75 変えて行こう
クリスタの説明によると、キフェラ王女は他国の王族であることから特別な配慮をすることになっていた。
側妃候補は基本的に入宮時に定められた自室しか使用できないが、後宮の判断次第では臨時で別室を追加することもできる。
側妃候補の倉庫部屋は一つということになっていたが、キフェラ王女は特別待遇で最初から五つ。
元々ある二つの衣装部屋と合わせると、全部で七つの衣装部屋があることがわかった。
「キフェラ王女は入宮してからの滞在歴が長く、購買部で買い物をするのが気晴らしになっています。そのせいですぐに荷物が増えてしまうのです」
「側妃候補の不必要な荷物は実家に送ることになっている。キフェラ王女の荷物はミレニアスに送っていない?」
「送っていません。そのような指示は受けていないので、倉庫部屋に入れています」
そして、倉庫部屋に次々と入れた結果、何がどこにあるのかがわかりにくくなってしまった。
王女が着用する衣装は寝室の隣にある二つの衣装部屋にある。
だが、そこにあるものが気に入らないということになると、前に買った衣装を持ってくるよう言われ、目当ての衣装を探し出すのに苦労していることをクリスタは説明した。
「ご存じとは思いますが、キフェラ王女はお洒落にこだわります。着用するドレスを用意しても気に入らないと言われてしまい、いつも別のドレスを用意しなくてはなりません」
新しいドレスに合わせた靴やアクセサリー、小物も用意しなければならない。
侍女が手分けして作業をしているが、倉庫部屋に行くだけでも時間がかかり、その中から当てはまりそうな衣装を探すのは大変だった。
「現在の人数ではかなりの時間がかかってしまい、王女に叱責されてばかりです。もっと人員が多ければ、衣装を揃える時間を短縮できると思います」
「キフェラ王女は毎日のように衣装を気に入らないというのかな?」
「毎日のようにではなく毎日です」
「面会者がいない時は何回着替えるのかな?」
クリスタは少し考えてから答えた。
「最低四回です」
朝起きて一回。昼食前に一回。夕食前に一回。入浴後に一回。
起床しても用意したドレスが気に入らないと言い出し、朝食時間が遅くなる。
その後すぐに昼食時に着替える衣装について打ち合わせをするが、昼食前になってしまう。
着替えて昼食をとると、今度は夕食前に着替える衣装の打ち合わせになる。
夕食後は入浴後に着る衣装を選び、それから入浴。
入浴後に着替えると、就寝。
「着替えに始まり、着替えに終わるような一日です」
衣装や小物を持ってくるだけでなく、元の部屋に戻す作業もある。
遅くまで残業をしなければならない状況であることをクリスタは説明した。
「問題がある」
「そうなのです。ですので、人員を増やしていただけないでしょうか?」
「違う問題だ。側妃候補は後宮に滞在する条件として講義を受けることになっている。今の話を聞くと、キフェラ王女は講義を受けていない。そうだね?」
「そうです。着替えが間に合いません。そのせいで気分が悪くなり、体調不良ということで欠席されています」
「キフェラ王女は他の側妃候補と違ってこの国に留学している。講義を受ける重要性がより強いにもかかわらず、毎回欠席しているわけだ。この責任は誰にあると思う?」
クリスタの胸に急激な不安が押し寄せた。
「私、なのでしょうか?」
「キフェラ王女だ。自覚が足りない。周囲をわがままで振り回している。着替えで一日が終わるのがその証拠だ」
クリスタは黙り込んだ。
確かに振り回されていると思うしかない。
「このことをヘンデルは知っている?」
「いいえ。侍女長から話があり、こちらで対応するように言われました」
クリスタが懸命に説明しても、キフェラ王女は無礼だと言って怒る。
侍女長に相談してもクリスタが叱責され、現場で対応するよう言われただけだった。
