752 男性達の部屋(一)
リーナが母親であるインヴァネス大公妃と二人だけの時間を過ごしている頃、レーベルオード伯爵、パスカル、インヴァネス大公、フェリックスは男性用の応接間に移動し、今後について話し合うことになった。
「父上の休みはいつまでなのでしょうか?」
「水曜日までだ。お前は?」
「同じです。但し、緊急時は招集されます。部下が指示を受けたいという場合も、伝令が来るでしょう」
「私の方も同じだ。花の催しに参加しなくてもいいのか?」
花の催しというのは、花街の一斉取り締まりのことである。
「別の者が参加します」
「キルヒウスか?」
「そうです」
ヴァークレー公爵家は司法省に強固な権力基盤がある。この件をキルヒウスが担当するのは実家のためでもあった。
「父上の方こそいいのですか?」
「指示は出した。報告をしに伝令が来ることになっている。宰相に任せる」
「僕の方も月曜に経過を報告するようにとは伝えています。伝令が来るでしょう」
「水曜の午前中までに外出する予定は今のところあるのか?」
「ありません。父上は?」
「ない」
「ならば、久々にゆっくりできそうだ」
「そうですね」
レーベルオード親子の話が終わったため、フェリックスが口を開いた。
「兄上がいてくれるのは本当に嬉しいです」
レーベルオード伯爵家とインヴァネス大公家は複雑な関係にある。
前回フェリックスが訪問した際には特に問題は起きなかったものの、今回は両親が一緒だ。
母親はレーベルオードを飛び出し、離婚している。
いくら召使達が丁寧な対応をしていたとしても、影では何を言われているのかわからない。
フェリックスは率先的に自分が介入して対処するしかないと思っていただけに、兄が屋敷にいてくれることを非常に心強いと感じていた。
「これほど長く休みが貰えるとは思っていなかったからね。何かあれば要望を出して欲しい。検討するよ」
「三人で過ごす時間が欲しいです。兄上と姉上と僕の」
「それはまあ大丈夫かな」
父親達は両者共に無表情だったが、早速のけ者にされたと感じた。
元々仕事でいないことが多く、子供と一緒に過ごす時間はほとんどない。だからといって子供の方から父親はいなくていいと言われるのも辛いのが本音だ。
「兄弟姉妹だけの時間も必要だろうが、親子の時間も必要だ」
インヴァネス大公が釘をさすように言った。
「その通りだ」
レーベルオード伯爵が同意する。
「だが、その前にフェイリアルには話しておきたいことがある」
「何だろうか?」
名前で呼ばれたインヴァネス大公は嬉しそうな表情で問い返した。
「私はリーナを養女に迎え、養父になった。フェイリアルが生みの父親であることはわかっているが、それを公表することはできない。父親として振る舞うことができないだけでなく、私がリーナの父親として振る舞うことを受け入れる必要がある。こうなったのは、ミレニアス王家の判断による結果だ。わかっているな?」
「わかっている。だが、フェリックスがリーナを姉のように慕い、フェリシアが娘のように扱うのであれば、私もまた父親のように愛情を示すのは問題ないと思うが?」
「血族であることを隠さねばならないというのに、血族らしく振る舞ってどうする? せめて叔父程度だと思い、自重するように努めろ」
インヴァネス大公は理解した。
レーベルオード伯爵が『元妻』を『妹』にした理由は、父親として振る舞うことを我慢させ、叔父という立場で妥協することを促すためでもあるのだと。
これだけでも十分な配慮であることはわかっている。しかし、簡単に頷けるほど、娘への愛情は少なくもなかった。
「……努力はする」
しぶしぶといった口調に対し、レーベルオード伯爵は厳しい表情になった。
「私はレーベルオードを守らなければならない。無理なら結婚式には出るな。一人でミレニアスに帰国しろ」
「わかった。叔父だと思うことにする」
思うだけだが。
心の中の呟きを知るのは本人しかいない。
「聞いたな? 叔父の息子はいとこということだ。但し、エルグラードに滞在中、私の息子のように従うのであれば、パスカルとリーナの弟として振る舞うことを許す」
フェリックスは笑うしかなかった。
すでにエルグラードにおけるレーベルオード伯爵の圧倒的な優位性は揺るがない。インヴァネス大公家の者は従うしかないのだ。
