックスの件はレーベルオード伯爵の耳にも届いていた。
「はい。気をつけます」
「何かあったのか?」
「就寝時間後にフェリックスがリーナの部屋を訪れました。様々な話をしているうちに眠り込んでしまい、朝までいたのです。先ほど僕が自室へ連れ戻しました」
パスカルは簡単に説明をした。
「まあ、あの子ったら……ごめんなさいね」
「子供のくせに恐ろしく狡賢いからな」
「私のほうこそ時間を考えずに話し込んでしまいました。申し訳ありません。年上の者としてしっかりと判断すべきだったと反省しています。次からはこのようなことがないように気を付けたいと思います」
「あまり気にすることはないよ。フェリックスは普段甘える相手がいないから、その分もリーナに甘えたいだけだ。日中にたっぷり甘やかしてあげればいい」
「はい」
やがてフェリックスが姿をあらわした。
「おはようございます」
「おはよう」
次々と挨拶が返される。
「僕が最後でしたか。遅くなってしまって申し訳ありません」
「時間内であればいい」
「はい」
フェリックスが着席すると、レーベルオード伯爵は全員を見回した。
「話がある。食事を続けたままで構わないため、全員聞くように」
すでに食事が終わっているレーベルオード伯爵やインヴァネス大公が留まっていたのは、単に家族に朝の挨拶をするためではなかった。
「昨夜男性だけで話をした際、これからの数日間をどうするかという話題が出た」
今回はリーナが婚姻する前の帰省及び休暇であることから、リーナがくつろぐこと、希望することを可能な限り優先することで意見が一致した。
「私とパスカルはよほどのことがなければ屋敷にいる。ゆえに、基本的には一日三回の食事、午前と午後のお茶は全員で取ることにする」
場所や時間等に変更がある場合はその都度通達される。
「散歩についての注意がある。屋敷の敷地内にあるガーデンは問題ないが、公園には行くな。ウォータール地区の一時的滞在者が異常なほどに増えている。安全確保が難しい」
様々な注意事項が通達された。
それが終わると、早速パスカルが今日の予定をリーナに確認した。
「リーナはどんなことをしたいのかな?」
「昨日屋敷の中を案内すると約束したので、都合がよろしければどうかと」
「ぜひ頼みたい」
インヴァネス大公が機嫌よくそう言うと、インヴァネス大公妃とフェリックスもすぐに同意した。
「じゃあ、僕も一緒に行こう」
パスカルに続き、レーベルオード伯爵が言葉を発した。
「私も行く」
一気に雰囲気が変化した。
「お父様もですか?!」
リーナは驚いた表情で確認した。
「できるだけ家族と共に過ごしたい」
「全員参加になったね。この様子だと、一日中一緒かもしれないな」
パスカルの予想を否定する者は一人もいなかった。