「僕かヘンデルに相談すべきだった」
「申し訳ありません」
「着替えは講義を欠席するための理由作りだ。人員を増やして対応しても別のわがままを言うだけだよ。だから、僕の指示に従ってほしい」
「どのようなご指示でしょうか?」
「衣装は全部レーテルに用意させて」
キフェラ王女の持ち物の管理は同行する侍女が行うことになっている。
それは単に一覧表を作って持っておくということではない。
取り出したりしまったりすること全てにおける管理業だった。
しかし、ミレニアスから同行できる侍女は一名だけという条件のため、人手不足になる可能性がある。
その場合は王女が使用する部屋付きの侍女が手伝うことになっていることをパスカルは伝えた。
「注意してほしいのは、あくまでも手伝うだけにすること。無理な時は無理だと言う。全部押し付けるようなことを言われたら、拒否すればいい」
クリスタは驚いた。
「拒否ですか?」
「そうだよ。王女だとしても、ただの側妃候補やその同行者には命令権も指示権もない」
後宮の組織における命令系統に側妃候補も側妃候補に同行する侍女も含まれていない。
つまり、キフェラ王女も侍女のレーテルも後宮の侍女に命令はできない。指示も出せない。
できることは協力を求めることだけであることをパスカルは強調した。
「ミレニアスの身分社会は上下関係や命令権については厳格だ。命令権がないことをレーテルに伝えれば理解するよ」
「でも、キフェラ王女が知ったら怒ります。私や侍女長を呼び出して文句を言うのでは?」
「侍女長を呼ぶ必要はない。問題が起きたら僕を呼んでほしい」
パスカルはクリスタの上司として自分が直接対応することにした。
「倉庫から取り出したいものがあればレーテルが持ってくる。倉庫部屋の整理整頓も全てレーテルの仕事だ。クリスタたちはする必要がないことをしている」
側妃候補の倉庫部屋が一つなのは、あまりにも持ち物が多いと、同行者の侍女や召使いが管理できなくなるからであることもパスカルは教えた。
「他国から来ているだけに荷物が多いのはわかる。でも、管理する仕事はレーテルだ。それができないのであれば荷物を減らすしかない。ミレニアスへ送る費用は自己負担になることも伝えて。だから、他の側妃候補たちは買い物のし過ぎや荷物が増えることには気を付けている。王女であっても側妃候補である以上、それについては同じだ」
「わかりました。レーテルに伝えます」
「これまでつらかっただろう? それでもなんとかしようと頑張ってくれた。クリスタの努力は賞賛に値する。本当にありがとう」
パスカルはクリスタを労った。
「でも、誰にも頼れないと思わないでほしい。僕がいる。助けるからね」
「……はい」
クリスタはいつの間にか涙ぐんでいた。
ずっと真面目に勤務していた。キフェラ王女や侍女長に怒られながら、なんとかしようと努力したがうまくいかない。
他の侍女たちにも文句を言われ、不満がわかっていても残業をするしかない日々。
もう無理だと何度も感じたが、どうしようもない。誰も助けてくれなかった。
しかし、これからは違う。
パスカルがいるとクリスタは思った。
「他の侍女たちにも僕の指示を伝えてほしい。全員で力を合わせよう。ここはミレニアスじゃない。王女であってもわがままは通用しない。僕とクリスタ、侍女たち全員でそのことをキフェラ王女とレーテルに学ばせる。いいね?」
「はい!」
クリスタは涙を手で拭いながら返事をした。
「明日から仕切り直しだ。王女がわがままを言うのはわかっているけれど、まずはやってみよう。何もしなければ変わらない。一緒に変えて行こう。僕が支える。大丈夫だよ」
優しくて温かい。それいて頼れる強さが感じられる。
そんなパスカルの言葉はクリスタの心にすっと溶け込んだ。
パスカル様がいてくれれば大丈夫……。
クリスタの胸の中に希望の光が射し込んでいた。