だというのに、念には念を入れるかのような発言をした。
しかも、可能な限りパスカルやリーナの近くにいられるようにする権利を与えるという内容だ。
これは取引であり、恩情だった。
「今夜のレーベルオード伯爵には驚かされてばかりです。わかりました。エルグラードではレーベルオード伯爵の息子のように従います。ですので、ミレニアスが分裂した時はぜひよろしくお願い致します」
「フェリックス」
インヴァネス大公は瞬時に鋭い口調になった。
「可能性はゼロではありません。アルヴァレスト大公が中央に返り咲かなければ、ミレニアスが分裂するのはいよいよだと思う者も増えるでしょう」
「アルヴァレスト派は分裂することを望んではいない」
ミレニアス王家の王兄であるアルヴァレスト大公、ミレニアス王、王弟であるインヴァネス大公が勢力争いをすれば、ミレニアス王国は三つに分裂してもおかしくない。
リーゼルを後ろ盾にしたアルヴァレスト大公領、エルグラードを後ろ盾にしたインヴァネス大公領がそれぞれ独立し、大公国になるという構想だ。
しかし、アルヴァレスト大公は独立したいとは思っていない。
アルヴァレスト大公領の繁栄はミレニアスとリーゼルの交易拠点としての立場があるからこそで、独立による影響で交易が衰えれば、あっという間に立場が弱くなる。
ミレニアスからは公然と反逆者・裏切り者扱いされ続けるばかりか、リーゼルの属国として肩身が狭くなることを覚悟しなければならない。
そのような愚行を切れ者であるアルヴァレスト大公が選択するわけもなかった。
「インヴァネス派は独立あるいは亡命を考えているのか?」
「考えていない。これでも王族だ。自らの国を捨てることはない」
「そうか」
レーベルオード伯爵の相槌には続きがあった。
「だが、火はつけるのだな」
一瞬にして部屋が沈黙した。
たっぷりと間が空いた後、沈黙を破ったのはインヴァネス大公だった。
「……何のことだ?」
「隠すことはない。お前の命令で火が放たれ、違法薬園と邪魔な者達が焼かれた。犯罪者とその拠点、スパイを一掃するためか? 二国間の膠着状況を打開するためか? まさかとは思うが、娘の婚姻を遅らせるためか? どのような思惑であっても、結果的に大成功だったことを思えば英断だ」
またしても沈黙が訪れた。
そして、二度目の沈黙を破ったのもまたインヴァネス大公だった。
「……私も驚いた。今まさに。なぜそのような考えが浮かんだのかはわからないが、結果的に私が得をしたということは否定しない。神には感謝している」
「エルグラードでは全て犯罪者のしたことだと報告されている。詳細な調査を行っても所詮は深い森の中、わかるわけもない」
「ならば、パトリックにもわかるわけがない。鎌をかけたのか?」
「そうではない」
「勝手な推測か?」
「あれだけの大火災だというのに、軍の重死傷者がいないのはおかしい」
「軽傷者はいた」
「それは犯罪者を取り締まる行動時における怪我であり、火災が発生したことによる火傷ではなかった」
インヴァネス大公は心の中で舌打ちした。
レーベルオード伯爵が秘匿されている軍の内部事情を知っていたからだ。
「風向きなどの状況を考え、速やかに避難したからだろう。インヴァネス領の多くは森だ。軍は森林内で起きる緊急時の対応にも慣れている」
「その通りだ。だが、火災が起きたのはインヴァネス領ではない。ローズワースだ。なぜ、インヴァネス領の話が出てくる?」
インヴァネス大公は動揺する様子を一切見せなかった。
「ユクロウの森は広大だ。ゆえに領内に森の一部が含まれている領主達や国境警備隊は協力し合うことになっている。あの取り締まりにも支援のための人員を派遣していただけのことではないか」
「あの取り締まりを仕切っていたのはインヴァネス軍だったというべきではないか? 王族が派遣した者が指揮権を握るのは当然のことであり、現地のローズワース軍よりも詳細な情報を握っていたとも」
エルグラードの王子達が訪問する際、インヴァネス軍はレイフィールの視察の案内役を務めている。
それはインヴァネス軍が現地はもとより、ユクロウの森全体についてもよく知っているからだった。
インヴァネス大公は娘が誘拐されて行方不明になったため、自らの領地を起点とした周辺の広大な地域に人員を配置し、情報収集をしていた。
また、王族であるからこそ、自らの領地以外にも干渉する権限がある。緊急時の協力などという名目で各領主などからの情報提供も受けられる。
だからこそ知っていた。ユクロウの森のことも、犯罪者のことも、その拠点も。
但し、観光を主軸とする自らの領内やミレニアス国内における深刻な被害が出ないことを理由に、各領主に任せておくという判断にして来た。
それは自らが責任者として名乗り出ることによる不利益を考えただけでなく、犯罪者の中にスパイを送り込み、わざと泳がせて情報収集をしていたからに他ならない。
しかし、娘は見つかった。
不要なものは処分するに限る。最大限に活用できれば尚いい。
そこで、インヴァネス大公は動いた。
ローズワースにおける取り締まりに人員を派遣して指揮権を掌握し、どさくさに紛れて火を放つよう指示をしておいた。
不要なものを不慮の事故として焼却処分するために。
そして、この件は必ず両国の関係に影響を与える。災害に備え、二国間で協調しなくてはならないという意識を強めることに活用できる。
自らが先頭に立つことの有益さ、功績によって権力を強めることができ、子供達の将来を邪魔する暗雲を払うことを考えた。
「エルグラード軍がどこに防火地帯を作るかは、第三王子の視察とその時に得た情報を元に考慮している。当然のことながら、案内役を務めたインヴァネス軍の情報だ。わざと流して誘ったな?」
「私は防火地帯を作るよう助言してはいない」
「インヴァネス領の防火地帯はユクロウの森における最大数を誇っている。案内をした者が自慢しないわけがない」
防火地帯を作るためには現地の情報が必須だ。防火地帯の数の多さは、それだけユクロウの森についても熟知しているという証拠だった。
「どのようなものであれ、エルグラード軍の防火地帯は一定の成果を見せ、火災の被害を抑えた。それでいいではないか」
「私の家族という範囲に留まりたいのであれば、何事においても細心の注意を払え。燃え残りは必ずあるものだ。見る者が見れば何もないはずの焼け跡、現地から遠く離れた場所にいる者であってもわかることが多くある」
「……身に覚えがないことであっても、細心の注意を払うべきなのはわかる。鋭意努力しよう」
「その言葉を忘れるな」
「ウェイゼリックの屋敷を監視していたことは忘れることにする。兄が妹一家を心配するのは当然のことだからな」
すっかり部屋の中の温度は下がっていた。
レーベルオード伯爵とインヴァネス大公は家族とは言い難い雰囲気を醸し出しているのは間違いない。
この二人だけでは絶対にうまくいかないであろうことを予想していた息子達は顔を見合わせて頷き合った。
「そろそろ話題を変えては?」
「勝敗は見えていますしね。父上はレーベルオード伯爵には勝てません」
「それでも息子か?」
インヴァネス大公は眉を上げた。
「エルグラードにおいてはレーベルオード伯爵も父親のような存在です。息子として従う約束をしたばかりであることを考慮しないわけにはいきません」
「となれば、私が味方につけるべきはパスカルだろうな?」
「滞在中のことについて話すことをお勧めします。父上はどのようにされたいと思われているのでしょうか? まさか、インヴァネス大公と父親らしさを競って張り合うつもりでしょうか?」
勿論、そうではないに決まっていた。
「この休みは非常に貴重であり、誰もがリーナと過ごしたいと思っている。そのせいで、誰がリーナと過ごすかということで醜く争うようなことはしたくない。リーナが心からくつろぎながら、家族全員との思い出を作れるようにしたいと思っている」
レーベルオード伯爵にインヴァネス大公は頷いた。
「私もその点については気になっていた。先に誘った者が優先などとしてしまうと不公平になる。こうしている間にも妻が娘と二人だけで過ごす予定を次々と入れているのではないかと心配でたまらない。できるだけ公平に誰もが納得するように過ごせればいいのだが、何か良い案はあるだろうか?」
「交代制がいいのでは?」
真っ先に提案したのはフェリックスだった。
「明日はレーベルオード伯爵家、月曜日はインヴァネス大公家、火曜日は午前と午後で分け、水曜は全員で過ごせば公平な気がします」
フェリックスは自分の父親とレーベルオード伯爵が一緒に過ごすことによる問題発生を考え、あえて分けることを考えた。
「その場合、僕とフェリックスがリーナと過ごすのは水曜日ということかな?」
「一応は。ですが、一日中でなくてもいい気がします。インヴァネス大公家の時間の際、僕が主導権を握るということで、兄上を呼んで一緒に過ごすことにしてもいいと思いますし」
「インヴァネス大公家の時間はお前だけのものではない。両親をないがしろにする気か?」
「一時間や二時間程度は問題ないのでは?」
「それが何度もあると、公平とはいえない。レーベルオード伯爵家の時間にお前がしゃしゃり出ていくのも同じだ」
「では、時間数で分けますか? 一人の持ち時間を決めて、それを消費する形です」
「消費したい時間が重なるかもしれない」
「それは一緒に過ごすということでいいのでは?」
「私とレーベルオード伯爵が一緒になると、リーナが気を遣いそうではないか?」
フェリックスは苦笑した。
「レーベルオード伯爵や兄上は具体的な案をお持ちでしょうか?」
尋ねられた二人は視線を交わす。
先に答えたのはパスカルだった。
「一番に優先されるべきはリーナだよ。どのように過ごすのかをこちらで決めてつき合わせるのではなく、リーナがしたいと思うようにさせ、家族はそれをサポートするのが望ましいと思う」
パスカルもリーナと一緒に過ごしたい。できることなら兄と妹二人だけの時間を堪能したいと思っている。
しかし、そう思うのはパスカルだけではない。
あまりにも不公平な結果になるのは歓迎できないが、リーナが望むことを受け入れ、邪魔が入らないように気を配るつもりだった。
「ただ、リーナから声をかかるのを待つだけというのもどうかと思う」
パスカルは父親達の方に視線を変えた。
「規則正しい生活を前提とした三食とお茶の時に、全員が集まるというのはどうでしょうか? 一日に三回から五回、リーナと一緒に過ごす時間ができます。それ以外の時間については食事の際にリーナの予定や希望を聞いておけばいいのではないでしょうか? 前半はそれで様子を見て、ほとんど一緒に過ごせない者がいた場合は火曜か水曜あたりに調整をする手もあります」
「賛成だ」
レーベルオード伯爵がすぐに同意した。
「リーナがどうしたのかを最優先にしたい。だが、リーナは謙虚だ。自分からこうしたいなどと積極的には発言しないだろう。そこで全員が協力し、リーナが本心からの要望を言いやすい気持ちや状況になるようにする。特にないということであれば、それぞれが考えるものを提案し、リーナが良いと思ったものを選ばせればいいのではないか?」
フェリックスとインヴァネス大公は、リーナと一緒に過ごしたいという気持ちばかりが先行していることを反省した。
「すまなかった。その通りだ。私もそれがいいと思う」
「僕もです」
明日からの予定についての話し合いは、全員が納得する内容で解決した。
と、その時。
大きな音が聞こえた。何度も。
遠くではあるが、爆発音のようにも思える。
「あの音は?」
「花火だよ」
パスカルが答えた。
「結婚式まで一週間になったからね。今週末は王都の各所で花火が上がる」
「そうでしたか。でも、新聞には出ていなかったような気がします。告知はしていないのでしょうか?」
「限定的な催しのためだから、一般告知はないかな」
それは王都にある『花街を盛り上げるための花火』だった。
中には王都に来訪中の王族や大貴族などの要人がお忍びで遊びに来るのを歓迎するための花火もある。花火が上がる場所によって、理由は様々だ。
だが、しかし。
それらの理由は正しいとは言えない。
本当の理由は、不審者や犯罪者、危険人物、違法行為などを摘発するための一斉取り締まりを始める合図として利用するための花火だった。
「始まったな」
「そうですね」
同時刻に打ち上げられた花火を合図に王都警備隊をはじめ、治安維持隊や各機関の調査及び支援要員が各所で一斉突入をしているはずだった。
「今夜はここまでにしよう」
四人で過ごす時間は終わりになった。
未成年であるフェリックスを夜更かしさせ、酒の席につき合わせるわけにもいかないだろういうのもある。
また明日の朝食時に集まり、決まったことを女性達にも伝えるということになった。





